第四章:雨夜の金曜日、秘めたる思惑②

「俺、子供のころの怪我が原因で、こっちの腕が上手く動かないんですよね」

 動かないって言っても生活にそこまで支障があるわけじゃないんですけど、と俺は左腕を右手に握ったフォークの柄で示してみせる。そのままボイルしたソーセージにフォークの先を突き刺し、皿に添えられていたマスタードをつけると俺は口にそれを頬張った。たっぷりとした肉汁と爽やかなハーブの味が混ざり合って俺の口の中を満たした。

「腕がこんなだと、何かあったときに武器を取っての切った張ったはまず無理でしょう? 普段の生活ならまだしも、有事の際にこうして体のどこかを庇っていると、それだけで相当なハンデを追うことになるのはオルウィさんならお分かりかと思いますけど」

 グラスが空になっていることに気づいたオルウィはせっかくだからビアカクテル以外も試してみるか、と俺に尋ねるとブルームーンなるものをマスターへ注文し、

「まあ、そうだな。体のどこかを庇っていると、そこを突かれたとき反応が遅れる。戦いの場でそれは大きく不利になる要素だ。……だけど、その話がお前とサナと符術の話にどう繋がるんだ?」

「俺が子供のころに怪我をしたのは、大人たちに黙って子供だけで――俺とサナだけで山に入ったからだ。山の中でイノシシに襲われかけたサナを庇って俺は左腕に大怪我を負った。サナは泣いたよ。俺が怪我をしたことで泣いて、俺の腕に後遺症が残ることを知って更に泣いて。

 あいつはそのことを負い目に感じたのか、それから剣術を習い始めた。あいつは元々運動神経も良かったし、才能もあったのか、じきに村の大人たちの誰をも凌ぐような腕になったけど、俺はこれっぽっちもそんなこと望んでなんていなかった。俺はただ……サナにあんなふうに泣いてほしくなかった」

 俺はそこで一度言葉を切り、マスターが新たに作ってくれたブルームーンなる透き通った青色が美しい液体に口をつけ、喉を潤す。アヒージョのエビを丸ごと口に放り込んで咀嚼すると、

「俺の腕がこんなふうになったのは、俺の自業自得だ。だけど、もしあのとき、俺がもし戦うことができていれば、サナのことを守るのはもちろん、俺が怪我をすることもなく――サナをあんなふうに泣かせることはなかったんじゃないかって思った。だから、また同じようなことが起きたとしても、今度はサナにあんな顔をさせないで済むように、俺は強くなりたいって思った。

 村の道場でサナが剣術を習っている間、俺は祖父の書斎でいろいろな本を読み漁った。そうして、俺はこんな体であっても戦える手段を見つけたんだ」

「それが符術だったってわけか。だが、符術というのは東方の技術で、この国で扱える人間なんて限られている。お前のじいさんっていうのは一体何者だ? どうしてこの国では希少価値の高いはずのそんな書物を持っている?」

「俺の祖父は、ノーリス村の前村長だった人です。あんな田舎でも、他の村民の家に比べれば金は持っているほうだったんで、趣味の書物蒐集に金をかけることもできて……まあ、祖父はジャンル関係なく割と無節操に古今東西の書物を集めるほうだったので、符術についての書物もその過程で偶然手に入れたんだと思います」

 俺がそう言うと、オルウィはカツサンドを片手にふうむと唸り、

「なるほどな、好事家っていうのはどこにでもいるってわけか。しかしまあ……サナを泣かせたくない、か。惚れた女を泣かせたくないっていうのはまあ男として当然の感情だから、俺も理解できる。俺だって、サナが泣いたり傷ついたりするのは当然嫌だからな」

