2ー2
――そして瞳を閉じた。
ニーナは、白桃色の長髪を風に揺らし、藍色の瞳を瞬かせる。目鼻立ちも整った清楚な美貌を持つ乙女は、純白のドレスを纏っており、肩から裾に掛けて白ツツジの花弁を模した刺繍の花々が散りばめられている。華奢な彼女によく似合っており、しばしライアンは見惚れていた。
「いや、綺麗だなと思って」
小首を傾げていたニーナにそう言って、彼女の頬が赤くなるのを楽しんでから、ライアンは今日彼女を王家の花園に呼んだ理由を明かす。
この頃、ライアンは王の取り付けた見合いや外交に忙しく、ニーナと会えない日々が続いており、彼女が不安にならないよう自分の想いを形にして贈ろうとしていたのである。
カーディガンの内側に潜ませていた銀の指輪へと手を伸ばし、彼女の名前を呼ぼうとしたそのときだった。
「誰? 誰かいるの?」
牽制するようにニーナが、正面の薔薇の壁に向かって鋭い声を放った。すると月明かりさえ届いていなかったツツジの低木から中性的な顔立ちをした男が姿を現した。
月光に晒された濡羽色の髪は、女性のように長く後ろで一つに束ねられ、夜闇に馴染まぬ白肌は人形のように美しく、切れ長の深緑の瞳は見るものの背筋に冷たいものを感じさせる。背は高く細身の男は、その身に纏う燕尾服を着こなしており、死神のような恐ろしさと美麗さを醸し出していた。履いている靴は、黒革のミリタリーブーツであり、肌と白手袋以外の頭から足先まで漆黒で統一されている。
冷酷な雰囲気を纏う男は、軽快な跳躍で桟橋に飛び乗り、音も立てぬ不気味な足取りでこちらへ進んできた。
そして、ライアンの数歩前で立ち止まった男は、礼をし、それから白手袋を外して右手を差し出してきた。本来ならば何者であるかを問うべきであったが、ライアンは、男の自然な立ち振る舞いにすべきことを忘れてしまっていた。
しかし、見惚れるほどに流麗な動作をしてみせた男の手が、銀色に輝く鋼鉄の機械義手であることに気付き、すぐさまライアンはニーナを背で守るようにして後ずさり、睨みつける。男を視認したニーナが震えていたこともあってその眼光はいつにも増して鋭い。
すると男は口元に笑みを浮かべ、差し出した手を戻し、乱れのない整った声を発した。
「申し遅れました、私は機械人形のノアというものです。旅の連れとはぐれてしまい、探しているうちに甘い花の香りに導かれこの花園に迷い込んでしまったのです」
「旅の者か、夏の国はそなたの旅を歓迎するが、ここは王家の花園。関係のない者はすぐに立ち去ってもらわねばならない」
「ふむ、つまりお二人は王家とご縁のある方なのですね」
「な……」
身分を迂闊にも明かしてしまったライアンが返す言葉に詰まっていると、ニーナが呆れた顔でその横腹を軽く突いた。
ただ、ライアンの失態が場の緊張を弛緩させたのは、大きな成果だろう。
「他言するつもりはありません、機械人形は嘘をつきませんのでご安心を」
ノアの玲瓏な声が虚空に消え去ってすぐに彼の背後から何かが桟橋の上を転がる音と、女性の高い声が響いた。
「ノア様、どこへ行かれたのですか……あ、こんなところにおられたのですね」
その声の主は、探していた彼を見つけ車輪の音と共に近づいてきた。
月光に照らされていた三人の元に、もう一人が並ぶ。
車椅子に乗った少女だ。車椅子に掛けられたスノーホワイトの革リュック、黒のリボンタイワンピースの首元には白いリボンが咲き誇る花のように存在を主張しており、長く艶やかな亜麻色の髪の上には黒のベレー帽、白百合の花弁を思わせる白肌の頬はほんのりと赤く、ぷっくりと形の良い唇は妖艶である。金糸雀色の瞳には、最初にノアが映り、それからライアンとニーナが映った。
「あの、こちらのお二人は、ノア様のお知り合いでしょうか」
モノトーンカラーで統一された衣装は、少女の造形美を引き立たせていたが、それ以上に両足がないことの異質さがライアンの身を強張らせた。
「こちらの方々は今しがた知り合ったばかりだ。君も自己紹介をしなさい」
ノアがそう言うと少女は、ライアンとニーナに向かって一度低頭した後、透き通る声音で自己を名乗った。
