第17話 温もり
シルフィが慌てて姿を紋章の中に隠し、俺は力なく振り返る。
「血のあと……まさか『悪魔型』にやられたのか!? それとも『魔法使い』か……!」
「フォーメズ、とりあえず回復薬を飲ませてあげろ。事情も聴きたいしな」
焦燥するフォーメズの後ろから、赤毛の男性が声をかけた。ラエティティア家の当主で、イーラの実の父親だ。
「……ああ。……飲めるか?」
「うん……」
フォーメズが懐から取り出した回復薬を、俺は一息に飲み干した。といっても貧血になっているだけで外傷は無いので、見た目的には変わらないが。
「ウェント、家に居ろと言っただろう……『セルビトロスの森』にお前のような子供が入ってはいけないとも、いつも教えているはずだ」
「すみません……」
「……まあいい。説教はあとだ。それよりも、ここで何があった? 先ほどの竜巻は『悪魔型』が放ったものなのか?」
「い、いや……よくわからない……」
誤魔化すしかない。本当のことを言ったら、どんな目に合うかわからないから。
俺はふと、フォーメズの後ろに控える集団を見遣った。
そして、度肝を抜かれた。
ラエティティア、アイトリアー、ポイニークーン……プルトスを治める三巨頭の当主や幹部達に、オールビィ家お抱えの騎士団百余名。全ての人間が手練れであり──プルトスの最高戦力が揃っていた。
それが『悪魔型』の討伐部隊であることはすぐにわかった。
なら、この人達を安心させるためにも、アローサル師匠の雄姿を伝えるためにも、真実を話さないといけない。
そう思い、俺は重く口を開いた。
「父さん、悪魔型の魔物は……この森の魔法使いが──」
「──やはり、魔法使いが裏で手を引いていたのか」
「──えっ…………?」
フォーメズのその言葉で、自分が何を言おうとしていたのかが、一瞬で抜け落ちた。
「この森に魔法使いが住み着いているという情報があった。恐らく、奴が『悪魔型』を引き寄せたのだろう。狙いは、まだわからんがな」
視界が揺れる。父親が何を言っているかわからなかった。どうして師匠のせいになっているのかわからなかった。
いや、俺はわかっていた。忘れていただけだ。この国の人々の感情の根底にあるものを。
魔法使いは嫌われている──否、憎まれていると言っても過言ではない。
早く誤解を解かないと。師匠が善良な魔法使いだと説明しないと。
「…………ちがう」
「フォーメズ様! この道の向こうに、魔法使いの棲み処らしきものを発見しました!」
しかし。否定する俺の声は、斥候の報告でかき消された。
「よし、分かった。……ウェント、お前は騎士達と一緒に後方に控えていろ。……悪しき魔法使いと、『悪魔型』は我々が屠ってみせよう」
フォーメズの瞳には邪念も疑念も一切なくて。
街を守る一人の騎士が、脅威を排除するためにそこに居るだけだった。
「──さ、ウェント坊ちゃん。こちらに……」
顔見知りの女性騎士が、俺の肩をつかんで自らに引き寄せる。
父達の姿が遠ざかっていく。討伐部隊が師匠の住処に近付いていく。
シルフィの力なのか、離れているのに彼らの声が風に乗ってひどく鮮明に聞こえた。
「人の気配はないな──」
「我々の行動を察して逃げたかも──」
ちがう、師匠は逃げずに戦った。病気の体を酷使して命と引き換えにバーミニアを殺した。
「中は怪しげな書物と薬品であふれています──」
「押収は──」
本棚にあるのは大半が歴史書で、薬品は彼の病気を和らげるためだけのものだ。
「結界を張った痕跡が見られますね──」
「我々の目を欺いて──」
それは、俺が魔物に襲われないように、師匠がわざわざ張ってくれたものだ。
「血痕が──」
「人体実験の可能性──」
それは師匠の死闘の証だ。
「今後この棲み処に戻ってくることも──」
「なんらかの魔法の罠が──」
「焼き払うべきでは──」
そこに帰ってくる人はもういない。
その住処にかけられている魔法は、どれもがくだらなくておかしな魔法ばっかりだ。
その大樹には、偉大な魔法使いが住んでいた。正しい人間がこっそり隠れて生きていた。
歴史を紐解くのが大好きで、勇壮なフクロウを飼っていて、ドジな小人を住まわせていた。
弟子の俺と、記憶喪失の精霊をよく叱っていた。
授業はいっつも屋外で、冬は凍えそうになった。俺が魔法を暴走させて、置物を壊してしまった。レフが目の前でミミズを飲み込む姿が気持ち悪かった。
師匠は咳がひどかったから、蜂蜜酒を作ってあげた。師匠は泣きそうになりながらそれを全部飲んでくれた。シルフィは大抵眠るか食べるかしていたけど、ときおり窓の淵で遠くを眺めていた。
『
その家には。その住処には。
