第3話 黒曜石

「はい。ちょっとこの街を離れる用事が出来まして」

「出稼ぎかい? 大変だねぇ……弟くんは大丈夫なの?」

「はい。おじさんが世話をかってでてくれて」

 織物を売っている店の女主人と話をしているトゥーラの後ろで、ユラは売り物の織物を見ていた。

「国際色豊かな街だとは思っていましたが、本当に様々な国のものがありますね……」

「アンタ、分かるのかい?」

「一応、東西南北様々なところを旅してきましたから」

「へぇ……じゃあ、その鑑識眼を見込んでひとつ頼みを聞いて貰えないかね」

「え?」

 女主人は、カウンターの陰にしゃがみこんだ。ユラが近寄っていくと、がさがさとカウンターの下をあさっていた女主人が胸に布を抱きながら立ち上がった。

「昔、バザーで気に入って入手したものなんだけどね。どこの国のものか分からなくて、札をつけられないのさ。店仕舞いの直前に勢いで買ったものだから、うっかり聞き損ねてね」

「なるほど……」

 ユラは顎に手を当てながら、差し出された布を眺めた。光の当たり具合で色を微妙に変える玉虫のような色合いにトゥーラが目を奪われていると、ユラは丁寧な手つきで布に触れていく。

「縦糸が二本……それにこの色合いを好むとなると、東のシュンレイのものだと考えられますが……私もその道の専門家ではないので、確かなことは言えませんね」

「なるほどね……まあ、大方の予想とは一致するから大丈夫だろう。ありがとうね」

「いえいえ」

「何か見ていくかい?」

「いえ、この子の付き添いですから」

 そう言ってトゥーラの肩に手を置いたユラを見て、女主人は目を丸くする。トゥーラは頬を掻きながら笑った。

「俺の雇い主なんだ」

「なるほどね……じゃあ、一応忠告しておこうか」

 女主人はカウンターの上から身を乗り出し、ユラを鋭い目で見た。

「トゥーラを五体満足で返さなかったら、ただじゃおかないよ」

「肝に銘じておきます」

 その返事を聞いた女主人は赤いルージュを引いた唇を歪めて笑い、黙って手をひらりと振った。そんな彼女にゆっくり礼をしたユラは、そのまま店を後にする。

 赤、緑、青……等々、色鮮やかなテントが並ぶバザーを彩る商人の熱気は、空から降り注ぐ太陽の光にも負けてはいない。その様子に目を細めながら手を目の上で翳したユラの隣に、トゥーラは走って並ぶ。

「あの、おばさん、ちょっと過保護なだけだから……」

「気にしませんよ。急に来た怪しげな旅商人が大切な従業員を取っていくとなったら、警戒するのは当然のことです」

「それは……確かに」

 トゥーラが納得したように何度か頷くので、ユラは軽くトゥーラの頭を小突いた。

「怪しげというところは否定する場面でしょう」

「ええ、だってユラは怪しいだろ」

「失礼なクソガキですね……」

 傷つきますよ、とまったく気にしない様子で話すユラの後ろで、琥珀が突然足を止めた。それを目敏く認めたユラは、振り返って「見つけましたか」と言う。

「なにを? 食い物? 腹減ってんの?」

 周りに出ている鶏料理のお店を見ながらトゥーラが言うと「君は目的を忘れたんですか?」とユラが呆れ気味に呟いた。

「君の挨拶回りも確かに目的ですが、もう一つあったでしょう?」

「【玉響】探しだろ? 覚えてるよ」

 心外だとばかりに唇をへの字にするトゥーラを尻目に、ユラは琥珀の視線の先を見つめる。そこは、バザーの切れ目。明らかに治安の悪そうな路地裏が黒々と口を開いていた。

「光の裏には影がある……ですか。嫌ですね」

「あんまり行くのはお勧めできないぞ。ドラッグとか平気で売られてるし、ここの警察だって一人では近寄らない」

「無粋ですね……そんなところに【玉響】があるってだけで犯罪の匂いがしますよ」

「なんで?」

「不思議な力は、金になるからですよ。行きましょうか、琥珀」

「……」

 ユラに促され、琥珀が先に路地裏に入った。表通りの華やかな様子とは裏腹に、何かが腐ったような匂いや、苔むした空気が肌に纏わりつく。ユラは手で口を覆い隠しながら眉をひそめた。

