第11話 真珠

「おはよう、ユラ」

「……おはようございます」

 翌朝、ユラが目を覚ますとそこには既に朝の支度をしっかり終えたトゥーラがいた。普段はユラの方が早起きなので、寝起きでぼけーとしているユラが珍しくトゥーラはクスクスと笑う。そんな彼を見たユラは、ばつが悪そうに体を起こす。

「随分早いですね」

「いや、ユラが遅いんだよ」

 ほら、と言いながら時計を見せる。普段起きるより一時間も遅い起床にユラは寝癖のだらけの髪をかき回した。昨晩夜更かししたのが響いたらしい。

「……起こしてくださいよ」

「ええ、だって珍しいし、琥珀が寝かせてやれっていうから」

「琥珀が?」

 話せるはずのない琥珀からトゥーラにそんなことが伝えられたのかとユラが驚いていると、トゥーラは当たり前のように笑った。

「だって優しい顔でユラのこと見てんだもん。昨日言っただろ? 言葉がなくても伝わるものはいくらでもあるよ」

「……そうですね」

 クスクス笑うユラを見て、トゥーラはホッと息を漏らした。

 良かった。ちゃんと話出来たんだな。

「ところでトゥーラ」

「なに?」

「寝癖、残ってますよ」

「え、マジ⁉」

 慌ててカバンの中から鏡を取り出すトゥーラを微笑ましく眺めたユラは、自分も行動を再開しようとゆっくり立ち上がった。テントの外に出ると、よく晴れた空から太陽の光が降り注いでいる。唐突な強い明るさにユラは目を細めると、額に手を当てて空を見上げた。

「いい天気ですねぇ……新しい門出には、いい日だ」

『ユラ』

 大きく伸びをしていると、背後から声がかかった。タオルを持った琥珀は穏やかな顔でユラの跳ねている髪をすっと撫でた。

『トゥーラがソワソワしてるから、早く準備しておいで』

「はいはい。分かってますよ」

 ユラは焚火の付近で率先して朝ごはんの準備をしている小さな背中を見つめた。普段からエネルギーに満ち溢れている少年だが、今日は一段と動きに無駄が多い。しかし、心ここにあらずというわけではなく、気持ちが先走っているだけのように見える。

「……もし」

 ユラはそんなトゥーラを見ながら静かに口を開いた。

「もし、トゥーラの弟くんがキョウと同じように自分から望んで【玉響】になったのだと言われたら、本当にトゥーラはショックを受けないでしょうか」

『……』

「昨日は私が取り乱していたので気丈に見えていましたが、弟を元に戻したいと考えて旅に同行してきたトゥーラは、少なからず私と同じ考え方をしていたはずです。ちゃんと、受け止められるんでしょうか」

『ユラ』

 不安そうなユラの背中を琥珀は強く叩いた。唐突な暴挙にユラが咳き込みながら「何ですか⁉」と背後の琥珀を睨むと、さらに顔にタオルを投げつけられた。

『ひとの心配ばっかりしてないの! もしトゥーラがショックを受けている様子だったら支えてあげるくらいの気持ちでいないでどうするの!』

「それは……そうですが」

『トゥーラは確かに年下だけど、ユラが思っているほど子供じゃない。分かってるでしょ?』

「はい。それはもう」

『じゃあ、信じてあげればいい』

 はっきりとそう言い切った琥珀に、ユラは力なく笑った。

「そうですね。ごめんなさい」

『それに、ユラだって考えなきゃいけないことがあっただろう? 決まったの?』

 ユラは琥珀の言葉を聞いてじっと琥珀の瞳を見つめる。光の加減で深みを変えるアンバーのそれに愛しさを含んだ笑みを向けて口を開く。

「寝坊するくらいちゃんと考えたので、安心してください」

『そっか』

「というか琥珀、急にお喋りになりましたよね。どんな心境の変化ですか?」

『……ユラが頭の中で会話するの好きじゃないと思ってたから』

 頬を掻きながら言われた言葉にユラは口を半開きにして固まる。しかし、直ぐに喉奥で笑いをかみ殺し始める。

「まさか。キョウと話すのを嫌だと思ったことなんてありませんよ」

『そう……じゃあ、ユラがどんな選択をしても沢山喋りかけるよ』

「ありがとう、キョウ」

 ぐちゃぐちゃに絡んでいた糸をほぐすように、ユラと琥珀は距離を縮めていく。そんな二人の睦まじい姿をカバンの中から見つめた水晶は「やれやれ」と言いながら再びカバンに潜っていった。


