第4話 血玉髄

「だらしないですね……」

「う、うるさいな!」

 地面に座り込んで肩で息をしているトゥーラを見下ろしながら、ユラは水筒を傾けた。琥珀は黙ってトゥーラにも水筒を差し出す。

 一行は港町のハントジュールを離れ、数十キロ離れた森の中を歩いていた。ユラ達の旅は基本的に徒歩だ。ユラに協力している情報屋と接触するための移動であり、思いがけない【玉響】との出会いを期待しつつ、追っている男の情報収集という三つを同時並行で行う。

そんな旅を十年続けてきたユラには経験があり、琥珀には疲労という概念が【玉響】になってから亡くなっている。必然的に、体力があるとはいえ生まれ故郷から大きく離れたり長時間歩き続けることになれていないトゥーラが真っ先に音を上げることになっていた。

 あまり日に焼けていないユラの細い手を恨みがましく眺めながら、トゥーラは水をがぶ飲みした。

「絶対体力無しのお坊ちゃんだと思ったのに」

「おやおや、失礼ですね。脱いだらなんとやらですよ」

「……」

「琥珀は上半身が凄いですよ」

「そりゃ【玉響】持ったカバン持ち歩いてたらそうだろ」

 涼しい顔でユラとトゥーラの世話をやく琥珀を、トゥーラは何とも言えない様子で見ていた。

 琥珀はヒトが【玉響】になったものである。弟のマーレが同じ状態であるからこそ、トゥーラには琥珀の一挙一動が気になって仕方なかった。

 例えば、この状況でも汗ひとつかいていないこと。

 例えば、全く喋らないこと。そのくせ、ユラや他の【玉響】とは度々会話しているような様子をみせること。これは“琥珀が”というより、ユラや【玉響】そのものへの疑問にもなるのだが。

「仕方ありませんから、今日はあと二キロほど進むだけにしましょうか」

「鬼かよ!」

「君の歩みに合わせていたら、一向に協力者と会えないんですよ」

「……」

 足を引っ張っているのは事実なので、トゥーラには何も言えなかった。琥珀に水筒を渡して立ち上がったユラに、渋々トゥーラも腰を上げる。それだけで何か重しがついているようにズンとした感覚が走る足に、トゥーラは顔を顰めた。明日も筋肉痛確定な気がした。

「ところで、協力者ってどんな人なの?」

「君と似たようなものですよ。あの男の被害者だったり、そうじゃなくても【玉響】に何らかの形で関わっていた人です」

「そんなに沢山いるもんなんだ……」

「そこそこですよ。多いように感じても、全世界の人口から見たら数パーセント……関係ない人間の方が多いですよ」

「そっか……」

「好事家の間の都市伝説程度で済んでいればよかった話なのに……全く、神秘の重要性を分かっていない人間は嫌ですね」

 眉をひそめながらユラはそう言った。ユラは追っている男の話をすると露骨に嫌そうな顔をする。だからこそどのような関係なのか、トゥーラには未だに聞くことが出来なかった。

 一緒に旅をするようになってから、早一週間は経とうとしているものの、薄っすらと張られた壁のようなものは未だにトゥーラとユラの間に根を下ろしたままだった。それが、果たしてどちらの心によって張られているのかはトゥーラ自身には分からないが。

「はい、無駄話をしていると体力を使いますから、口より手を動かしましょう。あと一・五キロですよ」

「……はーい」


 ◇


 嫌味なことを言いつつも、何だかんだ歩調を緩めていたらしく、目標の距離を歩き終える頃にはすっかり辺りは薄暗くなっていた。テントを張る琥珀と、薪を集めてくるユラに無言で別れたのを見てトゥーラは息を整えながら琥珀がテントの骨を広げている方に近寄っていく。昨日までは倒れこんでいるか、ユラと共に薪を探しに行っていたが、無性に琥珀と接してみたくなったのだ。

