第一章:王都という名の洗礼①

 俺は久々の地面を踏みしめると、凝り固まった体で大きく伸びをした。視界へ飛び込んでくる王都の景色は新鮮で、喧騒が楽しげな音を奏でている。

 俺には幼馴染がいる。彼女は、一昨年、騎士になりたいと言って、故郷のノーリス村を出て、王都へと旅立って行った。

 騎士になるため、王都の学校で彼女が学んでいた二年の間も、俺たちは時折、手紙でやりとりをしていた。この春に彼女が騎士学校を卒業し、まだ新米とはいえど正式に騎士になってからも、それは続いていた。

 先日、彼女から手紙が送られてきた。近いうちに行なわれる建国祭に遊びにこないか、少しなら時間が取れるから王都を案内したいという旨が書き綴られていた。

 俺はすぐさま王都行きを決めた。俺は村長の三男という働かなくても食べていけるお気楽で暇な身の上であり、迷う理由などどこにもなかった。彼女が暮らしている王都や建国祭というものがどんなものか興味があったし、何よりも久々に彼女に会いたかった。

 俺は彼女へ返事を送ると、王都へ向かうべく準備を始めた。そして、村を出て、近くの町から出ている王都行きの乗り合い馬車でここまで旅をしてきた。

 道中で天気が崩れ、足止めを食らった俺は、予定より一日遅れて王都へたどり着いた。建国祭の一日目である昨日は、最近人気の役者が出演する舞台があったということだが、そういったことに疎い俺はさほど関心はない。彼女と約束している今日に間に合うようにどうにか王都に着けただけで充分だった。

 彼女との約束の刻限まで、まだ少し時間があった。せっかくの建国祭だ、少し辺りを見て回ろうと俺は飾り気のないグレーのリュックサックを背負い直すと歩き出した。


 そういえば昼食を食べそびれていたなと思い、俺は食べ物の屋台が立ち並ぶメインストリートで足を止めた。美味しそうな食べ物の香りが俺の鼻腔を擽り、食欲を刺激する。

 ネイビーのパーカーのポケットの中を弄り、手持ちの小銭の額を確認すると、俺は恰幅の良い中年の女性がクレープを焼いている屋台へと近づいた。

「おばさん、ツナマヨ一つ」

「はいよ、銅貨五枚だ。あんた建国祭を見に来た旅行者かい?」

 俺が注文を告げると、女性は慣れた手つきで鉄板の上へと生地を薄く広げた。俺は代金をポケットから取り出しながら、女性の言葉へと頷いた。

「この街で騎士をしている幼馴染に建国祭に遊びにこないかって誘われて。途中で天気が崩れて足止め食らったんで、さっき着いたとこです」

「そりゃ災難だったね。昨日着いてればいいもんが中央広場のステージで観られたんだけど」

「えーと……何か今人気の舞台俳優が出るとかっていうあれですか?」

 何といったかと俺は脳内を探るが、大して演劇に興味があるわけでもないため、それらしき人物の名前は見つからない。

「そうそう、ルコット・サリュウスの舞台なんだけどね。アイミー・エルメっていう相手役の女優が急病で出られなくなったとかで、会場の警備に当たってた騎士の女の子が急遽代役で出たんだけど、あれはすごかったね! 素人だっていうのに堂々としていて、アイミーよりもいいって言う人もいるくらいだよ」

 これこれ、と女性は出来上がったクレープと一緒に今朝の新聞を俺に押し付けてきた。俺は紙面に視線を走らせ、息を呑んだ。

「サナ……!?」

 一面の上部を大きく占める白黒の写真の中で、俺がよく知る少女がシュッとしているのにどこか甘い色気を感じさせる男に抱き寄せられていた。屋台の女性に悪気がないのはわかってはいるけど、十年以上にわたって彼女に想いを寄せ続けている身としては、これって一体何ていう嫌がらせだと思う。演技とはいえ、潤んだ瞳でサナはルコットを見つめていて、彼女はあんな目で誰かを見ることがあるのかと俺は打ちひしがれる。彼女が村を出るまでの十五年間、あんな顔は見たことがなかった。これが今人気のイケメン舞台俳優かと思うと、十人並みの容姿の俺では全く太刀打ちできる気がしない。これをきっかけに、ルコットとサナがそういう関係に発展する可能性が全くないとは言い切れないわけだし。

 俺は新聞を屋台の女性へ返すと、無気力にクレープの具のない部分を齧りながら、その場を立ち去った。


 何となくふらふらと歩き回るうち、俺は気がつけば中央広場へと来ていた。これからちょうど、何かイベントが始まるところらしく、辺りは賑わっていた。 

 俺は適当にその辺りに寄りかかりながら、先程のクレープと歩いている途中で買ってきたホットドッグで腹を満たしていると、はしゃいだ少女の声が耳に飛び込んできた。

「ねえ、この後の剣舞ってシャオル殿下が出られるんでしょう! すごく格好いい方だっていうし楽しみ!」

 シャオルというのはこのエルリエ王国の第一王子だ。庶民の俺はもちろん会ったことなどないが、かなりのイケメンらしいという話は耳にしたことがある。

 間もなく、催し物の開始が告げられ、白い服に身を包んだ金髪碧眼の青年が、淡い紫色のドレスに身を包んだ少女を伴ってステージ上に姿を現した。網膜に映った少女の姿に、俺は思わず声を漏らした。

「え……」

 長い銀髪に紫の双眸。剣舞のための華やかな衣装に身を纏っていてなお、それに負けることのない妖精のように可憐な容貌。間違いなく俺の幼馴染のサナ・シルフィスだった。

 彼女は装飾の美しい宝剣をその手に構えると、シャオルと打ち合いつつ、迷いのない足捌きでステージの上を舞う。シャオルも余裕を持ってその動きに応え、サナのものと対になる剣を打ち込んでいく。

 優しく降り注ぐ金色の春の日差しと秋の夜長に舞う銀色の月光。二人の剣舞はそんな幻想的な雰囲気を纏っているように素人目には見えた。

「あの子、もしかして昨日のルコットの舞台に出てた……?」

「アイミーの代役の子よね。騎士団の今年の新人らしいって聞いたわ」

「それであの動きっていうなら、なかなかすげえな。殿下だって剣の腕はかなりのものらしいっていうし」

「ていうかあの子可愛いな」

 サナへと人々の注目が次第に集まっていき、ざわめきがさざなみのように広がっていく。なかなか際どいところまで露出された胸元に背中のライン。彼女が舞う度にふわりと翻るドレスの裾の中からちらりと顔を覗かせるしなやかな素足。それらも含めて彼女が人目に曝されているという苦々しさが口の中のケチャップの後味を上書きしていく。幼いころからずっと一緒にいた、自分だけが知っていた彼女が、どこか遠くへ行ってしまったような気がした。

 剣を携えてシャオルと共に舞うサナの姿を直視するのが何だか辛くて、俺はステージに集中する群衆をかき分け、その場を逃げ出した。

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