 ◇


「さて、ではそろそろアレを見せてもらいましょうか」

「あれ?」

 朝ごはんのサンドイッチとスープを食べていたトゥーラは、突然のユラの言葉に首を傾げる。ユラは口に含んだスープを飲み干すと、両手で四角を作った。

「あの男から受け取っていたでしょう。地図ですよ」

「ああ、あれか。何でユラが欲しがるの?」

「君ね……この辺の地理に一切詳しくないくせに何を言ってるんですか」

 呆れてものが言えないといった様子でユラは溜息を吐いた。その様子にトゥーラはカチンときて、手元に会ったサンドイッチを頬張りながらポケットに手を突っ込む。

「ふぃへろほ? ほれはってひふふあい」

「お行儀が悪いです」

 皺のよった紙を勢いよく開いたトゥーラは無駄に頷きながら地図を食い入るように見る。そんな彼を放置したユラはスープをお代わりしながら、その温かさにホッと息を漏らした。

「んん……」

「まだですか?」

「……」

 目を見開いて地図を見ているトゥーラはユラの問いにも答えず、ひたすら地名を呟いている。その微かな声を耳ざとくひろい、ユラは頭の中に地図を広げた。

 ここから歩いて三時間ほどですかね……。

 詳しい場所は分からないが大まかな周辺の地理をユラが把握し終える頃、トゥーラは震える手でユラに紙を差し出した。

「……よろしくお願いします」

「よろしい」

 口元に手を当てて笑ったユラは、悔しそうなトゥーラから地図を受け取る。サッと目を通すと、先ほど頭の中で描いた地図と寸分たがわないものが書かれていた。その中の一点、街から少し離れた山の中腹にバツ印がついている。恐らくそこがサクヤのいる場所なのだろう。

「あの男、山が好きなんですかね」

「分かった?」

「ええ。やはり歩いて三時間ほどでしょうか。少し山道を歩くので、トゥーラのペースにもよりますが」

「でも遅くても昼過ぎには到着するんだな」

「ええ。そうなります」

 その言葉を聞いて、トゥーラは急に緊張感を滲ませてサンドイッチにかぶりついた。ユラはその変化を感じ取りながら、スープの入ったカップを傾ける。何かを言ってあげるべきなのだろうと感じながらも、やはり言葉は見つからなかった。

「……ユラ」

 そうしているうちにサンドイッチを食べ終えたトゥーラが先に口を開いた。ユラは少し慌てた様子で「何ですか?」と尋ねる。

「ちょっと不安なんだけどさ……」

「はい」

「ユラのお父さんって、急に『やっぱり教えない』とか言うタイプ?」

「……はい?」

 思わずユラが首を傾げながら訊き返すと、トゥーラは妙に緊張した顔で拳を握って力説し始めた。

「俺の元働き先の店主がそういう人だったんだよ。教えてくれるって言ったくせに、いざその時になったら『やっぱりやめた』とか言って教えてくれねぇの。もしユラのお父さんがそんな人だった俺暴れるかもしれない」

「暴れるって?」

「手当たり次第にモノを投げるとか……」

「また辰砂に寝かされないように気を付けて下さいね」

 くだならないと顔に書いてありそうな笑顔でユラがそう言うと「あ、そうか向こうは【玉響】持ちか!」と顎に手を当ててトゥーラが暴れ方を考え始める。そんな彼の様子が可笑しくてたまらなくなり、ユラはお腹を抱えながら笑った。