「手伝うよ」

「……」

 琥珀は一瞬硬直したのち、静かに視線をユラの方に向けた。「向こうに行け」ということだと理解は出来たものの、トゥーラはそれを無視して骨を手に取った。

「こっちの方が重労働だろ? 手伝うって」

「……」

 表情は変わらないものの、戸惑っているのは感じる。間近で触れ合うことでようやく実感した琥珀の感情にトゥーラはひとりで小さく笑った。

 なんだ、ちゃんと人間なんだな。

 そう実感しながら、琥珀を見上げる。

「ところでテントってどうやって立てるの?」

「……」

 琥珀は黙って琥珀の手からテントの骨を奪った。

 そんな二人の様子を少し離れたところから眺めていたユラは、少し寂しそうな目つきで息を吐いた。そのまま、腕の中の薪をそばの木の根元に置いて森の奥に歩いていく。光源が一切ないため、生い茂る枝に阻まれて夜のように真っ暗な景色を前に木の幹に背中を預けた。

「まったく……大人げないですね」

 自嘲しながら顔に手を当てる。頭の中では、琥珀の助けを求める声が響いてきているが応える気はおきなかった。

 二人きりで始まった旅だった。道中、協力者となっている話の分かる人間と出会うことはあったが、それでも長い旅路の中でたまたま交錯した程度の認識だった。二人きりで完成していた世界に、たったひとつ異物が混じっただけでここまで変わるものか。

 ユラとて、トゥーラを嫌っているわけではない。あまりお喋りでない琥珀に比べると、打てば響いてくる元気なトゥーラと話しながら歩くのは楽しい部類に入ることだ。しかし、それ以上に自分の世界を荒らされているような居心地の悪さもある。複雑に絡み合った感情は時間が解決するしかない。

 まさか、この歳になって人間関係で嫉妬するなんて思いませんでしたよ。

 そう考えながら、ユラは湿った息を吐きだした。そろそろ戻らなければ不自然だ。彼がくるりと体を百八十度回したところで、背後から生温い風が吹いてきた。肌を撫でるそれに違和感を覚え、ユラが振り返った瞬間、目の前に赤い光がほとばしった。

「……!」

 咄嗟に懐に手を伸ばし、修復途中の寝床で昼寝をしている翡翠を起こす。眩しさで目を閉じているため周囲の様子は分からないが、目蓋を挟んでも光源が目の前にあるのは分かる。同時に、その方向からぬるいどころでは済まない温度の風が吹き荒れていることも。

「ユラ!」

 背後から聞こえたトゥーラの声に、ユラは咄嗟に「止まりなさい!」と叫んだ。そして自分の耳元で何事かと尋ねる翡翠に向かって自分をトゥーラの元に誘導するよう頼む。

「この気配、【玉響】ですよ」

「ええ、でしょうね」

 翡翠に髪を引っ張られるのに従い、ユラはゆっくり足を踏み出す。「そのままそのまま!」などとトゥーラが常に喋っているため、目を閉じているユラでも居場所が分かった。そのことに安堵している自分がいるのを感じ、ユラは唇を歪めた。

