第7話 風呂回
イーラと秘密の特訓をするようになってあっという間に時間が過ぎた。秘密なのは当然、俺とイーラが会っていることを知られるわけにはいかないからだ。
悪い魔法使いと、三巨頭の一角に名を連ねる名家の一人娘。そんな二人が一緒にいると主にイーラの顔に泥を塗ることになる。
イーラは「私はウェントの評判を上げるためなら別に公表してもいいけど……」と言ってくれたが、さすがにリスクが大きすぎるのでやめてもらった。
ちなみにアメラは俺とイーラが特訓をしていることを知っている。なんなら俺が報告する前から知っていた。
なんで知っていたんだ……? ちょっと怖い……。
……まあ、そんな感じで。二人で本当に休みなしで特訓を続け──木々が禿げ、初雪が降り、魔獣が冬眠し始め、新年を迎え──今は冷気が頬を刺激する雪華の月の半ば。
イーラと俺が関係を修復したあの日から、三か月弱が経った。
そして、明日はもうアンドレトゥス高等学校の入学試験本番だ。
それでも俺たちはいつも通りに空き地に集まり、特訓をしている。
「『業火を上げよ・
昨日の残雪を残さず溶かしきる大轟炎が俺に放たれる。
が、それは俺に直撃する直前で自ら霧散。後には急激に温められた空気だけが残った。冬場に定期的にやってもらえると助かる。
「どう、驚いた?」
振り向いた先でイーラが悪戯っぽく笑う。
「いや、構築式覗いたらすぐに消えるのわかったし……」
「面白くないわねー」
やれやれとイーラが言葉通りつまらなそうに首を振る。
それを見て更に嫌な笑顔を浮かべるのがシルフィだ。
「駄目よ、イーラ。ウェントをぎゃふんと言わせるなら、もっとあくどくやらなきゃ」
「なんでぎゃふんと言わせようとするんだよ……」
「──そう、こんな風にね」
突如、足もとに横殴りの風が吹いた。
「えっ──」
油断して脱力しきっていた俺は、シルフィが操った風の流れに抗えず、足を取られ──
地面に転がり、後頭部をしたたかに打ち付けた。
「──いっでぇ!?」
思わず悲鳴を上げると、悪女二人の高らかな笑い声。
「どう? イタズラってのは最小限に効果的にやるのが一番よ」
「なるほど、勉強になるわ!」
被害者の俺は放っておいて、二人で爆笑ですかそうですか……。
「っ!」
俺はガバっと立ち上がり、最速で、一瞬のうちに、無詠唱で魔法を構築する。
「くらえお前らぁああああああああああああッッッッッ!!」
イーラとシルフィの背中に、各々のサイズに見合った雪玉をぶつけてやった。
「「ひああああああああああああああああああああああああッッッッッ!?」」
仲良く二人一緒に悲鳴を上げる幼馴染と精霊女王。
「どうだこの神業! 魔力の制御! 性格な座標指定! 抱腹絶倒の報復術! 俺が天才だおらぁあああああああ!」
「し、信じられない! やっていいことと悪いことがあるでしょう!?」
炎を細剣に纏わせ激昂するイーラ。
「こんのばかウェント! 人の心はないわけ!?」
風を使い木の上に積もっていた雪を集約させ、なんかとんでもなくでかい雪玉を作るシルフィ。
「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけなんだよ!」
魔法で生み出した雪玉を宙に浮かべ、王のように君臨する俺。
かくして、盛大な雪合戦が始まった。
三人寄れば文殊の知恵と言うが、俺達は三人寄ればもうどうにでもなれ、って感じだな。
プルトスに入りイーラと別れ、雪でびしょびしょになった体を引きずりながら俺は帰宅した。
「明日大事な試験なんだぞ……風邪ひいたらどうするんだよ……」
「アンタだってノリノリだったじゃない」
ぼやく俺に答えるシルフィは、自分だけちゃっかりいつも通りだ。風で乾かしたのだろう。
