【玉響】ーたまゆらー

卯月

第1話 紫水晶

 ランプの中の火だけがゆらゆら揺れるテント。昼だというのに暗い森のせいで、テントの中では既に夜なのではないかと錯覚する様相だった。

 そんな薄らお互いの顔が確認できる中、和服の男と燕尾服の男がテーブルを挟んで向かい合っている。

「それで、貴方は【玉響】を売って欲しいと」

「そうだ」

 和服の男――ユラは脇息に肘をつきながら顎を撫で、しっかりした身なりの男を一瞥した。ここら一帯を治める貴族の使いだと名乗った男は、確かに地主の家の家紋をその服の襟につけている。

「私は【玉響】の主人となる本人にしか売らない主義なのですが……」

「何を言うか。貴様がこの領地に無断滞在した罪を商売で解決しようというご主人の好意を無にするつもりか?」

「まぁ、たしかにそこは私が悪いのですが。これはポリシーというものですよ」

 ニコリと人当たりの良い笑みを浮かべながらユラは自分の胸に手を当てた。

「【玉響】は皆、私の子供も同然です。出来るなら愛される環境に置いてあげたいという親心です」

「……この土地の主人は愛情を持って領地を治めていらっしゃる。それとも圧政を敷いているという話を聞いたか?」

「いえ。しかし、政治の上手さとご本人の人間性は時として一致しませんので」

「……」

 男の体が僅かに動いた。横に置いていた剣に身体が触れ、小さく金属音がする。それを見た途端ユラは小さく両手を上げて取り繕うように口を開いた。

「分かりましたよ。ただし、【玉響】はお選びいただけません。それでどうでしょう?」

「何か価値が異なるのか?」

「いえ、せめて私がここの土地の気質等に合う子を選ぼうと思いまして。本当はご本人の気質等を見るのがいいのですが、仕方ありません」

「……分かった。いいだろう」

「では、二つ質問させていただきます。これは【玉響】をお売りする方全員にさせていただいております。拒否されるなら売るわけには参りません」

「俺で構わないのか?」

「はい。もしご存知なければ、そのようにお答えいただいて構いません」

 ユラは脇息から体を起こすと、正座した状態で体を少し前に倒した。距離の近くなった分だけ体を逸らせる男にも気を悪くした様子はなく、ユラは相変わらず笑みを絶やす事はない。

「では一つ目。【玉響】及び私のことをどこでお聞きになりましたか?」

「たしか……一ヶ月ほど前に城を訪れた商人が話していた。【玉響】という珍しい鉱石を売っている男がもうすぐこの領地を訪れる。その男は人目を避けるから、森や山といった場所を見張っているといいと」

「ほう……」

 膝の上で組んだ手の中で、人差し指だけトントンと手の甲を叩く。その手元を見た使いの男は落ちつかない気持ちになり、襟首に指を差し入れて首を回した。

「続いて二つ目。【玉響】についてどこまでご存知でしょう」

「……妖精が封じ込められた宝石……としか」

 そこでユラが少し目を細めた。それだけで男は額から大量の汗を流し、胡座をかいた膝の上で手を強く握る。

「間違っていませんが、我が子を預けるには不安ですね。では、簡単にご説明しましょう」

 そう言いながらユラは脇に置かれていた複数の引き出しがついた箱から小さな石を取り出した。一見、河原に行けばいくらでも拾えそうな灰色の石を前にして、ようやく使いの男は前のめりになる。

「それが? ただの石ではないか」

「これは【玉響】の寝床です。そもそも【玉響】というのは、宝石が形成される過程でその美しさに魅入られ、宝石の中に留まった妖精達のことを差します。そうですね……イメージとしては、虫が樹脂に絡め取られて琥珀の中に入ってしまうことがあるでしょう? あんな感じです」

