第三章:セカンドインプレッションと俺の受難①

 彼女の紫水晶の双眸に困惑の色が浮かんでいた。

「サナ、俺だよ俺」

 俺が名乗りかけたとき、騎士服に身を包んだ小柄な少年がランプを手に近づいてきて、

「サナ、どうしたの? こっちのほうでバタバタ音がしてたけど、何かあった?」

「キオンくん」

 俺を立ち上がらせてくれながら、サナは同僚の少年へと、

≪刈り取る者≫ハーヴェスターよ。私が来たときにはこの人に当身を食らわせて逃げていくところだったわ。ところであなた、さっきの人たちに何か盗られたりはしていない? この辺りでは有名なスリ集団なのだけれど」

「えっと……」

 俺という人間に心当たりがないという体を崩さないサナにそう訊かれ、俺は口籠もった。まさか、当の本人をデートに誘うための手紙を盗られたなどとはさすがに恥ずかしくて言えない。とりあえず、俺は服のポケットやバッグを確認するふりをしながら、

「たぶん大丈夫です。特に何か取られたりはしていないと思います」

 決死の思いで固めた覚悟以外は、と俺は心の中で付け足しておく。ふうん、と赤毛の少年は納得行かなさそうな顔をこちらに向けた。その青色の瞳は、子犬のように可愛らしい顔立ちからは想像できないほどに冷たい光を孕んでいた。

「まあ、今日のところはそういうことにしておいてあげるよ。……それより、お兄さん」

 キオンは一度そこで言葉を切ると猛獣か何かのような笑みを口元に浮かべる。俺の背筋に薄ら寒いものが走る。

「少しはマシになったみたいとはいえ、うちのエースにちょっかいかけるのやめてくんないかなあ? 最近多いんだよね、こういう手合いが。そりゃサナは今やこの王都ではちょっとした有名人だし、この通り有名女優やら貴族令嬢やらも霞むくらいの可愛さだから無理もないけど。

 だけど、お兄さん、覚えておいてよね? 僕たち騎士団の仕事っていうのは、こういう可憐なお嬢さんが安全に暮らせるように守ることだって含まれているんだから。ヘタレなお兄さんなんてまったくお呼びじゃないんだよ」

「……」

 俺は何も言い返せなかった。いくら、ロイエに見た目を整えてもらったからと言って、俺という人間の中身が変わったわけではない。俺が俺という人間に自身を持てないのも無理はないのかもしれない。

「それじゃお兄さん、またね。この辺物騒だから早く帰ったほうがいいよ。サナ、行こ」

 俺への興味を失ったのか、キオンはひらひらと手を振りながら、踵を返した。

「……失礼します。どうかお気をつけて」

 そう言うと、サナはキオンを追いかけてその場を去っていった。

 俺は唇を噛んだ。外見さえ整えれば、サナの周りにいる奴らと同じ土俵に立てるとばかり思っていた。俺は浅はかだった。

どんなに見た目を取り繕ったところで、弱虫で泣き虫な俺のままではサナに振り向いててもらうなんて無理な話だ。こんなことだから、先程のようにヘタレだとか何だとか好き放題言われてしまうのだ。恐らくキオンには俺の薄っぺらさなど見透かされていた。昼間、俺がサナの前へと出ていけなかったことにも、恐らくキオンは気が付いていた。本当に情けないし、きっとそんな俺が嫌でサナは他人のふりをしたに違いない。

 サナと話をしたいと思った。今日の昼のことを謝った上で、埋め合わせのために改めて別日に今度は俺から彼女を誘う――本来、さっきのハーヴェスターとかいうチンピラどもに盗られてしまった手紙を介して伝えるはずだったことを俺の口から直接彼女に伝えるだけのことだ。

 彼女を追いかけよう。そう決めると、俺はキオンとサナが姿を消した方向へと歩き始めた。


 気がつけば、昼に訪れたメインストリートの辺りに戻ってきていた。あれからしばらく歩き回ったものの、うじうじと思い悩んでいる間にキオンとサナはどこかへ行ってしまったようで、俺は完全に二人を見失ってしまっていた。

 今日のところは一旦ロイエの店スワロウテイルに戻ろうか、と俺は思い始めていた。今着ている服は、昼間ロイエに見繕ってもらってから、そのまま彼の厚意で貸してもらっている状態だったので早いところ返しに行かなければならない。あまり遅くなるようでは、彼の迷惑になってしまう。

