第14話 追憶──プルトス事変前日

「──ごほっ、ごほっ! ……失礼。授業を続けるぞ。魔獣と魔物は根本的に生き物としての性質が違う。これは前にも教えたな」

「……」

「魔獣はこの世界の原生生物であり、犬猫とは違いマナを操る。危険ではあるが、我々人類との共生がある程度可能になっている。しかし、太古の魔法使いが生み出した魔物では話が別じゃ」

「…………」

「魔物は明確に、人間に悪意を持って襲ってきおる。そう在るように生まれた時から創造主である『グラーティア・デーバイディ』に命令されているからじゃな」

「………………」

「魔獣は死んでも血肉や皮を残すが、魔物は塵となって消える。放っておけば厄介じゃが、倒したからと言って得るものは何もない。本当に面倒な存在じゃよ」

「……………………」

「だが魔物の血には興味深い事例が確認されていてのう……こら、ウェント! 聞いておるのか?」

「……──おひゃい」

 随分前から舟をこいでいた俺は、アローサルの声に辛うじて返事をする。だがそれもひどく間抜けなものになってしまった。

「まったく……『|氷の目覚まし(グラキエクル)』」

 そんな俺の首元に、こぶし大の氷がぶち当てられた。

「ひょわああああああああああ!?」

 情けない悲鳴と共に完全に目が覚めた俺は、氷の作成者をキッと睨む。

「なにするんですか、師匠!?」

「これで眠ることは無いじゃろう?」

 全く悪びれる様子も無いアローサルの姿にわなわなと震えながら、俺は不満を吐露する。

「だっていっつもいっつもこんな授業ばっかりで! たまに実践かと思ったらそれも基礎の反復ばかりじゃないですか! いい加減飽きてきますよ!」

 季節は夏。アローサル師匠の青空教室は木漏れ日と熱気に包まれながらいつも通りに開催されている。

 だが。セルビトロスの森に住んでいるアローサルに弟子入りして六年。六年前と比べて背が伸び声が少し低くなった俺は、現状に不満を持っていた。

 理由は単純。もっとわかりやすく強くなりたいのに、アローサルが魔法の応用練習を一切許してくれないからだ。

 まともに教わったことは大量の魔法学や考古学の知識。家での自主練も禁止されている。


 このままじゃいつまでたっても、魔法使いになれる気がしない。

「いつも言っておるじゃろう。魔法は危険なものであると。それを使いこなすには正しい知識が必要なのじゃ」

「そうは言っても、やっぱり退屈ですよ……」

「全く、根性が無いのう。それに、実践だったら毎年冬にやっておるじゃろうに。今年もセルビトロスの森生き残り授業を開催するつもりなんじゃが」

「俺が教えてほしいのは魔法であって、大自然でのサバイバル術じゃねえよ!?」

 思わず師への敬語も忘れて俺は反論した。

 いや、本当に……冬の真っただ中に広大な森に置き去りにされるのは心臓に悪い。もう木の皮は食べたくない……。

「極限の環境下で生きる力を得るためにも、必要なことなのじゃよ……」

「ぜってえ嘘ですよね? ボロボロになる俺を眺めて楽しんでいるだけですよね?」

「まあそれは置いておいて……ウェント、お主は他の魔法使い見習いよりも多くの魔法知識を蓄えなければならん。それが何故かは、もう何度も教えておるじゃろ?」

「それは……」

 アローサルに問われ、俺は隣をちらりと見た。

「すぅ……すぅ……まだ食べられるわよ……もっと持ってきて……むにゃ」

 そこには机の上で気持ちよさそうに眠りこける自称精霊女王様の姿があった。

「どういうわけか、シルフィはお主と契約を結びたいと言っておる。じゃが、強大な力を持つ精霊と今のお主が契約を結んでも、お主が死ぬだけじゃ。大いなる力を手に入れるからには、それを御する物が無ければ話にならん」


