前の席の女子がヤンデレなのかもしれない

相葉ミト

1.前の席の女子が突然俺のために弁当を作ってくれたんだが

「まったく……またサボりかよ盛武もぶ……」


 謙斗けんとは愚痴りながら花壇に水をやる。

 6月。梅雨の晴れ間はじめじめと暑い。


(地味にだるい肉体労働なんだよなぁ、緑化委員。かといってサボって植物枯らしたら先生から叱られてだるいし……)


「……謙斗けんと君は真面目だなぁ。うふふっ」


 女子の声が聞こえて、謙斗けんとはふと顔を上げる。

 校舎の影から逃げていく、長いハーフアップの髪が見えた。

 ちりりん、と鈴の音。


(誰だったんだろう……盛武もぶはショートカットだから、盛武もぶが手伝いに来たとかじゃなさそうだしな……盛武もぶのやつは女子バスケの大会の練習が忙しいから! ってうちの高校が予選落ちしてもサボりの口実に使ってるヤツだからな……)


 考えるのはやめだ、と謙斗けんとは水やりを再開する。

 鈴の音とハーフアップの髪をした誰かがこっそりやってくるのは、今回が初めてではない。


(誰だか分からないけど……ちょっと話してみたいかな。ちょっとストーカーっぽいけと女子だし、水やり手伝ってくれたらいいんだがな)


 ジョウロを片付けながら、謙斗けんとはそう思っていた。

 7月に、ちょっと話すどころではない接触を視線の主から受けるとも知らずに。


 ◆


 7月最初の週。


「ごめんなさい謙斗けんと、お母さん、今日はパート早く出なきゃいけないから、弁当作れないの。お金置いておくから、学食でお弁当買ってね」

「おう」


 テーブルの上の弁当代を受け取り、謙斗けんとは学校へと歩き出す。

 夏休みはまだだが、蝉が鳴いて暑さに拍車をかけている。


(高校生になってから初めての夏だなぁ)


 これから刺激的な時間がやってくるとも知らず、謙斗けんとは汗をぬぐった。

 暑さと戦いながら午前中を乗り切り、待ち望んだ昼休み。

 この学校の食堂が売る弁当の甘い卵焼きを、謙斗けんとは気に入っている。

 食堂へ行こうと立ち上がる謙斗けんとの前に──。


 ちりりん。

 ずい! と赤いタータンチェックの弁当包みが、鈴の音と一緒に突き出される。


「はい! これ謙斗けんと君のお弁当! 謙斗けんと君が好きな甘い卵焼き入りだから!」


 弁当包みを持っていたのは、長い髪を鈴付きの髪留めでハーフアップにした──クラス1番の美少女、桃道ももじ優彩凪ゆいな謙斗けんとの前に座っているクラスメイトだ。


「なんで?!」


 席替えで謙斗けんとの前が優彩凪ゆいなという関係上、クラスメイトとしてそれなりに話した事はある。

 でもそれだけだ。弁当を作ってもらう約束なんてしていない。


(確かに桃道ももじさんみたいな美人と付き合って、弁当なんて作ってもらえたら最高だなー、みたいな妄想はしたけど、そもそも付き合ってすらいないよな?!)


 謙斗けんとの大声に、優彩凪ゆいなは不思議でたまらない、とばかりに目を丸くする。


「え、卵焼き嫌いだった?」

「そうじゃなくて……桃道ももじさんにそんなこと話したか? ……ましたか?」


 そもそも弁当をなんで作ってくれたのか。混乱する謙斗けんとに、優彩凪ゆいなは首をかしげ、にこっ、と笑う。


「かたいなー、優彩凪ゆいなでいいよ。ううーん、謙斗けんと君はいつも甘い卵焼きのお弁当ばっかり食堂で買ってるでしょ?」

「いつもって……普段はおふくろの弁当だからたまにしか学食使わねえんだけど……」

「ごめんごめん、4月の2週間目の木曜日はハンバーグ弁当、5月の4週間目の月曜日は鮭の塩焼き弁当、6月の3週間目の火曜日は野菜炒めだったから、謙斗けんと君が好きなメニューが分かんなくてお弁当作れなかったんだ。3回の共通点として甘い卵焼きが入ってることに気づいたから、喜んでもらえる自信が出て、やっと作れたんだ」


 恍惚こうこつとした表情で話す優彩凪ゆいなに、謙斗けんとの背筋に悪寒が走る。


(なにも悪いことしてないのに、探偵に追われる犯人並みに俺、優彩凪ゆいなさんに見られてない?!)