俺はというと、情けないことに雪合戦でムキになって雪の大津波とかやってしまったもんだから、マナが枯渇して自分の身を乾かすことが出来なかった。
早く風呂に入ろう……と思いながら浴室に向かうと、ばったりとアメラに出会った。
風呂上がりなのだろう、濡れた髪先が頬にくっつき少しだけ頬が紅潮している。おそらく洗剤の──花の香りが鼻腔をくすぐる。
「に、兄様!? どうしてこんなに濡れているのですか!?」
俺の姿を見てぎょっと目を見開くアメラ。
「ちょっと意地と誇りをかけた戦いをしてきてな……」
「何を言っているかよくわかりませんが、とにかく早くお風呂に入ってください!」
ぐいぐいとアメラに押され、脱衣所に放り込まれた。
「まったくもう……明日は大事な試験なんですからね! 私は兄様の部屋から服をとってきます!」
「おー、悪いな」
ぱたぱたぱた……と廊下をかけていく音を聞きながら、素早く服を脱ぎ捨て浴室に入る。
「怒られてやんの──わぷっ!?」
身にまとっている服を消して懲りずに憎まれ口をたたいてくるシルフィには、手水をくれてやった。倍になって帰ってきたが。
とりあえずざっと体を流してさっさと湯船につかる。先ほどまでアメラが入っていたこともあっていい湯加減だ。ちなみにシルフィは風呂桶の中に入っている。
名のある貴族の家らしい無駄に広い浴槽の中、俺はほっと息を吐いた。
「明日……明日か。あっという間だったな」
「イーラに稽古をつけるようになって、三か月ぐらい? 確かにあっという間だったわね」
ばちゃばちゃと足をばたつかせながら、シルフィが答える。
「最初は座学中心で文句ばっかりだったな、あいつ。知識が大事だっていうのに……」
「昔のアンタみたいだったわよね」
「……」
シルフィの言葉に刺され、俺はむっと口を尖らせた。図星だったから。
魔法を習い始めた頃の俺も、勉強ばっかりで全然魔法を使わせてもらえないことに、よく文句を言っていた。
『強大な力を使うには、深く究められた知識が必要なのじゃ』
文句を言った罰で山のような課題を出したアローサル師匠が、そんなことを言っていた。
「……ま、それでも試験前にあそこまでモノにできたのなら上々でしょ」
「だな。『
「あいつはって……ウェントだって受かるでしょ」
「おかしなことを言ってんじゃないわよ」、と呆れるシルフィに、俺は苦笑を返した。
「アンドレトゥス高等学校の試験は二種類。学科試験と実技試験だ。学科は余裕だろうけど、実技の方がな……」
「受験生達数十人の乱戦だっけ? それもウェントの実力なら問題ないでしょ。今でも中等学校の同級生に負けなしなんだし」
「俺が魔法使いってことが問題なんだよ」
「仮にも国内最高学府の職員が、そんなエコひいきをするかしら?」
「こればっかりは理屈じゃないからな……当日の試験官が単純な人だとうれしいな」
恐らく、戦士科志望の生徒達による共同戦線が張られるだろうし、そもそも無詠唱を主体にしている俺の戦い方ではイカサマなどを疑われそうだ。
「まったく……アンタはアローサルの弟子で、アタシの契約者なんだから、しゃきっとしなさいよね」
「……だな。さすがの俺もちょっと緊張しているみたいだ」
俺が濡れた頭を掻くと、同時に浴室の戸がコンコンとノックされた。
「兄様。お着替えを持ってきました。置いておきますね」
「ありがとう、アメラ。優しい妹を持てて俺は幸せだよ」
シルフィが「
「……? アメラ、どうかしたか?」
もう用事は済んだのになかなか去らない妹。何か言いたいことがあるのだろうか。
「……」
だが、アメラは答えない。代わりに聞こえる、シュル、シュルル……と衣擦れの音。