六年の思い出が──誰も知らない、俺達だけの日々が──つまっているんだ。
「はなして……」
「坊っちゃん、動かないでください。まだ敵がどこに潜んでいるかわかりません」
「敵なんて、どこにもいない! 放してくれ!」
「ど、どうしたんですか、坊ちゃん……すみません、もう何人か人手をください」
女性騎士が困惑した様子で周囲に呼びかけた。それを受けて、近くにいた騎士達が訝しげに近づいてくる。
「────放せッッッッッ!!」
火花のようにマナが音を立て弾け、女性騎士が「きゃっ!?」と俺の肩から手を放した。
脇目も降らず、
近づいていた騎士たちを押しのけて。
周囲を警戒していた各家の傭兵を置き去りにして、駆ける。
そうして、今まさに師匠の住処に火を放とうとしていたプルトスの重鎮達の前に躍り出て。
「ここに──この場所に手を出すなッッッ!!」
ありったけの力を込めて、俺は叫んだ。
名家の当主たちが困惑した顔を浮かべる中、フォーメズが前に進み出る。
「ウェント……どうしたんだ。ここは悪しき魔法使いの棲み処だ。残すわけにはいかん」
「だめだ……父さん。それだけはだめだ……! ここは、ここに住んでいた魔法使いは……本当に偉大で、優しい人だったんだ」
「……ウェント。まさか、魔法使いにほだされたんじゃないだろうな」
フォーメズの顔つきが変わる。俺を見る瞳に、敵意が混じる。
「魔法使いなど、戦時以外は役に立たない存在だ。居るだけで無辜の人々の心を苛み、厄災を招く。平和になれば、魔法とともに淘汰される劣等人種だと……何度も教えたはずだが?」
「違う。魔法は美しいものだ。この世でただ一つ、神代の頃から変わらない歴史の神秘だ。正しい魔法使いが魔法をつかえば、多くの人々を救える! 俺はいままで、何度も、魔法に──魔法使いに、救われてきたんだ!」
「……重症だな。もう一度徹底的に教え込まなければならんようだが……それは、あとでいい。今はお前の後ろにある魔法使いの棲み処を──焼き払う!」
フォーメズが腕を横に薙ぐと同時に、ラエティティアの当主が紅蓮の炎を纏った剣を振り下ろした。
切っ先から放たれた炎刃が、俺の背後にある師匠の住処めがけて飛来する。
「ふっ────!!」
右手を掲げマナを込める。紋章がそれに答えて緑光と共に突風を生む。
果たして──ラエティティアの炎と俺の風はぶつかり合った後に互いに消滅した。
「っ!?」
「今のは……」
「マナを『装備』したわけではないな……」
「魔法を……使ったのか! オールビィ家の次期当主であるお前が!!」
周囲の大人達がざわめき、フォーメズが遂に怒鳴り声を上げた。
「それが何を意味するのか分かっているのか……! 情けない……魔法になど現を抜かしおって……!」
父の非難を受けても、俺はなおまっすぐに襲撃者達をまっすぐ見据える。
「……ウェント。過ちを認め、魔法のことをすべて忘れるんだ。そうすれば、お前はまだやり直せる。悪しき魔法使いに唆された、ただの騎士でいられる」
「…………無理だ、父さん」
「……っ! お前に魔法を教えた魔法使いは、この街に『悪魔型』を呼び寄せ、街の人々に恐怖を与えた! お前はまだ幼くて一つの物事しか見えていないから、悪しき存在である魔法を美しいものだと思い込んでいるだけだ!!」
フォーメズの表情はいまだに険しいままだ。なのに、彼の言葉はどれ一つとして、胸を打ってくれなかった。
きっともう、分かり合うことはできないのだと、俺は悟った。
そのたった一つの物事が、彼が『悪』だと断じたものが、なによりも大きくこの心を動かしてしまっているのだから。
「……ここに住んでいた魔法使いは──アローサル・アルゲントゥムは、悪魔型を呼び寄せてなんかいない。あの人は……あの人は、命がけで、病に侵されながら、この街を守ったんだ……!」
「アローサル……っ!?」
「人魔大戦の英雄、だと……?」
師匠の名前にざわめきが大きくる。それを無視して、俺は言葉をつなぐ。
「どうして、会ったこともないあの人のことを、そんなに侮辱できるんだ。ここで何が起きたかも知らないくせに、どうして『魔法使い』であるというだけであの人を貶められるんだ……!」
唇を震わせ、拳に力が入る。
目の前に集まった、大人達を見据え、俺は叫んだ。
「何も知らないくせに、あの人の死を冒涜するな!!」
風が起きる。木々が怒り狂ったようにさざめき、草花が踊るように舞い上がる。
「俺がいる限り、この場所には誰も入れさせない! 実の親だろうと、プルトスの三大侯爵家だろうと、熟練の騎士だろうと! 差別の目しかもっていない奴らが、ここに触れられると思うな!」