 先ほどまで醜い嫉妬をぶつけていたのに。私もまだまだですね。

「ユラ! 目、どうかしたのか?」

 下の方から頬を包むように手を当てられ、一歩ユラが後退った。しかしそれを追うように手がまた触れる。

「ごめん。急に触ったら驚くよな?」

「いえ……大丈夫です」

 そう言いながら、ユラは恐る恐る瞼を開いた。そして、ぼんやりとかすむ視界に舌打ちをもらす。

「もしかして」

「見えてますよ。だから琥珀もトゥーラも落ち着いてください」

 頭の中でひたすらユラの名前を呼び続ける琥珀に呆れながら、ユラは小さく手を振った。その周りを飛び回りながら、翡翠は腕を組む。

「私は翡翠の中でもネフライト……軟玉に属するものですから、肝臓や腎臓を癒すことは出来ても目は管轄外ですね。硬玉のジェダイトなら話は別でしたが」

「いえ、大丈夫ですよ。琥珀、カバンから水晶を取ってきてください」

「……」

「大丈夫ですよ。トゥーラも翡翠もいますから」

「……」

 琥珀は少し躊躇したようだが、暫くして小さく頷くとその場から走り去った。琥珀の背中が見えなくなったところで、ユラはトゥーラにここで待つように伝えた。

「え、でも琥珀を待ってないと」

「あんなの琥珀を遠ざけるための言い分ですよ。丁度ダメージを負ってますし、私と翡翠なら安全に近寄れます。何の石の力かだけでも分からないと対処のしようがありません」

「それでも! もしユラの目が悪化したら」

「トゥーラ」

 半泣きになっているトゥーラの声を聞いて、ユラは彼の肩を掴んだ。そして確かめるような手つきで頬を撫で、にこりと笑って見せる。

「大丈夫ですよ。こういうことには慣れていますから。人知を超えたものを相手にするというのに、無傷で済むわけがありません」

「じゃあ俺も」

「何言ってるんですか。無傷で済むならそれに越したことはないんですよ」

 軽くトゥーラの頭を小突くと、ユラは再び翡翠を伴って赤い光の方へ歩いて行った。その背中と、琥珀の戻っていった方向を交互に見つめたトゥーラはぎゅっと拳を握りしめた。

今の彼には、どちらが正しいのか判断できない。どっちつかずのまま立ち尽くす。それが、嘘偽りのない彼の現実だった。


 ◇


 翡翠に引っ張られるまま、薄目を開いてゆっくりとユラは歩を進めた。目を閉じているためか、前から吹いてくる風や、それに木の葉が揺れる音、そして足の裏に感じる土の感触まで普段以上に強く感じる。

「まだですか?」

「かなり近いが……この光が強くて気配が読み切れないな」

「……」

 強い光……太陽でしょうか。いや、太陽神にまつわる石なんてそれこそ腐るほどありますからね。

 ユラが頭に叩き込んでいる鉱石の知識を総動員しながら歩いていると、突然翡翠が髪を引っ張るのをやめた。ユラが怪訝な顔をして瞼を僅かに持ち上げると、目の前を強い風が通り抜けていった。その後に燃えるような熱を感じ、ユラが仰け反る。

「翡翠!」

「ああ、申し訳ない。目で追っていたものだから」

 ユラの肩に止まった翡翠は、耳元で見えている【玉響】の特徴を告げる。

「見た目は黒曜に似ている。身体の色などは緑が勝った黒ですが目は赤色。あと、髪もところどころ燃えるような赤が混じっています」

「なるほど、大体予想はつきましたね」

「何よ。ひとの話を目の前でぺらぺらと! 言いたいことがあるなら堂々と話しなさい! 失礼でしょ!」

 ユラと翡翠の態度が気に入らなかったのか、ぶんぶん飛び回りながら未確認の【玉響】はそう言った。その言葉に顔を見合わせた二人は、黙って手をあげる。

「貴女のお名前は?」

「私? 私は……ブラッドストーン」

「……やはり血玉髄ですか。呼びにくいですから、仕方がない……ブラッドさん、貴女はどうしてこんなところで【玉響】の力を使っておられるのですか?」

「私だってこんな辛気臭い森の中でなんか太陽を出したくなかったわよ。でもあの人が……」

「あの人?」

 その時、頭の中で「ブラッド」という声が響いた。琥珀とは違うその声に、ユラの足が地面に縫い留められたように止まる。

 枝を踏みながら、誰かが近寄ってくる音が鋭くなっている聴覚に刺さる。翡翠が頭の周りを飛び回りながらユラに話しかけるが、ユラにその声は聞こえていなかった。ただ、第三者がこちらに歩いてくる音と、それに話しかけるブラッドストーンの声だけが頭の中に響き渡った。「遅かったじゃない。ターコイズ」

