第6話 緑玉

 サマン。

 リンゴ農園が多く存在することで辺り一帯では有名なその農村では、今日もりんごの収穫作業が行われていた。

 その村でもひときわ若いハミヤは、木に梯子を立てかけると、するすると慣れた手つきで登っていく。枝を避けて木の中に顔を突っ込むと、どこか甘い香りが仄かに鼻孔をくすぐり、ハミヤは空気を肺一杯に吸い込んだ。

「いやあ、今日も清々しい朝だね。コウギョクもそう思わないかい?」

 ハミヤのかぶっていた帽子が、その声に反応するようにひとりでに揺れる。風も吹いていない中で異常な現象だが、ハミヤは満足そうに笑ってそばにあったリンゴの果実をひとつハサミで切り取った。

 ずっしりと重い赤を手の中でクルクル回し、その表面に木の葉の隙間から差し込む光の模様が映りこむのを楽しそうに眺める。

「そういえば、もうすぐユラ達が来るってさ」

 先ほどより激しく反応を示した帽子にハミヤは声を出して笑った。

「ああ、そうだね。アタシも楽しみだよ」


 ◇


「本当にこんなド田舎に協力者の情報屋がいるのか?」

 サマンの村の入り口でそう言ったトゥーラを見ながら、ユラはあからさまな溜息を吐いた。

「ド田舎とは失礼ですね。そもそも、君がいた場所はこの国随一の商業都市……他の街なんか九割方田舎ですよ」

「そういうもん?」

「そういうものです」

 これだから都会生まれ都会育ちは、とユラが鼻で笑う。トゥーラはその態度にムッと頬を膨らませながらも、自分の見識不足を否定することは出来ないので押し黙った。村は収穫期真っ盛りであり、人々はリンゴ園の方に行っているのかひと気が全く感じられない。ともすれば、ゴーストタウンといわれても仕方ない村の中を悠然と歩く三人は少し異様な様子にも見える。

「あ、ユラとコハクだ!」

 突然、背後からそう声が聞こえた。呼ばれたわけでもないのに飛び上がったトゥーラが振り返ると、そのわきを彼より小さな影が走り抜けていく。

「おやおや、大きくなりましたね」

「当たり前だろ? ユラが前に来たのいつだと思ってんだよ」

「三ヶ月くらい前ですかね……」

「いや、半年くらい来てないぞ」

 子供を軽々抱き上げて話すユラを見てトゥーラが目を白黒させる。ユラが子供を抱き上げる力のある人間だったことは勿論、こんなに親し気に誰かと話すのを見たのが初めてだったのだ。

 ユラって意外と子供好き?

 そう考えながらトゥーラがじっと目の前の二人を見つめていると、子供がそれに気付いたのかトゥーラの方を見た。

「この人、誰?」

「私のお友達です。一緒に旅をすることになったんです」

「ええ! 俺が一緒に連れて行ってって言ったときはダメって言ったくせに!」

「君は子供すぎます」

「こいつだって子供じゃん! 俺、ちゃんと家のお手伝いしてお小遣い貰ってるぜ!」

「な、俺だって働いた給料で弟のこと養ってたし!」

「え……」

 ムキになってトゥーラが怒鳴ると、少年は目を丸くしてトゥーラを見た。

「……本当に?」

「嘘ついてどうすんだよ! どうせユラにバラされるじゃん」

「私を何だと思ってるんですか。事実ですけど」

「事実なんじゃん……」

「すっげぇ……」

 急に羨望の眼差しを向け始めた少年に、トゥーラが思わず後退る。少年はユラの腕の中から抜け出すと、深くお辞儀をした。

「生意気なこと言ってごめんなさい!」

「え、い、いや……」

 戸惑うトゥーラを見てユラは肩を震わせる。顔は隠しているものの、明らかに笑っているその様子を見てトゥーラは顔を赤らめながらユラを睨んだ。

「何だよ……」

「いえいえ。まあ一般的にもそうですが、この村では、ひとりで働いてお金を得るというのは、一人前だと認められているということなんです。出稼ぎに出るなり、農園を継ぐなり、形は様々ですが、大体十八でそれが出来たら良しとされます。トゥーラはそれより幼いので、この子も驚いてるんですよ」

「……俺は、必要に駆られてだし……」

 急に弱気になってもじもじ謙遜するトゥーラの肩にユラは笑顔で手を置いた。

「理由はどうであれ、君は立派だったと思いますよ」

「……ありがと」

「そうだ、ユラはハミヤに用があるんだよな。呼んでくるよ」

「いえいえ、大丈夫ですよ。夕方まで待ちますから、家にいるとだけ伝えて下さい」

 そう言いながら、ユラは懐から財布を取り出して硬貨を三枚少年に渡した。少年はお礼を言ってそれを受け取るなり、道を走り出す。風のような速さにトゥーラは「はやっ!」と思わず呟いた。