 面倒ごとの予感はしますが……まあ、少年に私のやってることを理解させるには丁度いいでしょう。

 そんなことを考えながら、ユラはずんずん歩いていく琥珀についていく。すると、少し開けたところで琥珀は足を止めた。その視線の先には、たむろしている三人の男たちがいた。

「なんだい、兄ちゃん達。観光客か?」

「ここは素人の来るところじゃねぇよ。帰った帰った」

 しっしっと犬でも追い払うように三人を邪険にする男たちに対して、琥珀は無言でその中のひとりを指さした。黒いシャツを着たその男は、思わずと言った様子で脇に置いてあったカバンに手を伸ばす。

「なるほど、あれですか」

「……」

「な、なんだよ。オマエ達」

「優しくしてるうちに帰れ!」

 急に殺気立ち始めた男たちを見て、トゥーラはユラの背中に隠れた。ユラはそんな彼の肩に手を置くと「落ち着きなさい。大丈夫だから」と小さな声で伝える。その穏やかな声を聞いて、トゥーラはおずおずとユラを見上げた。前を見たまま、いつも通りの微笑を浮かべるユラはなにひとつ焦っていない。その表情にトゥーラが釘付けになっていると、ユラは一歩前に出た。

「貴方達、不思議な石を持っているっでしょう」

「……」

「実は私達はその石のコレクターでして、よろしければその石を売っていただきたいのです」

「……断る」

「こっちも商売道具なんでな」

「なるほど。石を持っていることは否定しないと」

 ユラの言葉に、男たちの顔色が変わった。鋭い視線を向け、各々がナイフや銃を取り出す。それを見たトゥーラがユラの服を掴んでいた手に力を込めた。

「言っただろ。優しくしてるうちに帰れって」

「無粋ですね。商売は言葉で行うものですよ」

「売る気がねぇって言ってんだろうが!」

「売る気がない、あるの問題ではありません」

 ユラはスッと目を細めた。その妖しい光を纏ったユラの視線に絡めとられ、男たちは息を呑む。一歩、ユラが足を踏み出すとともに男たちは気圧されたように一歩下がった。

「その石は、人間如きが容易に触れていいものじゃないんだ」

「……お、オマエ……一体……」

「お、おい! あれ出せ!」

「え、でも……」

「いいから!」

 カバンを大事そうに抱えていた黒いシャツの男から、白いシャツの男がカバンを無理やり奪った。そして怯え切っているもう一人の仲間の肩を掴んで強引に下がらせると、ニヤリと笑った。

「そんなに会いたいなら、会わせてやるよ」

「……」

 勝ち誇った男の笑みを見てもユラの余裕そうな表情は一切崩れない。薄暗い路地裏には不似合いなほど毅然としたその態度が気に入らず、舌打ちをした男はカバンに手を突っ込んで叫んだ。

「来い! オブシディアン! この男を殺せ!」

 薄暗い路地に、光がほとばしった。しかしそれは、数日前に酒場の二階で見た眩いばかりのものではない。どこか重々しさすら感じる鈍い光にトゥーラが一歩後退ると、鞄の中から黒い影が飛び出した。

「なんだ、主よ。我は寝たばかりだったのだがな」

「仕事だ。この男を殺せ」

「……」

 翅から髪まで真っ黒の姿の中で、目だけが赤々と輝いている。オブシディアンと呼ばれた妖精にユラは微笑みかけた。

「やあ、黒曜。初めまして」

「なるほど、我が何かを理解している小僧か……」

「お、おい。なんだオマエ。知り合いなのか?」

「いえ。初めてですよ」

 そう言いながら、ユラは琥珀に向かって手を差し出した。琥珀は分かっていたとばかりにユラの手にひとつの【玉響】を握らせる。

「しかし、この子とは初めましてじゃないでしょう」

「それ……」

「起きてください。翡翠」

 ユラの声に応じるように、パキパキと石の表面にひびが入った。その隙間から、先ほどとは比べ物にならないほどの光が溢れでる。煌々と輝く緑色の閃光にトゥーラや男たちが目を閉じて呻く中、光を手の中に収めたユラと対峙するオブシディアンだけが真っ直ぐにひとつの【玉響】を見つめていた。

