第5話 水晶
水晶は、琥珀の次にユラが一行に加えた【玉響】だった。
当時のユラは十五歳であり、まさにトゥーラと似たような年の頃だった。【玉響】がどのようなものなのかは、ある程度理解していたものの、今のように鉱石の知識が豊富なわけでもなく、今のようにトラブルに臨機応変に対応できる経験もなかった。
あの頃の彼と今の彼とで変わらないものといえば、覚悟の一言に尽きる。
自分の追っている男を必ず捕まえる。そして、琥珀を人間に戻すこと。そのためにどんな努力も厭わないという覚悟。
◇
「貴方は……」
「クリスタル……君の国では水晶といわれる石の【玉響】さ」
水晶と出会ったのは、まったくの偶然だった。その時のユラは琥珀との意思疎通も、彼に【玉響】を探知する能力が備わっていることも気づいていなかったのだから仕方ない。ただ、突然走り出した琥珀に必死について行った先に見えた湖で彼らは顔を合わせた。
水晶は自分と同じ【玉響】の気配を察知して出てきただけ。
ユラは琥珀に引っ張られてきただけ。
お互いに予想外の出会いは、決して好意的ではなかった。
「それよりなんだい、その少年は」
水晶の興味は、走ってきたせいで膝をついて息を乱しているユラより琥珀に向いていた。飴色の髪が月明かりに透けている周りをくるくると回り、ひたすら琥珀の観察をする。その間、ユラは言葉を探しながらずっと水晶を目で追っていた。
ああ、本物の【玉響】はこんなに小さいのか。
そう思った。ユラの視線も心も釘付けにされた。
魅入られたのだ。小さく美しい神秘に。
「ベースは人間のようだね。人間は面白いことを考えるなぁ……しかし、【玉響】にしては実に不完全だ。こんなの樹脂の中の羽虫と大して変わらないよ」
「……キョウをあまり侮辱しないで下さい」
怒りを露わにしてユラがそう言うと、ようやく水晶の視線がユラに向いた。しかし、そこに映っているのは琥珀を見ていた興味の色ではなく薄ぼんやりとした敵意だった。冷たい視線にユラが言葉に窮すると、わざとらしく水晶は笑みを浮かべる。
「そんなに怖がるなよ。僕は癒すのが専門でね。戦闘能力はほとんどないんだ」
「……ほとんどって」
「信用してないって顔だな。大丈夫。悪いようにはしないよ」
クスクス笑いながら、水晶はユラの目の前まで飛んでいった。月光を浴びた水晶の通ったあとはキラキラと光の線が後を引く。湖面が風で揺れる僅かなすら聞こえる場所では、水晶の翅がこすれる音まではっきりユラの耳に届いていた。
「君の足、随分疲れているね」
「あ……」
「慣れないことはするものではないよ」
そう言いながら、水晶は投げ出されているユラの足の上に降りていった。補整されていない森の中を走ってきたため、ボロボロになって熱を持っている足にひやりと冷たい感触が走る。たまらず足を動かすと「じっとして」と水晶に咎められた。
「……」
「悪いようにはしないさ。ここは水が綺麗だから、調子も良いんだ」
そう言って、水晶は手を翳した。そこから光が生まれ、ゆっくり自分の足に吸い込まれていく様子をユラは食い入るように見つめる。言葉を失い夢中になっているユラを水晶は優しい手つきとは裏腹に冷静な眼差しで観察した。
この子供がやったとは考えにくいな。だとすると、この子供は【玉響】もどきと一緒に何をしている?