「あの子はワンパクで、昔は大変だったんですけどね……すっかり生意気な子供程度に落ち着いて」

「それ落ち着いてるのか?」

「あの子にカバンの中身をぶちまけられた時は殺意が湧きましたね」

そう言いながら声を出して笑うユラの目元は一切笑っていない。

子供相手にそんなマジにならなくても

 トゥーラはそう思いながら琥珀を見上げた。周囲に緑の広がる村の中をぼんやり眺めている彼が、どこか楽し気に見えてそのまま視線を向けていると、それに気付いた琥珀が首を傾げた。

「あ、気になってた?」

「……」

 琥珀は静かに首を横に振った。それを見て安堵したトゥーラは頬を掻きながら「楽しそうだったから……」と言う。それを聞いた琥珀は少し悩む素振りを見せた後、小さく頷いた。

「琥珀はリンゴが好きなんですよ」

「え、そうなの?」

「というか、何故か【玉響】はリンゴ好きが多いんですよね。食べ物や飲み物の類を必要としていないはずなのに、皆リンゴを寄こせとことあるごとに言ってきて」

 その言葉にトゥーラは琥珀の背負うカバンを見た。

 だから、いつも市場でリンゴを買い込んでるのか……。

 ユラの奇行にようやく合点がいった。ユラは改めて村の奥まで視線を向けて目を細めた。木造やレンガ造りのデザインはよく似たような家が立ち並ぶ光景は、非常に牧歌的で肩の力が抜けるようだ。

「じゃあ、行きましょうか。協力者……ハミヤと彼の家族である【玉響】たちの家に」

「……」

 その言葉に、トゥーラは神妙な顔で頷いた。

 彼がユラ以外で【玉響】を知る人間に会うのは、黒曜石の【玉響】と出会った日以来だ。そしてそこに、人間の【玉響】化を知っていると付け加えるならばユラ以外では初めてになる。無意識に緊張を滲ませながら、トゥーラはユラの背中を追いかける。そんな彼には不似合いなほど穏やかで暖かな風が彼の背中を押すように吹いた。


 ◇

 しばらく歩いた先、小さいながら二階建ての木造の家の前でユラは足を止めた。赤い屋根のログハウスは、まるで絵本の中から抜け出してきたのかと思うほど可愛らしい外見をしている。

「ここが……」

「ええ。ハミヤの家です」

 そう言うなり、ユラは不躾に扉を開いた。トゥーラがその行動に驚いていると、琥珀が後ろからトゥーラの背中を押す。「入れ」と言われているだろうその動きを受けても、トゥーラは不法侵入のようなその行動に気が進まない。しかし、ここでトゥーラが立ち止まっていると琥珀もいつまでたっても入らないだろう。

 トゥーラは唾を飲み込むと「おじゃまします」と挨拶をしながらハミヤの家の中に足を踏み入れた。

 家の中は、お人形の家の四だった外見に反して随分シンプルだった。しかし、白と緑を基本ベースとしてまとまっている家の中は清潔感があり、トゥーラは既にここの家主はすごくいい人に違いないという確信を得ていた。

最初は遠慮していたもの、だんだん物珍しさに負けて部屋の中を眺め始めたトゥーラを見て、ユラは気付かれないようにクスリと笑う。そして、壁際の本棚に歩いていくと、その中に立てかけてあった写真たてに手を伸ばした。ゆっくりとフレームを指先でなぞるユラの顔は、過去を懐かしむように穏やかだ。

「その人がハミヤさん?」

「……ええ。この右の女性です」

 ユラとトゥーラの視線の先の写真には一組の男女が映っていた。両方黒髪で、よく似た顔立ちをしているため血縁者なのは誰が見ても明らかだ。今二人がいる家とよく似ているが少し違うログハウスの前で歯を見せて笑っている二人は、とても幸せそうに見える。

 トゥーラはその写真を見ながら、ハミヤに思いを巡らせた。

 もしかして、左の男性が【玉響】になっちゃったのかな……。

 しかし、疑問を持っても容易に尋ねられることではなく、トゥーラはぐっと喉奥に言葉を飲み込んだ。そんなトゥーラを横目で見ていたユラは、黙って本棚から離れる。そのまま部屋の中央にあった食卓の椅子に腰かけると、トゥーラに隣に座るように促した。