「妖精は虫と同じか?」

「例えばの話です。原理上の問題。妖精は自ら身を預けるのですから全く別ですよ」

 ユラは片手で石を弄びながら、怪訝な顔をする男へそう言った。ランプに照らされて、石の影がテントの壁で踊る。

「妖精は自分の寝床と決めた宝石の中で眠りにつきます。その中で宝石に少しずつ侵食され、目や翅の色が少しずつ宝石と同じように染まっていくのです」

 ユラの細い指が小石を挟んでテーブルに置いた。コトリと小さな音を聞いた途端、使いの男はピクリと腕を動かす。しかし手を伸ばすことはしなかった。

 目を石に釘付けにしている男を見てユラはクスリと笑った。

「こちらの石は紫水晶……こちらの国ではアメシストと呼ばれているものです」

「ほう……見たところただの石だが、どうしてわかる」

「【玉響】を扱う者として当然の技能です」

 それ以上の説明を拒む物言いに使いの男も口をつぐんだ。ユラはテーブルの上の石を軽く人差し指で叩く。

「ご主人様にはこうお伝えください。『一際美しいのは妖精を石から出す瞬間です。どうぞお楽しみください』と」

「出す? どうやるのだ?」

「簡単ですよ」

 そう言いながらユラは拳を机に叩きつけた。突然響いた大きく鈍い音に、男の体が大きく跳ねて背筋が伸びる。目を白黒させる男の前でユラは悪戯が成功した子供のように無邪気に笑ってみせた。

「ノミのように鋭い道具と金槌で根気よくヒビを入れていきます。少しでもヒビが入ったら、後は自分から出てきます」

「妖精が自分で割って出てくるのか?」

「はい。言ったでしょう? 妖精にとってここは寝床です。起きればベッドから自分で出るのは道理です。綺麗に真っ二つになるので壮観ですよ」

「……分かった。主人にはそのように伝えよう」

「はい。素人の方がご自分でされると怪我をされるかもしれないので、石工職人などに頼むとよろしいかと」

「心得た……妖精は何を食べる?」

「基本的に自分の住処である宝石で寝るだけで大丈夫ですが、求めれば果実を与えてください。水は必要ですので」

 神妙な顔で頷いた男を見てユラは石を男の方へ押し出す。それに向かって男が右手を伸ばし掴み取ろうとした瞬間、ユラは「あ、そうだ。もうひとつ」と呟いた。それを聞いた男の手が所在なく宙で止まる。

「何だ」

「報酬です。まだお話ししていませんでしたね」

「そうだったな。確か20万」

「いえ、それは場合によります」

「なんだと!?」

 狼狽した様子の男を前にして喉奥で笑ったユラは【玉響】の上に指を置いたまま、逆の手で男の横に置かれていた剣を指さした。

「その剣と交換にしましょう」

「そんな話は」

「私の取引は常に、私が欲しいその人の手持ちですので。ある時はお金、ある時はアクセサリー、ある時は本など……」

「……分かった」

 男は剣を片手で持ち上げ、無造作に突き出した。それを恭しく両手で受け取ったユラは剣を自分の横に置き直してから【玉響】を指し示した。

「取引は成立です。どうか大切にしてやってください」

「……」

 男は恐る恐る石を手に取ると、ポケットから取り出した巾着袋にそれを入れた。そしてポケットの中に戻すと直ぐに立ち上がる。

 まるで逃げるように素早い動きで背を向けた男を、ユラは小さく手を振って見送った。

「さて……」

 男の姿が消えると、ユラは笑みを引っ込めて再び引き出しの一つを開く。

「琥珀、そろそろ此処を立とうか」


 ◇


「はぁはぁ、上手くいったな」

 貴族の使いと名乗っていた男は、テントから大きく離れた森の出口で振り返った。気味が悪いほど笑っていた【玉響】売りの男が後を追ってきていないことを確認し、今度は男が笑みを浮かべる番だった。

