カリカリ油揚げのシーザーサラダ 2
こんな夜道を、薄汚れた服を着て無一文でうろついているなんて怪しいにもほどがある。迂闊に近づいたら危ない。
そんなことは百も承知だった。
だけど――どうしても放っておけない。一度『仔ぎつねみたい』と思ってしまったら、それにしか見えなくなってきた。
弱って倒れそうなきつねの仔を置き去りにするなんて、無理だ。
「よかったら、このお弁当、食べる?」
気が付くと、瑤子はよれよれになったビニール袋を差し出していた。
「えっ、いいの?!」
薄茶色の瞳がぱっと輝く。
くるくると愛くるしい眼差しが余計に仔ぎつねを連想させて、瑤子の心をますます刺激した。
「うちがすぐ近くなの。よかったら来る? お弁当は温め直すし、温かいミルクも出せるよ」
「ミルク?! うわー、大好きなんだ俺! でも、ほんとにいいの? お金ないけど」
「うん」
瑤子がこくりと頷いて見せると、青年は瑤子の両手を握って、ぶんぶんと上下に振り回した。
「ありがとう! ありがとう! 助かる! ほんとにほんとに、ありがとう!」
ひとしきり握手(多分)を交わすと、丸っこい瞳が瑤子を捉えた。
曇り一つないその眼差しは思いのほかまっすぐで、瑤子の心臓が大きく一つ、跳ね上がる。
「俺の名前は、
「私は……瑤子」
「いい名前だね。瑤子って呼んでいいかな」
「うん」
「じゃあ、瑤子。改めて、声をかけてくれてありがとう! 俺のこと、危ない奴だと思ってるかもしれないけど……ほんとに寒くて死にそうだったから、すごく助かる。何度か周りの人にヘルプを求めたんだけど、上着を買ってくれたおじさん以外、逃げちゃって……」
青年――奈央人は、溜息交じりに言った。
道行く人たちが逃げ出してしまうのも無理はない。彼は顔つきこそ端正だが、並みの人より上背がある。
何かと世知辛い今日この頃。突然話しかけられたら、腕力でお金を巻き上げられるのではないかと思ってしまうだろう。
「俺……瑤子を騙したり、無理にお金を取ったりしないよ」
奈央人のハの字に下がった眉の端に、今までの苦労が現れているようだった。
瑤子にとって、しゅんとうなだれるその様は、やっぱり仔ぎつねにしか見えない。今すぐ手を伸ばして、撫でたくなる。
出会ったばかりなのに、こんな気持ちになるのは自分でも不思議だった。でも、彼が少しでも元気になってくれれば、騙されたっていいとさえ思う。
「奈央人が悪い人じゃないって分かってるよ。大丈夫」
瑤子が力強く言うと、奈央人はようやく少し口角を上げた。
「ありがとう、瑤子。でも、危ない奴じゃないってちゃんと知ってほしいから、瑤子の家に行く前に、俺の正体を話しておこうと思う」
「正体?」
「うん。瑤子、実は俺――」
奈央人の口から語られた事実に、瑤子は目を見開いた。
だが、彼の『正体』を知っても、見捨てることなどできなかった。生きとし生ける者なら誰だって、秘密の一つや二つ、抱えているものだ。
その日、奈央人は瑤子の家にやってきた。そしてそのまま、一緒に暮らすことになった。
こうして、下町の小さなアパートの一室で、同居生活が始まった。
人間と『あやかし』。誰にも言えない、秘密の二人暮らしが――
***
『みなさん、おはようございまーす! それでは今日一つめのニュースをお伝えします。もうすぐやってくるゴールデンウィークを前に、日本各地で様々なイベントが企画されてます! 本日ご紹介するのは……』
朝。
いつものニュース番組を横目で見ながら、瑤子はメイク下地を丹念に塗り込む。
UVカット入りのものを選んで正解だった。今日は日差しが強そうだ。南向きの窓からは、清々しい朝の光が燦々と差し込んでくる。
下地の上にファンデーションを重ね、眉を整えてからチークをふわりと入れた。目の周りは控えめに、透明マスカラだけ。
これが瑤子のいつもの『通勤メイク』だ。
「おーい、瑤子」
身支度がおおかた済んだところで、声がかかる。
振り返ると、長袖Tシャツにデニム姿の奈央人が、白いプレートを二つ持ってキッチンスペースから出てきた。
「朝ご飯できたよ。あったかいうちに食べよう!」
申し訳程度のキッチンと、そこに隣接する七畳半の洋室。間取り1Kのこの部屋で、瑤子と奈央人は暮らしている。
部屋の真ん中には小さな折り畳みテーブルがあり、そこにほんのり湯気の立つ白いお皿が二つ置かれた。
揃いのディッシュプレートの上には、こんがり焼き目の付いた鮭のムニエルに、瑞々しい水菜のサラダ、それから厚切りのトーストが綺麗に盛り付けられている。
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