第三章:セカンドインプレッションと俺の受難②
「な……なんで」
サナは紫の目を見開き、俺を睨め付ける。整った小さな顔は明らかに動揺していた。
「馬鹿っ……! 何で私なんか庇うの! 危ないでしょう! 私が……」
彼女は唇を噛むと、喉の奥から声を絞り出し、
「私が……今まで、どんな思いでいたと思って……それなのに……」
悔しさの滲む細い声でサナが何かを言いかけたが、男の声がそれをかき消した。
「おーい、サナ、ハーヴェスターの下っ端が何人かそっち行ったぞ! ……って、何やってんだ?」
俺たちより少し年嵩の緑色のスパイキーヘアの青年がこちらへ戻ってくると、怪訝そうに俺とサナとを見比べる。オルウィは俺とサナの前に聳える大きな土壁に目をやると、
「何だこれ、キオンがやったのか?」
すると、近くで火炎瓶の対処をしていたキオンがこちらへやってきて、
「違いますよ。僕、見てましたけど、不意を突かれたサナを庇ったそこのお兄さんが、札みたいなものを使ってそれを出してました」
オルウィは辺りに目を配りながら、何か思うところがありげにふむと唸り、
「そうか、まあそれは一旦いい。それよりサナ、お前ともあろうものがあんな連中を相手に遅れを取るなんて珍しいな。何があった?」
「それは……」
オルウィに問われ、サナは俯いて口籠る。オルウィは厳しい色を宿した茶色の双眸をサナへ向け、
「お前は一旦、そいつと一緒に下がってろ。ヤンチャ坊主どもは俺とキオンとで対処する」
「……はい」
悄然とした様子でサナが頷いたとき、何かが地面へ叩きつけられる音が立て続けに響いた。オルウィとキオンは騎士剣を鞘から抜き、警戒した目でそちらを見据える。
音のした方角から、短いオレンジの髪をオールバックにした体格のいい男が手に木刀を携え、姿を現した。いかにもチンピラ然とした見た目ではあるが、野性味がありながら整ったその顔立ちは目を引くものがある。
「おっと、悪いな。あんた、サナんとこの隊長さんだったか? 俺がちょっと目を離した隙にうちの舎弟どもがちっとヤンチャしすぎちまったみてえだな」
「……ウィルド」
サナは男の顔を認めると俺を背後に庇いながら、低い声でその名を呼ぶ。
「だったら、せめてあなたがきっちり目を光らせておいて」
サナから非難の言葉と視線を浴びせられたウィルドは、ぼりぼりと後頭部を掻きながら、
「あー、どうすっかな……まあサナ、お前が俺のオンナになってくれるってんなら考えてもいいぜ?」
そう言って傲慢さの滲む口元をウィルドはにやりと歪める。にわかにサナの華奢な体から静かな怒気と殺気が立ち上り始める。手にしたままの騎士剣の切っ先がウィルドのほうへと向けられる。
「……馬鹿にしないで」
ウィルドは片眉を上げると、ちぇっとつまらなさそうに舌打ちをした。本気なんだけどな、と一瞬ぼそりと小さな声で彼が呟いたのが聞こえたような気がした。
「わーった、冗談だって。ったく、サナ、お前本当そういうとこお硬いよなあ」
「ウィルド、切り刻まれたくなければこいつの神経逆なでして遊ぶのもそんくらいにしとけ。サナ、お前も一旦剣は収めろ」
やれやれと肩を竦めながら、オルウィが会話へ割って入る。
「好きな子ほどからかいたくなるのはわからないでもないけどさー、そんなことで火傷したくもないよねえ? ……物理的に」
そう言ってにっこりと笑うキオンの指先には赤い魔法陣が浮かんでいる。表情筋の動きに反して、その青い目は微塵も笑っておらず、物騒な空気が揺らめいていた。
「キオン。気持ちはわからんでもないが、お前もやめろ」
「はーい」
キオンの指先からふっと魔法陣が掻き消える。オルウィはため息をつくと、
「まあ、そういうわけだ、ウィルド。サナはそういう冗談は嫌いだし、目に余るようであればこの通り俺たちだって黙っているつもりはないんでな」
ウィルドはげんなりしたように、
「どういうわけだよ……」
「まあ、それはそうとな。今後――少なくとも今週のこの建国祭が終わるまでは、お前のところのヤンチャ坊主どもがこれ以上オイタをしないようにきっちり目を光らせておいてくれるっていうんなら、今日のところは見逃してやらないでもない。今の時期は観光客も多いし、面倒事は少ないに越したことはない。こっちとしては、なるべく穏便に済ませたいと思っている。どうだ?」
「しゃあねえか。せっかくの建国祭だ、こいつらが浮かれるのもわからねえわけじゃねえから、少しくらいは目を瞑っておいてやろうと思ってたが、今夜のこれはちっと羽目を外しすぎたな。物を奪うだけならまだしも、火炎瓶やらナイフやら――人に危害を与えるのはやりすぎだ」
