第8話 狐の精霊

「メイ君、何を!?」


 荷馬車を勢いよく飛び出そうとする俺をローズが引き止める。


「アイツを助けないと、撃たれちまう!」

「ですが、今メイ君が領主の近衛兵士に顔を覚えられてしまえば、お嬢様との作戦が台無しになりますよ」

「うっ...」

 

 たしかに、ここで俺が領主に歯向かうようなことをして顔を覚えられてしまうと、お見合い当日に俺は顔を出せなくなってしまう。セレナとの約束は絶対に果たされない。

 だけど、それでも...目の前で一匹の命が絶たれるなんて、見てられるか!


「悪い、セレナ...」

「メイ君!」

「メイ!」


 二人の制止を無視して、俺は一直線で銃を突きつけられている狐の元へ走る。兵士はカチャ...と引き金を引き、今にも発砲しそうな勢いだ。


「全く、メイ君ったら...」


 溜め息を尽きながらも、ローズは走っていく俺に向かって魔力を放出し始めた。リオンも荷馬車を下りて、店主の元へと向かう。


「俺に楯突いたことをあの世で後悔するんだな、狐風情が!」


 依然として狐はその場から逃げようとせずに、退屈そうに欠伸をする。アイツの頭には危機感という言葉がないのだろうか...。

 頼む!間に合え!!


 


 ―――バァァァン!!!




 繁華街全体に響き渡るほどの銃声が鳴り響く。


「うっ...!?」


 俺は狐を包み込むようにして、地を転がる。ダイブするように現場に突っ込んで、ギリギリで狐を救出した。

 路地中から悲鳴やざわついた声が聞こえてくる。狐に怪我が無いことを確認して兵士の方を見ると、なぜか兵士は不思議そうな表情で狐がいたはずの現場をじっと見つめていた。というか、こちらを見向きもしていない。

 どういうことだ?いや、そんなことよりも安全な場所へ!

 そう思った俺は、狐を抱えたまま裏路地へと転がり込んだ。


「なんだ...狐が、?」


 一方で銃を撃った兵士は少し驚いた表情を見せる。すると、


「ねえねえ、兵士さん。これで足りる?譲渡金」

「ん?」


 狐と入れ替わるようにして店主の前に立ったリオンが、金貨の入った袋を兵士に渡す。急に現れる彼女に困惑したものの、兵士は袋の中身を確認する。


「ふ、ふむ...借金も含めて十分な額だ。しかし、なぜ...」

「いや~、この店主とは長い付き合いでさ~!困った時はお互い様~的な?あはは~」


 何が何だか...という顔をする店主の肩をバンバン叩きながら、リオンはおちゃらけてマイペースに話す。


「ふ、ふん!この娘に感謝するんだな。翌月は貴様自身から支払ってもらうからな!覚えておけ!」


 そんな捨て台詞を吐きながら、兵士は部下を連れてそそくさと立ち去った。



          ・


          ・


          ・



「ふぅ...なんとか助け出せたな」


 人気のない裏路地に逃げ込んできた俺は、ほっと息をついて壁にもたれかかる。

 それにしても、俺がこいつを助け出した時の兵士の反応...気になるな。

 すると次の瞬間、




「なんで、あたしを助けたんだ?」




 自分以外誰もいないはずのこの場から誰かの声が耳にすぅっと入ってきた。とても透き通っていて、透明感のある声質だ。

 どこから声が!?

 という疑問が湧いてくる前に、俺は懐に抱えている白狐に視線を向ける。そいつは何やら珍し気なものでも見ているような表情でこちらを見上げていた。


「もしかして、今喋ったのって...お前か?」


 俺は自然とそう口にしていた。すると白狐は口に手を当てて、しまった!とでも言うような仕草をする。

 この時点で確信した。こいつは、人の言葉を話せると...。

 人語を話せる動物は珍しいが、そこまで驚くほどのことではない。出会ったらラッキーな程度だ。


「い、いや...さっきのは聞かなかったことにしてくれ」


 白狐は目線を逸らしながら、ばつが悪そうに言う。


「いや、今めちゃくちゃ喋ってたぞ...」

「あっ!?」


 白い狐なんて珍しいと思ったが、まさか喋れるとは...。こいつの反応を見るに、何か人前で話しちゃいけない理由でもあるのだろうか。


「まあ、聞かれたなら仕方ない!つまり、あんたはあたしが話せるということを初めて知った人間ということになる!光栄に思うのだな!」

「なんだそれ...」


 見た目はすごくお淑やかそうに思えたが、かなりお喋りな狐だ。声質からして雌だろう。ふさふさの毛並みにふわふわもこもこしてる尻尾を持っている。

 

「てか、それ!」

「ん...?」

「怪我してんじゃんか!」


 白狐は血が滲んでいる俺の肩を見て、蒼褪める。さっきから肩のあたりがじんじん痛むと思ったら、どうやら兵士の銃弾を掠めてしまったようだ。


「あ~、やっちまったな...。まあそんなに痛くないから大丈夫だよ」

「あたしのせいだよな...。待ってろ、今回復するから!」


 白狐はそう言って、俺の肩にぴょいと乗り移る。そして銃弾が当たって破けた服を少し開けさせて、傷口にゆっくりと口を近づけた。

 

「ちょっと染みるけど、我慢してくれ」


 白狐は口元に魔力を放出し、傷口をペロッと舐め始めた。その様は、飼い犬なんかが器に注がれた水をチロチロと飲む姿と変わりないが、なぜかこいつの舐め方は妙に色っぽい。

 血と唾液が混ざって糸を引くものを余すことなく、優しく舐め尽くされる。それがなぜか気持ちいいと感じてしまう...。

 ...て!なに狐でドキドキしてんだ俺!