「ハミヤが来る前に、少し話をしましょう。君も聞きたいことがあるでしょう?」

「……うん」

 普段通り部屋の端っこで立ち尽くしている琥珀をちらりと見たあと、トゥーラはユラの向かいに置いてあった椅子を琥珀のそばに置いた。

「……」

「座って。疲れないんだろうけど、見てて疲れるから」

「……」

「琥珀、座ってください」

 ユラに促されて、ようやく琥珀は椅子に腰を下ろした。それを見て満足そうな顔をしたトゥーラは軽い足取りでユラの隣に座る。ユラはどこか落ち着かない様子に見える琥珀を面白いものを見る目で見てクツクツ笑った。

「君といると、自分の中の当たり前は全然当たり前じゃなかったって思い知らされますよ」

「え?」

「いえ、年寄りの戯言です」

「年寄りって……ユラだって絶対若いだろ」

「若いですけど、相手をするのが数百年数千年生きてきた存在ばかりだったので、なんだか精神的に老けてるらしいんですよね……」

 顎に手を当てながらそう言うユラを見て、心当たりのあるトゥーラは何も言えなかった。触らぬ神に祟りなし。藪をつつかなければ蛇は出ないのである。

「さて、そんな話はいつでも出来ます。今はハミヤの話でもしましょう。何が訊きたいですか?」

「……」

 トゥーラはしばらく椅子に座って俯いた。聞きたいことならちゃんとあった。

 ユラとハミヤはどうやって出会ったのか?

 ハミヤも自分と同じように身近な人間が【玉響】になっているのか? それとも【玉響】に関わって何か大変な目に遭ったのか?

 そんな当たり前に湧いてくる疑問を口にすれば、きっとユラはいつも通り穏やかな口調で語ってくれる。

 そう、トゥーラは確信していた。しかし、トゥーラは膝の上でぐっと拳を握ってユラに笑って見せた。

「いい。訊くときは、本人に訊きたい」

「教えてもらえないかもしれませんよ」

 意地悪くそういうユラに対して、トゥーラは腕を組んで答える。

「ひとが聞かれたくないことを無理やり聞くわけにいかないだろ。それは、他人の口からでも同じだよ」

「……そうですか」

 トゥーラの言葉にユラは穏やかに微笑んだ。そして背もたれに背中を預けると、大きく息を吐きながら天井を見上げて目を瞑る。眠りそうな気配にトゥーラが琥珀を見ると、琥珀はトゥーラの言いたいことを察したのか、カバンの中身を探り始める。

 琥珀が薄手の毛布を取り出し、ユラの体にかける。ユラは身じろぎひとつしなかった。その様子を見て琥珀とトゥーラは顔を見合わせる。

「……疲れてたのかな?」

「……」

 琥珀は肩を竦めた。彼にも分からないようだと察して、トゥーラは苦笑いを浮かべながらユラの寝顔に視線を戻した。

 あまり日に当たっていないように見える肌に肩まで伸びた白い髪が影を落としている。起きていると口調や独特の雰囲気と相まって大人びて見えるユラだが、寝顔はどこかあどけなさも見え隠れしていた。

その顔にどこか見覚えを感じて、トゥーラは首を傾げる。一切自慢にならないが、彼の世界は旅に出るまでハントジュールの街の中で完結していた。確かに和服姿のユラと出身を同じくするような人間と出会ったことはあるが、まさかそれと似ているということは無いだろう。

「……」

 じっと考え込んでいるトゥーラの肩を、琥珀が叩いた。大袈裟に肩を震わせながらトゥーラが琥珀を見上げると、琥珀は静かに窓の外を指さす。示された方をみると、米粒のような影が一本道をこちらに歩いてくるのがトゥーラの目に入った。

「あの人が……ハミヤさん?」

「……」

 琥珀がコクリと頷いたのを見て、トゥーラは改めて今の自分たちを見直した。家に不法侵入のあげく一人は眠りこけている状況に、トゥーラの中で“常識”の二文字が赤々と点滅した。急にあたふたと落ち着きを失ったトゥーラに、琥珀は不思議そうに首を傾ける。

 次第に足音と荷車を引くようなゴロゴロという音が大きくなり、ついに家の前で止まった。軽く木の軋む音をたてながら扉が開いていくのを見て、トゥーラはパニックが頂点に達したようにテーブルの下に身を隠した。

「……なんだい、この状況」

「……」

 椅子に座って眠ったままのユラ、扉にお尻を向けてテーブルの下にうずくまるトゥーラ、ユラの隣で無表情に立ち尽くす琥珀。

 いつも通りの家の様子を背景に見るにはあまりにシュールな光景にハミヤは首裏を掻きながら玄関で立ち尽くした。

 ユラが勝手に家に入ってんのはいつも通りだし、来そうな時期に鍵をわざと開けっ放しにしてるのはアタシだからいいけど……テーブルの下の子供は……。

「……」

「へえ、ユラがコハク以外を連れてるの? 珍しいこともあるもんだねぇ」

 ハミヤの言葉を聞いて、トゥーラは恐る恐る首を背後に回した。テーブルのせいで首から上が絶妙に見えなかったので、四つん這いで扉の方に移動すると、不意に扉の前の人影がしゃがんだ。