 オルウィの茶色の双眸がまっすぐに俺を見据えた。大方そうだろうとは思っていたが、”俺も”ということはやはりオルウィもサナのことが恋愛的な意味で好きなのか。

「オルウィさんは、サナのことが好きなんですか?」

「ああ。俺はサナが好きだ」

 オルウィはいつの間にか新しく頼んでいたらしいグラスに入った赤い液体に口をつけ、

「俺がサナと出会ったのはこの春のことだ。騎士学校を今年、主席で卒業したキオンと次席で卒業したサナが俺の下につけられることになった」

 キオンっていうのはこの前の赤毛のクソ生意気なチビな、と言い添えてオルウィは話を続ける。

「いくら次席で卒業した優等生とはいえ、所詮は女の子だしたいした戦力にはならないだろうと最初は思っていた。だけど、俺はあいつとはじめて訓練で手合わせしたときに度肝を抜かれた。サナは強くて早かった。パワーはそこまでではないにしろ、新人とは思えないほど、剣筋は強くて早くて、冴え渡っていた。そして何よりもあいつの剣からは強い意志が感じられた。今どき、こんな騎士がいるんだと思ったら俺は嬉しくなった。

 毎日一緒に過ごして、確かな芯のある言動や、可愛らしい笑顔、その優しさに触れるうちに気がつけば俺はあいつに――サナに惚れていた」

 身近にあんな魅力的な女の子がいれば好きになって当然だ。そんなことは頭ではわかってはいても、俺はその事実を認めたくなくて、ぎこちなく当たり障りのない相槌を打つ。

「……そう、ですか」

「毎日近くで見守っていれば、あいつに好きな相手がいることくらいわかる。けどな、俺はサナを諦めたくない。だけど、その上でだ」

 オルウィはそこで言葉を切る。いつの間にか彼のグラスを満たしていた赤い液体はなくなっていた。

「お前がサナのために強くなりたいっていうなら、紹介したい奴がいる。ちょっとクセのある奴だが、悪いや奴じゃないし、この国では数少ない符術に造形が深い奴だ」

 カウンターの上に置かれていたフクロウの形が愛らしい木製の紙ナプキンホルダーから紙を一枚抜き取ると、オルウィは何かをさらさらと記していく。

「あの……そんな敵に塩を送るような真似しちゃっていいんですか? オルウィさんと俺って、ライバルなんですよね?」

 オルウィは紙ナプキンを俺に手渡しながら、

「気にすんな。これは俺の性分でな。何かのために強くなりたいって思っている若い奴がいたら、つい手を差し伸べたくなっちまうんだ」

「オルウィさん……」

 ありがとうございます、と俺はオルウィへと頭を下げた。俺にとってオルウィはライバルだが、良い関係を築いていけそうな気がした。

「マスター、こいつにカルーア・ミルクを。それじゃ、明日も仕事だし俺はそろそろ失礼するぜ。今頼んだやつ、よかったらデザート代わりに飲んでから出な。甘くてうまいぞ」

 そう言って金貨三枚をカウンターに置くと、オルウィは黒い傘を片手に店を出ていった。マスターは薄茶の液体が入ったグラスを俺の前に置きながら、

「いやあ……何というか今夜のオルウィさんは、随分とお客様のことを煽っておられましたね」

「え? 煽るってどういうことですか?」

 俺はコーヒーの味がする甘いカクテルを飲み込むと、マスターの言葉を聞き返した。

「お客様はご存じないかもしれませんが、花に花言葉というものがあるように、カクテルにもカクテル言葉なるものがあるんですよ。ただ、カクテル言葉を踏まえて考えると、今夜のオルウィさんはなかなかに挑発的なチョイスをしておられてなあ、と」

「ええと、それはどういう……」

 花言葉という単語は辛うじて聞いたことがあるような気もするが、カクテルにも意味合いがあるとは思っていなかった。というか、そもそもいちいちそんなことを気にして酒を飲んでなどいない。

「お客様が最初に飲まれたシャンディ・ガフは『無駄なこと』。その次に飲まれたブルームーンは『叶わぬ恋』。そして今飲まれているカルーア・ミルクが『臆病』です。あと、先程オルウィさんが飲まれていたブラッディ・メアリーは『断固として勝つ』ですね」

 眉尻を下げ、気の毒そうにマスターは今日飲んだカクテル一つ一つが持つ意味を教えてくれる。俺は瞠目した。お洒落なお酒を飲み慣れていない俺のために、飲みやすそうなものをチョイスしてくれているのかと思っていたが、まさか牽制の意味があったとは思ってもいなかった。

 少なくともオルウィとは健全な関係を保っていけるだろうと思っていた矢先に突きつけられたこの事実に、俺は目を見開いたまま固まることしかできなかった。

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