「助かった。あの安物の剣で買えるとは思わなかった。馬鹿な男だな……」

 汗を拭った男は森を出て、街とは逆方向の道を歩き始める。赤く染まっている西の空を見上げながら、上機嫌な様子で巾着を宙に放っては受け止めるを繰り返した。

 1時間ほど歩くと、道の脇にテントが立ててあるのが見えてくる。男は迷いなくその入り口を潜って中に入った。

「おかえり、ノーイン。どうだった!?」

「ああ、首尾良くゲットできたぞ」

「おお!」

 テントの中には小柄な男が座っており、入ってきた男の言葉に手を叩いて喜んだ。

「それが傑作なんだよ。商人の野郎、金じゃなくあの見栄えだけのゴテゴテした模造品の刀を欲しがりやがってよ」

「本当かそれ」

 下卑た笑い声を上げながら、小柄な男はノーインと呼ばれた男に詰め寄った。それを片手で制しながらノーインはポケットから巾着を取り出す。そして手の中に灰色の石を落とした。

「なんだ、ただの石じゃねぇか?」

 あからさまに眉を顰める小柄な男にノーインはムキになって大声を出す。

「割ってみりゃ分かるんだよ!」

「じゃあ早速」

「いや、待てサイモン。これ割る瞬間が1番綺麗らしいんだよ」

「はぁ!?」

 ますます胡散臭いものを見る顔になっていく小柄な男に対して、ノーインは石を巾着に仕舞った。

「明日、領主サマにこれを献上して目の前で割っていただろうじゃないか。そしたら分かるだろ?」

「分かった。じゃあお前が一人で行けよ。偽物だったら殺されかねんからな」

「な……くそ、分かったよれ

 道中の上機嫌はすっかり消え、苦虫を噛み潰したような顔で頷いたノーインに対してサイモンは鼻を鳴らす。そして「食料を買ってくる」と言い残して相棒が去ると、ノーインは腹立たしそうに勢いよく腰を下ろした。

「フン、怖気付いて取引にも来なかった男が! あんな奴と組むんじゃなかった!」

 荷物の入った鞄を枕にして寝転んだノーインは、落ち着かない様子で寝返りをうって目を閉じた。


 ◇


 ノーインが目を覚ますとランプの火は消えており、テントの中は真っ暗になっていた。緩慢な動きで体を起こし、頭を掻きながらテントの中を見渡す。

 自分が寝る前と何一つ変わらない様子を見てノーインは首を捻った。蝋燭の減り方や外の様子からして随分眠っていたはずなのに、相棒の姿が見えないのは不自然だ。相棒の荷物は丸々残されているため、殊更不思議である。

「街で厄介ごとに巻き込まれたりしてねぇだろうな……」

 大きな欠伸をしながら、おもむろにポケットの中に手を入れる。そこでノーインの顔色が変わった。そこに確かに入れたはずの【玉響】の巾着袋がなくなっていたからだ。

 慌ててあらゆるポケットを探ったり、寝ていたあたりの荷物をどかしてみるが、巾着袋は影も形も見つからない。

「アイツ……!」

 浮かんでくる相棒の顔に怒りをおぼえ、ノーインはテントの布を殴った。しかしポフっと柔らかな音を立てるそれでは、彼の怒りが増長するばかりだった。

 自分では何もしなかったくせに、と腹に溜まっていた文句を叫ぶ。貴族の屋敷で小間使いとして働いていたノーインの計画に乗り、来るはずだという宝石商人の監視を手伝った程度しかサイモンは協力していない。それが腹立たしくて仕方なかった。

 ひとしきり叫ぶと、無力感に包まれてノーインはその場に座り込んだ。荒い呼吸を繰り返しながら顔を覆う。そのまま数分経つと、流石に頭が冷えた。

「……クソ野郎」

 最後にそう言い、ノーインは立ち上がった。彼には明日も屋敷で仕事がある。直々に使いを出来るほど主人に近くはないが、それでも仕事は仕事だ。いつまでもこんな街外れで文句を言っているわけにはいかない。

 苦々しい気持ちに一度を蓋をしてテントを出た途端、足元にある柔らかいものを踏んだ。予想外のことで転びそうになりながらも体勢を立て直すと、ノーインは足元のそれを見て驚いた。

