第二章:イケメンは作れるか否か③

「もうやだ、オカマだなんて失礼しちゃうわね」

 彼女もとい彼はぷりぷりと憤慨した声を上げた。顔の前で長い人差し指を振りながら、

「いいこと、アレン? アタシはオカマじゃなくて、ただお洒落が好きなだけのオトコよ? 服やお化粧で自分の思う通りに身を飾ることが好きなだけ。わかった?」

「は、はい……」

 俺はたじたじになりながら頷く。ロイエからこの話をされるのは、既にこの三十分ほどの間で五回目だ。

「だけど、ロイエさんって女の人の格好してますよね? だったらそれって、実際は男性だけど心は女性、つまり……」

「だーかーらー! アレン、今までの話をきちんと聞いていた? アタシはオカマじゃないって言ってるのよ!」

 うっかり頭に浮かんだ疑問を俺は口にしてしまい、六回目のループが始まる。

「あのね、アレン。アタシが女性の服を着るのは、女性の服のほうがアタシ好みのものが多いし、何より選択肢が多いのよ。似合いさえすれば、着ているものが男性用か女性用かなんて大した問題じゃないわ。実際どう、今日のアタシの格好どこか変かしら?」

 そう問われて、俺はロイエの頭から爪先までざっと視線を走らせる。淡いパステルグリーンのロングカーディガンに小花柄の散ったアップルグリーンのロング丈のワンピース。足元の黒いパンプスが全体を引き締めている。

「いえ……俺、服とか詳しくないですけど、似合っていると思います」

「そうでしょう? だからね、お洒落は別に女性だけのものじゃない、アタシたちオトコだって楽しんでいいものなのよ。わかる?」

「ええと、まあ……」

「ようやくわかってくれたようで何よりだわ。アレン、これからアタシはアナタを変身させるわ。覚悟しててね、アナタの新しい扉開けちゃうから、ね?」

「……俺は女装は嫌ですからね」

 俺は念のためにロイエへ釘を刺す。間違ってもあんなひらひらふわふわとしたスカートなんてごめんだ。足がすーすーするのを想像しただけで、背筋がすーっと寒くなる。

「わかってるわよ。最近話題のあの子のハートをバシッと射止めちゃうようなコーデをアナタにご提案すればいいんでしょ? 任せておきなさいって」

 なんてったってアタシはその道のプロなんだから、とロイエはウィンクを決めると、俺の腕を掴む。ロイエに半ば引きずられるようにして、俺は店舗となっている階下へと降りていく。

 ロイエは遠慮なく、俺の体に服の上からべたべたと触れていく。その目はひどく真剣で、俺は若干の身の危険を感じないでもないもののされるがままにしていた。

「うーん、そうねえ、アナタ骨格的にあまりダボッとしたものは向かなさそうね。上半身に比重を置きつつ、コンパクトに纏めるなら……そうね、トレンドを踏まえるなら、このグレージュのカーディガンにストライプシャツとかどうかしら? ストライプのブルーの色味はそうね、アレンの肌の色ならこの辺りかしらね。ボトムスはそうね……このスラックス素材のテーパードパンツがいいわ」

 ロイエは次々と店内に陳列された服を持ってきては俺へとぽんぽんと押し付けていく。

「さて、とりあえず一旦あっちで着替えてきてみてくれる?」

 俺は言われるがままに、ロイエに手で示されたレジ横の試着室へと向かう。

 だぼついたネイビーのパーカーを脱ぐと、俺はロイエに渡されたストライプシャツを着る。キャメルのチノパンツをテーパードパンツに履き替えて、試着室を出た。

 試着室の前で待ち構えていたロイエは、俺にカーディガンを着せかけようとし、手を止めた。

「あら……アレン、アナタ左腕どうしたの? 何だかちょっと動かしづらそうな感じだけど」

「ああ、これですか? これは、子供のころの怪我でちょっと」

「あら……それは何だかごめんなさいね」

 素っ気なさを装って答えたつもりが、何かを察したのかロイエは気まずそうに謝罪の言葉を口にした。俺自身は大して気にしていないのに。

 ロイエに手伝ってもらってカーディガンを羽織り、俺が着替えている間に彼が用意していたらしいローファーとアコーディオンバッグを身につけると、

「あら、首から下はいい感じじゃない!」

 自分の仕事に満足したようにロイエはうんうんと頷いている。

「さて、この後は首から上をどうにかしていきましょうか。どんなにイケメンだったとしても、女の子からしたら清潔感のない野郎は願い下げなの、わかる?」

 髪や肌がちょっと傷んでいるだけでも清潔感って大きく損なわれるものなのよ、などとロイエは言いながら椅子を持ってくると俺に座るように促した。俺はバッグを手近な棚に置くと、腰を下ろす。ロイエは大きな布で俺の首から下を覆う。彼はブラシで俺の髪を梳かしながら、

「それじゃあ、髪を整えていくわよ。傷んでいるところも多いし、ちょっと切るわよ」

「ロイエさんって、髪切れるんですか?」

 俺が疑問を呈すると、ロイエはさも当然と言わんばかりのドヤ顔で、

「自分で楽しめる程度には、ヘアカットもメイクも一通りは心得ているわよ?」

「さいですか……」

 一体どこに隠し持っていたのか、ロイエはハサミを取り出すと、俺の髪を整え始める。リズミカルで小気味よいハサミの音ともにぱさぱさと俺の体を覆う布に黒い毛が落ちていく。

