雰囲気イケメンですが彼女の恋愛対象になれますか!?

七森香歌

プロローグ:彼女の決意

「アレン!」

 涙混じりの声でサナが俺の名前を呼んでいた。そんな顔するなよ、サナはかわいいのに台無しじゃんか、と軽口を叩きかけたが、言葉にならずに俺の口から漏れたのはうっという呻き声だけだった。

 左腕が痛かった。何だか生臭い匂いが漂っているし、ぬるぬるとした生暖かい液体がだらだらと傷口から流れ出している。サナが自分のハンカチを傷口に当ててくれてはいたが、それが特に役に立っている様子はなく、ただ無意味に彼女のお気に入りのハンカチを汚してしまっただけの結果となっていた。

 自分の腕がどうなっているのか怖くて見られる気がしないが、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっているサナは特に怪我をしている様子はなく、俺はぼんやりとした意識の隅で安堵を覚える。俺のせいでサナに怪我なんてさせたくはなかった。

「アレン! サナ! 無事か!」

 少し離れたところで村長である父親の声が響く。他にも何人か村の大人たちが一緒にいるようで、霞み始めた俺の視界で複数のランタンの灯りがちらちらと揺れていた。

「……っえぐっ……、村長さん、たすけてっ……アレンがっ……私を庇って、アレンが……アレンが怪我したのっ……!」

 泣きながらサナがそう訴えると、焦った様子の大人たちが俺たち二人の元へと駆け寄ってきた。父親――ゼルクは地面に横たわる俺を見ると、

「アレン! 大丈夫か、しっかりしろ!」

 この馬鹿息子がサナまで巻き込んで、とこんなときでもしっかりと小言を言いながら、着ていたシャツの裾を破ると、俺の腕へときつく巻きつけていく。

「戻るぞ! 早くこいつを医者に見せねえと!」

 必死さの滲む声でゼルクはそう言った。大人たちが迎えにきてくれたからもう大丈夫――その気の緩みからか、俺の意識はそこで途絶えた。


 事の発端は大人たちに黙って俺がサナを村の外に連れ出したことだった。少し前に村を訪れた旅人から近くの峠で見た夕方の景色がまるで絵画のように美しかったと聞き、俺はそれをサナに見せてやりたくなった。綺麗な景色を見ながら、今日こそサナに思いを告げるのだと、俺は浅はかなことを考えていた。

 日が少しずつ傾き始めて、大人たちが夜に向けて忙しくなってきた頃合いを見計らって、俺はサナを連れて村を出た。完全に舞い上がってしまっていた俺は、村の外の危険性などまったく考えもしていなかった。

 俺とサナは山道を進むうちに気がつけば、ろくに人が通った形跡のない獣道に迷い込んでしまっていた。ろくに村の外に出たことがない子供が二人だけで山に入れば、迷子になってしまうのは当然のことだった。

 いつの間にか完全に日は暮れ、一体どこから来たのかということさえわからなくなってしまっていた。どうしよう、と俺は頭が真っ白になった。

 ふいに茂みが揺れ、一頭のイノシシが姿を現した。俺たちという招かれざる客の来訪に怒りを覚えているのか、イノシシは明らかに俺たちを威嚇していた。

 イノシシがサナを目掛けて飛びかかってきた。やばい、サナを守らないと――咄嗟に頭に浮かんだのはそれだけだった。俺は反射的にサナとイノシシの間に体を割り込ませた。左腕に衝撃が走り、続いて痛みが突き抜けていった。俺はイノシシに突き飛ばされる形で地面へと転がった。

 サナが何かを叫んだ。サナの声に驚いたのか、イノシシはそのままどこかへと走り去っていった。

 それからまもなく、大人たちが探しに来てくれたことは覚えている。しかし、安心からかその後すぐに意識を失ってしまったようで、どうやって村まで帰ってきたのかがさっぱり思い出せない。

「サナ……?」

 意識を取り戻した俺の横で、サナが泣いていた。暗かったはずの空が明るくなっていた。目を真っ赤に泣き腫らしたサナが昨日と同じ服のままそこにいた。

「アレン……?」

「ごめんな、サナ……その、怖かった、よな」

 そう言って俺は体を起こし、小刻みに震えているサナへと腕を伸ばそうとした。動かそうとした腕に激痛が走り、俺は呻き声を上げる。包帯を巻かれた左腕が、何だか自分のものではないみたいに上手く動かない。

