第15話 後悔はいつも、今の隣にいる

 翌日。いつも通り父親との鍛錬を終えた俺は、いつも通りに『セルビトロスの森』で師匠と会った。もちろん、両親とアメラには内緒だ。

 その日は──珍しく全く風の吹かない日だった。

 夕食の場でアメラにあんなことを言った俺だったが、セルビトロスの森に一人でいるアローサル師匠が心配ではあった。

『悪魔型』であっても、師匠なら対処はおそらく出来ると思う。

 けれど、懸念点がひとつだけあった。


「──師匠。『悪魔型』の魔物がこの辺りに居るらしいですよ」

「ほう……それは厄介じゃな」

 俺の言葉にアローサル師匠が他人事の様に答える。

 師匠のそんな態度に、俺は『見えない見習い』が運んできたクッキーを頬張りながら口を尖らせた。

「目撃はプルトスの東らしいですけど、ここに来る可能性だってあるんですよ」

「なんじゃ、ウェント……ワシがその『悪魔型』に殺されるとでも思っておるんか?」

「十中八九無いでしょうけど……でも、今の師匠を見たら、心配にもなります」

「……」

 師匠は無言のまま、自分で調合した液体薬を飲みほした。


 師匠の体は、ずっと病に侵されている。初めて会った時から咳がひどかったし、それから六年たった時にはもうあまり激しい運動が出来ない段階だった。

 実践形式の訓練が極端に少ないのは、そんな理由もあったんだと思う。

「師匠、数日くらいなら俺の家で匿えます。この森よりもよっぽど安全でしょう?」

「魔法使いを騎士公爵の家で匿う、か……見つかったら当然問題になるじゃろうな。それが発覚したとき、誰が責任をとるんじゃ?」

「それはもちろん……俺です」

「ふっ……」

 師匠は鼻で笑うと、ツカツカと俺に歩み寄り……

「たわけ!」

「いっづ!」

 俺の脳天に拳骨を食らわせた。

「小童にそんなことさせるほど、ワシも落ちぶれておらんわ」

 殴られた場所を抑えながら見上げると、師匠は呆れ顔で俺を見下ろしていた。


「で、でも……」

「……病気のことでお前さんを心配させてしまったことはすまないとは思っているが……それでも、ワシは人魔大戦の英雄じゃぞ? 全盛期の力が出せずとも、『悪魔型』一体ぐらい、どうってことないわい」

 ……確かに、師匠の言う通りなのだろう。

 先の人魔大戦では、数多の魔王軍を屠ってきたと伝えられるアローサル・アルゲントゥム。そんな偉大な人が、そう簡単に負けるはずもない。

「……じゃあ、俺は師匠をしんじることにします」

 胸中の不安を押し殺して、俺はまっすぐに師匠の顔を見つめた。

「それでいい。それじゃあ、今日も授業を始めるとしようかの。レフ、シルフィ、外に出るぞ」

「了解」

「毎回思っているけど、アタシは外に出なくてもよくない?」

「何を言っとるんじゃ。色々と常識はずれなお前さんには教えることがまだ山ほどあるわい」

「ぷぇー! めんどくさ~い……今日は風もなくて、なぁんか嫌な気分になるのよね~」

 アローサル師匠の言葉を受けてシルフィが変な悲鳴を上げる。その首根っこをつまみ、さっさと俺は出口に向かった。


「ちょ、ウェント! 放しなさいよ!」

「お前だけ逃げるのは許さん」

「こ、この外道魔法使いー!」

「はいはい」

 じたばたもがくシルフィを連れながら、師匠の後ろについて俺は森に出て──その瞬間、禍々しい魔力を感じた。

 同時に、俺の視界の右端──師匠の体の向こう側から、すさまじい熱気。

「え──」

「──伏せろ!!」

 反射的に地面に身を投げ出し、頭を抱える。

 地面にうずくまった俺の上で、巨大な衝撃音が響いた。師匠の魔法が、なにものかの攻撃を防いだのだ。

 あたりに火の粉が落ちる。この『セルビトロスの森』に、炎を使う魔獣はいない。それに、師匠の住処の周りに張られた結界に入れない。

 だから、だから。いま、俺達を襲っているのは──

「あっれぇ? 今ので死なないのかよ……現代の魔法使いも意外とやるじゃねえか」

「なるほどのう……確かに骨が折れそうじゃな。これが、「悪魔型」か」

 ──強力な『悪魔型』の魔物以外に、あり得ない。

 うずくまりながら視線を横に向けると、そこには『異形』としか言えないような存在がそこにいた。


 一切の体毛を宿さない真っ黒な全身。二本の腕と脚は人間と酷似しているが、頭部には三角錐型の三本の角が生えている。

 黒ずくめの全身に対して、二つの瞳は不気味なほどに白い。鼻のような形状は見られず、半笑いの巨大な口は乾いた血のように赤黒く染まっている。

 その胸部の中央には、血のように赤い、首のない夜鷹の紋章が彫られていた。

 そして、そんなおかしな外見すらもかすませる、奴の纏っている禍々しいマナが、俺の恐怖心をいっそう駆り立てた。

 精霊女王のシルフィですら、ここまで殺人的なマナじゃない。森の魔物だってそうだ。

 人の悪意を凝縮して煮詰めたような、生ごみに汚泥をぶちまけたような、最悪。

(こんな、こんな生物が本当に存在するのかよ……!)

