第25話 矛盾
陽は聞き取りが一段落した後、小休憩として自室に戻ることを許されたが、部屋の鍵をかけることは許されなかった。浴室に脱ぎ捨ててきた吐瀉物まみれのズボンのポケットから部屋の鍵を救出してくれたことには感謝するが、刑事課の聞き取りは最悪だった。
黒いマスクの男の目撃証言をまったくの虚言かのように聞き流し、「オーシャン・コネクト社に入社した理由は何か」「他の船員に金を貸したり借りたりしたことはあるか」「交際相手はいるか」「社内で不倫関係にある人間はいるか」など、根掘り葉掘り聞かれた。
およそデリカシーの欠片もない質問に関しては許すにしても、根が温厚な陽にさえ、許せないこともあった。
この目で見たものをただただ正直に見た、と証言しただけなのに、「黒いマスクの男など本当にいたのか」としつこく聞き返されて、まったく信用されなかった。
「見たものは見たんだよ、馬鹿野郎」と口汚く罵りそうになったところで、聞き取り役が特殊救難隊の陣場と北折に交代した。端から疑いの目で見てきた喧嘩腰の刑事課の聞き取りとは打って変わって、陣場と北折の態度は友好的とさえ言えるものだった。
「黒いマスクの男かどうか分かりませんが、クレイトン号に船員以外の人間が乗り込んだ形跡を発見しました」
陣場は表立って陳謝することはなかったものの、陽の目撃証言は暗に認めているようだ。マスク男の正体は明確には知らされなかったが、おおよその見当はついていそうな口ぶりだった。
「31番目の乗船者がいたんですね」
陽が訊ねると、北折がはっきりと頷いた。
「捜査段階のことなので詳しいことはお話しできませんが、二件目の船長殺しはそいつの仕業である可能性が高い。ただ、一件目の司厨長殺しについては不明な点が多い」
北折が話し終えると、陣場が補足するように言った。
「31番目の乗船者は、特殊救難隊が現場に到着するのとほぼ同じタイミングでクレイトン号に乗り込んでいた。しかし司厨長が殺されたのは昨夜未明から早朝にかけてです。一件目の殺しも同一犯の仕業であるとすると、前日近くから船に潜伏していたことになる」
「それって矛盾していませんか」
前日近くから潜伏していた犯人が、なぜ特殊救難隊の到着と同時に船に乗り込むのだ。元々潜伏していたのなら、そのまま潜伏したままでいいではないか。
陽は首を傾げると、はたと思い出した。デッキで角南司厨長が首を吊っているのに皆が騒然としているなかで、ただ一人、三厨だけが水中に何者かが飛び込むのを見ていた。
あれ、水上バイクですかね。走り去っていきました
あの時はあっさり聞き流していたが、31番目の乗船者の存在が認められた今となっては、あれこそが決定的な目撃証言だったのではないだろうか、と陽は思った。
「司厨長の遺体があったのは左舷側ですが、右舷デッキから誰かが飛び込むのを三厨が見ていました」
陽がにわかに興奮しながら言った。
「それが事実なら、二件の殺しが同一犯であっても、まったく矛盾しない。司厨長を始末してから船から飛び降り、特殊救難隊の到着と同時に船に戻ってきて船長を殺した」
北折の仮説は、いちおう辻褄は合っていそうだ。船から一旦離脱する理由は定かではないし、特殊救難隊の到着と同時に船内に舞い戻ってくる理由も不明であるが、出入りの整合性に矛盾はない。
「三厨さんにその件を詳しくお話してほしいのですが、完全に黙秘を貫かれているようで」
北折がばつの悪い表情を浮かべ、言葉を濁した。
「まあ、そうでしょうね」
陽が苦笑いした。頭ごなしに怒鳴られたり、否定的な態度を取る人間を露骨に毛嫌いする三厨のことだから、容赦のない事情聴取でどんな反応をするか、推して知るべしだ。心を閉ざして何も喋らないか、ふて腐れて貝になるか、二つに一つだろう。
「人が飛び込むシーン、ライブカメラには映っていないですか」
「画像解析班がチェック中です」
甲板の様子はライブカメラに映っていても、飛び込みのあった所はデッキクレーンの影になって死角になっていたのかもしれない。そうなると、三厨の証言だけが頼みの綱だ。
「映っていたとしても、消されていることもあるか」
陽が独り言のように呟いた。
「……消される?」
「
陽は自分がうっかり口を滑らせていたことに気がついた。取り繕うような笑みを浮かべ、無難にやり過ごそうとする。
「メカ……なんですって?」
北折は聞き漏らすことなく、きっちりと追及してきた。
「ええと、こっちの話です。はい」
メカ・シャークの映像が消されていた一件を話すとなると、浴室から全裸で走り抜けた映像を削除した件にも触れなくてはならなくなる。末代までの恥なので、そこだけは
「我々に話しづらいことの一つや二つはあるでしょう」
北折を制して、やけに理解者ぶった調子で陣場が言った。消えたままそっとしておいてほしい映像があり、話しづらいことと言えばその一点だけだ。
「三厨さんに改めて証言して頂きたいのですが、根本さんが一緒でないと喋らないと申しています。ご協力いただけないでしょうか」
断るに断れない雰囲気で詰め寄られ、陽は仕方なく頷いた。
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