桃色のニーナ 2ー1

 ラシア大陸の南には、一年を通して温暖な気候が特徴的な夏の国がある。その気候柄、柑橘類や観賞用植物の栽培が盛んであり、またリゾート地としても有名で冬になると大陸中から白浜のビーチとターコイズブルーの海を目当てに観光客が集まる。十五年前までは戦争中であったため不景気が続いていたものの、近年は徐々に回復の兆しを見せていた。

 しかしながら、この夏の国はある問題を別に抱えている。それは国家を統治しているプリティラリア王家の跡継ぎ、ライアン・プリティラリア・ホーネット王子が、王を継ぐ気もなければ結婚をするつもりもないと言い出したことだった。

 ライアンは、今年十八歳になる青年で、元々は黒い短髪であったが今は日に焼けた茶髪と小麦色の肌であり、しなやかな四肢に柔軟な筋肉を持ち、見目形も悪くない。何よりも朗らかな性格ということもあって国民からは、大変親しまれていた。

 そんな彼が、自らの住まう白亜の城で王に殆ど絶縁に近いことを言い放ったのには、いくつか理由がある。まず、彼自身の出生が王家の黒歴史であるということ。王と侍女の間に生まれた彼は、直系の王子が病気で命を落とすまでの幼少期に酷い扱いを受けていたのだ。しかし、ライアン自身は、幼少期に厄介者のように扱われていたことをよく笑い話にしていることから彼の過去を不必要に哀れむ者はいない。

 それらを差し置いてでも、もう一つの理由の方がライアンにとっては重要だった。

 十八歳という年頃の彼は、政略的な意図など一切関係のない純粋な恋に落ちてしまったのである。王家の歴史において、王族が侍女や身分の低い者と恋に落ちるということは、公になっていないだけであるにはあるのだが、そんな中でもライアンの場合は、特殊だった。

 恋に落ちた相手は自分の命を狙っていた暗殺者だった。彼女との出会いは二年前、蒼月の冴えた夜、王家の花園でのことだった。円形に造られた花園は、赤薔薇の壁に囲まれており、四方の入り口から土色の桟橋が中央の大理石で築かれた噴水に向かって伸びている、その両脇に桃色の海にも思えるツツジの花畑が甘い香りを匂わせ、中央の噴水は緻密な計算を基に建設され、日中は陽光が降り注ぐ光の池となり、夜間は噴水の水が鏡面となり空に浮かぶ月が反射して映る。

――そんな月鏡の噴水で、ライアンは彼女と出会った。

 その日、ライアンはベージュのロングカーディガンに白シャツ、膝の丈までのショートパンツというラフな装いで城を抜け出した。この夜は、自由でいられる時間だった。

 孤独な日々に辟易としていた彼は、気晴らしに王家の花園を訪れ、そして月鏡の噴水にて自分を待ち構えていた彼女に銀の刃を向けられるのだ。

 暗闇に妖しく輝く銀の剣は、彼女の殺気立った姿を映す。

 白桃色の長髪を風に揺らし、アズライトのような藍色の瞳には深い暗闇が見える。浜辺のように細やかな白肌は、土にまみれているのか黒い汚れが目立っていた。背は高く細身の身体は簡素な作りの黒衣に包まれ、足元にはボロボロのミリタリーブーツを覗かせ、いつでも距離を詰められるという風に片足を踏み込んでいる。

 傷ついた獣が、怯えているようにライアンには映った。だからかライアンは、両手を挙げて抵抗する意思はないことを示し、言った。

「殺したければ殺せばいい、ただし、その前に俺の話を聞いてほしい」

 冷や汗が首を流れた。ライアンとて、死ぬのは怖い。だが、それでも、この傷ついた獣に殺されるのならば構わないと思っていた。

 しかし、獣は、何も言わず、じっとこちらを見ている。

「俺は、王子ライアン。王子って響きは良いが、この国の駒だ。王の言った通りに生きて死ぬだけ。いても、いなくてもいい、そんな人間さ。孤独なんだ、君と一緒かもしれない」

 獣の瞳が、わずかに揺れた。

「君は金で雇われたのかい? もし、そうなら俺を殺した報酬でどこか遠くの街へ行くと良い。そこで自分の思う通りに生きるんだ。生きて、生きて大切な人を見つけて、死んでいく人生を送りたかったけれど、それを君に託してもいいかな」

 走り出した獣は、銀の刃の切っ先を喉元に突きつけ、静止した。これ以上、話すなと脅しているのだろうか。しかし、ライアンは、最後に言いたかったことを言葉にした。

「幸せになってくれ」


――そして瞳を閉じた。

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