俺の声が風に乗り、『セルビトロスの森』に居るすべての人間に響き渡る。
これは──決別の意志だ。
地位も、未来も、信頼も、愛情も、幸福も、安寧も──その一切全部を捨てる覚悟だ。
「ウェント、目を覚ませ……! お前は騎士だ……!」
「──違う」
静かに、父の言葉を──今までの自分を否定する。
「俺は……偉大な『聖銀の魔法使い』──アローサル・アルゲントゥムの弟子!! 魔法使いの──ウェント・オールビィだッッッッッ!!」
そうして俺は──幸せな日々に別れを告げた。
「──これが……二年前の『プルトス事変』の顛末だよ」
長い回想を終えて、語り部役を務めた俺は大きく息を吐き出して頭を掻いた。
ただ記憶を話すだけなのに、ひどく疲れた。完全に精神的なアレだ。
「結局、俺がシルフィの力でプルトスの重鎮達を追い返して、それ以降師匠の住処に介入しようとする人はいなくなった。俺が魔法使いであるって宣言したことは多くの人が聞いていたし、街の人達に広まるのも当然のことだった」
ウェント・オールビィが『オールビィ騎士侯爵家から堕ちた魔法使い』という扱いになるのは、時間の問題だった。
「俺はそれ以降、家の人々から距離を置いて、この森で魔法の研鑽をつづけた。……だから実は、俺の魔法って半分ぐらい独学なんだよな」
少し自嘲気味に呟いて、俺はもう一度ため息をこぼす。
「……長くなったな。そろそろ帰ろう……冬は日が短いし」
無言で立ち尽くすイーラに視線を送り、俺は座っていた切り株から立ち上がろうと──
「……待って」
「え?」
──したところで、イーラに両肩を抑えられた。
思わず彼女の顔を見つめると、紅い瞳が涙の膜を張って揺れていた。
「イーラ……?」
「あなた……そんなこと……今までずっと抱えていたの……? 二年の間、誰にも、なんにも言わずに、ひとりぼっちで……?」
「いや、シルフィがいつもそばにいてくれたし、アメラだってこのことを知ってるぞ」
「ほとんど変わらないじゃない!」
俺を凝視しながら、イーラは声を張り上げる。
「ずっと、二年間もずっと……! あなたは孤独を抱えてきたんでしょう!? 自分が悪いって、自分の罪だって……そんなの、辛くないわけないじゃない……」
「イーラ……」
潤んだ瞳は、まるで俺の心を見透かすかのように熱を帯びる。
納得したわけじゃなかった。もしあの日風が吹いていれば、『悪魔型』の情報を早く知っていたら、俺があの日もっと上手くやれていたら……。
俺は今も、昔のように過ごせていたんじゃないかって。
いくつもの夜を疑念と空想で使いつぶして、朝とともにやってくる失敗後の現実を見て、知らずに歯を食いしばってきた。
──けれど。
「それでも、あの日その選択をしたのは俺だ。だったら、俺が背負わなきゃいけないだろ」
「…………そんなに悲しいことは言わないで」
ついに、イーラの瞳から大粒の涙がこぼれる。
「そんなこと続けていたら、あなたはきっといつか……押しつぶされてしまう」
そうしてイーラは涙声で呟きながら、そっと俺のことを抱きしめた。
「イーラ……っ!?」
「だから……辛くなったら、ちゃんと吐き出してよ。吐き出せる人をもっと増やしてよ……『自分が苦しいだけならそれでいい』っていうあなたの生き方、私は嫌い」
「あっ……」
現状を諦めて、受け入れて、自分の世界に閉じこもっていた俺の耳に、彼女の言葉が鋭く刺さる。
「……ごめん」
甘い匂いに満たされて、柔らかい世界に包まれて、俺は小さく謝った。
そうしてすぐ、腕に力を籠められて答えを間違ったことに気付く。
どうしようもなく間違えてしまった道の先に、この温もりがあるのであれば。
こうして、俺のことを思って泣いて怒ってくれる人がいるのであれば。
そんな日々も、悪くないと──いつか、過去をすべて笑えるようになるかもしれない。
それに気づかせてくれたこの大切な幼なじみに言うことは、他にある。
「……ありがとう、イーラ。俺を受け入れてくれて」
俺がそういうと、イーラは力を緩めてそっと俺の頭を撫でる。
「そ、そこまではしなくても……」
「あなたの話を聞いてあげたんだから、今は私の言うとおりにしなさい」
「そんな交換条件知らない……」
「いいから!」
「はい……」
有無を言わさない迫力に、俺はなすすべなく受け入れるしかない。
(まあでも、イーラから俺の顔が見えないのはよかったな)
──先ほどから止まらない涙に、気づかれなくて済むから。
俺はイーラの腕の中で、そんな風に思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます