第四章:雨夜の金曜日、秘めたる思惑①

俺がこの店で働くようになってから、三日が経った。少しずつ業務内容を覚える傍ら、朝起き抜けからロイエにあーでもないこーでもないと着せ替え人形にされ、夜には滔々とスキンケアの重要さを説かれる日々が続いている。

 一日の業務を終えた俺は、ローズベージュのリブニットの上から、薄手のフーデットコートを纏った。建国祭五日目の今日は、丸一日降り続いた雨のせいでこの季節の割には少し肌寒かった。

「ロイエさん、今朝も言った通り今日は夕飯はいいです。それじゃあ、出かけてきますね」

 俺は閉店の旨を示す蝶を象った真鍮製のプレートを手にすると、扉を開け、外へ出る。「はいはーい、今日は迷子にならないようにねー」ロイエの声が俺の背中を追いかけてきた。

 俺はベージュのバーバリーチェックの傘を差すと、プレートをドアノブへと掛け、踵を返す。

 オルウィに指定されたバー――フクロウ亭はメインストリートの裏にある細い路地にあるらしいとロイエから聞いていた。俺は、時折水溜りに足を突っ込みながら、時計台の前を通り過ぎ、メインストリートの方へ向かっていく。ロイエの勧めに従って、今日はガムソールスニーカーにしてきて良かったと思った。路面が濡れていても滑りづらく歩きやすい。この前のローファーでこの雨の中を出てきていようものなら、寝る前に面倒な革靴の手入れが確実に俺を待ち受けていた。

 この雨にも関わらず賑わいを見せる中央広場を横切って、メインストリート方面へ向かおうとしたときになって、俺はちらちらとこちらに視線が向けられていることに気づいた。今日の格好にどこかおかしいところがあっただろうか。俺が気づいていないだけで、服のポケットが裏返っていたり、髪型が崩れていたりでもするのだろうか。ちょうど今すれ違ったホットワインを手にした女性二人組もこちらを見て何かひそひそ言っていた。

 メインストリートへ移動してからも、同様のことが続いた。カップル連れの女性やら、食べ物の屋台の売り子の女性やら、果てには親と一緒に祭を回っていたまだ五歳ほどの幼女までがこちらをちらちらと見てくる。

 一体何なんだ。何かがおかしいならおかしいと直接言ってくれないだろうか。こうやって小声でひそひそやられるのは結構精神的に来るものがある。何だか気が滅入ってきた。

 腕時計を確認すると、午後六時五十分を指していた。オルウィとの待ち合わせの時間が近い。急ごう、と思いながら俺は路地裏へと入っていった。


 オルウィと待ち合わせていたバーに俺がたどり着いたのは約束の時間を三十分以上過ぎてからだった。あれから延々と同じところをぐるぐる回り続けていた俺を不憫に思ったのか、偶然通りがかった同い年くらいの少女が声をかけてくれなければ到底辿り着けなかっただろう。案内してくれた少女が別れ際に、頬を赤く染め、目を潤ませて何故か俺を食事に誘ってきたが、あれは一体何だったのだろうか。あまり気乗りはしていないものの、オルウィと約束をしていたから当然断ったが、あれがもしかして最近一部の都市で流行っているというマルチ商法とかいうやつだろうか。やはり都会は怖い。

 俺は水気を払ってから傘を畳むと、ポーチライトが照らす地下への階段を降りていった。掠れた文字で店名が刻まれた木製のドアを押し上げ、知る人ぞ知る隠れ家系といった雰囲気の薄暗い店内へと足を踏み入れる。先程の少女がこの店を知っていてくれて助かった。

「いらっしゃい」

 この店のマスターと思われる人の良さそうな中年男性の声に俺は出迎えられた。店内を見回すと、そこには親しみやすさの中にもムードを感じさせる空間が広がっていた。よく磨かれたL字型のカウンター、等間隔に並べられた黒い革張りのスツール。マスターの背後の壁には所狭しと俺が見たことのないような酒の瓶が並んでおり、なかなかに壮観だった。入り口の近くの壁にはドライフラワーの飾り――サシェとかいう名前だった気がするものが飾られており、さり気なさの中にあるマスターの趣味の良さが伺い知れる。

