第5話 同じ場所を目指す者
「関係あるさ。この森が危険なことぐらい、お前もわかっているだろ?」
妙に敵対的な態度のイーラに肩を竦めて、俺は反論する。
「知ってるわよ、馬鹿にしないでくれる?」
「だったらなんで……」
「今日はお父様も剣の先生も出払っちゃってて、訓練の相手が家にいないのよ。でももうすぐで大事な試験があるし、ここで少しでも実践を積みたいと思ったの」
「それで『セルビトロスの森』をわざわざ選ぶかぁ? 噂じゃ確かに強いみたいだけど、それでももっと安全な場所だってあっただろう」
「──う、うるさいわね! 別にいいでしょ! ここの気分だったのよ!」
俺の指摘に、イーラが慌てながら反論する。昔からよくわからないやつだ。
「……そ、そういうあなたこそ、どうしてこんな危険な森にいるのよ?」
「わかるだろ? 俺は悪い魔法使いの弟子だ」
「──っ」
俺の言葉に、イーラの表情が一気に曇る。彼女も魔法使いのことを昔から嫌っていた。
しばらく会っていなかったとしても、旧知の仲の人間が魔法使いになっていたら複雑な気持ちだろう。
「……やっぱり、本当なのね。ウェント、あなたが魔法使いになったって話は」
「有名な話だろ? 名門オールビィ家を捨てた極悪人、ウェント・オールビィの話は。お前も学校でいくらでも俺の悪評を聞いたはずだ」
「……それでも、私は信じたくなかった……! ──のせいで、あなたが、魔法使いなんかになってしまっただなんて……」
「……」
イーラが顔を俯かせ、拳を震わせる。
何かを言いたそうにしている様子に、俺は内心首をかしげる。
二年前から、俺はイーラと口をきいていない。道が分かれた俺と彼女にはもう話すことなどないと思っていたし、それはイーラも同じだと思っていた。
──けれど、どうやら彼女には何やら言いたいことがあるらしい。
「……イーラ、こんなにまともに会話するのは久しぶりだし、どっかに座ってゆっくり喋らないか?」
「……え?」
イーラが意外そうに、ぽかんと口を開ける。
「……い、良いの? 私のこと、嫌って無いの?」
「嫌ってるわけないだろ」
「……そ、そう。わかった……」
どうしてか少し赤くなるイーラを見て、静かに顛末を見守っていたシルフィが「ケッ」と汚い声を出した。
森を歩けば、手ごろな切り株はいくらでも見つかる。
ちょうど二つ並んだ切り株に腰かけ、俺とイーラは互いに別々の方角に目を向けた。
しばらく、無言が続いた。
……だってしょうがないだろ。二年前に疎遠になった相手と何を話したらいいかわからないんだから。
「……ウェント、どうして魔法使いになったの?」
口火を切ったのは、イーラだった。
「……お前に煽られた八年前の夏に、偉大な魔法使いと、優しくて綺麗な魔法に出会ったからだよ」
「……じゃあ、やっぱり、私のせいなのね」
「は?」
思わぬ言葉に、俺はイーラの顔を向く。
そこには、今にも泣きだしそうな表情の少女がいた。
「私があの時、あんなことを言わなければ……ウェントにひどいことを言わなければ……あなたは、魔法使いになんてならなかったのに……!」
もしかして、あんな子供の頃の売り言葉に買い言葉を未だに気にしているのか?