 急に大声で笑い始めたユラにトゥーラはびくりと肩を震わせる。

「え、なに? 今笑うところだった?」

 思わず隣にいた琥珀にトゥーラが尋ねるも、琥珀は困ったように笑みを浮かべただけだった。呼吸が怪しくなるほど笑い転げているユラを不気味なものを見る目で見たトゥーラは、とりあえず放置しようと決めてスープに手を付け始めた。

 数分そうしてユラの笑い声だけが響きわたると、ついに咳をし始めてユラの笑いは強制的に止められた。胸を抑えて酷い咳を繰り返す背中を心配そうに琥珀がさするが、トゥーラは呆れた視線を向けただけだった。

「で、何で笑い始めたの?」

「え、だって、まさかそんなことを気にしてるなんて、けほっ、思わなくて」

「え?」

「普通、もっと気にすることがあるでしょう?」

「えっと……マーレと二人で旅に出る先とか?」

「違いますよ」

 ユラは居住まいを正すと、お茶を一気に飲んで指を一本立てる。

「まず、本当にあの男は【玉響】を人間に戻す方法を知っているのか?」

「それは……だって、それを知ってると踏んでユラはお父さんを探してたんだろう?」

「勿論。しかし、それは逆にあの男が知らなければ誰も知らないということを意味します」

 ユラは真剣な眼差しでトゥーラを射抜いた。トゥーラは唇を噛みながら俯く。そこまで頭が回っていなかったことに自己嫌悪し始めるトゥーラをよそに、ユラはもう一本指を立てた。

「そして次に……というか、これが一番の危惧なのですが……この誘いが罠だということです」

「罠?」

 ピンと来ていない様子のトゥーラを見て、ユラは詳しく説明する。

「あの男が人間を【玉響】にする目的は分かりません。しかし、なんにせよ私のようにその行いを正そうとする人間は邪魔でしょう? だからこそ、この機会に【玉響】を使って私を消そうとしていると考える事が出来ます」

「そんな……だって実のお父さんなんだろう?」

「息子を【玉響】にして、その後を十歳の下の息子に押し付けて出ていったクソ親父ですよ? 常識や親子の情が備わってると思いますか?」

「んん……そう言われると」

 事実に基づいたその言葉にトゥーラは押し黙った。しかし、そもそも【玉響】と契約しているわけでもないトゥーラには力業でどうにかすることが向いていない。もし殺されかけても、それこそ手当たり次第にモノを投げつけることしか出来ないだろう。あとは殴る蹴るといった……どちらにしも物理的な抵抗だ。それが【玉響】に有効かは定かではない。

 トゥーラは頭を掻きながらユラに尋ねた。

「えっと……琥珀に偵察に行ってもらうとか?」

「いえ……アイツは琥珀と私の契約を上書きしてくる可能性もあるので、そういうわけにはいきません」

「じゃあ、どうするんだよ」

「普通に正面から行きます」

「え?」

 それまでの杞憂を無かったことにするような言葉にトゥーラは目を白黒させる。そんな彼を見ながら、ユラは懐からひとつの【玉響】を取り出した。

「私達はちゃんと話をしに来た体で正面から堂々と会いに行きます。もし罠だとしても、直ぐに殺されるようなことはないでしょう。話す時間はあるはずです」

「……じゃあ!」

「はい。話が出来れば……私達にはその真偽を確かめるすべがある。なにより、嘘だった場合直ぐに対処も出来る」

 得意げに笑ったユラが「紫水」と呼ぶと、勢いよく石が割れて中から飛び出してきた紫色の影がユラの顎にぶつかった。

「気軽に呼びだすんじゃないわよ!」

 顎をおさえて悶絶しているユラの頭に着地した紫水が思いっきりユラの髪を引っ張る。唖然とその暴挙を眺めていた琥珀とトゥーラだったが、一足先に現実に戻ってきた琥珀が慌てて紫水を引きはがした。

「……大丈夫? ユラ」

 うずくまっている背中をトゥーラが叩くと、ユラは「お転婆な女の子って苦手なんですよねぇ」と苦々しい顔で呟いた。


 ◇


 その後、一行は内陸の交易によく使われる都市 グランのそばの山を目指して歩き始めた。もし先ほど考えたような杞憂が現実にならなければ、ユラ達の旅はこれが最後ということになる。自然と普段より口数の減っている一行の旅は、三人分の足音しか聞こえなかった。

