第9話 黄玉

 全ての元凶であり、ユラの父親でもあるサクヤと思わぬ対面を果たした夜。ユラは妙に冴えた頭のままぼんやりと夜空を眺めていた。大昔の人々が物語を見たのも理解できるほど多くの星が瞬き、空を彩っているが、ユラの心の中はその背景となっている黒と変わらないほど落ち込んでいる。そんな空の下では。パチパチと獣除けに点けっぱなしにしている焚火が音をたてる。人々に安心と安らぎを与えてくれそうなオレンジ色の光は、しかしユラの心を落ち着けるには淡すぎた。

 ユラは両手で包んだコップの中身が冷めていくのを感じながら、小さく溜息を吐いた。さらさらと風にあおられて彼の髪が揺れる。

「ユラ」

 そんな彼に声をかける人間はこの場に一人しかいなかった。ユラは空を見ていた顔をゆっくりと下ろしていく。そこには二人分の毛布を持ったトゥーラが立っていた。

「隣、いいよな?」

「……どうぞ」

 トゥーラは緊張した顔でユラに毛布を渡すと、彼の隣に腰を下ろした。ユラは受け取った毛布を膝にかけると、その上から頬杖をついてトゥーラを見つめる。その顔は普段通りを取り繕っているのが丸わかりなほど、わざとらしい笑みは逆に痛々しさすら感じる。

「それで、私に聞きたいことがあるんでしょう?」

「うん」

 トゥーラは焚火で温めていた鍋からお茶を貰うと、口をつけた。すぐに「あちっ」と呟いて舌を出したが、ふーふーと息を吹きかけて少しずつ喉と唇を潤す。そんな彼をじっと見ていたユラも思い出したようにコップの中身を飲んだ。彼のそれは既に冷めていた。ユラは黙って鍋の中身を少しつぎ足すと、丁度良い温度になって小さく微笑む。

「……あのさ」

「はい? もう何でも答えますよ……隠している理由もなくなりましたから」

「まずそれだよ!」

 トゥーラは人差し指をユラに向ける。直ぐに「行儀悪いですよ」と突っ込まれて四本の指を揃えた形態になおしたものの、トゥーラはムッとした表情を変えずにユラの方を見ていた。

「何でアイツが自分の父親だとか、琥珀が自分の兄さんだとか教えてくれなかったんだよ!」

「……むしろ、話したいと思いますか? 君なら」

「え?」

「目の前には自分の父親の身勝手で肉親や、親友を奪われた被害者がいて……そんな人達に『それをやったのは自分の父親だ』なんて言う度胸……私にはありませんでした」

 ユラはそう言って指先でコップの側面を撫でた。木で出来たそのコップはユラの手には少し小さく、恐らく旅を始めた時から使用していることは想像に難くない。トゥーラはユラの言葉とその暗い目を見て言葉を失った。

 もし、自分が半年前にこの事実を知っていたら何と言っていただろうか? 今のように旅をする仲間としてユラを見ていられただろうか?

 ここで否とすることは今は簡単だ。ユラがどれだけいい人間かを今のトゥーラは理解している。しかし、当時の自分のことを思い出せばそれは難しいと判断せざるを得ない。例え本人ではなかろうと、お前の父親がいなければとユラを罵っていただろう。そして、きっと一緒に旅をすることもなかった。ユラが問題解決の為に動くのは当然だとすら思っていたかもしれない。

 全て想像の上だが、そう考えてしまえることは紛れもない事実だ。

「ひとは加害者の家族の言葉なんて聞いてくれません。私が初めてあの男の被害者に出会ったのは旅を始めて一年ほど経った時でしたが、その時に馬鹿正直に話したことを随分後悔させられましてね」

 ユラは苦々しい笑みを浮かべながらそう言った。トゥーラにはその内容は想像できないが、彼がそこまで言うのだから相当な罵詈雑言を浴びたのだろうとは予想できる。場合によっては暴力に訴えられた可能性もある。

 生半端な想像力で「話してくれなかった」と非難めいた言葉を口走っていたことを実感し、トゥーラは「ごめんなさい」と謝る。しかし、ユラは肩を竦めただけだった。

「いえ……君を信用できると思った後も私は話しませんでした。君と仲たがいすることを恐れたのもありますが、何より……弱みを見せたくないというエゴです。お陰で最悪のタイミングでバラされることになって、私も馬鹿なことをしたものだ」