そうだな、と頷くオルウィへとキオンから横槍が入れられる。
「僕たちが
「キオン、ちょっと黙ってろ。どうせわかっているくせに茶々入れるなよ、話がややこしくなるから。それじゃあウィルド。今日のところはさっさとその辺に転がってる舎弟ども連れて引き上げてくれ」
「おう。隊長さんが話がわかる奴で助かった。そいじゃあな」
ウィルドは気絶して折り重なっている舎弟の青年たちの腕をぞんざいに引っ掴むと、彼らをずりずりと引きずりながらその場を去っていった。
「……オルウィ先輩、見逃してしまってよかったんですか」
遠ざかっていくウィルドの背中を親の敵か何かのようにサナは睨み据えながら、ぽつりと問うた。
「サナ。お前にはまだ難しいかもしれないけどな、世の中には必要悪ってものがある。ウィルドもその一つだ。スリが横行していること自体に問題がないと言うつもりはないけどな、スラム街でそれ以上の事件がそうそう起こらないのは、曲がりなりにもあいつが一定の秩序を保っているからだ」
「要はウィルドを捕まえたら、スラム街で横行しているスリがなくなるかっていったらそんなことないって話だよ、サナ。曲がりなりにも目を光らせている人間がいなくなったせいで、余計悪化する可能性が高いかな」
皮肉なことにね、と言いながらキオンがそう補足した。
「まあ、そういうことだ。さて、次の巡回場所は時計塔のほうだったな。サナとキオンは先に向かってろ。俺も後から合流する」
「了解。ほら、サナ行くよ」
「え、ええ」
キオンに手首を捕まれ、半ば連行されるかのようにサナは次の巡回場所へ向かうべくその場を後にした。姿が見えなくなりかけたとき、サナが何か言いたげに一瞬ちらりとこちらを振り返ったような気がした。というか何であいつナチュラルにサナに触っているんだ。
「さて」
オルウィがこちらへと向き直る。
「お前、アレン・オーキッドだな?」
そう問われ、俺は体を強張らせながら頷いた。オルウィは口調と表情を少し和らげると、
「そう警戒しなくていい。俺はオルウィ・ガーラル。サナの先輩だ。しかしまあ、お前さん、昼間と随分印象が変わったみたいだがどうした?」
「えーと……その」
サナの気を引くために頭の天辺から爪先までロイエにトータルプロデュースしてもらったなんて、さすがに恥ずかしくて言えない。俺の恋敵と思われるこの男にそんなことが知られたら馬鹿にされないだろうか。何と言ったものかと俺が逡巡していると、
「あーいい、いい。別に俺が聞きたいのはそんなことじゃないからな。お前、随分珍しい術を使うようだが、どこで学んだ?」
「独学です。うちの祖父が趣味で無節操に集めた蔵書の中に符術についてのものがあったので」
独学ねえ、とオルウィは腕を組む。
「その術を使える人間はそう多くはねえ。アレン、お前はその符術の力を何のために手に入れた?」
悪用するつもりであれば野放しにはできないとオルウィは言外に告げる。
「俺には守りたい人がいます。もう二度と俺のせいであいつにあんな顔をさせたくないように、俺は強くなりたかったんです」
俺の言葉にオルウィは似てるな、と眉尻を下げて苦笑した。似ているというのはオルウィ自身のことだろうか。
「そういうことなら別に構わない。俺としては、お前が道を踏み外すことがないように祈るしかできないがな。それはそうと、お前、建国祭が終わるまでは王都にいるのか?」
そのつもりですけど、と俺は頷く。
「俺、金曜の夜非番なんだけど、一杯付き合わねえか?」
「……何で俺なんですか、他を当たってくださいよ。オルウィさんなら、友達なり彼女なり、飲む相手には事欠かないでしょうに。何でわざわざ俺なんかと」
あからさまに嫌そうに俺はそう言ったが、意に介したふうもなくオルウィは茶色の双眸をにっと細めると、
「お前とはじっくり腹を割って話してみたほうがいい気がしてるんだよな。そう、たとえば……サナのこととかな」
「うっ……」
彼女の名前を出され、俺は苦虫を噛み潰したような顔しかできなかった。サナのことと言われてしまえば、それが牽制であれ、単純な彼女の日常についての話であれ、食いつかずにはいられない。
「それじゃ、金曜の夜七時にフクロウ亭で」
オルウィは強引に話をまとめると、気をつけて帰れよと去っていった。
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