「……呼びましたか、主よ」

 緑の光の中から生まれ出てきた妖精――翡翠は長い髪を掻き上げながらユラの頭の周りを飛び回った。

「君のお友達が悪い人にたぶらかされているようでね。目を覚まさせてあげてくれ」

「お友達……ああ、黒曜ですか。こんにちは」

「久しいな、翡翠よ。相変わらず、目の潰れそうな姿じゃ」

「黒曜はこう、貫禄がありますね」

「素直に地味だと言うがいい」

 軽口を叩き合い、往年の友のような様子の二人を、男たちは毒気を抜かれたように呆然と眺めた。しかし、直ぐに白いシャツの男が我に返って叫び始める。

「おい、何をしているんだ。早く殺せ!」

「無粋じゃのう。今は旧交を温めているのだ。目に入らんか?」

「お前は殺すのが仕事だろう。そう聞いたから大枚をはたいてお前を買ったんだ」

「ハッ、我という存在をその程度にしか扱えん主とは、嘆かわしいものよな」

 旗色が悪くなってきたと分かったのか、男が慌てた様子でオブシディアンを捕まえにかかる。しかし、まっすぐ伸びた男の手元で何かが光ったと思った瞬間、男の手から鮮血がほとばしった。目を見開きながら、どくどくと血の流れる手を押さえて唸る白いシャツの男を見て、他の男二人が腰を抜かす。

 くるりと空中で一回転したオブシディアンは、微笑を浮かべながら翡翠の手を取った。

「悪いのう、主……いや、元主よ。我は別に人殺しの道具ではないんじゃ」

「な、なにを今更」

「そもそも、我らは金でやり取りをされるような存在ではない。人間風情が、粋がるでないわ」

 オブシディアンが手を振ると、再び男の周りで光が走った。それに合わせて、男の手足が切り裂かれる。白いシャツが真っ赤に染めあがるのを見た男は、悲鳴をあげながらその場から走り去った。その背中を見て笑うオブシディアンの頭を、翡翠は軽く叩く。

「あまり乱暴してはダメですよ、黒曜。だからあんな勘違い野郎に売られるのです」

「ふん。そもそも、我らを売っている男が問題じゃろう」

 翡翠と話しながら、オブシディアンはその場に残っていた二人に視線を向けた。肩を跳ね上げて後退った二人に鼻を鳴らし、最初に男たちがしたように手を振る。

「さっさと去ね。お前達などに興味はない」

「ひ、あ」

「聞こえなかったのか?」

 再びオブシディアンが手をあげるのを見て、ユラが彼女の前に手を出した。

「貴女は殺戮マシーンではない……でしょう?」

「……」

 ユラのことをじっと見つめた黒曜は、ゆっくりとその手をおろした。

「ほら、気が変わらないうちに」

 笑顔でそういうユラを見て、男たちは四つん這いの状態で走っていった。ユラの背後で琥珀に守られるようにすべてを見ていたトゥーラは、呼吸すら忘れた様子でそんな背中を見送った。 

 路地裏が静かになると、ユラは片膝をついた。

「改めて初めまして、黒曜石の【玉響】……私はユラと申します」

「ユラ……なるほどのう、お前が……」

 値踏みをするような目でユラを見下ろす黒曜を、翡翠はハラハラしながら眺めた。妙な緊張感が場を支配する中、黒曜が小さく息を吐く音がいやに大きく響いた。

「まあ良い。翡翠がついているのならば、我らに悪いようには働かないだろう」

「ありがとうございます」

「して、何故お前は我らを集めておるのじゃ」

「……」

 ユラの肩が僅かに揺れた。口を噤んだまま頭を下げるユラに、黒曜は怪訝な顔をする。

「どうした? 申してみよ」

「……【玉響】がヒトの手に渡るのを防ぐためです」

「お前の私利私欲、ということで相違ないか?」

「はい。そう言われても仕方ありません。あとは……一種の責任感です」

「責任?」

「はい」

 ユラは顔をあげて、胸に手をあてながらオブシディアンの顔をじっと見つめた。

「貴女を売った男を、私は追っています。その男を止められなかった責任です」

「……」

 普段とは違い芯の通った光を持ったユラの目を見て、トゥーラは息を呑んだ。軽薄さや掴みどころのなさばかり目立つユラとは思えない様子は、少年の心を釘付けにするには十分だった。