「くちゅ...ふぅ、終わったぜ」

「お、おう...」


 痛みも無くなり、傷口は綺麗に塞がれていた。


「ありがとう。もしかして、回復魔法か?」

「まあ、そんなもんだ。血が好きっていうのもあるけどな」

 

 血が好き...?そんな奴いるんだな。

 回復が終わったところで、白狐は俺の前に座り、改まって話す。

 

「あたしは精霊白狐ホワイトウルぺスの『ソラ』だ。助けてくれてありがとな!まあ、お前が助けに来なくても問題なかったが...」

「え、そうなの...?」

「ああ。あたしは精霊族エレメンタルだからな。人間なんて恐るるに足らないのさ!」

「マジかよ...」


 俺は分かりやすく項垂れる。まさかの助け損であった。

 そりゃ、殺されないと分かってるんじゃ兵士に向かってあんな態度にもなるわな...。


「あはは...ごめんな。でも、滅茶苦茶嬉しかったんだぞ!こんな子狐なんか誰にも相手にされないと思ってたからな」


 とソラは無邪気に笑いながら言った。

 それにしても、ビジュアルは珍しいと思っていたが、まさか精霊族エレメンタルだったとは。滅多に出会えない種族なので、今日はかなりツイているのかもしれない。


「あ、俺はメイだ。でも、なんで兵士にあんな態度とったんだよ」

「ん?まあ、なんとなく...?」

「なんとなくで人を巻き込まないでくれ...」

「あはは!いや、アイツの態度がムカついたからちょっと懲らしめてやろうと思っただけだ」

「なるほどな。まあ、あの兵士がムカつくってのは否定しない」


 そんな会話をしていると、


「あ、メイ君!ここにいたんですか」


 裏路地にローズが迎えに来てくれた。取り敢えず来てくれと言われ、俺はソラを抱えて先ほど兵士にお金をせびられていた店主の店へ立ち寄ることに。

 なんでも、その店主が俺たちにお礼をしたいとのことだった。



 ........

 .....

 ...



「なるほどな。皆んなが俺たちのことを認識してなかったのは、ローズの魔法のおかげだったのか」


 俺たちは馬車も入れる店外のテラス席で、それぞれの事情を聴く。

 ソラを助けた際に、路地にいる人の反応がおかしかったのは、ローズが俺に不可視化の魔法をかけていたからだった。そのおかげで兵士に俺の顔を覚えられずに済んだということだ。


「少し魔力を消費しましたが、なんとか上手くいったようですね」

「うん。ありがとな、ローズ」


 そしてこの店の店主がなぜ俺たちにお礼がしたいのかというと、どうやらリオンが店主の分の譲渡金を支払っていたからだそうだ。


「本当にどうやって返していけばいいか...。巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」


 さっきから、店主はリオンにぺこぺこと必要以上に頭を下げている。

 見た目は30歳前後でまだ若々しい男性だ。外はねが特徴的な黒髪を持ち、誠実さと凛々しさを兼ね備えたハンサムな印象を受ける。


「いいっていいって!ただの気まぐれだからさ!それよりも、これ全部食べていいの!?」


 俺たちの前には美味しそうな洋食がずらーっと並んでいる。店主さんがお礼にと全品ただで提供してくれたのだ。


「はい、お代はいりません。これくらいではお礼と言うには全然足りないかもしれませんが、僕にはこれくらいしか出来なくて...」

「じゃあ、遠慮なく~。いただきま~す!」


 リオンは早速、出された料理にがっつく。正直、さっきの肉まんだけじゃ物足りないと感じていたのでありがたい。


「ん~!?美味し~!!」

「美味いな!」

「ふむ、なかなかの味です」


 オムレツにハンバーグ、ステーキ...一品一品に店主さんのこだわりが込められた、とても温かい料理の数々。味付けも最高で、フォークを持つ手が止まらない。


「お口に合うようで何よりです」

「こんなに美味しくて売れてるはずなのに、譲渡金払えないの?」


 とリオンは直球に理由を問う。

 彼女は良くも悪くも、思ったことをすぐ口に出してしまう。店主の気持ちも考えて、少しはオブラートに包んでほしいものだが...。


「あはは...。売り上げは他の店と大差ないですよ。収入のほとんどは娘の学費を賄っていて、先月ついに譲渡金を支払えずに借金してしまって...」

「そうなんだ。もしかしてあそこの魔法学校?」

「はい、娘にどうしても行きたいとお願いされたので」

「へぇ、うちのお嬢様も同じ学校通ってるよ~」

「そうなんですね」


 セレナと同じ学校か。たしか、メルク魔法学園だっけ。

 まあ魔法を学ぶとこだし、学費はそれなりにするだろう。必要な人は色々道具とかも買わなきゃいけないだろうし。

 もし今日譲渡金を払えなかったら、娘さんは学校に行けなくなっていただろうな。いや、今月はたまたま俺たちが通りかかったから良かったが、来月からはどうなる?

 こんなにも美味しい料理を提供できるのに、それを作る費用すらも譲渡金のせいで賄えなくなるんじゃないか?

 そう思ったら、その領主とやらに怒りが湧いてくる。


「メイ君?」


 顔を顰め、深く考え込んでいた俺の顔をローズが覗き込む。急に食事の手が止まったので、心配をかけてしまったようだ。


「あ、いや...なんでもないよ」

「そうですか...」


 そうだな...。もしかするとお金持ち同士だったら、分かり合えることもあるんじゃないか?

 そう思い、俺は帰ったらセレナに相談してみようと考えた。




 お見合いの時に、どうにか譲渡金を止めてもらうように交渉しようと...。

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