カリカリ油揚げのシーザーサラダ 3

 何とも言えない香ばしい匂いがほわんと漂ってきて、瑤子の食欲が否応なく刺激された。

「わぁ、今日の朝ご飯も美味しそう!」

 思わず顔を綻ばせると、皿を運んできたシェフ――奈央人は、それ以上に破顔して、皿に目を落とす。

「今日はちょと変わったサラダにしたんだよ。さ、早く食べよう」

 瑤子と奈央人は、小さなテーブルを間に挟んで座った。

 同時に、つけっぱなしだったテレビから、神妙な声が聞こえてくる。


『次のニュースです。跡取り問題で揺れる日本舞踊の最大派閥・神尾かみお流の会合が本日開かれるとのことです。神尾流は江戸時代から続く流派ですが、次期宗家の座を巡って内部が分裂しており……』


 画面の中では、先ほどまで行楽情報を伝えていた女性アナウンサーに変わり、スーツに身を包んだ男性アナウンサーが機械みたいに真面目な口調で原稿を読んでいた。

 瑤子の向かい側に座った奈央人が、僅かに顔を掴めながらリモコンを操作してテレビの電源を切る。

 部屋の中が静かになったところで、二人してお皿に手を合わせた。

「いただきます!」

「いただきまーす!」

 瑤子と奈央人が二人暮らしを始めて一か月弱。二人揃って「いただきます」と言うのが、このところ毎朝の習慣になっている。

 一緒に暮らし始めたとはいえ、瑤子は朝から晩まで仕事があり、奈央人とともに過ごせる時間は少ない。残業をしたときは帰ってきても疲れていて、ろくに口を聞けないことさえある。

 平日に余裕を持って顔を合わせられるのは朝だけだ。だから朝ご飯の時間は二人でテーブルにつき、テレビを消して、揃って「いただきます」を言う。

 これが、瑤子と奈央人の暗黙のルールになっている。

「それ、どうかな。一味違うだろ」

 瑤子が最初に口にしたのはサラダだった。食べ始めてすぐ、奈央人が口を開く。

「すっごく美味しい! 特にこのサクサクしたの……何これ?」

 瑤子は手を止めて、プレートの隅に盛り付けられたサラダを見つめた。

 ベースは新鮮な水菜。そこに赤いラディッシュの薄切りが加えられており、見た目に色鮮やかだ。上から粉チーズが降ってあって、さらに何やら四角い欠片が交ざっている。

 てっきりスープなどによく入ってるクルトンだと思っていたが、違った。クルトンより口当たりが軽くてとても香ばしい。水菜のシャキシャキした歯ごたえは邪魔しないのに、不思議と存在感を主張してくる。

 しばらくお皿の上を見つめて、瑤子はようやくその不思議なものの『正体』に気付いた。

「もしかしてこれ――油揚げ?!」

「正解! 油揚げを細かく切って炒ったんだ。名付けて『カリカリ油揚げのシーザーサラダ』だよ。水菜はレタスとかより葉が小さいから、クルトンよりもう少し口当たりが軽いものと合わせた方がいいと思ってさ。それに……」

「それに?」

「瑤子、好きだろ、油揚げ。だから、入れてみた」

 確かに、油揚げは瑤子の大好物である。

 だが、取り立ててそれをアピールしたことなどない。何も言ってないのに、奈央人は瑤子の好みを察して、わざわざメニューに入れてくれたのだ。

 思わぬ心遣いに、胸のあたりがほわんと暖かくなる。

 一緒に暮らし始めて一か月。瑤子はこれまで、奈央人から家賃や光熱費を取り立てたことはなかった。

 それどころか、生活にかかる費用はすべて出している。今、奈央人が着ている長袖Tシャツだって、瑤子が買ったものだ。

 その代わり、奈央人は料理全般を受け持ってくれている。

 彼が作る料理は、とにかくとても美味しい。材料は近所のスーパーで買ったものだし、特に手の込んだメニューというわけではないのだが、一口食べるともう止まらない。

 鼻歌を歌いながら、大きな手でサッと美味しいものを作ってしまう奈央人。

 そんな彼を見ていると、料理がまるでできない瑤子は、まるで妖術でもかけられているような気気分になってくる。

 いや、もしかして、本当に何かの術を使っているのでは……。

「ねぇ瑤子、そんなにのんびりしてていいの? 仕事、遅れるよ」

「あっ、そうだった!」

 奈央人のその声で瑤子はハッと我に返り、フォークを握り直した。

 サラダの次に手を付けるのは、メインディッシュ・鮭のムニエルだ。

 薄い小麦粉の衣には程よく焼き色が付いていて、フォークを入れるとサクッと手ごたえがある。

 小さく切って口に運ぶと、その途端、鮭の旨味がじゅわわ~っ舌の上でとろけた。

 焼くときにバターを敷いたのだろう。ほんのりミルキーな感じが、まろやかさとコクをプラスしている。

 それだけではない。バターの風味に交じって、何だか爽やかな香りが鼻腔を駆け抜けていった。

 じっくり味わいながら独特の香りの正体を探っていると、やがて奈央人が答えを口にする。

「鮭に小麦粉をまぶしたあと、焼くときに乾燥させて砕いたバジルを振ったんだ」

「バジルって……ハーブの?」

「うん。この間食材の買い出しに行ったら、商店街で鉢植えが安く売っててさ。ほら、キッチンの窓のところに赤いプランターが置いてあるだろ」

「えっ、あれバジルだったの? じゃあ、自家製ハーブってこと?! すごい!」

「たいしたことないよ。水やってるだけだから」

 奈央人はそうやって謙遜したが、瑤子は頭を振った。

「たいしたことなくないよ! このパンだって、手作りだし」

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