「春の国から旅をして参りました、アネモネ・ヴァレンタインと申します。旅をしている道半ば、出会えたこと嬉しく思います」
何度も練習していたのか、アネモネの言葉は流暢に紡がれた。その様子をノアは、冷ややかな表情で見ていたが、ライアンの目には教え子を見守る師のように映った。
そして自己紹介で並べられた言葉の中にあった聞き覚えのある名前についてライアンはアネモネに聞いた。
「ヴァレンタインって、もしかして君はヴェルド・ヴァレンタインの娘? 二月前まで春の国の大統領だった」
ヴァレンタインなんて珍しい名前は、そういない。ライアンは、政治に疎いがそれでも名前くらいは知っているほどに有名な名前なのだ。
ある者にとっては裏切り者であり、ある者にとっては英雄である機械人形。
そんなヴェルド・ヴァレンタインが、冬の国で孤児を拾った話は有名だ。
「父をご存じなのですか?」
「そりゃあまあ、色々な意味で有名人だったし、知らない人はいないよ。だけれど彼は、大統領を退任してすぐに行方不明になったと聞いた」
「ヴェルドは、旅に出ました……だから私は、それを見つけるために……」
答えたアネモネの声は、自信がないのか小さくなっていき最後の方は聞き取ることができなかった。
その言葉の続きは容易に想像できる、見つけるために旅へ出た。そう言いたかったに違いない。もしも、アネモネが言い切っていたならライアンは無情にもこう返してしまっていただろう。
そんなの夢物語だ。
自分の意思で離れて行った人を見つけるなんてできるはずがない。
それはライアン自身が、過去に自分の元を去っていった母を探そうとして、それが限りなく不可能に近いことを悟ってしまったからだ。
直系の王子が命を落とし、ライアンはその代わりとして跡継ぎとなり、本当の母と生き別れる運命だった。運命という言葉は嫌いだが、誰も運命には抗えないのだ。
「ねえ、ライアン」
背中に隠れていたニーナが脇から顔を出し、アネモネとノアの二人を見つめながら言った。
「今夜はもう遅いし、宮殿に泊めてあげたら? 春の国の大統領閣下のご令嬢なら客人としては十分でしょう? あ、もしかしてもう宿とか決まっていた?」
「ちょうど探している途中でした」
アネモネがそう答えるのを見て、ニーナはライアンの耳元で「私、この子とお話してみたい」と囁いた。ニーナが何かお願い事をするのは珍しいことであり、話してみたいというのは嘘ではないのだろう。
「いいだろう、ノアは客室に泊まると良い。アネモネは、ニーナの部屋でも構わないか?」
「構いません、お慈悲に感謝いたします」
ライアンは、父である国王にニーナと結婚すると宣言したものの、それが承諾されるはずもなく、今週は殆どの時間を異国の姫君との見合いに拘束されることが決まっていた。そのためニーナが暇を持て余し、一人寂しく過ごすというのも可哀想であったため、年も近そうなアネモネが良い話し相手となると思ったのだ。
その晩、ライアンが客人を招いたことに使用人たちは騒然としていたが、二人がヴェルドの娘とその付き添い人であると説明したところ口出しをする者はいなかった。
本来このような突発的な外来の宿泊は許可されないが、足のない大統領令嬢と機械人形の付き添い人、そのネームバリューが客人として相応しい者であることもさることながら、実際のところは、ライアンの一言だけで許可されただろう。
ライアンが普段ニーナに見せている態度からは想像もつかないが、彼の人望は恐らく王以外の人間を動かせるほどに厚い。それは彼の誠実さや、朗らかな性格が人々には好印象に映っている証拠でもある。
映っている、映るようにライアンは努めていた。表面が良い者というのは、必ず裏があり、彼もまた本当の性格は狡猾な男である。
夢は見ないが、現実にできることはどのような手段を用いてでも実現する。
ニーナとの恋は、必ず掴み取るつもりだった。
そしてそのために利用できる駒がちょうど手に入りライアンは、その陽気な笑顔の裏でどのように動かしていくべきか思案していた。
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