 見覚えのあるつんつんとした緑のスパイキーヘアの青年が俺へと向かって手招きしているのが視界の隅に映った。今日は私服なのか、白のカットソーの上にリネン素材のカーキのブルゾンを羽織り、下はロールアップにしたホワイトデニムとグレーのスリッポンシューズいう出で立ちだ。この時期らしい清涼感があり、カジュアルなのに洗練されたコーディネートだが、ファッション初心者の俺にはなかなか難易度が高い。俺のセンスではなかなか白に白を合わせようなどという発想には至らない。

「オルウィさん、遅くなってすみません。……その、恥ずかしながらまた道に迷ってしまって」

 俺は軽く頭を下げながら、カウンターで既に一人で飲み始めていたオルウィの隣の席へと腰を下ろす。

「いや、構わねえよ。何飲む?」

 特に気にしたふうもなく、オルウィからメニューを手渡された。こういうことがごく普通にできる辺り、いかにもモテる男といった感じがする。俺はメニューに目を通すが、よくわからない文字の羅列がつらつらと並んでおり、一体どれが何のお酒なのかわからない。困っている空気を察したのかオルウィは、

「お、もしかして酒飲めなかったか?」

「いや……あの、俺の村って、ビールとか安いワインやウイスキーくらいならあるんですけど、こういうお洒落なお酒って全然ないので、何頼んだらいいかわからなくて……」

 俺が正直にそう白状すると、なるほどなとオルウィは白い歯を見せて笑うと、

「じゃあ、俺に任せておけ。ビールくらいは飲んだことあるんだよな? あと、仕事終わりだったら腹も減ってるよな?」

「ええ、まあ……」

「マスター、シャンディ・ガフ一つ。あと何か適当につまめるものと腹に溜まりそうなものを」

 オルウィの何だか雑な注文にも嫌な顔ひとつせずにマスターは頷く。これってオルウィのおまかせではなくマスターのおまかせではと俺は思ったが、口には出さないでおく。

「しっかしアレン、今日はまたこの前とは何か違う感じなんだな」

 俺の服装に目を留め、男同士だっていうのに気合入ってるなとオルウィは感嘆した。

 今日の俺は白のカットソーにレイヤードしたリブニット、黒のスキニーパンツという服装だ。故郷の母が見たらだらしないと顔を顰めそうではあるが、リブニットの下からカットソーの裾がちらりと見えているのがロイエ曰く本日のお洒落ポイントならしい。朝早くからロイエにコテでくるくると巻かれた髪は今日はスパイラルマッシュとなっていた。せっかくの夜のお出かけだからと、ロイエが仕事終わりにつけてくれた香水は、スモーキーさを孕んだほのかな色気を感じさせる甘い香りを放っている。

 カウンターに料理と酒が並べられ、俺とオルウィはグラスを掲げ、乾杯した。乾杯の仕方一つとっても王都とうちの村では異なるのかと俺は感心した。俺の村では、乾杯のときは派手にジョッキを打ち合わせるのが普通だ。

 何種類ものチーズが使われたピザに肉厚で柔らかな牛肉を使用したカツサンド、オリーブのピクルスにハーブの効いたソーセージの盛り合わせ、トリュフが香るフライドポテトに、大きなエビとホタテの入ったアヒージョ――カウンターの上に並ぶ料理の数々に俺が舌鼓を打っていると、バーボンウイスキーを片手にオルウィはポテトをつまみながら、

「お前、強くなりたくて、自分で符術の勉強したって言ってたよな? 理由はサナか?」

 単刀直入なオルウィの問いに、俺はちょうど口にしたばかりだった生姜の風味を帯びた液体を吹きそうになりながら、

「……直球も直球、ド直球ですね」

 琥珀色の液体を煽ると、オルウィはからからと笑う。俺はシャンディ・ガフを飲み下すと溜息をつく。マスターはこちらのやり取りに干渉するつもりはないのかグラスを磨きながら知らん振りを決め込んでいるし、この場でオルウィの追及を逃れることはできそうになかった。

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