2-4

 柔らかい石灰岩の石畳を車椅子の車輪が、音を鳴らしながら転がっていく。

ニーナは、夕食を街のレストランで済ませ、そのまま王宮に帰るのも寂しかったためアネモネを連れて高台を目指していた。

 あの場所からは、夜景と星空が同時に見える。

 アネモネは一体どんな反応をするのだろう。

 街一番の高さを持つ純白の時計台を越え、家と家の間を何度も通り抜け、石畳はやがて上り坂の獣道へと変わる。道の両脇は、石材の建物から背の高い植物へ、明かりをともしていたランタンから蛍の小さな無数の灯へ、見上げていた時計台は孤高に浮かぶ蒼月へと変わっている。

 既に息を呑むほどに美しい景色ではあるが、アネモネはきょろきょろと前方を見回していて気付く様子がなかった。車椅子では後方の状況を確認することが出来ず、怖いのかもしれない。

 少しでも恐怖を和らげてあげようとニーナは、間延びした声で言ってやった。

「あー、お腹すいた」

「さっき食べたばかりですよ?」

 効果があったようで、アネモネは僅かに明るさを取り戻していた。

「いいじゃない、生きていたらお腹はすくものなんでしょ?」

「自分のお腹に聞いてください」

 アネモネはそう言って笑ったが、それが誤魔化しであることに気付いていた。誤魔化しというのも、彼女は夕食のレストランだけでなく、昼食だってほんの少ししか口にしていない。

 生きているのならお腹が空くはずなのだ。それが気掛かりでニーナはしつこく聞き続け、根負けしたアネモネが口を開いた。

「……私、旅に出てからあんまり食べられなくなってしまって」

 アネモネは、少しの間この先の言葉を紡ぐことに迷っていたのか、黙っていた。それから紡ぎ出された声は力がなく、弱々しい。

「旅をするのは、思っていたよりずっと大変で。この身体ではノア様にも迷惑をかけてばかりです……今まで、どれほど家族に支えられてきたのか身に染みて分かりました」

「家族が恋しくなった?」

「いいえ、寧ろ、ヴェルドを探す旅に出たいという思いつきを聞き入れてくれた母には、合わせる顔がありません。また家族みんなで夕食を食べたいと、そんな日を夢見る度に私は、ただの役立たずだと思い知らされます」

 話しながら車椅子を押しているうちに高台へと到着した。

 目下に広がる街並みはおとぎ話のように華やか、見上げた夜空には星の川が流れている。

 頬に当たる風が冷たい、アネモネの心のようだ。

 ニーナは、独り言のようにつぶやく。

「ほんと私の足って役立たず、どこまでも歩いて行けるのに歩こうとしない。足がなくても自分の叶えたい夢のために歩き出している人がいるのにね」

「ニーナ……?」

 彼女がこちらを見上げていたが、構わず言葉を紡いだ。

「いなくなった父を探すって話を聞いたとき、その身体で、しかもどこへ行ったのかも分からない人を探すなんて無理だと思った。ううん、今でも無理だって思ってる。聞いているこっちまで、馬鹿みたいで恥ずかしくなるくらいに。だけど、きっと今朝同じ夢のことを考えて泣いていたアネモネと、今のアネモネは違う。今のアネモネは、はっきり言えたもの」

 旅へ出たヴェルドを探している。

 また家族みんなで夕食を。

 それを追い続けることは、辛くて苦しいと言った。

「ささやかな夢だけど、夢なんだから叶うとは限らない。叶うかどうか分からないことを追いかけるのは、馬鹿みたいって思う。だけどそれは夢が叶うって信じてないからで、信じている人は、きっとこう言うの。辛くて苦しいって」

 だからアネモネ。

「アネモネは、役立たずなんかじゃないよ」

 夢を見るのも馬鹿らしくて追いかけようとしない私なんかより。

「いつか叶う日を信じてその苦しみと向き合っているなんてすごいよ」

「そんなこと言われたの、初めてです」

 金糸雀色の瞳にうっすらと涙の膜が張っている。

 喜びなのか、しかし、ニーナにはそれがどこか悲しみによるもののように見えた。

「そう? だったら何度でも言うわ、すごいことよ」

 諦めるのは、簡単だ。

 やめればいい、苦しいことをしなければいい。

 だから、弱音を吐いたって歩き続けることはすごいことなのだ。

「ニーナさん」

「ニーナで良い。親友でしょ?」

「親友……ありがとうございます」

「……アネモネ、私も自分の夢を話していい?」

「もちろんです」

 ニーナの夢は、叶うことのない妄想でしかない。

「私は、人間になりたい」

「…………」

 話せば彼女は、驚くと思った。

 そして恐れられると思った。

 だが違った、どちらでもなかった。

 アネモネの白い手が、車椅子を握っていた自分の手に重ねられる。その手は小さく震えていて、不安気だ。彼女の表情は、寂しそうで、緊張しているのか硬い。きっと、想像もしていなかったことを言われるのだろう。

 そして彼女は言った。

「ニーナは……機械人形ですか?」

 どうして彼女がそう言ったのか、というよりそう思ったのか、考えれば安易に想像がついた。あの黒衣の男ノアが、機械人形を探す機械人形だからだろう。この二月の間に何人もの機械人形を見てきたアネモネは、何となくそう思ったのかもしれない。

 そしてそのアネモネの表情が不安に包まれている理由も分かっていた。

「ええ、私は機械人形」

 ライアンにも秘密にしていたことを目の前のか弱い少女に打ち明ける。

 彼女の頬を伝う涙を指の背で拭い、力なく微笑む。

「暗殺をするために造られた兵器だけれど、今は殺せない」

 人を殺すために造られた機械人形が、殺すことを放棄し、恋に生きる時間を割いている。

 ニーナにも、ささやかな夢があった。しかし、それを叶えるには、アネモネのような勇気が必要で、到底叶えられないものだと思っている。

 向かい風はいつだって、誰にだって冷たい。風に立ち向かえない私の辿り着く結末は、悲劇だ。ノアの探している機械人形は、悲劇を迎えるはずだ。

「役立たずの機械人形なの」

 耐用年数を超過し、いつ動かなくなってもおかしくない機械人形なのだから。

「ニーナは、ニーナは」

 アネモネの流す涙は、やがて雨のように落ちていく。涙が雨なのだとしたら言葉は、きっと海だろう。深い、深い海のような、誰にでも平等に冷たい世界。

 彼女の言葉は、心に染み込むように入り込んできた。

「もうすぐ、死んで、しまうのです、か……?」

 ニーナは答えず、車椅子を奥へと走らせ、高台の外柵で立ち止まる。目下に広がる街の柔らかな光が涙に反射し、蒼月が夜の孤独を妖しく飾る。

 沈黙が静寂を生み出し、静寂が世界を支配する。それが答えだった。

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