3-3

 ――俺様は人間が嫌いでした。人殺しの使命が嫌いでした。自分という存在が嫌いでした。退屈な時間が嫌いでした。慣れていくことが嫌いでした。言葉が嫌いでした。繰り返されるもの全てが嫌いでした。生きることが面倒で嫌いでした。

 ああ、それなのにどうしてでしょう。俺様は孤独が一番嫌いなのです。

 孤独が怖いのです。

 それさえなければ一人死にゆくことも躊躇わなかったでしょう。

 けれど孤独は、俺様から何もかも奪いました。

 俺様が好きだった景色も、好きだった人も、好きだった花の香りも、好きでいる権利も、思い出さえも全て奪っていきました。代わりに色褪せた世界を残して、それ以外は何一つ残すことなく強奪していきました。

 人間にせよ機械人形にせよ、生きることは無駄なことを続けるという意味なのにも関わらず、無為無益は全て取り除かれてしまいました。無慈悲なことに無駄なものは何一つ残っちゃいません。

 死ぬのが怖いのは、そのせいです。

 なぜなら思い出は、死人の傍にこそあるべきだから。

 けれど俺様は、いつかきっと全てを取り戻すでしょう。

 そして最期、自らを弔うのです。

「本当に清々するようなエピローグだよな」

「何かおっしゃられましたか?」

「何でもねえよ」

 機械人形ミアは、首を傾げるノアへぶっきらぼうに答えて、それから彼の乗ってきた飛行機の周辺を観察する。とは言え、彼女には自由自在に動ける身体がなかったため艦載されている小型飛行カメラを通してだ。小型飛行カメラは、手のひらに乗る程度の小さな箱型で収納可能なプロペラが付いており、ミアの意思によって自由自在な彼女の目である。

 そうしてミアは、飛行機の周辺を一通り観察し終え、警戒のレベルを落とし近づいた。

「なんだあれは」

 近づいて、後部座席にもう一人乗っていることに気が付いたミアは、恐る恐るだがはっきりと視認できるその距離まで詰めた。中心物とピントが合うと、それまでのぼんやりとした映像は鮮明なものへと変わり、ミアはその後部座席へ人の姿を認めた。

「これは……」

 呟いてミアは、吐く必要のない息を深く吐いてしまった。それは美しいものに対する感嘆の息であったが、呆けているのも一瞬にミアは注意深く対象を観察する。

「女だ……」

 珍しい亜麻色の艶やかな髪、白百合の花弁のように白い肌にはほんのりと赤いチークが愛らしく、纏う雰囲気は乙女のようだった。黒のベルベットワンピースは彼女の身体をより一層華奢に見せている。女はまるでそこに温もりがあるかのように、スノーホワイトの革製鞄を抱きかかえ俯いていた。ミアは、その表情を確かめようと回り込みあることに気が付いた。

「眠ってんのか」

彼女の横顔、その瞳は閉じられおり、耳を澄ませばかすかに穏やかな息遣いを感じ取れる。見たところこの女は、この状況下で眠っているようだった。緊張感の欠片もなくすやすやと。

「……自分以外の女を見たのは初めてだが、戦闘服じゃないが女も服を着るんだな」

「随分と独り言が多いのですね」

「……るせえよ!」

 「それにしても」ミアにとって対象が動かないという事実は、観察を継続する上で都合が良いのだった。人間であれ機械人形であれ、自分と同じ女の姿形をした存在は、ミアの興味をひいていた。

「興味……ねえ」

 そんな感情は、とうに色褪せていると知っていた。

 だからこの心の傾きは、同情と呼ぶべきなのだろう。

 そう違いない、なぜならこいつは。

「こいつは人間なのか?」

「人間ですが何か」

 ノアが即答したことを意外に思いつつも、ミアは続ける。

「人間って言うのは、あの脆弱で愚かで醜くて酷く不快で残忍な、俺様の知っている奴らのことか?」

「全てには納得しかねますが、人間であることは間違いないでしょう」

「人間には足が二本あったはずだが? それともこいつは新種の人間なのか?」

「新種ではありますが、変種ではあります……足については突然変異の類ではなく単なる損傷ですが」

 ノアは、含みがあるようにそう言って冷ややかな笑みを浮かべた。それは見る者へ不快感を与えるものだったが、演じているようなそんな作り物めいた雰囲気を纏っている。

 そのことにミアは気付いていたが、触れたところでどうしようもないことを察していた。寧ろ、触れるべきではない一面なのだろう。だから彼女は黙って、話の続きを促した。

「彼女は、生まれつき眼が悪いのです。視力の話ではなく、色覚の話です」

「色? 色が見えないってのか……そりゃあ変種だな」

 やはり彼女は変わっていた。

 見た目も、中身も、欠陥品だった。

 欠陥欠損欠如、秒針のずれた時計みたいな壊れ方。

 しかしそれでも、やはりそれは零か一かというそれくらいでしかない差で、けれどそれほどの差が彼女と人間との間にはあるのだろう。

――完成品と欠陥品の差。

――群体と孤独の差。

――最強と最弱の差。

――脆弱体と不死身の差。

 ミアは、埋め難く歴然と存在するその溝を嫌っていた。

「どうしてお前は、この女を連れてきたんだよ?」

「それは」

 ノアは、臆することなく答えるのだった。

「欠けているものは、欠けているものの中にあった方が幸せだからです」

 欠けていること、崩れていること、狂っていること。

 それはきっと壊れゆく機械人形の傍を指している。

 ミアは、数瞬言葉に迷ってから言った。

「ノア、あんたは俺様を弔いに来たんだろう?」

 この不死身のミアを弔いに来たのなら、ミアは続ける「俺様は何をしたらいい?」。

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