「うわ」

「よろしく、トゥーラ君」

 黒髪をポニーテールにまとめた女性が写真と同じ笑顔を浮かべてトゥーラにそう言った。

トゥーラは驚いて「あの」と言いながら立ち上がろうとする。しかし、当然のようにテーブルに阻まれて鈍い音と共にテーブルが揺れた。頭をおさえて痛みに呻くトゥーラを見て、一瞬呆気にとられたハミヤだったが直ぐに豪快に笑い始める。その笑い声を聞いたトゥーラは、急に気恥ずかしくなってのろのろとテーブルの中から這い出てきた。

「ハハハ、あーおかしい」

「そ、そんな笑わなくても……」

「だって、クク……お腹痛い」

 目尻に浮かんだ涙を拭いたハミヤは、お腹をさすりながらそう言った。しかし、より一層バツの悪そうな顔になるトゥーラを見て、慌てて片手を彼に差し出した。

「初めまして。ユラから聞いてるだろうけど、アタシはハミヤだよ」

「……トゥーラです……って、もう知ってるんですよね。ユラが教えたんですか?」

「いや、コハクから聞いた」

「あ、やっぱり」

 先ほど誰の声もしていないのに会話をするように声を出していたハミヤを思い出して、トゥーラは目を輝かせる。琥珀の意思を言葉として受け取れる人間は、トゥーラにとってユラだけだったので新鮮だった。

「あの、どんな感じに聞こえるんですか?」

「え? ああ、もしかしてユラから聞いてないのかい?」

「え?」

「【玉響】の妖精の言語が聞こえるのは契約している本人と【玉響】同士だけさ。アタシは、コハクの声を聞いたアタシの【玉響】から又聞きしただけ」

「妖精の言語……?」

「ユラの奴、何も教えてないんだね……頭の中で【玉響】と話している言葉のことだよ。もっとも、もっと正式な呼び方はあるんだろうけどね」

 そう話すハミヤの帽子が突然持ち上がった。予想外の事態にトゥーラが目を見開いて一歩後退ると、帽子と髪の間から燃えるような赤い髪と目をした妖精が顔を出す。

「そんなに驚かなくてもいいじゃん……」

「コウギョクが急に出てくるからだろう? 悪かったね、トゥーラ君」

「……あ、いえ……もしかして、それが?」

「ああ、私の契約しているルビーの【玉響】……コウギョクだよ。ユラの国での呼び方らしいけど、響きがカッコいいからこの名前で呼んでるんだ」

 そう言ってハミヤは帽子を外した。すると、紅玉は大きく伸びをしながら彼女の頭の上で立ち上がった。長い髪をリボンで縛った姿は一見すると女の子に見えるが、声からすると水晶と同じように男に分類されるように思える。もっとも、妖精に一般的な性別が当てはまればの話だが。

「さて、そろそろ狸寝入りはやめたらどうだい? ユラ」

「おやおや、バレてましたか」

 ハミヤが軽く椅子の足を蹴ると、ユラは器用に片眼だけを開いてトゥーラとハミヤの方を見た。そして先ほどの紅玉と同じように両手をあげて体を伸ばすと、毛布をたたみながら立ち上がる。

「いや、トゥーラからすると初めて私以外の【玉響】を知る人間との出会いですから、邪魔するのは無粋かと思いましてね」

「何だい、そうだったの?」

「あ、はい……実は」

 妙によそよそしいトゥーラを見て、ユラは喉奥で笑う。

「この人に遠慮なんていりませんよ。そういう態度の方が傷つく性格ですから」

「そうだよ。気にせずくつろいでくれていいしね」

 胸を叩いてそう言ったハミヤに、トゥーラはおずおずと頷いた。しかし、その視線はハミヤというよりハミヤの頭に座る彼女の【玉響】に向けられている。それにトゥーラ以外の大人二人は気付いていたが、黙って微笑むにとどめた。

「さて、じゃあ寝床とご飯代だ。働いて貰おうか」

「え」

 ハミヤが笑顔で手を叩くと、逆にユラは渋い顔をした。

「またですか……収穫期に来るといつもこうですね」

「宿代なしで泊まろうなんて、世の中そんなに甘くないんだよ」

「はいはい」

「……」

 琥珀は黙ってカバンの中から白く細長い布を取り出すと、ユラに手渡した。和服の袖をまくりおさえるように、ユラが器用にその布を操っている隣では事態が飲み込めていないトゥーラだけが取り残されていた。そんな彼の肩に紅玉が飛んできて止まる。