「じゃあ、琥珀のことを言わなかったのはどうして?」

「……琥珀と他の人が仲良くするのを見たくなかったからですかね」

「え」

 想定外の言葉にトゥーラがお茶を危うく噴き出しかける。気道にお茶が入って咳き込むトゥーラをよそにユラは静かに自分のコップの中身に口をつけた。

「……冗談?」

「いえ、この状況で冗談が言えるほどはまだ回復していませんね」

「……」

「私と琥珀……本名はキョウというのですが、兄はいつも二人きりだったんです」

 ユラは懐かしむように焚火を見つめた。ゆらゆらと燃える炎を写し取るユラの瞳には、ずっと遠い昔にすら感じられる故郷の風景が浮かんでいた。

「私の父は、【玉響】を始めとするこの世の神秘にご執心の……簡単に言えば変な人でした。元々は鉱石を扱う大きな貿易商のトップを務めていたのですが、その商売の途中で【玉響】の存在を知り、会社を売り払って出来た莫大な財産を元手に【玉響】の研究を始めたそうです」

「すごく……行動力のある人だな」

 一応ひとの親なのでトゥーラが言葉を選んでそう言うと、ユラは「正直に馬鹿と言っていいんですよ」と微笑んだ。そのキラキラした笑顔に少し引きながら、トゥーラは両手を前にしてユラを押しとどめる。

「本当に気を遣わなくていいですよ。私はそんな阿呆についていった顔も知らない母親が未だに信じられませんから」

「……」

 母親の話をした瞬間、再びユラの目に影が落ちた。トゥーラが何か言おうと口を開いた瞬間、ユラは「話がそれましたね」と言いながらお茶を飲む。その姿にトゥーラはまた何も言えなくなった。

そもそも、彼とて船乗りだったという父親の顔は覚えていない。母親のことも忙しい日々の中で少しずつ記憶が薄れている。そんな彼が“親”という話題に関して言えること自体、無いのかもしれない。

「そんな父親ですから、住んでいる場所もかなり辺鄙なところでしてね。サマンがまだ賑やかに見えるような山奥で私とキョウは育ちました」

「サマンが賑やかって、それってひとが住めるところなのか?」

「君は相変わらずですね。人間、住もうと努力すればどこでも生活できますよ。私の国の言葉に『住めば都』という言葉があるくらいです」

「どういう意味?」

「そのままの意味ですよ。そんなところでも、慣れればそこが居心地よく思えるということです」

 ユラは自分の住んでいた周りの話をし始めた。一番近くの村に出るのでさえ山道を歩いて三時間ほどかかったということ。秋になると山の幸が豊富に採れるので、よく家から離れてキノコや木の実を探しに行っていたこと。しかし、山には猿や猪が少ないながら生息していたので、子供ながら危険な目に遭ったこともあったということ。

 どの話も都会育ちのトゥーラには非常に新鮮なものだった。猿と木の実をかけて追いかけっこをした話などはまさに手に汗を握りながら真剣な顔で聞く。そんな少年を見てユラも楽しくなってきたのか、故郷の話を終える頃には二人のお茶はすっかり冷めてしまっていた。

 大きな雪だるまを作ってキョウを驚かせようとして風邪をひいた話を終えると、ユラは一息ついて勢いの弱くなった焚火に薪を足した。木のぶつかる音と一層バチバチと火花の散る音を聞きながら、トゥーラはお茶を一息に飲み干す。彼の視線の先では、すっかり顔色の戻ったユラが再びお茶をコップに注いでいた。

「山奥って面白い所なんだな」

「面白くもあり、危険でもありますよ。ひとの手が入っていない場所というのは自然や野生の力が強いですから。先ほど面白おかしく話しましたが、猿だって人間を殺そうとすれば殺せますからね」

「そうなんだ……」

「まったく、今考えたら独りで無謀なことをしたものです」

「え、独り?」

 不思議そうな顔をするトゥーラに向かってユラはまた少し寂しそうな顔を見せた。

「兄のキョウは、君の弟くんと同様に非常に体の弱い人でした。たまに調子のいい時は一緒に外で遊んでくれたこともありましたが、そうしてはしゃいだ次の日は決まって体調を崩すので、次第に私も兄に遊んでくれとせがむことはなくなりました」