「……」

「……」

「……」

「空気が重い!」

 耐えられなくなった紫水が一時間ほど歩いたところで叫んだ。突然の大声に紫水以外の全員が驚いて彼女をみると、紫水は腰を下ろしていた琥珀の肩の上から「アンタも! アンタも! アンタは……しかないわね」とユラ、トゥーラ、琥珀を順番に指さす。

「辛気臭いのよ! ようやく念願かなって兄弟を元に戻せるっていうのに何なの⁉ 嬉しくないの⁉ スキップするくらいの勢いで歩きなさいよ!」

「……はぁ……紫水には情緒ってものがないんですかね」

 ユラのあからさまな溜息を聞いて紫水はギロッと鋭い視線をユラに向けた。しかし、当の本人は我関せずとばかりに口笛を吹く。そんな二人の漫才のようなやり取りを見て、トゥーラは小さく噴き出した。

「まあ、紫水の言うことも一理あるよね」

「一理どころか私の言うことが全てよ」

「傲慢ですね。相変わらず【玉響】という生き物は」

「アンタは私に突っかからないといけない生き物なの?」

 火花の散っているユラと紫水をトゥーラと琥珀が「まぁまぁ」と言って宥める。しかし、そんな様子を見るトゥーラはやはり笑顔で、そんな様子を見ていると流石の紫水も毒気を抜かれた。

「ところで、もしあの男の言うことが嘘だったらどうするの? もう貴方達には兄弟を元に戻す手がかりなんてないんでしょ?」

「それは……」

 トゥーラが言葉に詰まると、それをフォローするようにユラが答えた。

「その時は、あの男の研究を引き継いで私がその方法を見つけますよ」

「出来るの?」

「……正直、分かりません。でも、やる前から諦めるのは嫌じゃないですか。私を信じて待ってくれている人たちが沢山いるんですから。次に会う時には、彼らが笑顔になれるような知らせを持って帰りたいんです」

「ユラ……」

 しっかり未来を見据えたユラの目を見て、紫水は目を閉じて小さく息を吐いた。するとゆっくり琥珀の肩の上に戻っていく。小さな足を組みながら座った紫水は「なら、いいわ」と呟く。

「アンタがまた辛気臭い顔をしないか心配だっただけ」

「ご心配いただき、ありがとうございます。紫水」

「別に。もうこれでアンタについていかなくていいと思うと清々するしね!」

 素直じゃない様子でそう言った紫水に、その場の全員が声を殺しながら笑った。なんだかんだ、紫水もユラ達との出会いは古い【玉響】だ。彼が十代の時の危うい様子も、旅が五年を過ぎてから時々見せるようになった諦めの姿勢も……すべてを見守ってきた。だからこそ、旅の終わりを喜ぶ気持ちと寂しいと思う気持ちは強くもっている。

 それはユラも琥珀も分かっていた。だからユラはツンツンする紫水を穏やかな眼差しで眺めた。まるで、その姿を目に焼き付けるように。そして、誰にも聞こえないような声で呟く。

「ま、私達が本当に離れるかはわかりませんがね」

 そうして賑やかさを取り戻した一行は、楽しく喋りながら歩みを進めた。二時間半ほど歩き、山の入り口に差し掛かるとトゥーラは目を輝かせながら高い山の頂上の方を見上げる。

「すげぇ……」

「山なら前も見たことあるでしょう」

「でも、こんなに近寄ったのは初めてじゃん。ユラって頑なに山の方の道を選ばないからさ」

「まあ……山には色々な記憶の種が広がっていますから。刺激されたくなかったんですよ」

「それって……故郷の山のこと、だよね」

「ええ。勿論」

 ユラは喋りながら山に足を踏み入れた。踏まれた枝のぽきりと折れる音や、独特の土の匂い、湿度の高い纏わりつくような空気。五感のすべてが自然に満ちていて、トゥーラは驚いた様子で辺りを見渡した。