 しばらくして髪を切り終えると、ロイエはべっとりとした軟膏のようなものを俺の頭に塗りたくり始めた。前髪が両サイドに分けられ、露出した額が空気に触れてなんだかすーすーする。

「ロイエさん、一体俺の頭に何塗ってるんですか……?」

 俺が恐る恐るロイエへ問うと、彼は正体不明の何かを俺の頭へ揉み込みながら、

「ああこれ? これはスタイリング用のワックスよ。こういうのを使うと好きな髪型をキープできるの」

 へえ、と俺は相槌を打つ。何だかよくわからないが便利なもののようだと俺は非常にざっくりすぎる理解をした。

 ロイエは布で一度手を拭うと、大きな筆を取り出して俺の顔についた細かい毛を払い始めた。何だか鼻がムズムズする。彼は一度、二階に戻っていろいろな小瓶やら筆やらの入った一抱えほどもある箱を持ってくると、俺の顔にぺたぺたと何か水のような液体を手際よく塗りたくりながら、

「さーて、次はお化粧をしていくわよ」

 彼の言葉に俺はぎょっとして、

「えっ、化粧って女の人がするものじゃあ……あと、何ですかその手、怖いんですけど」

 ロイエは涼しい顔で俺の頬を無駄に綺麗な手で挟み込みながら、

「アタシ言ったわよね? お洒落は別に女性だけのものじゃない、って。それはファッションだけじゃなく、美容だって同じことなのよ? あと、これはね、化粧水をハンドプレスして、肌に浸透させているのよ。清潔感のある綺麗な肌を作るには、まずはしっかりとしたスキンケアから、ってね」

「……何言ってるのか全然よくわからないんですけど、これは俺がサナに振り向いてもらうために必要なことなんですね?」

「そういうこと」

 俺と話している間も、ロイエの手は止まることなく、幾重にも俺の顔面に謎の液体やら謎のクリームやらを塗りたくっていく。俺の顔は今一体どうなってしまっているのか少し不安だ。

 画家が使うようなパレットのようなものをロイエは手にして、

「そういえば、アレンって今いくつなの?」

「えっと、十八ですけど」

「うわあ、アレンってアタシより五つも年下なのお!? 若いっていいわねえ。そりゃあ肌荒れはあってもシミはないはずだわあ……あ、ちょっと目線上にしてくれる?」

 俺は顔を動かさないように気をつけながら、視線だけを天井へと向ける。その後も俺はロイエにされるがままに、目元や眉、唇やらフェイスラインやらに謎の粉やクリームやらを塗りたくられ続けた。

「よし、こんなものね。仕上げにこれを、と」

 ロイエは俺の体を覆っていた布を外すと、シャツを捲って、脇腹へと何かをシュッシュと吹きかけた。たちまち、穏やかさを併せ持った爽やかな甘さが立ち上ってきた。

 ほらこっちに来てみて、と彼は俺を姿見の方へと連れて行く。

「えっ……これ、誰……?」

 俺は息を呑んだ。鏡に映っていたのは、黒髪黒目の見知らぬ青年だった。前髪をセンターで分けたミディアムマッシュの髪。滑らかで健康的な肌。コンパクトに纏めた服はよく体にフィットしており、上品なのに今の季節らしくどこか軽やかだ。変身させると言ったでしょう、と背後でロイエが悪戯が成功した子供のように笑いながら、

「それはアレン自身よ。どーお、びっくりした?」

 俺は呆然としながら、ロイエの言葉を咀嚼する。

「えっ……これ俺ぇぇぇぇぇ!?」

 目の前の現実をどうにか理解した俺は絶叫した。鏡の中の最早別人となった俺も同じように、驚愕に目を見開き、何かを叫んでいた。


 その日の夜、俺は王都の中でも治安の悪そうな一帯を彷徨い歩いていた。たまに建物が崩れかけていたり、足元をネズミが走り抜けていったりするし、排水溝から立ち上ってくる異臭が鼻を突く。

 俺は、サナ宛の手紙を届けに騎士団の宿舎へと向かっていたはずだった。ロイエにも場所を教えてもらったはずなのだが、王都の地理に明るくない俺は、気がつけばスラム街へと迷い込んでしまっていた。

 きょろきょろと辺りを見回しながら歩く、俺を暗がりからガラの悪そうな男たちが明らかに余所者の俺を品定めするようにじっと見ているのを感じる。俺は手紙を仕舞ったシャツの胸ポケットを手で押さえる。

 ふいに胴体の左側に衝撃が走った。当身を食らわされたのだと気づくころには、俺は体勢を崩していた。何か金目のものと勘違いされたのか、胸ポケットから強引に手紙が抜き取られる。ばたばたと何人かが路地を駆け抜けていく音がした。

「ま、待て!」

 そう叫びながら地面へと倒れかけた俺の体を差し出された誰かの腕が支えた。

「お怪我はありませんか?」

 月の光を背に浴びながら、こちらを覗き込んでくる白皙の美貌は俺のよく知る人物のものだった。俺は左半身を庇いながら、身を起こすと彼女の名を呼んだ。

「サナ」

 彼女は怪訝そうに形の良い眉を寄せると、

「誰?」

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