専属モデルの初仕事

第7話 あなたは美貌の一匹狼

 放課後家庭科室で、と呼び出された時点で嫌な予感はしていた。名前を初めて聞いた女子生徒。中学校でも覚えがある感覚は、ここ最近ようやく落ち着いたと思っていたのに。

 行かないこともできるのだが、薄情者だと揶揄されるのも嫌だった。これが悪意ある人間の罠で、俺を集団で暴行するとかなら考えものだが、生憎やんちゃをしていた過去もない。


 高校一年生。家庭部所属。俺のことはどこで知ったんだろう。


「あの、私、霧生先輩のことが、好きです」


 突然呼び出してすみませんとか、緊張して視線を俺の斜め後ろに向けているあたり(大方物陰に隠れて見守っている女友達がいるんだろう)、そういったやり取りをしたような記憶がないわけでもない。ただ、前置きの部分にはあまり意味がなかった。

 やっぱりこのパターンか、と落胆するくらいで。


 少しだけ間をおいて、俺は静かに切り出す。最早定型文だ。


「……悪いけど、君の気持ちには応えられない」


 女子生徒の息を呑む声。斜め後ろからも聴こえた気がする。そう、これは俺と彼女だけの問題ではない。一世一代の告白シーンですら、ドラマのように観衆がいるだなんて。

 断る方の身にもなれ。


 女子生徒は詰まるような呼吸を繰り返し、掠れた声で「そう、ですか」と呟いた。それから無理矢理笑顔を作って礼を言う。俺だってそんな顔をさせるのは心苦しい。けど、変に期待をもたせることをしても無意味だろう。


「ひとつだけ、聞いていいですか」

「……何?」

「私の気持ちに応えられないっていうのは……好きな人がいるから、ですか」


 今までなら。

「恋愛のことを考えられない」と、機械のように答えていた。誰を好きでもないけれど、他人に興味を抱くことができなかったから。距離感を測りかねていたから。

 けれど今は。


 ――霧生くん。私の専属女装モデルになってくれないかしら。


 真っ先に浮かんでしまうのは、粟島るいの顔だった。


「そう、かな」


 だからそう、軽率に。粟島のことを考えて、するりと。俺は第三者がいるのを忘れて失言をしてしまった。


「えっ⁉ 先輩、好きな人がいるんですか⁉」


 そう言って飛び出してきたのは、傷心の失恋少女ではなく野次馬の方だ。急に沸いてきた女生徒に詰め寄られる形になり、また俺自身思わずこぼしてしまった本音であり、動揺でうまく話せる気がしない。


「は、なんで、出てきて」

「あたしのことはどうでもいいですから!」


 どうでもよくないわ。


「で、で、いるんですか? 誰なんですか? 文化祭の女装と何か関係が」

「やめてよ、先輩困ってるから……!」


 質問攻めで完全に混乱していた俺を救ってくれたのは、俺が振った女子生徒だった。情けないったらない。


 ***


 文化祭で不本意なメイド姿を晒してからというもの、他人との距離がやたらと近くなった。


 まず視線を浴びる機会が増えた。クラスの出し物とはいえ文化祭。他学年、部活動と学校の様々な属性の人間が興味本位で覗いてくることになれば、悲しいことに俺の姿を知るものも増える。バスケ部の後輩にバレたことが個人的には一番堪えた。


「霧生先輩ってクールなイメージあったけど、こんな面白いこともするんスね」


 悪気がないのはわかっているし、別にクールでありたいわけでもないが、あれ以降部活で女装をいじられる。


 話しかけられることも増えた。顕著なのはクラスメイトだろうか。俺を遠巻きに見ていたやつらが挨拶をするようになり、これはまあ、人間関係が下手くそな俺にとってプラスになったと信じたい。

「で、次はいつ女装する?」と葉室に言われたときは頭をはっ倒したくなったが。


「大人気じゃない」


 粟島はまるで自分のことのように嬉しそうだ。

 諸悪の根源、粟島るい。一回だけのはずだった女装を契約で縛った女。これきりの関係をずるずると引きずることになってしまったのは、俺の弱さなんだろうか。


 部員のいない美術室での打ち合わせは暗黙の了解になっていた。契約関係になったのだからと茶化すように言われ、あっさりと連絡先を交換して。本来なら高難易度クエストだったはずの連絡手段入手を突破できたのは幸運なのかもしれない。にしたって代償がでかすぎる。


「毎日視線を感じてつらい」

「あら、でもバスケ部の憧れの先輩なんでしょう?」

「アイドルじゃないんだぞ、俺は」


 他人が俺に何かを期待するのは勝手だが、見世物でやってるわけじゃない。部活にギャラリーがいるのは以前にもあったことだが、文化祭以降その人数は増えたように感じる。追い返す側の顧問の対応が巧くなってきた。


「でも良かったと思ってるわ、私は」

「どうして」

「霧生くん、前よりも話しやすくなったから」


 言葉に詰まった。


「以前はちょっととっつきにくいところがあったけど、今回の件でそういう壁が薄くなったのかなって」

「……別に、誰とも話さないわけじゃ」

「ええ、話せばわかるわ。意外と押しに弱いってことも」


 それは俺のどこまでを見透かして言っているのだろうか。別に好意がバレてもいい気はするが……いややっぱりバレたくない。何を言われるかたまったもんじゃない。もう少し心の準備期間がほしい。

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