 そんなトゥーラを見てユラは肩を叩く。

「私の言いたいことが分かりましたか?」

「……多分。ユラの故郷の山もこんな感じなの?」

「ええ。ここよりもっとジメジメしていますがね」

 そう言いながらも、ユラの足取りは軽く、歩きなれていることは火を見るより明らかだ。反対にトゥーラは木の根っこが飛び出しているところに足を引っかけて転びかける。

「わっと」

「……」

「ありがとう、琥珀」

「だらしないですね。久々に合う弟くんや店主さんに私が怒られちゃうので、怪我は程ほどにしてくださいね」

「はいはい」

 嫌味を言いながらも無意識に歩調を緩めたユラにトゥーラはクスクスと笑う。そんな彼を不思議そうに横目で見ながら、ユラはトゥーラがサクヤから受け取った地図を広げた。

「そろそろ……この辺のはずなんですけどね」

 そう言いながら周囲を見渡すが、建物どころかひとっ子一人いない。ユラは首を捻りながら頭を掻いた。

「おかしいですね」

「得意げに地図広げておきながら、道に迷ったのか?」

「だから、地図上ではこの辺りなんで」

「ねえ」

「うわあああ!」

 唐突に割って入った背後からの声にトゥーラは叫び声をあげながら琥珀の後ろに隠れた。つい昨日を彷彿とさせるやり取りに、トゥーラは「もしかして……」と呟きながら恐る恐る琥珀の背中から首を出していく。

 そこには機能と同じようにぼんやりとした目の辰砂が飛んでいた。トゥーラの失礼な態度にも、それを指さして爆笑するユラにも気を悪くした様子のない……というより特に気に留めていない様子の辰砂は、空中で丁寧にお辞儀した。

「サクヤ様のお使いで迎えに来ました」

「はは……はー……」

「笑いすぎだろ!」

「……迎えに来ました」

 じゃれ合う二人を前にして、話を聞いて貰えていないことは察したのか辰砂は何とも言えない表情を見せる。そんな辰砂に気を遣ったのか、琥珀は「ごめんね」と頭の中で話しかけながら苦笑いを見せた。そしてトゥーラとユラの頭にチョップをいれる。

 琥珀に促されて辰砂に意識を戻したトゥーラは、一応事情は予想がついていたようで「来てくれてありがとう」という。そんなトゥーラに少し驚いた顔をした辰砂は彼の周りを飛び回る。

「貴方は……危機管理能力が低そうですね」

「え? 突然の悪口⁉」

「普通、あんなことをした相手に、ありがとうとは言いません」

「え……だって、昨日のことと今日迎えに来てくれたのは別のことだろ?」

「……」

「気にしなくていいですよ」

 面食らっている辰砂を見たユラは苦笑いでそう言った。

「ちょっと頭のねじが飛んでる子供なんです」

「そう……みたいですね」

「二人とも酷くね?」

 トゥーラが不服そうに唇を尖らせる。しかし、そんな彼にフォローをいれる人間は誰もいなかった。

 辰砂に連れられるまま、道なき道を歩き続けると、突然何か見えない膜を通り抜けたような不思議な感覚と共に目の前に一軒家が姿を現した。唐突なことに全員が目を見開いて周囲を見渡していると「これも【玉響】の力だよ」と声が聞こえた。

 一同が揃って声の方に注目すると、和服姿の男がゆっくり家の中から出てくるところだった。今日はマントを着ておらず、その顔が太陽の下にしっかり晒されている。その顔を見て、トゥーラはちらりとユラを見た。

 ああ、ユラの顔に見覚えがあったのってこの人か。

 今更ながら二人の血縁関係を色濃く見せられてトゥーラは小さく頷く。そして次に琥珀を見上げて首を傾げる。琥珀は母親似だった。

「いつまでもそんなところにいないで、入っておいで」

 サクヤは辰砂を頭に座らせると、そう言い残して家の中に入っていった。残された三人はそれぞれ顔を見合わせた。そして、ユラは懐に隠した紫水に声をかける。

「じゃあ、よろしくお願いします。もし嘘を吐いたら遠慮なくやっちゃってください」

「勿論よ」

「……行きましょうか」

 ユラは緊張感を滲ませながら琥珀とトゥーラにそう言った。それに二人は頷き、揃って足を踏み出す。ユラの手がドアノブを回すと、そのまま勢いよく開いた。

「……ようこそ、僕の研究所へ」

 中に入ると、そこは【玉響】が沢山飛び回っていた。皆が電気の光を浴びて赤や青、緑、黄色、紫など様々な色を壁に反射している様子はこの世の光景とは思えないほど美しい。そんな目の前の景色に全員が視線を奪われていると、横の方からターコイズが姿を現した。