水晶にとっては、目の前の子供のことよりも琥珀という未知の【玉響】の方が問題だった。【玉響】とは、ユラが普段説明しているような簡単なものではない。妖精が気に入ったからといってその石と融合できるとは限らないのだ。元々妖精と呼ばれる者の数が人間と比べて少ないことは勿論、石との相性や、石と溶け合っている間に人間に採掘されないことなど、時には運に助けられてようやく完成するもの。
それが人間の手で創られているという現実が、水晶には我慢ならなかった。
「ほら、これでいいでしょう」
「すごい……」
すっかり綺麗な肌色を取り戻した自身の足を見て、ユラは感嘆の声をあげた。直ぐに立ち上がり、ぴょんぴょんと飛び回る少年を尻目に水晶は琥珀に視線を戻す。そこでは、相変わらず月明かりの下で呆けている姿しか映らなかった。
『……君は、一体何なんだい?』
「……」
「……おーい」
「……」
「ダメか」
頭の中で話しかけても、声に出しても一切応じない琥珀を見て水晶は頭を掻いた。そして、やれやれと呟きながらユラの方に飛んでいく。
本人から話が聞けないなら、子供でも話せる方がまだマシという判断だった。
「君、少しいいですか」
「あ、はい。なんでしょう?」
和服の裾をなびかせて振り返ったユラを見て、水晶は目を細めた。月面を写し取った湖を背景に笑うあどけない少年は、成長途中の危うさも含めて非常に美しかったからだ。そのことに少し気分を良くした水晶は、笑みを浮かべて話を続ける。
「君の連れの子は、一体どうしてああなったのかな?」
「それは……分からないんです」
「え?」
「やり方は分からない。でも、あれをやった男は分かっています。だから、僕はその男を追っているんです」
「……君にとって、あの子は随分大切な相手だったんだね」
「当たり前でしょう。キョウより大切なものなんてないですよ」
そう言って琥珀を見つめる少年の憂いを秘めた顔を見て、水晶は「ふむ」と顎に手を当てた。
琥珀の【玉響】……いや、キョウといったか。あの子はまだ【玉響】になりきれていない。どうやったかは分からないけど、確かに戻せる可能性はなくもない……か? いや、そもそも無理やりやったから不完全という可能性も……。
「あの……」
「え?」
物思いに耽っていた水晶に、ユラは恐る恐る声をかけた。和服の太もものあたりを皺ができるほど握りしめて、震える声を出す。
「僕に、協力してもらえませんか?」
「……え?」
「急にきて、不躾なお願いだということは重々承知しています。しかし、今の僕には知識もなければ力もない。水晶の【玉響】さんは、きっと僕より【玉響】については詳しいでしょう? だから……」
「ええ……」
心の底から面倒くさいと書かれた水晶の顔を見て、ユラは唇を引き結んだ。彼自身、無理なお願いだということは分かっている。しかし、多くの人間が存在すら知らないものに関わり、かつ頼れる相手のいない彼にとっては、自分より知識のある人間は貴重だ。現実的に考えるならば、ここで引き下がるわけにはいかない。
何とか水晶をその気にできないかとユラが頭を回転させていた時、突然彼の頭にぽんぽんと優しい手つきが触れた。ユラが俯いていた視線をあげると、琥珀が無表情で手を動かしている。それを見たユラの目から、透明な雫が浮かんで弾ける。
「……キョウ……」
「……ああ、もう、泣くんじゃないよ」
ばつが悪そうに頭を掻いた水晶は、琥珀の肩に止まった。
「君、喋れないわけじゃないだろう? なんで喋らないんだ」
「え?」
「……」
「……もしかして、契約していないのか?」
「けい……やく?」
異国の言葉でも聞いたようなユラの顔に水晶は呆れた顔で溜息を吐いた。
「契約もしていないのに本名を連呼していたのか。あ、いや……契約していないから呼べたともいうか……」
「本名って、だってキョウはキョウでしょう!」
ムッとした様子でそう言ったユラの額に水晶はデコピンをいれる。硬いもの同士のぶつかるような音が響き渡り、ユラが悶絶する。その頭上から水晶は腕を組んで話し始めた。
「妖精にだって、人間と同じように一人ひとり名前があるんだよ。しかし、【玉響】となった妖精には本名と別に石の名前がついて回る。そこで、【玉響】は信頼できる相手だと認めた相手と本名を教え合い、契約を承諾することでお互いを縛る。そうして、寄り添いながら生きていく道があるってわけ」
まあ、僕は気に入らないんだけどさ……と続けた水晶の話を聞きながら、ユラは数度頷く。
「その契約をすると……どうなるんですか?」
「【玉響】は主人の命令に従うことになる。そして、人間はその代わりに【玉響】が生きやすい環境を整えなくてはならない……要するに、衣食住や身の安全を確保される代わりに不思議な力を貸してあげますって感じかな」
「なるほど……」
ユラはチラリと琥珀を見た。琥珀の表情からは相変わらず何も読み取れないが、彼の手はしっかりとユラの手に伸ばされていた。
「君達はもうお互いの本名を知っているようですし、あとは契約を承知すれば完了ですよ」
「……いいのか? キョウ」
「……」
小さく琥珀は頷いた。それを見て、ユラも決意の籠った眼差しで琥珀の手を握る。その瞬間、二人の間で赤茶色の光がはじけた。ユラがたまらず目を瞑るほど強い光が辺り一帯を数秒支配するのを水晶はしっかりと見届け、嘆息した。
「契約、成立だね」
「……これでキョウは喋れるようになるの?」
「お願いしてみたらいいじゃないですか」
「でも、前にキョウが喋ろうとしたら掠れた変な音がするだけで言葉になって聞こえなかったんだ」