 服だった。それも、見覚えがある。不貞寝する前に相棒が着ていたはずのものだ。

「アイツ、水浴びにでもいってるのか?」

 それにしては服を置いている場所がおかしい。ノーインは怪訝な顔で辺りを警戒しながら服を拾い上げた。

 亜麻で出来た質素な服を持ち上げるも、血や泥に汚れている様子はなく、本当に脱いで放置しただけのようだ。盗まれた【玉響】が無いかとズボンに手を伸ばすと、そこで地面に何か落ちているのが目についた。

 月明かりの下、その光を反射している石のカケラをみてノーインの背中に嫌な汗が伝った。恐る恐る手をカケラの方に伸ばす。

 手の中で、灰色の石に付着した綺麗な紫が光を放った。

「おやおや、勿体無いですね」

 突然背後から聞こえた声に飛び上がると、ノーインはそのまま尻餅をつく。相棒の衣服が絡みつく体を必死に動かして後ろを向くと、和服姿の男がニコリと笑って立っていた。

「お昼ぶりですね、御使いさん。ここは貴族様のお屋敷からかなり離れていますが、お散歩ですか」

「な、おま」

「おやおや、服を地面に落として……汚してしまいますよ?」

「お前がやったのか!?」

「何を? 私はここでの商いが終わったので街を立つところですよ。ほら、あそこで弟子が荷物を持っているでしょう」

 ユラが指差す先では、顔を隠すように布を巻いた少年が大きな鞄を背負って立っていた。それを幽霊でも見るような目で見たノーインは、手の中のカケラを握りしめる。

 静かな森の中で、ノーインの荒い息だけが二人の鼓膜を揺らす。それを上書きするのを嫌うように、ユラは静かな足取りでノーインに近寄った。

「それにしても、随分下手な石工職人がいたものですね。金槌で砕いたように粉々だ」

 ユラはノーインのそばに落ちていた石のカケラを拾うと、月明かりに翳して輝きを楽しむ。その白い肌に細かな虹が落ちるのを見たノーインは、不気味な男から離れるように後ずさった。すると、手にカケラとは違った硬い感触が触れる。

 ノーインが恐る恐る手元を見ると、白と灰色のマーブル模様をした立方体の石が落ちていた。ちょうどノーインの手のひらに収まりそうなそれに視線が奪われる。

 カケラのように輝くわけでもないのに、目が離せなくなった。

「……」

「おや、それは……」

 そのキューブを見たユラは、珍しく真面目な顔で顎に手を当てた。今までと違うユラの様子に、ノーインは息をすることも忘れて彼の顔に釘付けになる。

「石工職人さん、残念でしたね。やはり怒りを買いましたか」

「え?」

 思わぬ言葉にノーインが間抜けな声を出すと、ユラは真剣な顔のまま言葉を続けた。

「言ったでしょう。石は妖精たちにとって寝床。それを粉々にされれば怒ります」

「怒ったら、こうなるのか?」

 立方体の石の冷たさを指先に感じながらノーインが尋ねると、ユラは肩をすくめた。

「妖精によります。これは紫水晶の妖精だからこうなったに過ぎません」

「も、元には」

「戻りません」

「そんな……」

 絶望に満ちた顔をするノーインに対して、ユラはようやく笑みをその顔に戻した。

「大丈夫ですよ。妖精が嫌うのは自分の安寧を奪う者……貴方は主人の言うことを聞いて【玉響】を買い、そして恐らく主人の言う通りにその不可思議な石や衣服を秘密裏に処分しにきたのでしょう?」