「サクヤさん、準備が出来ました」

「そう。ありがとう」

「あ、あの!」

「ん?」

 ターコイズの声にハッと我に返ったトゥーラは慌ててサクヤを呼び止めた。サクヤが不思議そうに首を傾げてトゥーラを見る。その穏やかな表情に飲まれそうになりながら、トゥーラは唾を飲み込んで疑問をぶつけた。

「【玉響】になっている人間を元に戻す方法があるっていうのは……本当なんですよね?」

 震えているトゥーラの声にサクヤはじっと視線をユラに向けた。しかし、ユラは感情の読めない表情で静かにサクヤを見返しただけだった。暫くそうして親子が見つめ合っていると、たまらずトゥーラが声をかける。

「あの……」

「いや、すまない。あの男が妙な入れ知恵をしてないかと心配になってね」

 サクヤはにこりと笑うと、はっきりと口にした。

「事実だよ。【玉響】になった人間を元に戻す方法はある」

 その言葉にユラの指先がピクリと反応を示した。しかし、紫水が出てくる様子も、ましてや目の前の男が大理石になる様子もない。妙な沈黙が一分ほど続くと、サクヤは笑みを浮かべて再びユラを見た。

「これで満足かい?」

「ええ」

 硬い表情ながらユラが頷いたのを見て、サクヤは家の奥に歩いて行った。事実を確認した一同は一応安堵の息を漏らしてその後をついていく。

 サクヤが入って言った部屋は、天井まであるような本棚が所狭しと並んでいる部屋だった。物珍しさからトゥーラが部屋の中をきょろきょろと見渡す中、ユラは「相変わらず本ばかりの部屋が好きですね」と言い捨てた。

「私が残していった資料を呼んでいただろうに、相変わらず本は嫌いかい?」

「必要に駆られただけです、そうじゃなかったら絶対に読んでません」

「正直だね」

 肩を竦めたサクヤは部屋の奥、唯一置かれた机の方に歩いていく。一行がそれについていくと、サクヤは机の上にあった箱を持ち上げて振り返った。

「はい。これが【玉響】化を元に戻せる【玉響】……パールだ」

「パール……真珠ですか」

「そう。今はちょっと事情があって出せないが、パールは水晶よりも浄化作用が高くてね。本来その人間の体にあるべきでないものを全て消し去る力を持っている」

「……」

 にわかには信じがたい話だ。しかし、これだけ大きな家を隠すような【玉響】も存在していると証明された以上は、信じるほかない。何より、ここで二番目に【玉響】に造詣が深いユラが何も言わずにそれを受け入れたことがすべてだった。