「そんな……多分、それはお互い寂しいんじゃ」

「ええ。だから私はその日体験したことを必ず兄に伝えました。ちょうど今のように、月明かりの下で……兄のベッドに一緒に入りながら身振り手振り使って。懐かしいな」

「琥珀……キョウさんは、聞いてるだけ?」

「基本的には。キョウは元々物静かな人で、本を読むのが三度の飯より好きというタイプでしたから。たまに自分でも書いてみていたそうです」

「へぇ……」

 トゥーラの頭には、ベッドから上半身を起こした状態で図鑑をめくっていたマーレの姿が思い出されていた。

 そういえば、マーレも図鑑や旅行する話の本が好きだったな。自分は見に行けないから、これを見てるだけで楽しいんだって。

 そんな当たり前だった光景すら、記憶の海からサルベージすることになっている今を改めてトゥーラは噛み締めた。半年という期間は、彼が思っているより多感な彼には重いものだった。

 トゥーラの考えていることを大体表情から察したユラは、穏やかな顔で焚火に手を翳した。近づけすぎないように、じわりと温もりが伝わってくる位置を探しながら柔らかい声を出す。

「私達の世界は基本的に私達と父親だけでしたが、君の世界はもっと広かったでしょう?」

「え? ま、まぁ働き先はいくつもあったしなぁ」

「きっと、マーレくんにはいい刺激だったと思いますよ。君のお話」

「……慰めてる?」

「バレましたか?」

「バレバレだよ」

 まったくもう、と言いながらトゥーラは恥ずかしそうにユラを肘でつついた。そんな彼の顔を横目に見つつ、ユラは表情を引き締めて話を続けた。

「そうして過ごす中で、私が十歳くらいの時に初めて私は【玉響】と出会いました」

「それは、お父さんが見つけてきた?」

「はい。見つけたというより、お金で取引をしたようでしたが……それが、辰砂。君に毒を盛ったあの赤い【玉響】です」

 ユラの言葉にトゥーラは川辺で話しかけてきた女の子のことを思い出した。間延びした口調と優しい声の印象が強いが。トゥーラの体を苦しめたのも確実に彼女だ。トゥーラにとって【玉響】は弟がなりかけているものであり、ユラのようにきちんと向き合い話せばわかる相手だった。しかし、辰砂との出会いは改めて【玉響】という生き物の恐ろしさを見せつけられたような気持ちにさせられる。

 体の痺れる感覚を思い出して、トゥーラは強くこぶしを握り締めた。そんな彼を見てユラはすまなそうに頭を下げる。

「すみません」

「え? なんでユラが謝るんだよ」

「君を守るつもりだったのに、結局危険な目に遭わせました」

 トゥーラはそれを聞いてもやりとしたものが胸の中に溜まるのを感じた。しかし、ユラは珍しくそんな彼の変化に気付いていない様子だ。

トゥーラがじっと黙っていると、ユラは何事もなかったかのように話を再開する。

「私が考えた通りならば、恐らく人間を【玉響】に変えているひとつのキーパーソンは辰砂です」

「……どうして?」

「人間が【玉響】になるまでの第一段階で彼らを包み込んでいる石があるでしょう? あれの成分に辰砂が多く含まれているんです。それに辰砂は古くより不老長寿の妙薬の材料として知られています。伝説をその能力に色濃く反映させる【玉響】なら、関係ない方が不思議です」

「そう、なんだ」

 すっかり饒舌さを取り戻しているユラの知識に圧倒されながらも、トゥーラは先ほど胸に抱いたしこりを取り除けないでいた。しかし、その不快感が何によるものなのかが彼にはしっかり判断できず、ただ苛立ちが募っていく。

「辰砂を初めて見たときは、【玉響】とはこんなに美しいものなのかと感嘆しました。それまでは、石の妖精なんて父親がおかしくなったとしか思えませんでしたから。そうして、三人しかいなかった家族に辰砂が加わり、家は少しだけ明るくなりました。特に……とてもキョウが元気になったんです」

「キョウさんが? どうして?」

「詳しくは何とも。ただ、私の推測ですが……妖精という物語の中でしか出会えないようなものと触れられて、本好きの血が騒いだんじゃないでしょうか」

 本当のところは、キョウに聞かないと分かりませんがね、と言いながら笑うユラにトゥーラは小さく頷いた。そんなトゥーラに対し、ユラは膝の上で組んでいた両手に軽く力を込めた。