「今から収穫してきたリンゴの仕分けをするんだ。素人にやらせるわけだし、簡単にだけどな」

「な、なるほど……」

「とにかく量が多いし、送り先も多い。早く動かないと夕飯がどんどん遅くなるから気をつけろよ」

「ありがとう……」

 親切に忠告までつけた紅玉のお陰か、ようやくトゥーラは肩の力を抜いた。それを眺めていたハミヤは静かにユラに近寄って行って声をかける。

「あの子、【玉響】との契約者じゃないのかい?」

「ええ。あの子の弟くんがあの男の餌食になりましてね……いつも通り、石になっていく家族から離れたくないといわれるかと思ったら、まさかの付いてくると言われまして」

 当時のことを思い出してユラが苦笑いすると、ハミヤは僅かに表情を曇らせた。

「そうかい。あの子も……」

「まあ、詳しくは本人から聞いてください。貴女のことは何も教えていませんから」

「アンタね……【玉響】の知識といい、連れ回すわりに何も大切なことを教えてないんじゃないの」

「それでいいんですよ」

 たすきをきちんと結び終えると、ユラは少し寂しそうに笑ってみせた。その表情にハミヤは言葉を失って静かになる。少し離れたところで紅玉とトゥーラが話している声すら、この時の二人の耳には聞こえていなかった。

「知識がない方がいい。知れば知るほど……引き返せなくなりますから」

「……あの男を一緒に追うなら、もう引き返せないんじゃないかい?」

「まさか。何も知らなければ、その場にいた傍観者で済むじゃないですか」

「……」

 そう都合よくいくものか。

 ハミヤはそう思ったものの、言葉の代わりに大きな溜息を吐いて話をそこでとめた。

ユラが本気でそう思っているのかは、ハミヤには分からない。しかし、【玉響】だけを連れて、人間と深くかかわらないようにしながら生活していたユラが、ひとりの少年をその懐に入れたのは紛れもない事実だ。「今更どうして」や「アンタほど覚悟が本当にあるのか」など言いたいことは沢山あった。しかし、その時のハミヤは良識ある大人であることより、トゥーラよりユラを古くから知るものとして、ユラの孤独が癒されている可能性に賭けた。

「まったく、私も薄情だよねぇ……」

「ハミヤはとても優しい人間だと思いますけどね」

「そうじゃないさ。まあ、いいよ……ところで」

 ハミヤは一層声のトーンを落とした。それにユラがスッと目を細める。

「他の人から何か連絡が?」

「ほとんどは普段通りの手紙だけさ。でも、シレーナからは大きな荷物で色々届いてね」

「ほう……つまり」

「ああ。中に布に包まれた【玉響】が入ってた。後で渡すから、連れて行ってやっておくれ」

「いつもありがとうございます」

 深々と礼をしながらそう言ったユラに対し、ハミヤは感傷的な表情を浮かべる。

「いいさ。私が……あの人の為に選んだ道だ。」


 ◇


 ハミヤと紅玉の指示に従い、数十個の箱にリンゴを仕分け終わる頃には、すっかり空は暗くなっていた。星が瞬いているのを仕分け場にもなっている倉庫の扉から眺めているトゥーラに、夕飯だとハミヤから声がかかる。

 先ほどまで下で隠れていたテーブルの上には美味しそうな鶏肉のステーキとパン、スープが置かれており、どこか甘い匂いが漂っている。鼻をひくつかせているトゥーラに気付いたハミヤは、にこりと笑いながらステーキを指さした。

「これにリンゴを使ったソースをかけてあるんだ」

「あ、なるほど……流石リンゴ農園」

「ハハハ、褒めるのは食べた後だよ」

 そう言って小さくカットしたリンゴの入った皿をテーブルの端に置いてハミヤは席に着いた。その皿に紅玉が笑顔で降りていく。その隣では、一通の手紙を開いたユラが真剣な顔をしている。そんな彼の前にも手紙の封等が沢山あるのを、トゥーラはじっと見つめた。その視線にすら気付かないほど没頭しているユラの頭をハミヤが叩いた。

「ご飯だって言ってるだろう? 早く手紙を仕舞いな」

「……はーい」

 まるで母親と息子のようなやり取りに、トゥーラは吹き出した。そのままクスクス笑い始めるトゥーラを見て、ユラは多少恥ずかしさを感じたのか手早く手紙を紐で縛って机の端っこに寄せる。その様子をニヤニヤ笑いながら眺めたハミヤは、トゥーラが落ち着いたのを見て手を軽く叩いた。