 俺が諦めて踵を返そうとしたとき、近くで爆発音が聞こえた。背後を振り返ると、近くの曲がり角で火の手が上がっており、俺は瞠目した。建物の外壁を舐めるようにしてゆらゆらと炎が揺れており、地面にはガラスの破片が散乱している。

 そのとき、俺の横を騎士服に身を包んだ体格のいい緑髪の男が駆け抜けていった。すれ違いざまに男の茶色い目と視線が交錯した。男は俺の顔を認めると、お、という顔をする。昼間、時計塔の前でサナと一緒にいたオルウィという男だった。

「そこのお兄さん、危ねえから近寄るんじゃねえぞ!」

 俺を振り返ると、オルウィはこちらへと向かってそう叫んだ。キオンといい、このオルウィという男といい、何で俺のことを認識しているんだ。

 オルウィは俺がいる場所から二つ先の角の辺りで一度、足を止めると、

「キオン! あっちの角が燃えてる! とりあえず対処を頼む!」

「はいはーい! 了解ですよ、オルウィ先輩!」

 俺の背後から遅れて現れたキオンは、近くで火の手が上がっているのを認めると毒づいた。

「……火炎瓶か。これ消すの大変だから面倒くさいんだよねえ。っていうか、あいつら祭だからってちょっと調子乗りすぎなんじゃないの?」

 そして、俺の存在に気づいたのか、こちらに冷たく一瞥をくれると、

「あれ、お兄さんまた会ったね。僕、忠告したはずだよね? 早く帰ったほうがいいよ、って」

 まあいいけど、とキオンは言うと、指先で宙に青い光を放つ魔法陣を描き始める。

「往け、≪アクア・ストリーム≫」

 キオンがそう呟くと、炎を大きな水の渦が襲った。

 俺は驚いた。キオンは騎士の中でも珍しい、魔法騎士というやつだった。

 物珍しさでぽかんとしながら、俺がキオンの鮮やかな手腕を眺めていると、ふいにシュッと何かが宙を切る音が聞こえた。

「伏せてください!」

 緊迫感のある少女の声が響き、俺は反射的にその場に伏せた。俺に向かって飛来してきていた何かが彼女によって叩き落とされたのか、地面に何かが転がっていくカランカランという音が響く。

 俺が顔を上げるとそこには騎士剣を携えたサナがいた。またしてもサナに助けられてしまった。

「……サナ」

「先程の方ですね。危険ですので、ここから離れてください。祭の夜だからといって、少々羽目を外し過ぎている者たちがいるようですから」

俺の姿を認めると、サナは俺へと手を差し伸べながら慇懃な口調でそう言った。物腰は柔らかだが、旧知の間柄の相手への態度としてはあまりに素っ気ないものだった。

「サナ、何でそんな」

「お話でしたら後にしてくださいますか。そんなところにいるとお怪我をされますよ」

 俺がサナへと話しかけようとすると、彼女に遮られる。言葉だけは丁寧だが、やはり彼女の態度は妙によそよそしい。紫の双眸には非常識だとでも言いたげな非難めいた色が浮かんでいる。

 だけど、今のタイミングを逃せば、俺はサナと話ができない気がした。先送りしてしまえば、せっかく固めたはずの俺の軟弱すぎる意志がまた崩れ去ってしまう気がした。

「あの、サナ今日はわるかっ」

「……後にしてくださいと申し上げたはずですが?」

「でも」

 ぐちゃぐちゃと言い合う俺たちの側面へとヒュウという風切り音とともに何かが迫ってきていた。慌てて振り返ると、薄汚れた服に身を纏った粗野な雰囲気の青年数名ががこちらへと向かって粗末な棍棒を振り上げていた。サナが身を捩って、剣で棍棒を受け止めようとするが、相手の方が僅かに早い。

(このままじゃ、サナに当たる……!)

 俺はサナの前に体を割り込ませると、テーパードパンツのポケットへ手を突っ込み、中にあった紙切れを取り出す。念のために持ち歩いていただけで、本当に使う予定などなかったが仕方ない。俺は皺の寄った紙切れを右手の人差指と中指で挟み、

「我が身を守る盾となれ――≪山地剥≫」

 紙切れが細切れになって俺の手から消え、同時に俺とサナの前に大きな土壁が出現した。突如現れた壁に激突する形となった青年たちはどさりと音を立てて落ち、そのまま地面を転がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る