 何か俺、優彩凪ゆいなさんに嫌われることでもしたのかな? ほら女子って繊細だから俺ら男子には超どうでもいい事で機嫌悪くなるじゃん。でも弁当作ってくれてるってことは嫌われてはいないのか? でもなんでいきなり弁当なんだ? 謙斗けんとの脳内で、謎が増えていく。その中で最大の謎は。


「なんで曜日で覚えてるの?!」

「何か周期性があるかと思ったから、曜日に注目してみたの。結局、謙斗けんと君のお母様のシフトの関係だってわかったけど」

「どうしておふくろのスケジュールを……」


 美少女が自分のために弁当を作ってくれた嬉しさと、親のスケジュールを付き合っているわけではないクラスメイトが把握している意味不明さで、謙斗けんとは大混乱していた。


「どうしたの微妙な顔して? もしかして、迷惑だった? いらないなら捨てるけど……」


 なぜ桃道ももじさんが俺の好みを把握しているのか。謎が増えた。

 でも食費が浮くのはありがたい。それに、食べ物を無駄にするなと母親に怒られながら謙斗けんとは育ってきた。


「お、おう、ありがとう、桃道ももじさ――」


 優彩凪ゆいなの寂しそうな上目遣いに、謙斗けんとの言葉が止まる。


「私の下の名前呼ぶの、嫌だったらいいんだけど……」

「……優彩凪ゆいなさん。材料費とか掛かっただろ? 弁当代払うよ」


 謙斗けんとの申し出に、優彩凪ゆいなは首を横に振る。ちりんちりんと髪留めの鈴が鳴る。


「いいって! 私が好きでやってるだけなんだから! でも弁当代の代わりに──」


 優彩凪ゆいなは、上目遣いに謙斗けんとを見上げる。


優彩凪ゆいなさん! そんなにかわいい顔を付き合ってない男子に見せるのは反則!)


 優彩凪ゆいなのしぐさに、謙斗けんとの鼓動が速くなる。


「次の土曜日、バスケ部の練習試合、一緒に行こ」

「そんなことでいいのか? 行く」

「ありがと! あっ、感想聞きたいし、一緒にお弁当食べていい?」


 謙斗けんとの許可をとる前に、机を回して謙斗けんとの机に自分の机を付けている優彩凪ゆいな


「おう……」

「えへへ。それじゃ、いただきまーす!」


 嬉しそうにニコニコ笑う優彩凪ゆいな。解せないが謙斗けんとも手を合わせる。


「……いただきます」


 卵焼きは甘すぎないしっとり食感で、文句なく謙斗けんとの好みだった。

 弁当の蓋に保冷剤がおかれていて、お店みたいだなと謙斗けんとは思った。


「おいしい?」

「うん、毎日食べたいぐらい」


 謙斗けんとの中学生時代。

 食事になんの感想も言わず、マズい時だけ文句を言っていた謙斗けんとの父親と、何が美味しいのか褒めてもらわないと美味しいのかマズいのか分からないでしょ! とぶち切れた謙斗けんとの母親が、家庭内怪獣大決戦を繰り広げた。この戦訓せんくんから、謙斗けんとは誰かが自分のために作ってくれた食事を褒めることにしている。

 謙斗けんとの答えに、優彩凪ゆいなはとろんと笑い、小声で何かを呟いた。


「毎日……えへへへ。つまり私は謙斗けんと君のお嫁さん……」


「ごめん、飲み込んでてよく聞こえなかった。優彩凪ゆいなさん、何か言った?」

「なんでもないよ。謙斗けんと君、本当に私の卵焼き、毎日食べたいの?」

「おう。優彩凪ゆいなさん料理上手いし。でも勉強とかあるから、無理にとは言わないけど」

「そんなことないよ」


 優彩凪ゆいなは顔を赤らめ、もじもじしながら小声で言う。


「……謙斗けんと君のために毎日作るなら、全然大変じゃないし……」


優彩凪ゆいなさんがなんか言ってるけど聞き取れなかった! やべえ! 女子の謙遜けんそんって褒めないと機嫌悪くなるパターン! ややこしいことになる前に!)


 謙斗けんとは慌てて、卵焼きをじっくり観察する。


「この卵焼き、焦げてねえじゃん。俺が砂糖入りの卵焼きを自分でやったときは、焼きすぎて焦がしてるから。上手いって」

「……だって、謙斗けんと君に食べてほしくて、何度も練習したからだよ」

「お、おう、ありがとね?」


 優彩凪ゆいなの笑顔がどこか不穏に見える謙斗けんと


謙斗けんと君のことは、なんでも知りたいし、謙斗けんと君にはなんでもしてあげたいの。だから、お礼なんていいの」

「そうは言っても、頑張ったことに対してなにも言わないのは、なんだか申し訳ないからなぁ」


「……謙斗けんと君は優しいね」

「そう?」


 優しいというなら、わざわざクラスメイトのために弁当を作った優彩凪ゆいなの方だろう。


優彩凪ゆいなさん、そもそもの話なんだけど……なんで俺に弁当作ってくれたの?」

「なんでだと思う?」


 小悪魔に首を傾げる優彩凪ゆいな謙斗けんとをからかうように、ちりちりと鈴が鳴る。


「……質問に質問で返さないで欲しいんすけど」

謙斗けんと君、私ね、ずーっとこんな関わり方、いじわるかな? って考えて、悩んで、でもやるって決めたの。謙斗けんと君も、私がやった分だけ、考えて、悩んで、頭の中全部私でいっぱいにしてね」


 ちりりん、と優彩凪ゆいなの髪飾りについた鈴が鳴る。


(この音……前にもどこかで聞いたことがあるような……でもそれより先になんで弁当を作ってきてくれたか、だよな……)


 謙斗けんとの意識に一瞬、鈴の音の記憶が浮かび上がってきたが、すぐに弁当の謎がそれを押し流していった。

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