「……しかし、トゥーラの弟のような初期段階ならともかく、琥珀のように完全に同化が終わってしまっていては意味がないのでは?」

 冷静なユラの指摘にもサクヤは微笑みながら答えた。

「そのために声帯は完全に【玉響】化しないようにしてある。喋れないのはその弊害だよ」

「……」

「ただし、この子は少々問題があってね」

 サクヤは箱を掌で撫でながらそう言った。怪訝な顔でユラが「それは?」お尋ねると、彼は微笑みを絶やさぬまま口を開いた。

「パールは、契約者のためにしか力を振るわない。そして、二重契約は何があっても認めない潔癖な性格だ」

 その言葉をじっと考えたユラは、ゆっくりとトゥーラに視線を移した。向かい側からサクヤもトゥーラを見つめるのでトゥーラは真顔で自分のことを指さす。

「何?」

「……私は、琥珀と水晶とすでに契約を交わしています」

「うん、そうだな」

「そして、恐らく目の前のクソ男も契約を何かの【玉響】と交わしているでしょう」

「うん、そ……」

 事実をおさらいしたユラの話を聞いて、トゥーラはようやく事態を飲み込んだ。

「もしかして……」

「今この場で契約できるのは君だけだ。つまり、君しか事態を鎮静化することは出来ない」

 勿論、他の人間を連れてくることは可能だけどね、と続けるサクヤを憎々し気にユラは睨みつけた。

「最初からそのつもりでしたね」

「まぁね。さて、どうする? 少年」

「……」

 サクヤの試すような視線を受けて、しかしトゥーラが言ったのは彼の予想外の言葉だった。

「それはどうでもいいんだけどさ……」

「え?」

「アンタに聞きたいことがあるんだ」

 静かな瞳でサクヤを見上げるトゥーラに、サクヤは面白そうに微笑むと頷いた。

「どうぞ」

「……どうしてマーレを【玉響】にしたんだ? 琥珀みたいに、自分でそう望んだ?」

「半分イエス、半分ノーだな」

 男はあっさりそう言った。

「どういうこと?」

「窓から外を眺めている姿が、昔おいてきたどっかの誰かさんに似ていてね……偶々声をかけたんだ。そして、兄と一緒にもっと長く生きたいと言ってきた。だから、デメリットだけ伏せて【玉響】の存在を教えた。すると、なりたいと言ってくれたから辰砂とターコイズに協力してもらって【玉響】にしたんだ」

「……契約としては最低の部類ですね」

 吐き捨てるユラの隣で、トゥーラはサクヤの言葉を噛み締めた。目を瞑ってじっと考え込んでいた彼は、暫くして目を開くと、しっかりした足取りでサクヤの元に歩いて行った。そして、彼の持っていた箱に手を伸ばす。

「……いいのかい?」

「うん。契約すればいつでもマーレを元に戻せるんだろう? だったら、いいよ。他のところで苦しんでる人たちのところに一緒の旅に出るのもいい。ユラと琥珀みたいに」

「……そうか」

 サクヤは口角をあげながらトゥーラの頭を撫でた。そして、パールの入っているという箱を彼に渡した。

「多重契約を咎められて暴れたから閉じ込めたんだ。多分君になら素直に話を聞いてくれる」

「ありがとう」

「お礼なんて言わなくていいんですよ。全部この男が原因なんですから」

 眉間に皺を寄せながらそう言ってトゥーラを男から引き剥がすユラは、まるで自分のおもちゃを奪われんとする子供のようだった。それを見たサクヤは「怖いなあ」と言いながらユラを見つめる。

「それで、お前はどうするんだい? ユラ」

「……」

 サクヤは機嫌が悪そうに口を噤むユラから琥珀に一瞬視線を移し、そして再びユラを見る。

「兄を……人間に戻すのかい?」

「……」

 トゥーラもユラを見た。二人分の視線を受けてユラは溜息をひとつ漏らした。そして、しっかりとした口調で答える」

「私は……」




【パール】(真珠)

 真珠は世界最古の宝石とまでよばれるほど古い歴史を持つ。貝からとれるその性質故に、養殖技術が発達するまでは真珠は天然の真珠貝から偶然見つかるものしかなく、その確率は極めて低かった。故に古くは非常に価値があるとされ、貢物としても重宝されていた。

 また「月の雫」や「人魚の涙」という異名も存在する。天からの雫が海の中でかたまり、真珠になると信じられたのだ。愛と美の女神アフロディテが恋に破れ、深い悲しみのうちに流した涙が海に落ち、彼女に焦がれていた海の神ポセイドンがそれをすくって貝に入れていたところ、それが真珠になったという伝説も存在する。

 そんな真珠は古来より絶大なパワーがあると信じられてきたが、とりわけ無病息災をもたらす魔よけのパワーに関しては絶大だった。インドでつくられたバラモン教の呪文集では「息災長寿のための呪文」において、悪魔たちを打ち負かすパワーやあらゆる病気を癒し救ってくれるとまで書かれているほどである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る