第五章:宿命の狭間で蝶は舞う①

 雨の中を俺がスワロウテイルへと戻ると時刻は夜十時を回っていた。ちょうどシャワーから出てきたばかりだったのか、ロイエはタオルで濡れた髪を拭いていた。いつも右目に入れている青の色ガラスは今は外しているのか、彼の目の色は左右ともに緑だ。日中のメイクが落とされた素顔は彫りが深く整っており、伏し目がちの目元からは同性ながらもどきっとするような色香が漂っている。ローズ系だと思われるが、何だかいい匂いもする。普段、女装や化粧をしているし、奇矯な言動が目立つために忘れがちだが、彼は普通に男性としても美形の部類に入る。

「あら、おかえりなさい」

「今戻りました、ロイエさん」

「で、今日の首尾はどうだったの?」

 聞かせなさいよ、とロイエは有無を言わさない空気を孕んだ流し目をこちらにくれる。とくりと俺の心臓が鳴った。無用に色気を振り撒くのはやめてほしい。同性にも関わらず無駄にときめいてしまって何だか損した気分だ。

 俺は手近な椅子に腰を下ろし、ティーテーブルの上にあったガラスのコップに水差しの中身をコポコポと注ぎながら、

「首尾も何も普通にお酒飲みながら、ご飯食べてきただけですけど」

 俺がそう告げると、んもー、とロイエは声をあげ、

「そうじゃなくて! 何か進展はなかったのかって聞いてるのよ!」

「進展っていうか微妙ですけど……まあ、多少は腹を割って話せたような話せなかったような……」

 先程のオルウィの仕打ちを思うと何とも言えない。いい人だと思っていたら、実は回りくどい方法でこっそりマウントを取られていたとは思わなかった。マスターも黙っていてくれればよかったのに。知らないでいれば、意外と悪くなかったという感想で今日を終われていたはずなのに。

 これだから、と言いたげなロイエの視線をこめかみにちくちくと感じながら、俺はグラスの中身に口をつける。普段あまり酒を飲まないにも関わらず、飲みやすくてついつい何杯も飲んでしまったせいで、ほんの僅かにだが頭の芯の部分が痛む。二日酔いにならないといいんだけど。

 そういえば、と俺はポケットをまさぐって、オルウィに渡された紙ナプキンを取り出すと、

「そうだ、ロイエさん。ちょっと聞きたいんですけど」

「あら、なあに?」

 恋愛相談なら年中無休で受け付けるわよ、とロイエが投げかけてきたウィンクと戯言は無視して、俺は紙ナプキンをロイエへと手渡す。もう何で無視するのようとロイエが体をくねらせたが気にしないことにする。背で揺れる洗いたての茶色の髪からほのかに石鹸の良い匂いが漂ってくる。

「ロイエさん、これに書かれている住所ってどこですか?」

 ロイエは紙ナプキンに記された住所と人名に目を通し、顔を強張らせた。

「ねえ、アレン」

「何ですか?」

「アレン……アナタ、今日一体誰と会ってたの? アタシはてっきり、サナちゃんとディナーデートしに行ったものだとばかり思っていたんだけど」

「えっと、騎士団のオルウィ・ガーラルさんっていう人です。この前、騎士団の宿舎にサナ宛の手紙を届けに行こうとしたときに、いろいろあって知り合った人なんですけど」

 俺の説明に、ロイエは露骨すぎるくらい露骨に苦々しい表情を浮かべる。

「あいつ……」

「えっと……ロイエさんってオルウィさんとお知り合いなんですか?」

 毒づくロイエへ俺がそう尋ねると、彼はええ、と嫌そうに頷いた。

「アレン。これに書いてある住所は、今アタシたちがいるここよ」

「えっ……」

 俺は絶句した。しかし、書かれている名前はロイエのものではない。

「だったら……ここに書いてある『ユリシス・フーディエ』って誰なんですか?」

 俺が問うと、ロイエは心底嫌そうに、

「それはアタシの名前よ。アタシが捨てた昔の名前。そんなことより、どうしてアナタはあいつからこれを?」

「俺は昔の怪我で左腕が上手く動かないことは、ロイエさんに前に少しお話しましたよね? あれは昔、俺がサナを庇って負った怪我なんです。俺が怪我をしたことでサナは泣いて、更に俺の腕に後遺症が残ることを知ってまた泣いて……もうあんなふうにサナを泣かせたくなくて強くなりたいと思いました。うちの祖父の書斎には古今東西のたくさんの書物があったので、俺はいろいろと読み漁って……それで、出会ったんです。こんな俺の体でも強くなれる術――符術に。

 俺のこういった経緯を聞いたオルウィさんが、強くなりたいのならと符術に造詣のある方を紹介してくださったわけです」

 ロイエはやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。

「はあ……まあ、あいつの意図は理解できたわ。だから、あいつはアタシの今の名前を知っているくせに、今更になってわざわざ『ユリシス・フーディエ』の名前を持ち出したわけね」

「それってどういう……?」

 遠慮がちに俺がそう聞くと、ロイエは半ば諦めた空気を漂わせながら、

「ちょっと話が長くなりそうだから、お茶を入れるわ。手伝いなさい、アレン」

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