第2話 電気石

「見つけたぞ! 石売り!」

「……はい?」



 ハントジュール。

貿易で栄えるその街にユラと琥珀は立ち寄っていた。貿易が盛んな地域というのは、えてして様々なものが行き交う。モノも、ヒトも、情報も……。国際色豊かな街では、和服のユラも自然と街の背景に溶け込んでいた。

「さて、情報屋の言う通りならこの街に【玉響】があるそうですが」

「……」

「こうも人がごった返していては、見つけようにも上手くいきませんね」

「……」

 人混みで聞こえることも元から期待してないのか、ユラは独りでぺらぺらと喋り続ける。琥珀は荷物を背負い、ただ静かにその後を付いてきていた。港町らしく多様なものが売っているバザーエリアもその調子で歩いていると、琥珀が突然足を止めた。

「おや、見つけましたか?」

 右から左から、立ち止まったユラ達に向かって客引きの声がかかるが、彼らはそれに見向きもせずに一軒の酒場に入っていた。

昼からアルコールを提供しているらしいその店は、船乗りたちでごった返している。苦みの強い匂いも気にしない様子で酒場の奥へと入っていったユラは、カウンターの端っこに腰を下ろす。琥珀は荷物をおろしたものの、椅子には座らずユラの背後に立ち尽くしている。

「何にする?」

 ここの店主らしい男が無遠慮にユラを眺めながらそう言った。ユラはそんな視線慣れていると言わんばかりにニッコリ笑って「ここの土地の名産があればそれを一杯」と答えた。

「後ろの客は?」

「ああ、彼は大丈夫です。酒は好まないので」

「ミルクくらいならあるが」

「いえ、お気遣いなく」

 一切何も応じない琥珀に怪訝な視線を向けながらも、店主はそれ以上深追いしてこなかった。

ヒトが集まるこの街では、過剰に他人に踏み込みすぎるのがご法度だ。自分の手に負えないことに巻き込まれたくなければ、好奇心は殺す方が賢い。長年この街で店を営んでいた男には、ある程度“踏み込んではいけない事情”に対する察知能力が培われていた。因みに、ユラ達の危険度が十段階の七程度だ。

「はいよ。地元のワイナリーご自慢の白ワイン」

「ありがとうございます。ところで、少しお尋ねしたいことがあるのですが……」

「あ!」

 ユラが情報収集をすべく店主に話しかけたところで、大きな声が背後から聞こえた。勿論、琥珀がそんな声を出すはずがなく、かつ人の多い酒場で知り合いのいないユラ達に向かって話しかける変人はそういない。ユラが無視して話を続けようとすると、ユラの着物の帯が後ろから引っ張られた。

「見つけたぞ! 石売り!」

「……はい?」

 思いがけない言葉と行動にユラは目を丸くしながら振り返った。そこにいたのは齢十八歳にも満たないほどの少年が立っている。未だ酒場に来るには早いように見えるその姿にユラは苦笑いしながらも、くるりと椅子を回して少年の方を見た。