「あら、アレン、ようやく気がついたのね……って、お邪魔だったかしら」

 俺の母親――ユウラがいつの間にか部屋の戸口に立っていた。一瞬、くすりと笑い声を漏らすと、ユウラは厳しい表情を浮かべる。

「アレン、あなた自分が何をしたかわかっているの? こんなふうにサナちゃんを危ない目に遭わせて、アレン自身だってこんなに大怪我をして。アレンのせいで、サナちゃんずっと泣いてたのよ? こんなふうにサナちゃん泣かせて情けないと思わないの?」

「ごめんなさい……」

 俺は悄然としてうなだれる。サナと両思いになれればという下心があったとはいえ、ただサナの喜ぶ顔が見たかっただけなのに、こんなふうにサナを泣かせてしまうなんて俺は最低で最悪で大馬鹿だ。ユウラは言葉を続ける。

「サナちゃんから聞いたわ。あなた、イノシシに襲われかかったサナちゃんを庇ったんですってね。それ自体は立派なことかもしれないけれど、一歩間違ったら死んでたかもしれないのよ? あんたが大怪我して帰ってくるもんだから母さんたちだって心配で昨夜は眠れなかったし、サナちゃんだってアレンが起きるまでずっと側にいるって言って聞かなかったんだから。これに懲りたら、もう子供だけで村の外に出たりするような馬鹿な真似はするんじゃないわよ。心配する人がいるんだってこと、よく肝に銘じておきなさい。いいわね?」

「はい……」

 俺は頷いた。自己嫌悪で目の奥に熱いものが込み上げてくるが、歯を食いしばって耐える。何もかも俺の自業自得だ。俺に泣く資格なんてない。

 やれやれ、と肩をすくめるとユウラは、口調を和らげて、

「反省しているみたいだし、このくらいにしておきましょう。アレンも起きたことだし、サナちゃんは一回家に帰らないとね。と、その前に朝ごはんにしちゃいましょうか。サナちゃん、ここにご飯持ってくるからアレンに食べさせてあげてくれる? この子今、手が使えないから」

 サナはユウラの顔を見上げると、涙で濡れた目を手の甲で拭いながら、こくりと頷いた。にっとユウラは笑うと、台所へと戻っていった。

「あの……アレン。ごめんね」

 ユウラがいなくなり、二人きりになるとサナはぽつりと呟いた。

「何でサナが謝るんだよ。悪いのは全部俺で」

「だって、アレンは私のこと庇って腕怪我したんだよ。それに、私、お医者さんが言ってたの聞いたの。怪我が治っても、アレンの腕は上手く動かないかもしれない、って。だから……ごめんなさい……っ」

 一度は引っ込んだはずの涙がまたサナの目から溢れ出した。道理で、と俺は得心した。目の前で泣いている世界で一番大好きな女の子をぎゅっと抱きしめて、その頭を撫でながら慰めてやりたいのに、動いてくれない腕に俺はもどかしさを感じながら、

「そっか……でも、サナが怪我しなかったみたいだから、それでも俺は良かったって思うよ。サナは女の子だしかわいいから、傷が残ったりしたら大変だもんな。俺がお前の父ちゃんに殺される」

 きっともっと言うべきことがあるはずなのに、俺の口からこぼれ落ちたのは中途半端な軽口だった。彼女に不必要に負い目を感じさせないように己の本心を上手く伝える術が俺にはわからず、そうやって冗談めかすことしかできなかった。俺がもっと頭が良くて、今よりも大人だったらこういうときにどんな言葉を選んだらいいのかわかったのだろうか。

 サナはごしごしと目元を乱暴に服の袖で拭うと、かぶりを振る。

「駄目なの、私はそれじゃ嫌なの。アレンはいつだって強くて優しくて格好いいけど、アレンが痛い思いしたり、辛い思いしたりするのは私が嫌なの。だから……だから、私は強くなりたい。アレンに守ってもらわなくてもいいくらい……ううん、今度は私がアレンを守ってあげられるくらい」

「サナ……」

 俺を見つめるサナの紫の瞳は、思いの外強い意志の光を秘めていた。

 この出来事が今後の彼女の未来を大きく変えることになるとは、幼い俺たちは思いもしていなかった。

 窓から朝の光が差し込んでいた。

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