「……ヒトを無理やり【玉響】にした弊害かな……それなら、頭の中で会話したらいいよ」
そう言いながら水晶は琥珀のおでこをつついた。
「さっきは無視されたけど、もう出来るだろう? 君は不完全とはいえ【玉響】……こっちの世界にどっぷり浸かってるんだ」
「……」
琥珀は僅かに首を縦に振ると、ユラの手を強く握りながら目を閉じる。
『……き、聞こえてる?』
「! 聞こえてます!」
「ほら、出来た。君はどうやら声帯のあたりが不完全なようだから、契約者の少年や他の【玉響】との意思疎通はそうやってやればいい」
「僕は? 僕はできないの?」
「生粋の人間が出来たらホラーだろ」
水晶の的確なツッコミにユラは「不便ですねぇ」と唇を尖らせた。その仕草がいやに子供っぽくて、水晶は小さく声を出して笑う。
「それで、水晶の【玉響】さんは僕のお願いを聞いてくれるんですか?」
「え?」
目を瞬かせる水晶を見てユラはおずおず空いている手を差し出した。その震える手をじっと見つめた水晶は、琥珀に「いいのか?」と頭の中で語りかける。それに対して、琥珀は静かに頷いた。
「そうか……じゃあ……気の遠くなるほど長い命の、一瞬の戯れには丁度良いだろ」
水晶はユラの手の上に止まり、恭しくお辞儀をする。
「よろしく頼む、数百年ぶりの主よ。僕の名前は―――。どうか僕を退屈させないでくれ」
「それは……頑張ります」
ユラがそう答えた瞬間、二人の間に白い光が瞬いた。琥珀の時より短く、しかし色のせいか非常に強く感じられる光の中で、水晶は微笑みを浮かべる。
「そう気負わなくていい。人間が【玉響】になるなんて、それだけで十分僕には面白く、不愉快だからな」
「え?」
不愉快という言葉に、ユラは表情を強張らせた。しかし、直ぐに水晶は「琥珀には悪感情は持っていないさ」とフォローをいれる。
「僕達の領分を侵したという男に対しては怒っているが……それに、主殿は琥珀を元に戻したいんだろう? であれば僕にとっては敵意の対象にはならないよ」
「……うん」
手の上で立つ水晶に向けて、ユラは真っ直ぐ視線を向けた。
「僕はキョウを元に戻す。そのために、何でもするよ」
「……いいね。そういうの好きだよ」
ぞくりと背中の産毛が逆立ったのを感じながら、水晶は唇の端を一層持ち上げた。そして飛び上がると、指を一本立てながら滞空する。
「では、ここで【玉響】レクチャーその一だ」
「は、はい!」
突然始まった話にユラは背筋を伸ばしながら水晶を見上げる。その真摯な眼差しが心地いいのか、水晶は上機嫌で自分の胸に手を当てた。
「僕達の契約は、あとから上書きされてしまうことがある」
「え?」
「契約者がいる【玉響】は、契約者以外に本名を呼ばれ、それに応えてしまうと契約が解ける。だから、僕達の名前は確実に知られてはいけない」
「は、はい」
ユラは頷きながら最初に水晶に言われたことを思い出した。
――契約もしていないのに本名を連呼していたのか。あ、いや……契約していないから呼べたともいうか……。
あれはそういうことだったのか。
ようやく合点がいき、ユラは琥珀を見上げた。今の話を踏まえると、【玉響】である琥珀の本名も呼ばない方がいいということになる。それが、ユラには堪らなく寂しいことに思えて仕方なかった。
見つめ合う二人を見た水晶は「例外は認めないからな」と釘を刺した。それを受けて、ユラはぐっと拳を握りながら琥珀を見上げる。
「琥珀……でいいですか?」
「……」
「おい、頷くか喋るかしろ」
水晶に怒られ、琥珀は渋々頷いた。それを見てユラは小さく笑う。
なんだ、やっぱりキョウなんだな……。
【玉響】になろうと、契約という関係を結ぼうと、琥珀が自分のよく知る“キョウ”だと気付き、ユラの心に温もりが広がる。笑いながら滲んできた涙を袖で拭うと、ユラは改めて琥珀と水晶に手を伸ばした。
「これからよろしくお願いします。琥珀、水晶」
「……」
「よろしく」
◇
ユラ達の旅は、ここから始まったといっても過言ではない。月に見送られたあの日のことを、ユラは勿論、琥珀も水晶も忘れたことはない。
最初は琥珀と同様に常に外に出てユラをサポートしていた水晶だったが、その姿が人目に付くことでユラを不要な危険に巻き込みかねないとして、石の中に閉じこもるようになった。しかし、そこに不安はなかった。引き籠ると決めた水晶の目に映っていたのは、数年旅を続けて逞しくなったユラと琥珀であり、心配する方が無粋だと理解していた。
【玉響】を増やしながらも、表に立つのは主にユラと琥珀。正式に契約を交わした【玉響】は琥珀と水晶だけ。そうした旅が十年も続き、今、トゥーラが新しく二人の隣に並んでいる。
それが水晶には少し悔しいような寂しいような気持ちもあるのだが、それを彼が言うことはないだろう。
【クリスタル】(水晶)
クォーツ(石英)の中でも結晶の形がはっきりしているものをクリスタル(水晶)と呼ぶ。
無色透明だと思われがちであるが、内部が白っぽくなっていたり、ヒビや内包物があることもある。和名では古く「水精」とも記載された。昔は水晶とは氷が極度に凍って溶けなくなった、氷の化石のようなものだと信じられていた。
非常に古い時代より水晶はその内部に過去・現在・未来を映し出す占いの道具として使われた。産出地が多いこともあり、世界中で儀式や祈祷に使われる浄化能力では群を抜いている鉱石である。
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