「私は君と面識はないと思いますが……」

「知るもんか。茶髪の従者を連れた和服に白髪! 絶対に俺が探していたのはオマエだ!」

 酒場の喧騒に消えているものの、それなりに大きな声で怒鳴る少年の口の前にユラは人差し指を当てた。

「いくら場末の酒場といえど、ここは公共の場でしょう。もう少し声のトーンを落として。私は逃げたりしませんから」

「場末の酒場で悪かったな。お前さんが聞きたかったのは、そこのガキのことかい?」

「いえ、棚から牡丹餅というやつですよ」

「は?」

「私の国の言葉で『予想外の幸運』といった意味です」

 ユラはそう言いながら、少年に向かって隣の椅子を指し示した。

「どうぞ、お坊ちゃん。私をその名前で呼ぶからには君は客だ。ちゃんと話を聞きましょう」

「……」

 ユラの妖しげな気配に飲まれて、少年は閉口する。しかし、唾を飲み込みながら少年は腰を下ろした。その前に店主が黙ってミルクを置く。

「お前さんに出せるのはこれだけだな」

「もしかして、お知り合いなんですか?」

「ウチの二階に住んでるガキだ。名前はトゥーラ」

「なるほど……」

「そんなことはどうでもいい!」

 勢いよくミルクを飲み干した少年――トゥーラは、店主とユラの会話を遮るようにグラスをテーブルにたたきつけた。それに対して店主が拳骨をトゥーラの頭に叩き込む。

「いつからそんなに偉くなった。グラスを割る気か」

「……ごめんなさい」

 肩をすぼめて謝るトゥーラを見ながらユラはグラスを傾けた。値踏みするようなその視線を見て、琥珀も怠そうな瞳をカウンターの方に向ける。

「……」

「そうですね。彼からは何も感じません」

「アンタ、誰と話してるんだ?」

 怪訝な顔をするトゥーラに、ユラはにこりと笑って「いえ別に」と答えた。訝しげな様子はくずさないものの、トゥーラは優先順位を考えたのかそれ以上は追及しなかった。そして、ひとつ息を吐くと、ユラに向かって頭を下げる。

「弟を、助けてください」

「え?」

 最初の剣幕はどこへやら、急にしおらしくなったトゥーラに流石のユラも虚をつかれたように言葉を失くした。しかし目の前の少年は頭を下げたまま微動だにしない。それを見たユラは店主の方を見ながらトゥーラの丸い頭を指さす。しかし、店主は険しい顔で肩を竦めただけだった。

 困り果てたユラは、頭を挙げるようトゥーラに促す。

「申し訳ありませんが、私は一介の宝石商。助けてほしいと言われても……」

「でも、アンタなら救えるって言われたんだ」

「どなたに?」

「アンタと同じ、着物を着た黒髪の男に。青い髪の女の子を連れてた」

「……」

 予想していた様子で、ユラは「やっぱり……」と溜息を吐いた。前髪を掻き上げながら眉をひそめるユラに、トゥーラは彼の機嫌を損ねたのかと不安になって唇を引き結んだ。それを見たユラは困ったように笑い、手をひらひら振る。

「怒ってませんよ。怒るとしても、それは君の会ったという男に対してであって、君に対して怒る理由がありません」

「それなら……!」

「申し訳ありませんが、私も君の弟くんの様子を見ない限り確かなことは言えません。まず会わせてもらえませんか?」

「わ、分かった……少し待っててくれ。部屋が散らかってるから」

「お気遣いなく」

 トゥーラが慌てた様子で外に出ていくのを見送り、ユラはグラスの残りを飲み干した。ずっと黙っていた店主は、そんなユラを見ながら洗ったばかりのグラスを拭く。

「マーレ……アイツの弟のことを救えるのか? アンタ」

「というと?」

「生まれつきの病気だ。マトモに走れもしないし、直ぐに体調を崩して寝込む」

「でしょうね」

 自嘲気味にユラは笑うと、グラスと一緒にコインを数枚カウンターの奥に押し出した。

「あの男が目をつけるのは、そういう子供ばかりですから」

「?」

 一瞬口を開きかけた店主だったが、ユラの静かな瞳を見てすぐに唇を引き結んだ。自分の領分を弁えた店主の行動に、ユラはにこりと笑う。そしてカウンターに頬杖をつきながら代わりとばかりに喋り始めた。

「あの子の両親は?」

「父親は船乗りだったが、船が座礁して行方不明。母親は父親が死んで以来、心を病んで三年前にぽっくり死んだよ。それ以来二人だ」

「じゃあ、今は貴方があの子達の親代わりですか」

「店の二階を親がいたときのまま貸してるだけだ。トゥーラはこの店の手伝いや、他の場所でも荷運びや給仕の仕事をしながらちゃんと金も入れてる。正当な取引の上に成り立ってる関係さ」