 視界に映る異質な存在に、俺はごくりと喉を鳴らした。


「ったく、ここいらじゃあこの森が一番マナが濃くて住みやすそうだったんだがなぁ……人が住んでいるとは思わなかったぜ」

「…………」

「とはいえ……気に入った物を手放す気はねえし、仲良く隣人になる気もねえ」

「奇遇じゃな。ワシも、殺人生物とご近所付き合いをする気にはなれん。街にも被害が及ぶしの」

 悪魔型の手のひらに炎が、師匠の手のひらに水が浮かぶ。

「悪魔型よ、ワシに会ったのが運の尽きじゃな──ここで死ね」

「おいおい、俺には『父祖マスター』から貰った『バーミニア』って名前があるんだ──ぜっ!」

 悪魔型──バーミニアが薄ら笑いを浮かべながら、師匠に火球を放つ。

 魔法の基礎しか習っていない俺には、到底防ぐことのできないマナの暴力みたいな攻撃。

「そいつは失礼したな」

 だが、師匠はそれを涼しげな顔で防いだ。師匠の水球がバーミニアの魔法とぶつかり白い水蒸気を上げる。

「ウェント! 今のうちに逃げるのじゃ!」

「っ……お、俺も戦います!」

「馬鹿者ッ!! 彼我の実力差を考えろ! 足手まといじゃ!」

 怒鳴りながら、アローサル師匠が俺を風の魔法で吹き飛ばした。突風に抱き上げられ、近くの茂みに運ばれる。

「シルフィ! ウェントが動かないように見張っておけ! レフ、お前はこっちの補助じゃ!」

「わかったわ!」

「久しぶりの実戦だね」

 視界が晴れると同時にレフがバーミニアに雷の魔法を放ち、師匠が浮かび上がる。バーミニアがそれぞれに無数の火の玉を放つ。あっという間に激戦が始まった。

 その一方で、シルフィが俺の肩に降りて襟足をぐいぐいと引っ張り出す。


「ほら、ウェント! はやく離れるわよ!」

「いや、だ……!」

「なんでこんな場面で意地はってんのよ!? アレは今のあんたじゃ勝てるわけない! それぐらいわかるでしょう!?」

 シルフィが耳元で怒鳴り散らす。それでも、俺は師匠とバーミニアの戦いから目を離さなかった。

「それでも……俺は、師匠の力になりたいんだ……! 逃げたく、ない!」

「ばか! 本当にばか! こんな無風の日じゃ、アタシも戦力にならないのよ! アンタを助けられる人は、周りにいないのよ!」

 そうだ。風のマナアネモスを操るシルフィは、その風がないと何もできない。火や水のマナでぶつかり合ってできた爆風には、風のマナアネモスが含まれていないから意味がない。

 俺だって、ようやくマナの操作をできるようになったぐらいで、戦力にはならない。


 わかっている、わかっているんだ。この状況で、自分にできることは何もないことぐらい。

 それでも、師匠の荒い息遣いが、重い足取りが、不意にゆがむ表情が。

 ──俺の足を縛り付ける。

「やっぱり、体がよくないんだ。薬を飲んでも、気休めにしかなっていないんだ……」

「ウェント……?」

 目の前でまばゆいマナの輝きを放つ戦闘は、よく知らない人間が見れば互角に見えるだろう。

 でも、俺は知っている。この六年で嫌というほどわかっている。

 こんな激しい戦闘に耐えられないほど、師匠の体が弱っていることに。

「嫌な予感がするんだ……ここで目を離したら、師匠が永遠に消えてしまうような……」

 確証はない。心から師匠を信じている。なのに、それなのに。

 彼の背中は、とても弱々しく、小さく見えた。

「俺が助けなきゃ……いけないんだ!」

「ちょ──!」

 シルフィの制止も聞かず、俺は茂みから立ち上がり、火のマナ(ピュール)をその手に宿す。

 今の俺ができる、ありったけを──!