 周囲をも赤く照らす少女とは違い、落ち着いた青緑色の髪をした和服の女性が穏やかな微笑を浮かべながら歩いてきた。そして、すまなそうにブラッドストーンに頭を下げる。

「すみません。あの人の我儘で」

「本当よ」

 ユラを置いて目の前で交わされる会話に、ユラはただ視線も聴覚も釘付けにされていた。脳内で響く優しい声が水の膜を通したようにぼんやり聞こえる。

暫く談笑すると、ターコイズと呼ばれた女性はユラを振り返って笑みを深めた。

「お元気そうで何よりです」

「……」

 喉が焼け付いたように、声が出なかった。ユラは唇を震わせて薄目で目の前の青っぽい影を睨む。翡翠も緊張した顔つきでユラの肩に足をおろした。

「翡翠も元気そうで』

「私達に元気も何もないでしょう」

「そうですね。しかし、貴方の主はブラッドに目をやられた様子……癒して差し上げましょうか?」

 そう言ってターコイズは静かにユラに手を伸ばした。その指先が睫毛に触れた瞬間、ユラは我に返って大きく後ろに飛ぶ。はぁはぁと大きく息をしながら目の前の二人を睨む。

「おや、よろしいのですか?」

「生憎、敵に施しを受けるつもりはありませんよ」

 苦々しい顔でそう言ったユラに対して、ターコイズは腕を組みながら首を傾げる。

「敵だなんて……貴方が勝手に敵視してるだけでしょう」

「よくもまぁそんな口を……」

「ターコイズ、もう行こう。その男に構ってる時間はないだろ」

 話し足りないといった様子のターコイズは、ブラッドストーンの言葉に唇を尖らせた。しかし、彼女の言うことが正しいと考えたのか、大人しくユラに向かって深く腰を折った。

「ということなので、これで失礼します。ユラ」

「待て。私はまだ話は」

「お前にあろうと私達にはないのよ!」

 ブラッドストーンが小さな手のひらをユラ達に向けた。咄嗟に翡翠が間に割って入り、ユラの目元に張り付くと、辺り一帯に強い光が広がった。元々ユラ達がテントを張っていた場所まで届くような光に、ユラは目をかたく瞑りながら呻く。

 その光が収まり、ユラが再び目を開くころにはターコイズ達の姿は跡形もなく消えていた。ぼやけたままの視界でそれを確認したユラは、舌打ちを零しながら近くの木に拳を叩きつける。鈍い音がなり、木の葉のこすれる音と共にはらはらと数枚が落ちてきた。翡翠は珍しく荒れているユラを見て、かける言葉が見つからなかった。

「ユラ!」

「……」

 背後から、二組の足音が近寄ってくる。しかし、ユラは振り返らなかった。明らかに落ち込んでいるユラの背中を見て、トゥーラは翡翠と似たような顔をして立ち止まる。

気まずい沈黙の流れる場を壊したのは、トゥーラと共に走ってきた琥珀だった。

まるで幼い子供を叱るように、琥珀が拳骨をユラの頭に落とす。しかし、琥珀の方が身長が低いため“落とす”というよりは横なぎに殴ったの方が正しい。ゴンッと音をたてたそれにトゥーラは「痛そう……」と小さく呟いた。

 頭をおさえて悶絶するユラに対して、琥珀は黙って小さな石を差し出した。元々鈍っている視界と涙のせいでマトモに視界が機能していないユラは差し出された手のひらを見て首を傾げる。すると、琥珀は乱暴にユラの手にそれを握らせた。