「それでも、身寄りのない子供二人よりよっぽど好条件で住みたがる人間は沢山いるでしょう。この街は良くも悪くも人が多く住んでいますし、この店は港やバザーに近いですから。好立地です」

「そりゃどうも。場末とか言ってたわりに分かってるじゃないか」

 暗に優しい人間だと言われたのがむず痒かったのか、店主は唇を歪めてユラの使っていたグラスとお代を取り上げた。話は終わりだと言わんばかりの行動にユラがクスクス笑っていると、背後から「石売り!」と声がかかった。

「では、御馳走様でした」

「おい」

「はい?」

 ユラが立ち上がったところで、店主はたまらず声を出した。その視線は一瞬トゥーラの方を向き、苦々しそうに舌打ちが漏れる。

「アイツがどうするかを決めるのはアイツだ」

「……」

 要領を得ない店主の言葉にも、ユラはいつも通り微笑んだ。

「勿論ですよ」

「……分かってるなら、いい」

 余計なことを言ったと実感したのか、店主は頭を掻きながら手をひらりと振った。そんな彼にユラは小さく頭を下げると、トゥーラの方に歩いていく。琥珀はその後から荷物を持ってついてきた。

「階段は裏だから。ちょっと裏道散らかってるけど……」

「いえいえ、気にしませんよ」

 ユラの着ている着物を気にしている様子のトゥーラを見て、ユラは袖を振って見せた。

「旅人が着ているものですから、汚れて上等くらいのものです」

「なら、いいけど」

 トゥーラの後にユラと琥珀がついていくと、裏道は空いた瓶や木箱などが無造作に置かれていた。「あの人、週一でしか片付けしないからさ」と愚痴っぽく言うトゥーラに相槌を打ちながらも、ユラの視線は二階にしか向いていなかった。

 階段を上り、現れた扉の前でトゥーラが一度立ち止まる。

「あの、本当に弟を助けてくれる?」

「……先ほども言いましたが、それは見てみないことには何とも。しかし、力になれるのは確かでしょう」

 ユラが珍しく真剣な顔でそう言うと、トゥーラは息を呑んで扉を開いた。安っぽい木製の扉が軋む音と共に開き、中から虹色の光が漏れてくる。ユラはその光に眩しそうに目を細めた。


 ◇


 部屋の造りは、いたってシンプルなものだった。玄関から直ぐリビングがあり、その奥に扉が三つほど並んでいる。そこから個別の部屋やトイレ、お風呂などに繋がっているのは想像に難くない。

 しかし、明らかに異様なものがリビングに置かれていた。一見綺麗なオブジェに見えなくもないが、それの中心に位置している少年の胸が呼吸に揺れているため、それが生き物であることは明白だ。

「……あの少年が君の弟のマーレくんですか」

「そう」

 ユラはゆっくりとリビングの中心に歩いて行った。

 部屋の半分を覆いつくさんばかりの黒い石は、リビングに元々置かれていたであろうテーブルやキッチンを一部のみこんで鎮座している。その石の一部が割れ、中からは虹色の石がごつごつとしたシルエットを覗かせている。先ほど扉を開けた際に溢れた光は、西日がこれに当たったものだろう。

 舐める様にその石の様子を見たユラは、ゆっくり割れ目の中に手を入れていった。虹色の石の中で静かに眠る少年の頬を撫で、身体をなぞっていく。黒い繭の内側にびっしり生えた虹に侵食されたように髪や背中、腕にこびりつき、まるで鱗のようになった石を触れると、ユラは一度手を引っ込めた。

「……」

「ど、どう?」

「これはいつから?」

 もう一度石の中の少年――マーレに触れながら。ユラは尋ねた。トゥーラと同じ黒髪を優しく梳くも、先の方が石に取り込まれているので途中で止まってしまう。僅かに髪を引っ張ってしまったのにも関わらず、マーレはピクリとも動かなかった。