「今思えば……あの時に辰砂をキョウから遠ざけておくべきだったのかもしれません」

「何故? キョウさんが少しでも楽しそうならそれは良いことだろう?」

「……キョウが【玉響】になったのは辰砂が来てから一か月後のことです」

「!」

 トゥーラの手の中でお茶が音をたてて揺れた。そんな彼に対し、どこまでもユラは静かだった。静かに落ち着いていた怒りを沸々と煮立たせる。そんなユラの暗い瞳を見てトゥーラは無意識に唾を飲み込む。

「私がいつも通り山を駆け回って、捕まえたカブトムシを見せようとキョウの部屋に行くと、キョウはそこに居ませんでした。お茶を飲みに行っているのかと台所を見ても、本を集めている部屋に行っても、トイレも……どこにもいなかった」

 淡々と事実だけを言い続けるユラ。それを見たトゥーラは思わず彼に手を伸ばした。固く握られて白くなっているユラの手にトゥーラの指先が触れると、我に返ったようにユラはトゥーラを見つめた。

「……ゆっくりでいいよ」

「……ええ。でも、もうすぐ終わりますから」

 ユラはそう言って微笑むと、やんわりとトゥーラの手を外した。

「最終的にキョウを見つけたのは父親の研究室でした。普段ならばあの男が常にいるはずのその部屋に……その日は黒い卵だけがありました。それまでで家の中にあの男も不在であることは確認済みだったので、私は二人で出かけているのだろうと思いました。そして、初めて見る大きな石に興味をそそられ、研究室に足を踏み入れました。石の上の方が少しひび割れていて、私はきっとキラキラした目でその中を覗き込んだ……樹脂の中で眠りに落ちているキョウを見つけるとは予想もしていなかったです」

 自嘲気味に笑ったユラは、そこで喉を潤すためにお茶を口に含んだ。独特の苦みが口いっぱいに広がり、渋い後味を残して喉に滑り落ちていく。

「今でも鮮明に覚えています。必死に石を壊そうと手当たり次第に色々なものをぶつけたり、わんわん泣いてみたり……あの時の私は、あまりに無力だった」

「それは……当たり前だろ。だってユラだって十歳くらいの子供だったんだから」

「……そうですね」

 眉根を下げてユラが笑うと、トゥーラはその視線から逃げる様に横を見た。

 そんな風に慰めることが、どれだけ無意味かはトゥーラ自身も分かっている。でも、人間はいざこうした場面に立ち会うとありふれた慰めしか出てこない。それをトゥーラは痛いほど感じていた。

「途方に暮れた私に残されていたのは、父親の残した手紙だけでした」

「え、あの男、それ以来会ってなかったのか?」

「ええ。キョウを【玉響】にするだけして、それっきりです」

「……」

 呆れて何も言えないといった様子のトゥーラを見て、ユラは「あの男の酷さを実感していただけて何よりです」とユラは吐き捨てるように言った。ユラからすると話をするのも嫌な領域のことらしい。

「あの男が残したメモで、キョウが【玉響】になっている途中なことや、その状態が男の計算では一年近く続くと記されていました。その期間……というか【玉響】はご飯の心配はしなくていいからそのままで放置しておくように、とも」

「一年? 半年じゃないのか?」

「最長の十ヶ月はキョウの記録ですから。ほぼ一年です」

「……その間、ユラは何をしてたんだ?」

「色々。初めて父親の研究を知りたいと……いや、知らねばならないと思ったので。そのための基礎知識すら私には不十分だった。きっとキョウなら違ったんでしょうが……私は元々あまり書物は好まなかったので」

 さらりとユラはそう言ったが、それがどれだけの努力と時間を必要としたか、トゥーラには想像も出来なかった。その間も、大切な兄はずっと眠り続けている。並大抵の精神力ではなかったことは確かだ。

 トゥーラは改めてユラに羨望の眼差しを向けた。

「私がようやく父親の残した資料の四分の一を読み終えた頃には、キョウは第二段階に移行していました。私は赤子のように眠り続けるキョウをただ毎日眺めることしか出来ず……キョウがそうなってから丸っと一年くらいたってようやくキョウは目を覚ましました」