「じゃあ、食べようかね」

「いただきます」

「いただきます」

 ユラの国の挨拶だという食前の挨拶は、すっかりトゥーラにも当たり前のものになった。手を合わせるのも忘れずにユラと同じようにしたトゥーラを見て、ハミヤは更に笑みを深めたが、それは料理に夢中になっている二人には気付かれていなかった。

 旅のことを話しながらゆっくり食事を終えると、ユラとトゥーラは「働かざる者食うべからず、なんだろう?」と言いながら皿洗いの仕事を言いつけられた。「諺なんて教えなきゃよかった……」とブツブツ呟きながらトゥーラの洗った皿を拭くユラは、言葉に反して楽しそうだ。

「ハミヤさん、すごくいい人だな」

「まぁ……私が二十歳くらいの時から協力してくれてる人ですからね」

「そうなんだ……」

「まあ、その話はハミヤと二人でゆっくりどうぞ。私はあの手紙と、協力者から送られてきた【玉響】を処理しなくてはいけないので」

「そういや、あの手紙なんだったの?」

 最後の皿をユラに渡し終え、スープの入っていた鍋に手を伸ばしたトゥーラは何気なく尋ねた。ユラも特に隠すことではないので、手を動かしながら答える。

「各国にいる協力者からの手紙ですよ。私は住所不定ですから、ハミヤを私への窓口にしているんです。その手紙の内容によって次に行く国を決めることもあるので、すごく大事な手紙なんですよ。そのため、長くても半年おきにこの村には帰ってきます。ああ、そう……朝も言った通り、【玉響】はリンゴが大好物ですから、ハミヤは全国の協力者とリンゴを取引もしていますよ」

「……ハミヤさんって、ユラにとってすごく重要な人?」

「ええ。居なくなっては困りますね」

 微笑みながらそう言ったユラに、ハミヤとの言葉では形容できない深い絆のようなものを感じて、トゥーラは「そっか……」とだけ返した。

最後のフライパンをしっかり洗い終え、トゥーラは肩を回す。

「はい、お疲れ様です。ハミヤは二階の奥……赤い扉の部屋にいるはずですから、話がしたかったら行ってみるといいですよ」

「え?」

 言われて辺りを見渡すと、確かに一階にハミヤの姿はない。ユラも自分の役目を終え、食器拭きを台所につるした。そして、キョロキョロと落ち着きなく視線を動かし、足が動かない様子のトゥーラを見て、ユラはその肩を階段の方に押し出す。つんのめるように強制的に足を踏み出したトゥーラが抗議すべく振り返ると、綺麗すぎるほど綺麗な笑みを浮かべたユラと視線が交わり、言葉が吸われる。

「行ってください。きっと待ってますから」

「……うん」

 自然と、首が縦に振れていた。トゥーラがそのまま階段をゆっくりあがっていく背中を見送ったユラは「さて」と呟きながらテーブルに再び座った。その隣に琥珀が寄り添うように立つ。

 手紙の束の中に隠すようにして渡された小さな石をテーブルに置き、ユラは琥珀が手渡してきたノミと金槌を手に持った。

 ユラとて、中身の分からない【玉響】の中身を当てることは出来ない。新しい【玉響】がこうして発見された場合は、慎重に開けて【玉響】と出会うしかない。ユラにとって、悪漢の相手よりもよっぽど神経を使う難しいことだった。

 まず、【玉響】にとって石は寝床であるという大前提がある。つまり閉じている石というのは眠っている妖精が中にいるのだ。それを無理やり起こせば、人間と同様に……いや、人間以上に面倒になる場合が多い。なにせ、相手は妖精。人知の及ばない力を持つ存在だ。

故に、寝床はなるべく慎重に割る。盛大に叩き起こすより優しく肩を叩かれる方がいいだろうという、ユラなりの配慮だった。また、丁寧に割っておけばユラ自身も修復がしやすいため、比較的【玉響】から好印象を抱かれやすいという打算もあった。

たっぷり十分ほどノミを叩き続けると、パキンという軽い音をたてて【玉響】から緑色の光が零れてきた。ユラは額の汗を拭いながらその光に目を細める。

ゆっくりと光を失っていった中心では、綺麗に二等分された石の卵の中心で緑色の髪をした女の子が未だに眠っていた。ユラは卵の内側にびっしり生えている緑色の宝石を見つめながら、指先でちょいちょいと少女をつつく。少女は二度、三度とつつかれてようやく「ん……」と声をあげながら瞼をピクつかせた。