「それは……その、そうだが」

「では大丈夫です。貴方は悪くありません」

 そうか。俺は悪くないのか。

 ノーインはホッとした顔でそう独りごちた。石を強引に割ったのはサイモンだ。ノーインは寝ていたから止めることも出来ない。

 客観的な事実を確かめながら大きく息を吐いた。冷たくなっていた指先に血が通っていくのを感じながら、ユラを見上げる。

「すまないな。見苦しいところを見せた」

 せめてこの男の前では貴族の使いの顔をしなければいけない。ノーインは精一杯虚勢を張りながら静かな声を出した。

 それに対してユラは「夜に突然声をかけたこちらも悪いですから」と手をヒラヒラと振る。そして挨拶をひとつ残すと、ノーインに背を向けた。

 和服の裾がはためくのを見ながら安堵の息を漏らすと、ノーインも立ち上がろうと手足に力を込める。

「あ、言い忘れました」

「え?」

 ユラが急に立ち止まった瞬間、トンッとノーインの背中を何かが叩いた。

「紫水晶の妖精は誠実な方を好みます。嘘をつくと同じ目に遭いますからご注意を」

 首だけ振り向きながら、ユラはそう言った。その冷ややかな視線の先にあるキューブが、すでに人の言葉を理解できないことを知りながら。

「最悪よ」

 手の平サイズの少女は、同じくらいの大きさであるノーインだったものの上に足を下ろした。そしてその滑らかな表面の上を歩く。その動線に沿って石にヒビが入っていった。

「寝床を壊された」

「悪かったね。一番穏便にこういうことに対処できるのは紫水だと思ったから」

「早く直してよ、ユラ。あと林檎」

「仰せのままに」

 ユラが仰々しくお辞儀をすると、紫の目をした少女は鼻を鳴らして大きく羽を震わせた。僅かに浮き上がり、キューブに足を落とす。すると重量を感じさせる鈍い音が響いた一方で、石はガラス細工のように粉々に砕け散った。

「もうひとつも頼むよ。琥珀、鞄から林檎を出して」

「……」

 ユラが離れたところに立っていた少年にそう言うと、少年は黙って鞄を地面に下ろした。「妖精使いが荒い!」と言った少女――紫水は、先程より手早くサイモンだったキューブにヒビを入れていく。

「それにしても、【玉響】を転売しようなんて思い切った犯罪だよねぇ」

「いい迷惑よ。絶対にあの男が【玉響】の情報と一緒にけしかけたに決まってる!」

「それにしては計画が杜撰すぎるよ。多分、あの男は本当に【玉響】の情報を流しただけ。まぁ、商売は信用第一なんだから、人の情報を安売りしないで欲しいけど」

 怒りをぶつけるように紫水がキューブを砕くと、タイミングよく少年――琥珀が林檎を渡した。

「ありがとう、琥珀」

「……」

 林檎に飛びつきながら満面の笑顔を向ける紫水に対して、琥珀は無表情でコクリとひとつ頷いてみせた。その不器用なコミュニケーションを微笑ましそうな顔で見ていたユラは「さて」と手をひとつ叩いた。

「とりあえず、ここを離れようか。本当に貴族様がきても困るしね。紫水は私の袂においで」

「はいはい」

 林檎の茎をもって器用に林檎を持ち上げた紫水は、危なげなくその淡い藤色をした翅をはためかせて浮き上がった。琥珀が荷物を背負い直したのを見て、ユラはテントに背を向ける。

「さて、次は良い人と穏便な商売がしたいね」

 ユラの呟きは風に乗って森の中に消えた。


 ◇


 次の日の朝、小間使いが一名、行方不明になったことをうけて地主である貴族が捜索を開始させた。

 昼前に小間使いの服と、同じく行方不明の届けがでていた農家の男の服が街から離れた森の中で見つかるも、肝心の本人たちは見つからなかった。

 その場には無人のテントと粉々になった大理石だけが残っており、街の住人も手を貸したものの手掛かりは見つからない。

 結局、捜索は一週間で打ち切られることになった。そして、この不可思議な事件は街を超えて辺り一帯を騒がせることになる。

 唯一真相を知る人間は隣町でその噂をきき「おやおや、大変ですね」と笑った。

 



【アメシスト】(紫水晶)

 酒の神ディオニソス(バッカス)が、憂さ晴らしに家来の虎を連れて出かけた。この時、偶然にもバッカスの目の前に現れたのは月の神アルテミス(ディアナ)の元に参拝しに行く途中のアメシストという女性であった。虎にアメシストが襲われそうになると、天から見ていたアルテミスはアメシストを助けるためにその身体を大理石に変えた。それを見たバッカスは自分の行いを反省し、大理石にワインを注いだ。すると、アメシストの体は美しい紫色の宝石に変化したという。

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