「でも、キョウは喋れなかった?」

「ええ。ご存じの通り」

 ユラは最初と同じように空を見上げた。青白く輝く星と丸く存在を主張する月を視界に納め、小さく溜息を吐く。

「キョウの様子を見たばかりの頃は、自暴自棄にもなりました。でも……そんな私を諫めてくれたのは紛れもなくキョウだった」

 目を細めてそう言うユラの表情は柔和な雰囲気をたたえており、トゥーラも思わず笑みを浮かべた。

「その後、私達は手分けをして残りの資料を読みつくしました。そして……私が十五の時に家を棄てて旅に出ました。話はこんなところですかね。他に何か聞きたいことはありませんか?」

「……ユラは、どうしてお父さんが人間を【玉響】にしようと考えたか分かる?」

「さぁ……もしかしたら母関係しているのかなくらいしか」

「お母さんって、確かユラを産んで亡くなったって」

「はい。身近な人の死というのは、どのような人間にも影響を与えるものですから……」

「そっか……」

 長い話を頭の中で整理しようと黙りこくるトゥーラを見て、ユラはもう残り少ないお茶をコップに注いだ。暗い中に白い湯気が立ち上っていくのを眺めながら、ユラの頭の中は琥珀のことでいっぱいだった。

 あの時、すべてが嫌になった私を救ったのは紛れもなくキョウだった。なのにキョウはどうして……【玉響】なんかになりたがったんだろう。私はあの日々が何より幸福だったのに、キョウはそう感じていなかったんでしょうか。

 考えれば考えるほどに底なし沼に落ちていくような感覚をおぼえ、ユラは溜息を零す。同時にトゥーラはぼそりと疑問を口にした。

「ユラはさ、どうして琥珀を元に戻したいの?」

「え?」

 思ってもみなかった質問にユラはぽかんと口を開きっぱなしにする。その間抜けな顔を見たトゥーラは毛布をしっかり肩にかけ直しながら慎重に言葉を選んで投げた。

「だって……あの人の言葉を信じるなら……というかほぼ確実にキョウは自分から【玉響】になりたがったんだろ? だったら、キョウは【玉響】のままの方が幸せなんじゃないのか?」

「何を……言ってるんですか?」

 震えた声でユラは言葉を紡いだ。その様子は、森の中で父親と対峙していた時と同様に強い敵を孕んでいる。

「【玉響】であることが幸せなわけないでしょう! 言葉をしゃべることも出来ず、ものを食べる必要も、眠る必要だって本来ない。生殖機能だって停止しています。人間の三大欲求を全て捨てて、尚且つそばにいる人と意思疎通すらままならないのに、何が良いんですか⁉」

「……俺は、琥珀の言いたいことなんとなく分かるよ。ユラを心配してたり、ちょっと天気のいい日は機嫌が良さそうだったり、リンゴを食べてると頬が緩んでる。ユラが無理をしていたり、怪我をすると悲しそうだ。言葉なんてなくても気持ちは伝わるよ」

「それでも! 【玉響】は人間としてあまりに不完全すぎる!」

「でも、【玉響】になる前の琥珀だって、完全じゃなかった」

 トゥーラの冷静な指摘に、ユラは冷や水をかぶせられたような顔で押し黙った。その脳裏には、ベッドで寂しそうに外を見ている兄の姿が浮かぶ。しかし、ユラは直ぐにそのイメージを消し去ると、泣きそうな顔で食い下がった。

「完全でなくては……いけないんですか?」

「ユラ……」

「体が弱くても……私は……キョウが好きでした」

「うん。そうだろうね」

 ユラはまるで幼い子供のように涙をぽろぽろ零しながら「私は……」と言葉にならない気持ちを吐き出しきれずにいる。それを見て、トゥーラはようやく先ほど自分の中に宿った不快感の正体が分かった。

 ユラは、基本的に自分の価値観でしかものを見ようとしない。ユラにとってトゥーラが子供だと思えば、それは無条件で庇護対象としかならない。トゥーラがどれだけ覚悟をもってこの旅に、【玉響】という生き物に、サクヤに向き合うとしても、子犬が必死に吠えている程度にしかユラは見ようとしない。

琥珀のことも同様に、ユラは子供の頃の穏やかな生活が一番だったと決めつけているのだ。そこに琥珀――キョウがどう感じていたかをユラは考えない。

悪く言えば自己中心的、良く言えば我が強い。その性格のお陰で、辛い局面でも心を強く保ってこられたということはあっただろう。しかし、トゥーラの目にはただ自分を守るために張られた壁にしか見えなかった。