「起きてください」

「……んん……」

 ゆっくりと開かれた瞼の中から、髪と同じような緑色の瞳が覗く。最初は呆けた様子を見せていた女の子だったが、すぐ自分が外にいると気付いたのか飛び上がった。

「な、なによ! 無礼者! ひとの寝顔見るとかサイテーよ!」

「すみません。とても可愛らしかったですよ」

「感想とか求めてないわよ!」

 顔を真っ赤にしながら怒鳴る女の子に対して、ユラは丁寧に頭を下げた。

「失礼は重々承知しております。しかし、暫しの間、私の話を聞いてくれませんか?」

「……」

 緑色の少女はそんなユラを見て少し落ち着いたのか、頭を下げたままのユラを放置して辺りを見渡す。そして、最終的にその視線に絡み取られたのは琥珀だった。

「……話って、そこの不愉快な奴のことかしら」

「はい。この子は琥珀」

「の、【玉響】にされた人間でしょ」

「その通りです」

「……アンタがやったわけ?」

 何か背後に立ち上る気配すら見えそうな殺気を放つ緑の少女に対して、ユラは首を横に振った。

「もし嘘だとお疑いになるなら、ここで紫水……アメシストの【玉響】を出しても構いません」

「あの子もここにいるの? ……貴方、何者なの?」

 戸惑った様子の少女を感じたユラは、初めて顔をあげた。そして、ここに至るまでの経緯を話す。

 琥珀を人間に戻すために旅をしていること。琥珀のように人為的に【玉響】にされている人間がそこら中にいること。それを行っている一人の男の存在。

 ユラの話を黙って聞いていた少女は、一通り話し終えたユラの目の前で大きく息を吐きながらテーブルに降り立った。そして、気の毒そうな視線を琥珀に向ける。

「むごいことをする人間もいたものね……」

「まったくです」

「それに不愉快だわ。人間如きが手を出していい領分を超えてる」

「おっしゃる通りですね。私も、知れば知るほど、人間には過ぎたものだと実感します」

 自嘲気味に言うユラに警戒を完璧に説いた少女は、ユラを真っ直ぐ見ながら腕を組んだ。

「それで? アンタは私に協力してほしいわけ?」

「はい。あの男は……何らかの方法で【玉響】を強制的に従わせる方法を得ています。自然に戻ると、利用される可能性も否めません」

「ますます傲慢な男ね!」

 自分の傲慢さを棚に上げながらそう言った少女は、暫く考える素振りを見せた後、ユラの目の高さまで飛び上がった。

「いいわ。契約はしないけど、一緒に行ってあげる。呼べば多少協力するくらいはやぶさかじゃないわ」

「本当にありがとうございます」

 再び深く頭を垂れたユラの白い髪を少女はひと房掬い上げる。

「私はエメラルドの【玉響】よ。こうした明るい場所では穏やかな私だけど、暗い所ではもう一人の私が出てくるから注意して扱ってちょうだい」

「承知しました」

「はぁ……まったく、人間って厄介ね」

 そう言いながら、少女……エメラルドの【玉響】は自分の寝床に向かって足をおろした。顔をあげたユラは、苦々しい顔で割れた寝床の片側に腰を下ろしている少女に微笑みかける。

「よろしければ、私がそれを修復しますよ」

「え、そんなこと出来るの?」

 目を丸くしたエメラルドに、ユラは胸に手を当てて頷く。

「【玉響】と共に旅をするにあたり、身に着けた技能のひとつです」

「良い心掛けね。気に入った!」

 ニコリと無邪気に笑った少女は、ぴょんと自分の寝床から立ち上がった。すると、琥珀がそんな少女の前に布を広げて差し出す。

「……」

「ここで? ええ、分かったわ。私も眠いし……じゃあ、完成したら起こして」

「はい」

 その布に包まり目を閉じたエメラルドを見て。ようやくユラは大きく息を吐いて椅子に座った。琥珀がそんな彼をねぎらうようにコップに水を入れて差し出す。ユラは無言でそれを受け取ると、一気に飲み干した。

「は……緊張しました」

「……」

「ええ、ありがとうございます。【玉響】のああした尊大な態度はもう慣れましたね」

 苦笑しながら、ユラは今度は自分で水を汲みにいった。それも半分ほど直ぐに空けると、すやすや眠る少女の頬を指先で突いた。

「黙っていれば可愛いのに」

「……」

「ええ、分かってますよ。可愛くても【玉響】……機嫌を損ねないようにちゃんと仕事をしましょう」

 そう言いながら、ユラは視線を上に向けた。そこにいるであろう、二人の人間と二人の【玉響】を想いながらコップの残りを飲み干す。

 まあ、トゥーラなら大丈夫でしょう。

 そう考えながらユラは表情をほころばせる。寝床の修復道具を出していた琥珀は、それに気付いてユラに声をかけた。ユラは琥珀の方を見ると、黙って彼の髪に手を伸ばす。【玉響】らしく少し硬く、それでいて透明感のある髪を指で弄んで、琥珀の肩に顎を乗せる。

