第8話 専属モデルの初仕事
「それで、今日俺を呼び出したのは何だ」
わかってはいるけれど、話を進めるには聞くしかない。粟島は厚い唇に美しい三日月を浮かべ、明瞭な口調で断言した。
「霧生くんの初仕事よ」
「……一応聞いておくが、それは女装モデルとしてのか」
「そうね。女装モデルの」
粟島が繰り返したのはわざとのような気がする。
「冬に間に合わせるにはもうネームを作っておかないと。キャラ造形ができてないままだとどう動かしたものかわからないし」
「……またメイド服を着るのか……?」
「いいえ違うわ。今度は別の服よ」
クラシカルなメイド服をグロッキーな気分で思い出していたが、粟島はあっさりと否定した。
「私が描こうとしているのは普段着として女装をしているヒーローだから。スーパーモデルみたいにかっこいい服も着こなすのよ」
ちょうどこの間の霧生くんみたいにね。
そう言われてもまったく同意できない。
「今更なんだが、俺がモデルをするそのマンガってのはどんな話なんだ」
「気になる?」
「仕事としては」
「私のマンガに興味がある、って言ってくれればいいのに」
「社交辞令は苦手なんだ」
つれないわね、と粟島は残念そうに口を尖らせた。残念とは言ったが心底惜しいようには見えない。俺の反応を見て楽しんでいるところが大きいんだろう。
粟島はクロッキーブックを取り出し、いくつかラフ画を見せてくれた。鉛筆を何度も走らせたそこにはヒロインとヒーローが並んでいる。ラフの状態だから表情などは書き込まれておらず、体格差がわかる程度のものだが。
「学校では優しい王子様キャラのヒーローに、実は女装趣味があった、って話よ。ヒロインはひょんなことから彼の秘密を知ってしまい、口止めのために彼に協力することになるの」
「……なんとなく他人事とは思えない話だな」
「霧生くんも女装が楽しくなってきた?」
「無理矢理協力させられるあたりが共感する」
「私達は利益の一致した協力関係よ」
しかし女装趣味のヒーロー、ね。昨今は多様性とかジェンダーレスとか声高に叫んでいるし、これが特殊な趣味ってものでもなくなるんだろうか。正直他人の趣味にケチをつけるつもりはないが、俺自身は趣味にしたいとは思わない。
「それで、ヒーローのビジュアルラフを何パターンか作りたいんだけど、女装したときにどれくらい体型をカバーできるのか、どんな服だと違和感がないか確認しておきたいの。インターネットに画像はいくらでもあるけれど、やっぱり実物を見るに越したことはないから」
理解したくないが理解した。
「それで? 今度は何を着るんだ。まさか今から服を渡すから着替えろとか言わないよな」
「さすがにそれはないわ。今日は顔合わせなの」
「顔合わせ?」
「ええ。私の頼もしい仕事仲間を紹介したくて」
そう言って粟島がスマホの画像を見せたのと、美術室の扉が開いたのはほぼ同時だった。
「こんちゃーっす、るい先輩!」
やけに明るい、フランクな挨拶をしてきたそいつを見て俺は絶句した。
明るい栗色のツインテールに吊り上がった猫目。外見通りのエネルギッシュな女子生徒を、俺は知っている。なんならつい先日会った。
家庭科室の野次馬だ。
「おま、……」
「あっ、霧生先輩じゃないですか! こないだぶりでーす。家庭部所属一年・
軽快に敬礼してみせるその女子生徒を認識し、俺は思わず天を仰いだ。なんだよ神様そりゃないぜ。
仮にも友人を振った男に対して後腐れのない晴れやかな笑顔。先輩にも物怖じせず突撃してくる積極性。相手のことを慮ることのない踏み込み方。
間違いない。俺の苦手なタイプ。そんなやつらばっかりだ。
「あら、霧生くんと佐賀美さんは知り合い?」
「顔を見ただけだ」
「つれないこと言わないでくださいよ先輩。はーちゃんを振った現場に居合わせたじゃないですか」
「おい」
いきなり粟島に誤解を与えかねない話題を振るのはやめてくれ。
「はーちゃん?」
そしてその話題を無視する粟島ではない。佐賀美は猫撫で声で語りだす。
「そうなんです、聞いてくださいよ先輩! はーちゃんっていうあたしの親友がいるんですけど、すっごく恥ずかしがりやさんなんです。で、こないだ勇気を出して憧れの霧生先輩に告白したら……振られちゃったんですー!」
「それは、ご友人はお気の毒だったわね」
粟島の言葉はあまり気の毒そうに聞こえない口振りだが。
「でしょでしょ! でもはーちゃん強い子だから、これからも霧生先輩は憧れだって言ってました。かーっ、いいこですよねはーちゃんってば!」
とりあえず、この佐賀美という口やかましい一年生が「はーちゃん」を溺愛しているのはわかった。あとは想像通りのマシンガントークだということも。
「ところで先輩知ってます? なんと霧生先輩には好きな人が」
「ちょっと黙れ佐賀美」
名前を知ったばかりの後輩相手に乱暴できるほど俺は馴れ馴れしくない。というか自ら接触するとか無理。ただ声を荒げただけではこの手のタイプは会話を止めないので、やむを得ず俺は黒板の横に立て掛けられていた指差し棒で佐賀美の後頭部を突いた。
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