「お、一昨日から」

「君はこうなった瞬間を見ていた?」

「うんうん。ここから五分くらいのお土産屋さんで朝から働いてて、夕方帰ってきたら……」

「では、男と会ったのは?」

「下の酒場で」

 トゥーラは着ていたシャツの胸元を握りしめながら話し始めた。いわく、慌てて店主に相談しようとしたトゥーラに、酒場の入り口で声をかけてきたということ。マーレは石に選ばれてああなったということ。治せる可能性がある男が、もうすぐこの街にやってくるということ。その男は石に魅入られた人間を感知できるため、待っていれば会えるということ。

時おり震える声を背中で聞きながら、ユラは静かにマーレの観察を続ける。琥珀はトゥーラの後ろで小さく欠伸を漏らした。

「それで毎日、言われた通りの男を探していたわけですか」

 ようやく石から手を離して、ユラは非難するような視線をトゥーラに向けた。

「何故、そんなに詳しく知っている男を疑わなかったんですか?」

「お、俺だって変だとは思ったよ! でも言いたいことだけ言ってすぐに消えちゃって……」

「……」

「……分かってますよ、琥珀。私がずっと追っている男がこの少年に捕まったら、それはそれで不愉快です」

 ユラは額をコツコツと人差し指で叩きながら目を伏せた。トゥーラは体を小さくしたまま、そんなユラと自分の弟を交互に見ていた。

「……君は、弟くんを助けたいですか?」

「当たり前だろ! 確かに弟は寝たきりのことが多かったけど、でもこんな喋れもしない状態になっていいわけない!」

「そうですか」

 ユラはしっかり光を宿したトゥーラの瞳を見て、穏やかに笑った。そして石の繭に手を添えながら口を開く。

「この世には【玉響】という特別な宝石があります」

「たま、ゆら?」

「そう。正しくは宝石が形成される過程でその美しさに魅入られ、宝石の中に留まった妖精達……それを【玉響】と呼びます」

「妖精? そんなものがいるのか?」

「いますよ。見てみますか?」

 ユラはそう言って、琥珀を手招いた。琥珀は大きなカバンから灰色の石を取り出すと、ユラに手渡す。怯えていた先ほどまでと違い、興味津々な様子を見せるトゥーラの前にユラは石を差し出した。

「これが妖精の寝床です」

「ただの石みたいだけど……」

「これは、君の弟を覆っている黒い卵型の石と同じですよ」

「!」

 ユラの言葉にトゥーラは視線を弟に戻した。弟を隠し、覆う石とユラの手に収まる小石がピンとこないのか、難しい顔でユラを見上げる。その教えを乞うような視線にユラは懐かし気に目を細めた。

「……妖精は自分の寝床と決めた宝石の中で眠りにつきます。そして、その中で宝石に少しずつ侵食されていく……君の弟くんも、髪や体についている宝石の面積が広がっているでしょう」

「……うん」

 おずおずと頷いたトゥーラを見ながら、ユラは手の中の石に語りかけた。

「出てきてください。紫水」

「……」

「紫水、寝たばかりなのは分かりますが」

「……ああ、もう!」

 突然、大きな声と共に石が真っ二つに割れた。中から藤色の小さな影が勢いよく飛び出してくるのを見て、トゥーラは尻もちをつく。そして「な、あ」と言葉になっていない声を出しながら、ユラの頭を叩く紫水を指さした。

