第9話 この門を叩く者は、一切の妥協を捨てよ。上

 その後は他愛もない会話をして二時間ほど。

 俺達を乗せた鉄道車両はな王都インゲニウムに到着した。

 王都の駅には様々な人種が大量に入り乱れ、あちこちでざわめきと喧騒を起こしている。

「すっごい人ごみ……ウェント、迷わないようにね。私達は五番出口から出るのよ」

「お、おう……」

 いつの間にか合流していた使用人達を従えて、イーラが振り返る。ラエティティア家関連で来ることも多い彼女は、随分と慣れた様子だ。するすると人波を縫って歩いていく。

 対して俺はというと、通行人と肩がぶつかるわ足を踏まれるわ他の客の流れに巻き込まれそうになるわでだいぶ苦戦している。

 なんだこの人の量……プルトスの街祭り時ぐらいいるぞ……。

 王国のあらゆる地方から人が集まってくるので当然の話ではあるが。

 シルフィは悠々と人のいない空中を泳いでいる。ちくしょう、俺も姿が見えなかったら空を飛んでいるのに!

「ほら、ウェント! 置いてくわよー!」

「い、今行くから少し待ってくれ~!」

 情けない声を出しながら、俺は何とかイーラについていった。


 駅を出ると、目の前に巨大な広場が広がる。何百台という馬車が停まっており、そこに俺達と同い年ぐらいの少年少女が次々と乗り込んでいた。

 馬車の上では、看板を持った人面鳥が飛んでいる。目を凝らすと看板には『アンドレトゥス高等学校行き』と書いてあった。

「アンドレトゥス高等学校は毎年、受験者専用の馬車を用意してくれているんですって。太っ腹よね」

「確かにな……」

 駅を抜けるのでへとへとになった俺はおざなりな相槌を返して、馬車にさっさと乗り込んだ。今はとにかく座りたい。

 さすがに専用馬車とはいかず、見知らぬ人達との相席だった。

 三十人ほどが乗れそうな大きな馬車には、俺達と同じ人族だけでなく、獣人、エルフ、ドワーフ、オーガ等々……大きな街といっても割と辺境にあるプルトスでは見られない有翼人や小人族なども居る。

 都合よく空いていた最後の長椅子にイーラと並んで座ると、それを待っていたかのように馬がいななき、馬車が動き出した。

 車内は沈黙で満たされていた。これから最難関の学校の試験を受けるのだから当たり前の話だが、こうも重々しい雰囲気だとイーラと会話をすることも憚られる。

 手持無沙汰になった俺は、ゆっくりと窓の外で流れていく王都の街並みに目を向けた。

 大陸東端を支配する脅威『白痴の悪魔』の侵攻に備えるプルトスは、鉄筋主体の頑丈で重厚な造りの建物が多い。

 対して王国の象徴である王都インゲニウムの建物は、芸術性が高く少し華奢な印象を抱かせる。街角に目を向ければ、二百年ほど前に流行った建築様式の建物がちらほらと見えた。