「じゃあ、ユラは琥珀と旅をするのは楽しくなかった?」

「……どうでしょうか。一概に楽しい、楽しくないと断じることは出来ません。色々なことがありましたから」

「じゃあ、元気に走ったり旅を続けられる琥珀には何も思わなかった?」

「……何が言いたいいんですか。じゃあ、君は弟が望んだことだと言われたらこの旅についてこなかったんですか⁉」

 ユラは涙目でトゥーラを睨みつけた。その刺すような視線を、トゥーラは静寂に満ちた目で受け止める。

 この二人は境遇だけを見ればよく似ている。ほぼ片親で育ち、一番身近な兄弟は体が弱い。そして、兄弟はわけも分からないまま【玉響】という人ならざるものへと変貌させられた。しかし、ここで出した結論に大きな差が出たのは、どちらが劣っているということではない。ただの考え方の違いだ。

 自分の価値観を守ることで必死に自分を支え続け、十年もの間、同じ境遇の人間たちとも向き合い続けたユラと。

「旅についてきたかは、分からない。でも、今ははっきり自分の気持ちが分かるよ」

 そんなユラが必死に踏み固めてきた道を、真っ白な知識を抱えて歩み、考える余裕のあったトゥーラとの違い。

「俺はもしマーレが自分で望んで【玉響】になったっていうなら、このまま【玉響】になってもらう」

「……」

 ユラは言葉を失った。そんな彼に構わず、トゥーラは去り際にサクヤに渡された紙を取り出した。

「明日、この場所に行ってみるよ。でもそれは、マーレの【玉響】化を止めることが目的じゃない。ますは、マーレが自分で望んで【玉響】になったのかそうじゃないのかを訊きに行く。そして、無理やり変えましたっていうなら元に戻してもらう」

「……どうしてですか? どうして、【玉響】で良いだなんて言うんですか」

 自分の価値観を揺るがされ、ひたすら動揺しているユラに向かってトゥーラは子供らしい太陽のような笑顔を向けた。

「だって俺、マーレと一緒に旅をしてみたくなったもん」

「……」

「ユラと琥珀と旅をするの、最初はしんどかったけど……でも凄く楽しかった。世界はこんなに広かったんだって実感して、初めて自分がどれだけ小さな世界で生きてたかを知れたんだ。俺がこうなんだから、きっとマーレも同じだと思う。だから、俺はマーレと旅に出たい。一緒に色々なものを見て、色々な体験がしたいんだ」

 希望に満ちた目でそう語るトゥーラを眩しそうに見たユラは、力なく笑った。そして「付き合いきれない」と呟くとコップと毛布を置いて立ち上がった。

「少し散歩してきます。君はもう寝なさい。身長が伸びませんよ」

「余計なお世話だよ!」

 ふらふらとした足取りでランプを手に森の中に入っていったユラを見て、トゥーラは小さく溜息を吐いた。すると同時に、テントの入り口が静かに開かれる。

「俺に出来るのはここまでだ。あとは多分、琥珀とユラの問題だろう?」

「……」

 琥珀は深々とトゥーラに頭を下げた。そして、ユラを追いかけて森へと入っていく。その背中が見えなくなると、トゥーラは大きな欠伸を漏らした。

「……さて、明日に備えて寝るか」




【トパーズ】(黄玉)

 トパーズという名称の由来は主に二つ存在する。一つ目はサンスクリット語で火を意味する「トパス」これは、多彩なカラーリングがあるトパーズの中でも最たる色が黄色だからだと考えられる。

 もう一つはギリシア語で探し求めるという意味の「トパゾス」から。この由来は当時の採掘方法が元になっていると言われている。昔、トパーズの産地では陽が沈むと採掘者が出かけていき、暗闇で光っている場所に目印を置いて帰った。そして翌朝、目印を置いた場所に向かい、宝石を拾って帰るのである。

 しかし、紛らわしいことに宝石の中には時代によって呼び方の異なるものも存在する。トパーズもそうであり、古代や中世には現在ペリドットと呼ばれる石もトパーズと呼ばれていた。そのため、この伝説が今もなおトパーズと言われる宝石のものなのかは定かではない。


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