「……よかろう。その覚悟、しかと受け取った」

「ありがとうございます」

「ユラは私達の寝床の修復も出来ますから、パートナーとするには良い物件ですよ」

「ほう……」

「後押しありがとうございます。翡翠」

 そう言う陰で、琥珀が黙って黒曜の寝床の入ったカバンを回収した。そんな琥珀を見た黒曜は、驚いた様子で琥珀の頭に足をおろす。

「なんだ、コレは」

「……」

「琥珀です。貴女方を売り捌いている男の手によるものですよ……」

「……なるほどな」

 苦々しい顔をした黒曜は、ひとつ頷いてユラの目の前に滞空する。

「アレをどうするつもりだ」

「元に戻す方法を探しています。あの男が知ってると考え、ずっと追っています」

「ああなっている人間は多いのか?」

「私が確認しているだけで八名います」

「……実情はもっと多かろうな」

 目を閉じた黒曜は、瞳に怒りを滲ませながらユラを見た。それを受け止めるユラは、逆に凪いだ海のような包容力を持った目つきをしている。一見、一触即発に見えるその空気感にハラハラしながらトゥーラがそれを見ていたが、直ぐに黒曜は背を向けた。

「お前と行けば、あの不愉快なモノを作っている人間に会えるのだろう。ならば我のやることは変わらん」

「……」

「我は少し眠りたい。寝床の修復、頼んだぞ」

「はい」

 そう言い残すと、黒曜は翡翠と共に琥珀の肩に座った。すっかり二人の世界に入り込み、話し始めた二人を見てユラはようやく立ち上がった。「いたた……」と呟き腰を叩くユラを見て、トゥーラは立ち尽くす。

 心ここにあらずといったトゥーラみて、ユラは自分から少年に近寄っていった。そして、大きな手でトゥーラの頭をぽんぽんと叩く。

「怖かったですか?」

「あ、えっと……」

「言ったでしょう? 不思議な力は金になる。金になるものには、悪い人間が集まるものです。今回は穏便に済んだほうですよ」

「これで⁉」

「はい。この裏路地が血の海にならなくてよかったです」

「……」

 絶句するトゥーラを見つめるユラは、どこか冷めた顔をしている。そして、頭に置いていた手をゆっくり頬におろしていく。

「怖いですか? 私が……【玉響】が」

「……」

 トゥーラは僅かに視線を逸らした。緊張で気になっていなかった纏わりつくような黒々とした路地裏の気配が薄っすら開いた彼の口から入り、胸のあたりでとぐろを巻く。息苦しさに駆られながらも、トゥーラは絞り出すように声を出した。

「怖いよ。あんな凶器持ち出す奴ら見て、怖くないわけないだろ」

「……そうですか」

 ユラは自嘲気味に笑って手を離そうとした。しかし、すぐに「でも!」と重ねたトゥーラに動きを止める。

「ユラは悪いことに皆を使わないんだろ? だったら、ユラは怖くない!」

「……そうですか」

 力が抜けたように笑ったユラは、今度こそトゥーラから手を離した。そして一人で背を向けて路地裏から出ていく。その背中がどこか寂し気に見えて、トゥーラはユラの背中を追った。琥珀もトゥーラに並ぶように歩き始める。

 三人の影が、路地裏から出た瞬間交わった。ユラとトゥーラは揃って眉間に皺を寄せながら目を細める。琥珀は黙って二人の前に立った。

「……」

「ああ、ありがとう。琥珀」

「なあ、ユラ……ちょっと聞きたいんだけど」

「何ですか?」

「……もしかして、琥珀って」

「【玉響】ですよ」

 あっさり言われた事実にトゥーラは口を噤んで琥珀の背中を見た。シャツにズボンという季節感の薄い服装をした男の甘やかな色をした髪が、太陽の光を通してキラキラと光っている。

「……マーレもこうなるってことか?」

「そうですね。君が何もしなければ」

「……」

「十年も追いかけている私が言うのも何ですが、大丈夫ですよ」

「え?」

「あの男とここまで近寄れたのは初めてですから。君は何か持ってるのかもしれません」

「何それ。勘じゃん」

「ははは」

 ユラは珍しく声を出して笑った。バカにされたと感じたのか、ユラの腰をポカポカと叩くトゥーラをユラは軽くあしらった。兄弟か何かのようにじゃれ合う二人を、琥珀がじっと見ていたのに気付いたのは黒曜と翡翠だけだった。




【オブシディアン】(黒曜石)

 古代メキシコで重要な神であるケツァルコアトルは、鳥と蛇が合体した神であり、全身が緑色をした翡翠の神でもあった。ある時、その母親が翡翠の破片を飲み、ケツァルコアトルを生んだともいわれている。これに対し、ケツァルコアトルと共に世界の創造に立ち会ったといわれるテスカトリポカは「テスカ」という言葉が黒曜石を意味するほど黒曜石と関係が深く、その身体の一部が黒曜石で出来ていた。

 また、黒曜石は武器として使用されたことから、古代メキシコでは黒は戦争を意味する色であった。

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