「少し疲れたので……甘やかしてください……   」

 もう呼ぶことは出来ない名前には声を込めずにそう言うと、琥珀は黙ってユラの頭を撫でた。ひそやかな夜に、二人分の穏やかな心音だけがお互いの耳に届いていた。


 ◇


 ハミヤ宅の二階に登ったトゥーラは、ユラの助言通りに一番奥の赤い扉の前に立った。そこで一度立ち止まり呼吸を整える。深呼吸を数度繰り返し「よし」と気合を入れたトゥーラが扉をノックしようと手を振り上げた瞬間、扉が内側に開いた。

「いつまでそこで止まってるんだい?」

「……失礼しまーす」

  顔が熱くなるのを感じながら、もごもご挨拶をするとトゥーラは部屋の中に入った。ベッドと椅子が二脚しかない部屋では、見る者はベッドしかない。いや、正しくはベッドの上で眠る青年しか。

「……この人、写真の」

 やっぱりという気持ちが半分、予想が当たって申し訳ないような気持ちが半分。トゥーラが難しい顔をするのを横目で見ながら、ハミヤは椅子のひとつに腰かけた。そしてもうひとつをトゥーラに勧める。

「この人はアタシの兄のハラーン。見ての通り【玉響】だ」

 トゥーラは椅子に座って、改めて青年を見た。固く閉じられた目蓋と口は意志の強そうな男らしい顔つきをしている。しかし、一番目を引くのは何といってもその髪だ。短いながら、紅玉より透明感が強く、しかし光の当たり具合で輝くような黄色っぽいオレンジの光を放つ髪は小さなランプの光の下でもその美しさが損なわれていない。

「カーネリアンっていう石の【玉響】らしい。ユラの国じゃ紅玉髄って名前だって言ってた。」

「お兄さんは、ずっと寝たままなんですか?」

「そう。ユラと出会った頃はまだ侵食されてる途中だったけどね……兄さんの同化が終わったときのユラったら、泣きながら土下座してきて大変だったよ」

 苦笑いでそういうハミヤは明るく振舞っているが、きっと彼女自身も泣きたい気分だったことは想像に難くない。トゥーラは黙ったまま、ただ小さく頷いた。

「兄さんは、何が悪かったのか……コハクと違って目を覚まさなかった。だからずっとこのままさ」

「……」

「まあ、目を覚ましても私にはどう接していいか分からないから都合がいい」

「そんな!」

 あまりに自虐的な物言いにトゥーラが食いつくと、ハミヤはすまなそうに眉根を下げて笑った。

「兄さんがこうなったのは、私のせいなんだ」

「……え?」

 予想外の言葉にトゥーラが押し黙ると、ハミヤはトゥーラと向き合うように体の向きを変え。膝の上で手を組んだ。

「確か、ユラから何も聞いてないんだろう? 聞いてくれるかい? 私と兄さん、そしてコウギョクの話を」

 名前を呼ばれた紅玉はハミヤの着ていた上着のポケットから顔を出した。真剣な二人分の視線を受け、トゥーラは息を呑む。しかし、直ぐ覚悟を決めた表情で頷いた。

「お願いします。教えてください」

「……ありがとう」

 表情を緩めたハミヤは静かに話を始めた。ランプの光だけが揺れる中、静かな声だけが響く。

「あれは……アタシがまだ二十代だったころだ……」




【エメラルド】(緑玉)

 ルシファーといえば、悪魔サタンとも同一視される地獄に住まう悪魔たちの頭領である。しかし、ルシファーは最初から悪魔だったわけではなく、元々は天界で最も美しいとまでいわれた大天使だった。そして、彼の頭には美しい緑色に輝く王冠をかぶっており、それがエメラルドで出来ていたという。また、ルシファーの額には第三の目があり、それがエメラルドだったという伝説もある。

 しかし、ルシファーはある時その心に「高慢」を芽生えさせ、自分こそ神にふさわしいと考えるようになった。その高慢が神の怒りにふれ、ルシファーは天界を追放され、地獄の底に落とされることになる。

 この事件によりルシファーの立場は勿論、彼を象徴していたエメラルドの持つ意味も大きく変わることになる。天界で大天使を飾っていた聖なるエメラルドは、地獄や悪魔と結びつけられる魔性の石となったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る