 最後にインゲニウムに来たのは、たしか四年ぐらい前だったか。あの時は特に感じるものはなかったが、知識が増えた今だからこそ、この街の歴史の深さが理解できる。

 歩道を歩く人々が、こちらの馬車を眺めながらにこやかに手を振ってきた。

 毎年この時期の恒例行事になっているのだろう。耳を澄ますと、「がんばれー」なんて励ましの言葉がかすかに聞こえた。

 ──合格したら、この街で過ごすんだな。

 少し気を早くして、俺はそんなことを思った。


 駅から馬車に乗って十五分ほど。

 馬車が停車し、御者の人が「到着しました」と拡声器越しに言ってきた。

 出口に近い者──つまり、最後に乗った俺とイーラが最初に降りて──

「「──!」」

 その威容に圧倒された。

 出迎えたのは白磁の大門。外枠部分には世界創生を成した火、風、水、土の四元素が象徴的に彫られ、天頂部にはかつてこの世界に居たとされる三柱の女神の姿。

 白に栄えるように門扉は漆黒。触れれば手折れてしまいそうなほどに細く造形されているのは、アンドレイア王国の国花であるナデシコだ。

 門の向こうに目を向けると、真冬だというのに千紫万紅の広大な前庭。中央には調度品のような大噴水。

 その先にある巨大な建物が──

「すみません、後ろがつかえているので……」

「──っ、す、すみません!」

「すぐどきます!」

「はい、この門をくぐってそのまま前庭をぐるっと回って校舎に入ってくださいね」

 御者のおじさんに苦笑いまじりに声をかけられ、俺とイーラは慌ててその場を後にした。

 おじさんに言われた通り、他の受験生に倣って前庭を回る。

 そうして、ようやくその全貌が──校舎の姿が鮮明に映った。


 王国建国時に建てられたといわれる『アンドレイア=ディアントゥス城』。アンドレトゥス高等学校は、その歴史ある大城を学び舎として利用している。

 入口へと続くプロムナードの両端には、剣と天秤を持った天使像がいくつも並び。

 鋼鉄の城門を囲うアーチには、王家の象徴である大山の獣ベヒモスとアンドレトゥス高等学校の校章であるマナ相関図の八芒星オクタグラムの紋章が彫られ。

 天を貫く八つの尖塔には、それぞれマナ八大属性を表す彫刻が鎮座している。

 陽光に煌めく銀白色の外観と、凛然と影を落とす紺青の屋根。

 四百年の年月を経て、未だなおその威厳は健在。

 これが──王国最高学府、アンドレトゥス高等学校の本学舎──!

 ごくりと唾を飲み込み、俺はイーラと並んでその中に入城した。


 男女で会場が違うのでイーラとは別れ、俺は応接室を改造した第二大教室に入った。

 その中はすでに受験者であふれ、ざわざわと落ち着きのない声があちこちから上がっている。特に椅子を指定されていないようなので、俺は最前席に座った。やる気が漲っているとか試験官に顔を覚えてもらおうとかは思ってなくて、ただ単にここしか空いていなかったからだ。

「すっごい人ね。受験生だけでもこんなに……」

「……記念受験って奴もけっこういると思うけどな」

 声を潜めて、シルフィに答える。さすがにこんな大勢の前で独り言をブツブツ呟く危ない人間にはなりたくない。

「トイレとか大丈夫? 途中でお腹痛くならない?」

「なんの心配をしているんだ、お前は。……ここからしばらくはお前には退屈だろうから、眠ってろよ」

「そうするー」

 勉強嫌いのシルフィは俺の言葉に素直に従い、翠のマナ光子となって俺の右手に吸い込まれていった。

 ガチャリ、とタイミングよく前の扉が開けられ、アンドレトゥス高等学校の講師服に身を包んだ男性が、執事を何人か従えてツカツカと入ってきた。黒髪を油で固め、銀縁の眼鏡をかけた知識人といった風体の人だ。

 あれだけ騒いでいた受験者たちが、一斉に黙り込む。

 粛然とした大教室を男性講師はじっくりと見渡し、問題ないといった風に頷いた。


「受験生の諸君──未来への道を拓かんとする前途有望な若者の諸君。初めまして。私は商業科の講師を務めるアヌルス・メルカトゥルだ」

 戦士科、魔法科、商業科、発明科、建築科。アンドレトゥス高等学校には五つの学科が存在する。

 その中で商業科は次代の担い手たる商人を育成、輩出することを目標にしている科だと聞いている。

「試験を始めるの当たって、私から君たちに注意することは一つ。──不正はするな」

 ピリ、っとアヌルスの周囲の空気が張り詰める。

「一時の気の迷いで、試験全てを棒に振るような愚行を犯すような物が本校を受けるとは考え難いが……これは主に魔法科志望者の者達に向けている」

 教室が少しだけざわめく。この教室にいる大勢の生徒も、この学校に魔法科があるなんて知らなかったのだろう。

「魔法使いは魔法を使えば不正が露呈しないとでも思うのか、毎年のように愚挙を起こしている。だが、試験会場にはマナ感知の魔道具が張り巡らされているので、夢を見るのはやめておけ」

 訥々と語ったアヌルスは、トントンと分厚い紙の束をまとめて、背後に控えている執事達に渡した。


 問題用紙と解答用紙が手際よく配られていく。それらが行きわたるごとに、試験会場に張り巡らされた緊張の糸が引き絞られていくのを感じる。

 それぞれが慣れ親しんだ文具という武器を持ち、叩き込んだ知恵と知識を振るう準備に入る。

 いよいよ、だ。

 かつて、アローサル師匠が言っていた言葉を思い出す。

『ウェント。学ぶのならばアンドレトゥス高等学校に入れ。あそこは清濁併せ持つ、この国の中枢に最も近い学び舎じゃ。きっと、お前の将来にいい影響を与えてくれる……不安だったら、ワシが友人に口をきいてやるからのう』

 意地悪く笑う師匠の顔を思いだし、思わず頬が緩んだ。

 ──師匠、俺は自分の力で、必ず合格を勝ち取って見せますよ。

 アヌルスが一度大教室をぐるりと見渡し──

「では──第一試験、開始!」

 机上に展開する戦争の、始まりを告げた。

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