第9話 被服の達人

「ちょっ、先輩つつかないでくださいよ!」

「なら黙っとけ」

「はぁーい……」


 佐賀美は恨めしそうに俺を見ながらも口を閉ざした。このお調子者を調子づかせてはなるまい。


「話は終わった?」


 粟島は嵐のような後輩を前にしても動じていない。


「改めて紹介するわね。家庭部一年の佐賀美澪さん。コスプレイヤーよ」

「……コスプレ?」


 相変わらずぶち込まれる情報の勢いが強すぎる。マンガを描いている粟島の次はコスプレイヤー? サブカルチャーとはあまり縁がなかったが(週刊誌を読んだりくらいはするが)、俺が巻き込まれようとしている世界は思っていたよりもかなりディープなのかもしれない。

 こういった趣味を俺の前で堂々と言える、というのも、失礼かもしれないが意外だった。


「霧生先輩が女装モデルになると聞いて! ここはあたしの出番だとるい先輩から託されちゃったわけですよ!」

「佐賀美さんの被服の腕は確かよ。霧生くんに女装してもらうなら最高の衣装を用意しなくちゃ」


 ありがたくない向上心が胸に刺さる。


「粟島もこの間メイド服を作ったと思うが」

「既製品をいじった程度よ。型紙を引けるわけじゃないわ」


 ということは完全オーダーメイドで作る気なのか。マンガのキャラクターのためにそこまでするものか?

 おそらく、粟島るいのこだわりは普通ではないのだと思う。ただ、ちょうどいい素材とちょうどいい才能の持ち主が身近にいたから掛け合わせただけ……というか、本人の願望も少し混ざってるんだろうか、もしかして。


「あ。先輩もしかして、何か裏があると思ってます?」


 エスパーかこいつは。


「……流石に都合が良すぎるだろ。マンガひとつ描くのに佐賀美が服を一から作るなんて」

「まあ、とんでもない労力ですからね。でもこれはあたしとるい先輩、Win-Winの話なんです」


 勿体ぶるように佐賀美は人差し指をちっちっちと振った。小馬鹿にするような言動に口の端が引き攣る。


「るい先輩はリアルな女装をモデルに絵を描ける。そしてあたしは服を作る練習ができる。自分の体型に合わせた服ばっかり作ってると、それしか作れなくなりますから」

「なんというか」


 意外と真面目な理由なんだな。

 そう言おうとしたが「え? なんですか先輩、もしかしてあたしのこと見直しちゃいました?」と含み笑いたっぷりに返されたので呑み込むことにした。


「できるだけ普通の服にしてくれ」

「えー、それはそれでつまんなーい!」

「粟島の描くキャラは普段着に女装をしてるんだろ」

「まあ、そうですけど」


 それでも何か未練があるのか、ちらちらと粟島に視線を投げる佐賀美。巻いたまつ毛を何度も瞬かせて加勢を要求しているが、粟島は我を貫く性分だ。下手なことでは流されない、それを俺は悪夢の日に知っている。


「そうね。今回のコンセプトは街中にいても違和感がない服装。けれど立ち居振る舞いで人の目を引く……その辺の商店街をランウェイにモデルが歩いていくイメージね」


 それは浮いていると思う。


「……わかりました、別に今回だけで終わるわけじゃないですもんね」


 俺としては今回で終わって欲しい気持ちもある。粟島とのことを考えるとそこは曖昧にしたい部分だ。


「不肖・佐賀美澪。最高の服を作ってみせますとも!」


 じゃあさっそくよろしくお願いします、と俺はしばらく採寸のため佐賀美に拘束されることになった。


 ***


「あ」

「あ」


 彼女に会ったのもまた仕組まれていたのかもしれない。神様ってやつはどうも俺に過酷な展開ばかり用意するものだから。


 佐賀美の採寸から解放されたときには時計は六時近くを指していた。粟島と佐賀美は衣装デザインについて細かな打ち合わせがあるという。俺の仕事は今日はもうないということで、長居することもなくさっさと美術室を出た。


 扉のすぐ脇に彼女はいた。「はーちゃん」だ。

 粟島や佐賀美も背は高くないが、彼女はもっと小柄だ。例えるなら小動物のような。俯いてスマートフォンをいじっていたが、扉の音に反応したのだろう。俺と目があってしまった。

 気まずい。


「えっと……」


 無視するか? いやいやさすがにそれは最悪すぎるだろう。でも仮にも俺が振ってしまった一年生だ。佐賀美いわく恥ずかしがり屋で目立つような子ではないんだろう。佐賀美に比べればずっと人畜無害な顔をしている人間を前に鬼の所業は許されない。

 かといって何を話せばいい? 「この間は振ってごめん」とでも言えばいいのか? 日常会話にしてはきつすぎるジョークだと思う。佐賀美はともかく彼女は本気で傷つきそうだ。


 ここに来て対人関係の苦手な性分が憎まれる。


「この間は、ありがとうございました」


 そんなとき俺を救ってくれるのは、やはり彼女自身だった。鈴の音のような澄んだ高い声で少女が丸い頭を下げる。


「いや、……悪い」

「いいんです、謝らないでください。突然見ず知らずの後輩から告白されて、戸惑ったのは先輩のほうだと思いますから」


 彼女は落ち着いた声でそう返した。あまりに人間ができすぎている対応だった。

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一匹狼は女装契約中 有澤いつき @kz_ordeal

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