「──いかん、ウェント!」

 師匠の焦った声が聞こえ、バーミニアの真っ白な双眸がぐるりと俺を睨んだ。一瞬でも、俺に気が向いた。

「師匠、今のうちに──」

 ──攻撃をしてください。

 俺がそういう前に。

 幻のように、俺の手に集まっていたマナが消え去った。

「え──?」

「なんだ、そのお粗末な構築式は。身の程をわきまえろよ、ザコが」

 バーミニアが炎を宿した手を俺に向けながら、嘲笑を含んだ声音を放つ。

 魔力妨害マナジャミング

 マナを操作できる程度の俺では、魔法を放つことすら許されない。


「死ね」

「あ……」

 俺の身の丈ほどの巨大な火球が、バーミニアの手から放たれる。

 自身に迫る死から、目を離せなかった。

 不思議なくらいにゆっくりと、ゆっくりと火球は俺に近付き──

 俺を飲み込む直前で、目の前に突如現れた影がバーミニアの魔法とぶつかった。

「えっ……?」

 呆然と、目の前に現れたその人を──この場で、彼一人しかありえないその人を──俺は見上げた。

「まったく……出来の悪い弟子を持つと苦労するわい……」

「し、ししょう……」

 アローサル・アルゲントゥムは、苦痛にゆがんだ顔に無理やり笑みを浮かべ、俺を見下ろしていた。


「おおう、泣かせるねえ。美しい師弟愛じゃねえか」

「アル……!」

 バーミニアの嘲笑が。レフの緊迫した声が。遠くから聞こえる。

 自分が──なにを。自分が、なんてことをしてしまったのか、俺はそこでようやく気付いた。

「ししょう、ご、ごめんなさい……! 俺、俺は……ただ……!」

 言い訳もまともにできない。無力で無様な、魔法使いでも騎士でも何者でもない俺の口は、わなわなと滑稽に震えるだけで、言葉を紡ぐことができなかった。


「──ウェント、話をしようか」

 師匠は、ゆっくりとひざまずいて、俺と視線を合わせて、柔らかく微笑んだ。

「……チッ。めんどくせえ」

 師匠の向こう側で、師匠が魔法で生み出した巨大な木の根に掴まれたバーミニアがもがき、それに対してレフが魔法を放っていた。シルフィが涙を流しながら、師匠にしがみついている。

 目に入る光景の全部が全部、色を失ってしまったように思えた。


「──ウェント、怪我はないか」

「ない、です……師匠、俺……俺……!」

「わかっている。わかっているとも……お前がワシを思ってくれたことは、ちゃあんと、わかっている……」

 いつものように、武骨な手が優しく俺の頭を撫でる。

「俺の、せいで……師匠が……!」

 俺に迫る火球を、魔法で迎撃することもできただろう。それでも師匠は、それをしなかった。

 あれほどの至近距離でバーミニアの魔法と同威力の魔法をぶつければ、俺が巻き込まれていたからだ。

 だから、代わりの的を用意するしかなかったのだ。


「侮るな、バカ弟子が……土魔法で壁を作ることぐらいできたわ……ワシが、判断を誤ってお前さんの前に出てしまっただけじゃ……気に、するな……ごふっ」

 師匠の口から、大量の血が流れる。回復をしなきゃいけない。でも、俺にはもう魔力が残っていない。

「ウェント……バーミニアはワシに任せて、今は逃げてくれ……夕刻には、すべて終わっておるから……」

「……師匠、師匠……っ! どこにも、行かないでください……! お願いです、まだ、俺は……あなたに教わりたいことが、あるんです……っ!」

 資格もないのに、本当は俺が死んでいるべきだったのに、生き残った俺は涙を流しながら首を振った。

「大丈夫じゃ。ワシの知識はすべてあの家に残してある。二年もすれば、お前さんも立派な魔法使いになれる……」

 どうして、そんなことを言うのか。永遠の別れみたいなことを言うのか。今際の言葉を残すのか。

 理由は全部わかっていて。それでも俺は、受け入れることはできなくて。溢れ出る感情がうまく言葉をつないでくれない。

 アローサル師匠はそんな俺を見て、ふっと笑みを深め──力いっぱいに、俺を抱きしめた。

「ウェント……間違えてもいい。それでも、道を踏み外すな。力に溺れるな。弱者を見捨てるな。信頼を裏切るな。人を恨むな。まっすぐ──まっすぐに至高の道を進め」

「はいっ……はいっ……!」

 耳元でささやかれる師匠の最後の言葉を聞きながら、ぐちゃぐちゃの感情と表情のまま俺はうなずく。


「──ウェント、至高を目指すのじゃ。強く、優しい信念を持ったお前なら、きっとたどり着ける」

「……はいっ! 絶対に!」

 精一杯の見栄を張って俺が力強く答えると、師匠はいっそう笑みを深くした。

「ウェント・オールビィという若き才能と出会えたことを──ワシは心から幸せに思っておるよ」

 こんな弟子を──足を引っ張って、不真面目で、文句ばかり言う俺を、それでも師匠は優しく抱きしめて。

 いつまでも偉大で勇壮なまま、そっと抱擁をといた。

「さあ、行きなさい。シルフィと、仲良くするんじゃぞ」

 シルフィが泣きじゃくりながら俺の髪の毛につかまって、ぺたりと座り込んだ。

 先ほどの何倍も強力な風魔法が俺の体をたたき、みるみるうちに俺と師匠の距離を引き離す。

「師匠──────ッッッ!」

 そのとき伸ばした手は、なにも掴めないまま──俺の体は綿胞子のように風に乗せられ、木々を通り抜けていった。

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