「何だよそれ!」

「いてて、だから、妖精ですよ」

 紫水を両手で挟むように捕まえたユラは、トゥーラの目の前でそれを開いた。ユラの手の平に座った小さな女の子はぎろりとユラを睨む。

「あのね! 他の奴でも呼び出せばいいじゃない!」

「琥珀が寄こしてきたのが紫水だったんですよ」

「琥珀!」

「……」

「一番最後に出し入れされたものが一番手前にあるなんて当たり前でしょうが!」

「まぁまぁ……」

「飼い主がしっかり管理しなさいよ。このボンクラ!」

「あの……」

「何よ⁉」

 紫水がところかまわず噛みつくので、すっかり怯え切っているトゥーラを見てユラは指先で紫水を小突いた。

「落ち着きなさい」

「むぅ……」

「失礼しました。これが【玉響】ですよ」

「マーレもこうなるってことですか?」

「ええ。放っておけば似たような状態になります」

「じゃあ、治す方法があるってことですか⁉」

 希望に満ちた目で見上げてくるトゥーラに、ユラは黙って首を横に振った。

「私には治し方はおろか、ヒトを【玉響】にする方法すら分かっていません」

「そんな……だって力になれるって……」

「話は最後まで聞きなさい。いいですか、本来妖精という神秘が変異する【玉響】にヒトがなるなんてあり得ないことです」

「……それって」

「弟くんの【玉響】化は、人為的に引き起こされたものです」

 ユラの言葉に絶句したトゥーラは、その場に座り込んだ。「弟の異変はひとの手によるもの」「トゥーラを待ち構えていたこと」「詳しく弟の状態について知るユラを知っている」ここまで誘導されれば、少年にもいったい誰が弟をこうしたのかが理解できたからだ。

「じゃあ、僕があそこでアイツを捕まえていれば……」

「だから、私が十年近く探している男を、君如きがあっさり捕まえられたら苦労してませんって」

「でも……」

「今君がすべきことは、変えられない過去を嘆くことじゃないでしょう」

 ユラの言葉に、トゥーラは俯いていた顔をあげた。窓から差す西日に照らされたユラの目は、試すように彼を見下ろしている。その目を見ながら、トゥーラは震える唇を動かした。

「あの男なら、マーレを助けられるのか?」

「……正直なところ、分かりません」

 トゥーラから一切視線を逸らさず、ユラは言葉を続けた。

「しかし、あの男がヒトを【玉響】にしている人間なのは紛れもない事実。ならば戻す方法を知っていそうだと考えるのは不自然ではないでしょう。だから私は……」

「じゃあ、俺も連れて行ってくれ!」

「……え?」

 予想外の言葉にユラがたじろいだ。しかしトゥーラは構うことなく一歩前に出る。

「アンタを待ってる時間すら惜しいんだ。俺はマーレに妖精になんてなって欲しくない!」

「いや、妖精になるというわけではないんですが……」

 ユラは困ったように髪を掻き上げた。珍しい持ち主の様子に、紫水はユラの周りを飛び回った。

「なによ、連れて行ってやればいいじゃない」

「いや、だってこの子の弟はどうするんですか」

「こうなってしまっては、あと半年は確実に動かないでしょ。だったらその間、ただ石に侵されていく弟を見続けているよりは、ユラの手足として使った方がいいと思うけど」

「頼むよ! アイツの顔なら覚えてる。弟と違って体は丈夫だから、足手まといにもならないって約束するから」

「……」

 トゥーラを突き動かしているのは負い目だ。自分が弟をこんなことにした犯人をみすみす逃がしてしまったという。それが分かっているから、ユラは強くトゥーラを否定できなかった。その感情には、彼も覚えがあった。

「……良いんですか。弟くんのそばにいられませんよ」

「俺に出来ることは何もないんだろう。だったら、いる必要がない」

「私に任せておくのが一般的な正解なんですけどね……」

 実際、そういう人間ばかりでしたし……と言いながらユラは溜息を吐いた。すっかり外が暗くなっているせいで、ユラの表情はトゥーラからは伺えなかった。紫水も琥珀も、じっと黙って自分の主の言葉を待った。

 暫くして、ユラはトゥーラの肩に手を置いた。

「三日後にこの街を出ます。お仕事先に挨拶するなり、下の店主に弟を頼むなり、準備をしなさい」

「ありがとう!」

 パッと表情を明るくしたトゥーラは深々と頭を下げた。そして、自分の弟に近づいて石の中に手を伸ばす。その憂いと決意を帯びた表情を見て、琥珀は後ろからトゥーラの頭を撫でた。ずっと黙って棒立ちをしていた琥珀の行動に、トゥーラは目を丸くする。ユラと紫水は面白いものを見たと言わんばかりの表情でそれを眺めた。

「琥珀が自分から関わりに行くなんてねぇ」

「電気石……トルマリンね……段々と腕をあげていくわね、あの男」

「ハッ、他人様に迷惑をかける腕をあげてどうするんだか」

 吐き捨てる様に言ったユラを見て。紫水は目を細めた。

「コレクションしたかと思えば売り捌きもするユラだって、似たようなものでしょ」

「私はちゃんと売る相手は選んでいますよ。契約は相互了承の上で行うのが鉄則ですからね」

「よく言うわ。面倒な客だと思えば私やルビーをけしかけて殺す癖に」

「【玉響】は本来、あまり世の人の目に触れていいものではありませんから」

 白々しくそう言った【玉響】専門の宝石商に、紫水は「うえッ」と舌を出した。

「ああ、少年にもそれを早く実感してもらった方がいいですかね」

「俺がどうかした?」

 呼ばれたと思ったのか、近寄ってくるトゥーラを見てユラは意味深に微笑んだ。

「私と一緒に来るなら、私の仕事を手伝ってもらうことになります」

「それは、もちろんいいけど……俺、宝石とかわかんないよ?」

「構いませんよ。琥珀と一緒に荷物持ちや人探しをしてほしいだけですから」

「それくらいなら……」

「では早速明日から」

「明日⁉」

 急なことにトゥーラが驚いていると、ユラは琥珀に声をかけた。

「まだ、この街に【玉響】がありますね?」

「……」

「あるそうです」

「いや、今頷きもしてなかったぞ⁉」

「私達は心で繋がってますから」

 にっこり笑って自分の胸を叩くユラを胡散臭いものを見る目でトゥーラは見る。しかし、ユラはその程度のことを気にする男ではなかった。了承も得ないまま、明日からの予定を話し始める。

「君は顔が広いようですから、君についていきながら探します」

「どうやって?」

「琥珀は優秀な【玉響】探知機能を持っていますから、近付けばわかります」

「見つけてどうするの?」

「回収ですね。もし持ち主がいれば、その人と話をして買い取ったり放置したり……対応は持ち主次第です」

 ユラの言葉を頷きながら聞いていたトゥーラは「思ったより普通っぽいな……」と呟いた。それを聞いたユラは「私は普通の人間ですからね」と言いながら苦笑した。

「まあいいや。じゃあ、よろしくな……えっと……」

「ああ、まだ名乗っていませんでしたか」

 ユラは恭しくお辞儀をしてみせた。長い彼の髪が動きに合わせてパサリと揺れる。

「ユラと申します。どうぞ宜しく、トゥーラくん」

「トゥーラでいいよ。ユラ……さん?」

「私もユラで構いませんよ」

「じゃあ、ユラ!」

 太陽のような笑みを浮かべる少年を眩しそうに見たユラは、小さく笑った。

「じゃあ、とりあえず電気をつけましょうか」

「あ、いけね」




【トルマリン】(電気石)

 トルマリンは無色、赤、緑、黄色、ピンクなど実に様々な色のものがあり「虹の宝石」とも呼ばれている。エジプトの言い伝えによると、遥か昔に地球の中心から太陽まで虹に乗って旅をしたとも言われている。

 日本語で電気石とも言われるこの石は、温めると電気を帯び、灰やほこりなどを引き付ける性質を持つ。そして逆に冷やすと一度引き付けたものを弾き飛ばす。船乗りたちは実際にトルマリンを用いてパイプの灰取りを行っていた。

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