 シルフィと出会ってから六年。俺は未だに『精霊使い』になることを許されていなかった。

 理由は師匠が言ったとおりだ。

 俺という器が、シルフィという強大な力を容れる大きさになっていないからだ。

 魔法を──マナの性質やその扱い方、見分け方や制御の仕方を学べば学ぶほどに、精霊女王が持つ力の強大さを痛感していく。

 今の俺どころか、どんなに時間をかけても俺がシルフィと並んで戦うことが出来る気がしない。

 だから──焦る。どうしようもなく、切実に。

「焦るな、ウェント」

 見透かしたように、師匠が優しく声をかけてくる。

「朝は父と戦士の訓練。午後はワシの魔法講義。お主は本当に頑張っておる。もう同世代にお主に及ぶものは居ないと、ワシが断言できるぐらいじゃ」

「師匠……」

 俺が、いつまでも父親に『魔法使いを目指している』ことを言えないせいで、授業が遅れているというのに、それでも、アローサル師匠は俺を見捨てない。

 なのに、当の本人である俺が愚痴を言ってどうするんだ。

「弱音を言って、すみませんでした。授業を再開してください」

 まっすぐに見つめると、アローサルは満足そうにうなずき──

「その意気じゃ。それではせっかくじゃから抜き打ちテストをしようかのう」

「それは反則じゃないですか!?」

 とても生き生きとした笑顔で、そういったのだった。


「ちくしょー……師匠め……おに、あくま、外道魔法使い……!」

 その日の夕方。俺は鬼畜魔法使いへの呪詛を吐きながら、家路についていた。

 当時はまだ契約を結んでいなかったので、シルフィはアローサル師匠の家に置いてきていた。

 街は茜色に包まれ、すれ違う人々はみな、穏やかな表情でそれぞれの家に帰っていくのだろう。

「お、ウェント坊ちゃん! 今日も武者修行の帰りかい?」

「うん! また強くなったんだぜ!」

 本当は机にかじりついていただけなのだが、見栄を張ってそんなことを返す。

 声をかけてくれたのは、野菜売りのおばちゃんだ。

 セルビトロスの森から家に帰る時に使う通りで商いをしていて、何度も顔を合わせるうちに挨拶と世間話をする間柄になった。


「そりゃあ良かった。オールビィ家の人達がいるから、アタイ達平民は安心してこの街で暮らせるからねえ」

「任せておいてよ。魔獣だろうと魔物だろうと、全部ぶっ倒してやるから!」

「こりゃあ頼もしい! ……ああそうだ坊ちゃん」

 ふと、何かを思い出したかのようにおばちゃんが顎に手をやる。

「最近、魔物みたいな奴が街の外で現れるらしいんだよ。一人で頑張るのも立派だけど、しばらくはお家の人と一緒に出掛けたら?」

「魔物……」

 つい昼間、師匠に教わったばかりの存在だ。まさか、街の近くに居るとは思っていなかったが。

「その魔物の種類は?」

「衛兵の話だと、『悪魔型』らしいよ。怖いわよねえ……」

「『悪魔型』……」

 魔物は、実在する動物を模して創られている。例えば虫やネズミ、犬、猫、鳥などの小型の動物から始まり、虎や象やカバなどの大型な動物まで、種類は様々だ。


 だが、魔物の中には魔獣や古代魔法生物を模した強力な種類も存在している。

 それらの代表例が、『悪魔型』だ。

 本来ならこの世界ではなく冥界で生きる悪魔。精霊と天使とで三竦みを形成し、強力な魔法を使う。

 そんな存在を真似て作られた『悪魔型』は、当然、化け物の様な強さを持っている。

 十二歳の俺がどうこうできるものではない。

「……わかった! 気を付けるよ」

 野菜売りのおばちゃんに手を振って、俺は家に急いで帰った。


「──ウェント。しばらく家の外に行くのは控えなさい」

 その日の晩。オールビィ家邸宅で夕飯を食べている時、父のフォーメズが唐突にそんなことを言った。

「それは……魔物が現れた話と関係があるの?」

「知っていたのか」

「街の人に聞いた」

 フォーメズは「住民にまで情報が出回っているのか……」とため息交じりに呟き、口に運ぼうとしていたパンを皿に戻した。

「……その通りだ。アメラも覚えておきなさい。現在プルトスの東で『悪魔型』の強力な魔物が目撃されている。現在街で討伐部隊を編制中だが……事態解決にはまだ手が届かない状態だ」

「だから、ウェントとアメラには、家で大人しくしていてほしいの」

 フォーメズの言葉を引き継いで、母のプリムラが俺とアメラの顔を見やった。

 ……今では信じられない話だが、当時は俺を含めて家族全員で食事をしていたのだ。

 俺の横で不安げな表情のアメラが言う。


「お父様も、その悪魔型の討伐に行くのですか……?」

「ああ。私はオールビィ家の当主として、この街を守る責務があるからな」

「……怪我はしないでくださいね」

「あらあら、愛娘に心配されちゃっているわよ」

「どういう顔をしたらいいかわからんな」

 向かいに座る両親がそんなアメラを愛おしそうに眺める。

「大丈夫だって、アメラ。父さんがそう簡単にやられるわけないだろ」

「でも、兄様……私はなんだかすごく不安で……」

「まだアメラは父さんと訓練をしたことが無いからだよ。俺なんて父さんが強すぎてまだ一本も取れてないんだぜ」

「あれでも普段は手加減しているんだがな」

「な? だから安心しろって。それに俺達は俺達で、この家や街の人達を守る役目があるんだから」

「……はい!」

 その言葉でようやく不安を払拭できたのか、アメラが笑顔で頷いた。

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