「……ああ、水晶ですか」

 自分で頼んでおきながら、ようやく思い出したという顔をするユラに琥珀は無表情で再び拳を振り上げた。それを見た翡翠とトゥーラは慌てて琥珀の体や手にしがみつく。

「ストップ! コイツ満身創痍だから!」

「気持ちは分かるが、落ち着きなさい! 琥珀!」

「……」

 必死の形相で止める二人を見て、琥珀はゆっくり手をおろした。その様子を黙って見ていたユラは、自分の目元に手を当てながら溜息を吐く。

「情けなくて、怒ってる君達すら見たくありませんよ」

「……何があったんだよ」

「……」

 ユラは唇をかむと、地面に腰を下ろして俯いた。皆の視線から逃げるようなその行動に、トゥーラは心配そうに目の前にしゃがんだ。

「大丈夫か? 話したくないなら別に……」

「いえ。君にも関係あることです」

「俺にも……ってことは」

「はい。この森に……私達の探している男がいます」

「!」

 弾かれたように立ち上がったトゥーラのズボンをユラが掴んだ。そして黙って首を振る。

「やめなさい。私の二の舞がオチですし、もう場所を移動し始めているでしょう」

「でも……せっかくこんな近くに」

「ええ。久々にターコイズをあんな間近で見ました」

「ターコイズ?」

「トルコ石とも呼ばれています。あの男の連れている【玉響】ですよ。といっても、トゥーラの弟くんと同じで、元は恐らく人間だったんですけどね」

「ターコイズ……」

「それと一緒に、あの光の原因であるブラッドストーンまで出ているとなると、目を潰されるのがオチです」

「でも、翡翠が大丈夫なら琥珀や翡翠に追ってもらったら……」

 トゥーラの言葉にユラはズボンを握っていた手に力を込めた。真剣な顔で首を横に振るユラの隣で、翡翠は珍しく怒った様子をみせる。

「私達はあの男に近寄れませんし、そんな道具のように使われるのは心外です」

「ご、ごめんなさい……でも、近寄れないって?」

「あの男は【玉響】に造詣が深いですから……強制的に従わせる方法を持っているんですよ」

「……」

「勿論、強制的に従っている【玉響】だけではないでしょうが、私のようにお願いして協力してもらっているのとは違う。まったく、腹立たしいですよ」

「私はユラとの付き合いの方が好きですよ」

「……ありがとうございます」

 褒められても特に嬉しそうではないユラは、何度かも分からない溜息を吐いて手の中の石を握りしめた。

「起きてください、水晶。出番です」

 その声に応えるように白い光を放ちながら石が割れた。もう見慣れた光景のはずなのに、トゥーラは未だにその瞬間から目が離せない。その様子を見たユラは手でトゥーラの視線を遮った。

「あまり見ない方がいい。魔性の力に取り込まれてしまいますよ」

「僕のような清廉な存在を魔性とは、随分な言いようだね」

「おや、すみません。貴方のことを言ったわけではないのですよ、水晶」

 光を屈折させる透明な髪に灰色の目をした少年は、眉根を下げたユラを見て肩を竦めると彼の目に手を当てた。ヒヤリと冷たい感触に、ユラはようやく肩の力を抜く。

「随分派手にやられたね。君らしくもない」

「ははは、少し気持ちが先走りました。なにせ、新しい連れも出来たもので」

「……俺のせい?」

「冗談です」

「沈んでいるユラの言葉を聞くものじゃないよ。子供だからね」

「すみませんね」

 気の置けない友人のように話す二人の隣では、翡翠が大きく欠伸をした。それを見た琥珀が、黙って手のひらを差し出す。

 そんな光景を見ながら、トゥーラは再び壁の前に立たされているような感覚をおぼえて俯いた。

 俺は本当についてきて良かったのかな……。

 そう考えながらトゥーラが唇の端を噛んでいると、突然ユラから声がかかった。

「君は何も問題ないですか?」

「え? ああ、うん。元気」

「そうですか。それでしたら、琥珀と一緒にテントの設営をよろしくお願いします。薪は近くの木の根元に置いてありますから」

「……」

 そう言われて、初めてトゥーラは周囲に暗さが戻りつつあることに気付いた。それはすなわち、ブラッドストーンを連れた目的の男がこの場を離れていることを意味する。そのことにも複雑な心境を抱えつつ、トゥーラは「分かった」と返事をした。

 琥珀は無言でユラの袖を引いたが、ユラは「大丈夫だから」としか言わない。そんな二人を見てたまらずトゥーラは琥珀の腕を引いた。

「行こう、琥珀。ユラには水晶も翡翠もいるだろ?」

「……」

 強引にも思えるトゥーラの様子に、ユラの袖を掴んでいた琥珀の手が緩んだ。そのまま力任せに引きずられていく琥珀の背中を、水晶は興味深そうに見送る。

「良いの? 君の大切な友達だろう?」

「良いんですよ。私には子供の相手は荷が重いですから」

「ふうん」

 意味ありげな雰囲気を帯びた水晶の声に、ユラは目を閉じたまま眉を顰める。

「何ですか」

「いーや、別に。君は相変わらず子供だと思ってね」

「もうすぐ二十六なんですけど」

「変わらないさ」

 そこで水晶は懐かしむように目を細めた。

「悠久を生きる僕からしたら瞬きの間だ。まだあの子と変わらない年だった君が懐かしいよ」

「私からしたら随分前ですよ」

 そう言って、ユラも少し表情を緩めた。

 

 


【ブラッドストーン】(血石・血玉髄)

 イエスの血を浴びた聖遺物という伝説もあるブラッドストーン。その名の通り血にまつわる伝承が多い中、古代では「ヘリオトープ」とも呼ばれた。ヘリオトロープとはギリシア語で「太陽の方向」を意味している。この名前はギリシア神話の太陽神「ヘリオス」から来ており、同じ「ヘリオトロープ」という名を冠する植物にまつわる伝説となぞらえ、太陽の向きを変える魔力を持つともいわれた。

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