「……アメラさん?」
嫌な予感を覚えていると、タオルを体に巻きつけたアメラが浴室に入ってきた。
まだ幼さが残る、未成熟な体つき。それでも胸や尻のあたりの膨らみが女性らしさを孕んでいる。一枚の薄布だけでは到底隠し切れない、ハリのあるみずみずしい肌が、湯煙と相まってなんだか少し艶やかだ。
……いや、艶やかだ、じゃないが。
「兄様、久しぶりに一緒に入りましょう」
「………………ナンデ?」
「兄妹ですから」
「普通兄妹は大きくなったら一緒に風呂なんか入らないんだよ」
「兄様、知らないんですか? 近年の研究によると、アンドレイア王国では一緒にお風呂に入る兄妹が増えているんですよ?」
「そんなデタラメまみれの発表をしたのはどこの研究者だ? 憲兵に突き出してやる」
「私です。サンプルも私です。調査対象は私だけです」
「よくも公的な研究みたいに言ったなお前!?」
「もう、良いじゃないですか……兄様が悪いんですよ。最近ますます私をほったらかして……」
「それはイーラとの特訓があったからでな……お、おい」
アメラは俺の制止を無視して、アメラがすっぽりと俺の両膝の間に体を収めた。タオル越しに彼女の背中と俺の胸が密着し、花の香りがより近くなる。
シルフィが「ついに一線を越えやがったこの兄妹」みたいな戦慄の視線を向けてくるが、これは言い訳できない。
「最近かまってやれなかったのは悪かったって。でも俺との時間なんてそんなに……」
「大事です」
俺の言葉を遮り、アメラが強く言い切る。
「だって……もうすぐで私と兄様は離れ離れになるのですから」
「それは……」
アメラの言葉に息をのむ。
王都にあるアンドレトゥス高等学校にプルトスから通うのは不可能だ。故に、合格したら俺は学校の寮に入ることになる。
──つまり、この家を出ていくことになる。
アメラが言っているのは、そういうことだった。
「……まったく、いつまでも兄ちゃん離れができない妹だな」
観念して、俺はアメラの髪をゆっくりと撫でた。気持ちよさそうにほぅっと息を吐く白百合の妹。
「兄様は、やはり優しいですね」
「この状況じゃ逃げられないだろうが」
「ふふ、作戦成功ですね」
末恐ろしい妹である。
シルフィは「もうしらね~」といった様子で、湯船でまどろみ始めている。
静謐で穏やかな時間が、俺達を包み込む。
「……アメラ。俺はアンドレトゥス高等学校に受かると思うか?」
「急にどうしたんですか?」
「ちょっとな」
「私は……兄様を落とすような学校は廃校にして歴史から抹消するべきだと思いますが」
「ちょっと今日のお前過激じゃない? お兄ちゃん怖くてたまらないんだけど」
「冗談ですよ、もう」
くすくすとアメラが笑う。
「兄様が落ちるなんてありえません。兄様はいろいろな悪い想定をしているのでしょうが、それらを全てねじ伏せて勝ち誇るのが兄様ですから」
「…………確かに、そうだな」
侮蔑も、嘲笑も、恐怖も、いままで受け続けてきたのだ。今更、学校の試験がなんの問題になるのだろう。
「それに、もっと大きな困難に──街の人々に嫌われながらも、自分が信じた道を進みつけているのですから。今更、試験がどうだというのですか」
「……ははやっぱり今日のお前は少し過激だな」
俺が魔法使いを目指すようになってからもずっと側にいてくれた妹が、そこまで言い切ってくれるのだから、いつまでも怖気づいていてはみっともない。
「……ありがとう、アメラ」
「ふふ、どういたしまして」
もしかしたら、風呂に入る前から俺の杞憂を見抜いていたのかもしれない妹は──そう言って朗らかに笑った。
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