3-2

 ラシア大陸を離れた遥かなる洋上には、機械帝国海軍の軍旗を掲げる一隻の航空母艦の姿があった。僅かな月明かりに照らされたその全容は、巨大な鉄の棺桶にも見え、波を引き裂きながら前進する音以外は、物音一つなく静寂そのものである。それはあまりに不気味であり、塗装が剥がれ錆びついた船体も相まって見た者が幽霊船と称し、畏怖の対象と認識したところで何ら不思議ではなかっただろう。

 しかしながら、この巨大航空母艦を世界戦争後に目撃した者は誰一人としておらず、そして戦時中において観測した者は誰一人としておらず、旧機械帝国海軍の保有戦力記録簿にのみひっそりとその存在形跡を残している。ただそれ以外の記録は、やはり何処にもなかった。

 搭乗員なし、出航記録なし。

 現況不明。

もはや誰にも認識されていない幻のようなものを存在していると表現すべきなのかは、定かではないが、ある種人間めいた言葉を用いることが許されるのならばそれを人は孤独と呼ぶのだろう。

誰にも知られることはなく、誰を知ることもない。

「そんな存在は、いないのと同じなんだろうな」

 生きていても死んでいるのと同じであり、事実であっても不実と同じであり、果たしてそんな存在がここに在り続ける意味はあるのだろうか。もとよりここが何処なのかさえ、この航空母艦は分かっていなかった。そして彼女は、果たさなければならない使命があるということ以外、何も分かっていなかった。

 現状において彼女が使命のためにできることといえば、あてもなくさまようことのみであり、長い時間をかけてそれを実施しているのだった。

 成果はなし。

 結果は毎日が退屈との戦いである。

 退屈とは、精神が活動し続ける限り発生し続ける人間でいうところの病原菌のようなものだと彼女は認識していたが、それは想像を絶する苦痛を有しており、何度か自壊を試みるもそれはことごとく失敗に終わっていた。

 よって、彼女は航空母艦の意思そのものとして大海を彷徨い続けているのだった。

「そんな俺様を誰も知ることはねえんだろうけど」

 彼女がいつも通り、いつも以上に独り言に耽っていたある夜のことだ。

「おい、マジか」

 思わず漏らしてしまった驚きの声には、二つ理由がある。

一つは彼女が四周警戒実施中、見渡す限りの海を言葉通り見渡しながら前進していると南の方角から飛行物体を確認したのである。それはプロペラの音を響かせる一昔前のレシプロ飛行機のようだった。

二つ目は、洋上をさまよう彼女にはここが何処なのか分かっていないとは言え、現在地が陸地から途轍もなく離れた位置にあるということくらい把握できていたからだ。とてもじゃないが出鱈目に飛行して辿り着けるような場所ではない。つまりあの彼我不明機は、初めからここを目指し、計算した飛行を行っていたかあるいは、片道覚悟のフライトに臨んだかのどちらかなのである。後者であることは考えにくかったため、彼女は驚きと共に警戒のレベルを上げたのだが、彼我不明機に敵意はないらしく高度を落とし、こちらの頭上で旋回を始めた。

何やら装備品であるライトを点滅させ、意思疎通を試みているようだったが、彼女自身そういった伝達には不慣れであり、結局意味が良く分からないまま艦載の巨大スピーカーで言語により答えることにしたのだった。

「こちら帝国海軍、彼我不明機へ。言語による対話は可能か? 可能ならば、その……赤いランプを二度点灯せよ」

 ランプは二度輝いた。

「こちら帝国海軍、了解。彼我不明機へ、誰か?」

 彼女は、いつまでたっても光ることのないランプへ苛立ちを覚えそのままにぶつけた。

「誰かって所属を聞いてんだろうが!」

「…………」

「口が付いてねえのか、ああ? いや、待て」

 はいかいいえの二択でしか対話ができないんだった。そのことに気が付いた彼女は、一度取り繕い再び対話を試みる。

「こちら帝国海軍、彼我不明機へ。敵意はあるか?」

 ランプは一度輝き、敵意はないことを明確に示していた。

「こちら帝国海軍、了解。取引があるのであれば、着艦を許可する」

 それから彼我不明機は、大きく旋回した後にゆっくりと飛行甲板へと着艦したのだった。

 彼女が飛行甲板の照明を開放し、闇から姿を現したレシプロ機の全容を観察していると、コクピットから黒づくめの男が一人降りてきて言った。

「……初めまして」

 男の相貌は、湿っているかのように艶やかな黒の長髪を後ろで一つに束ねており、夜のように黒く冷たい瞳と銀の欠け月を思わせる美しい肌を有していた。燕尾服姿で男は、恭しく一礼し、彼女をその鋭い瞳で見つめる。

そのとき彼女は生まれて初めて人間を直視したのだが、それが秀麗と表すに値する姿形だということは自ずと理解できた。そして男は、落ち着いた口調で冷ややかに名乗るのだった。

「弔いの機械人形ノアと申します」

 姿なき彼女は、不死身の機械人形ミアは、そのとき彼の目的の全てを悟った。

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