全てのきっかけは自分の不用意な発言のせいだったと。俺の歯車が狂ったのは自分のせいだと。
昔から頑固な奴だったけど、これは予想外だな。
「ずっと、謝りたくて……でも、なんて声をかけたらいいかわからなくて……」
「……そんな風に、思っていたのか」
肩を震わせるイーラを眺め、俺は他人事のように呟いた。
正直、この二年間、イーラと話ができるような機会はいくらでも作れた。
先ほどのようにすぐ睨んでくるので、実行に移すことは一度もなかったが。
そんなイーラが──他の人と同様に俺を嫌っていると思っていたイーラが──未だに俺に歩み寄ろうとしていたことが、信じられなかった。
……ただまあ、彼女の苦悩は解消しておいたほうがいいだろう。盛大に勘違いしているみたいだし。
「自惚れんな、イーラ」
「っ!?」
「きっかけはそうだったとしても、あの日『セルビトロスの森』に入ろうと決めたのも、魔法を究めようと思ったのも、魔法使いであることを暴露したのも、全部俺の選択だ。お前との記憶がそこに入り込む所なんて、どこにもない」
「……なに、それ……」
イーラの表情が、苦悶の色を浮かべる。
そんな彼女から目をそらさずに、俺は言った。
「──だから、そんなこと気にすんな」
「──え?」
「イーラのせいなんかじゃない。全部俺の責任だ。だからいつまでも、まやかしの罪に囚われないでほしい」
「ウェント……」
イーラの目尻に涙が浮かぶ。
優秀で、努力も怠らなくて、自分にも他人にも厳しくて、だからこそ人一倍責任感が強い彼女は、この数年で、俺のためにここまで悩んでくれたのだろう。
それは、心の底からうれしく思う。
けれど、そもそもその罪の意識が、すべてを悪い方向に考えてしまう思考の泥沼に沈んでしまった故に生まれたものだったら。
俺は、思われた身として、彼女を解放するべきだ。
「……ありがとう、ウェント。少しだけ、心が晴れたわ。……ここにきて、よかった」
「ああ。それに、俺は魔法使いになったことを一度も後悔してないからな」
「……そう、なのかもね」
肯定しながらも、イーラはまだ何か言いたそうにしている。
「まだなんか言いたいことがあるのか?」
「……ウェント。あなたは後悔してないのでしょうけど……それでも、苦しんでいる。二年前の『プルトス事変』。悪魔型の魔物がこの森に現れ、巨大な竜巻が街を襲いかけたあの頃から……ずっと」
肩の上に乗るシルフィがはっと息をのむ気配が伝わった。
「──まあ、魔法使いの嫌われっぷりが予想以上で困惑している部分はあるな」
「そんな生易しいものじゃないでしょ」
ぴしゃり、とイーラが否定する。
「もっと、暗い顔よ、あなた。学校にいるときも、街で見かけたときも……昔じゃ考えられないぐらいに」
「……」
俺は答えず、沈黙を選んだ。
……それは、肯定になるのだろう。恐らくイーラはその理由を『魔法使いになったから』だと勘違いしているだろうが。
俺がシルフィと契約して、毎日のようにこの危険な『セルビトロスの森』に出入りしている理由は、別なのだ。
今のところ、アメラしか知らない俺の秘密。二年前に起きた『プルトス事変』の背景。
……話していいものか迷う。ここまでの懊悩を俺に語ってくれた彼女に、俺も秘密を明かすべきなんじゃないかと思ってしまう。
シルフィがそんな俺の心の動きを読んだのか、制止させようと鋭い視線を送ってくる。
「──言えないことがあるなら、今はいいわ」
そしてイーラもまた、俺の感情を読んだのか話を打ち切るように手を叩いた。
「……いいのか?」
「いつか絶対話してもらうけどね」
金の髪を揺らして、イーラが優しく微笑む。
もう、取り返しのつかない亀裂が入ったと思っていたけれど、案外俺達は昔のように笑いあえるのかもしれない。
彼女の笑顔を見て、そんなことを思った。
俺とイーラは、それからしばらく森の中で談笑をつづけた。
周囲には俺が光の壁を張ったので防御面で不安はないし、魔法使いである俺と仲良くしているところを他人に見られるわけにはいかないイーラにとって、人が入り込まないこの樹海は都合がよかった。
他愛のない話。互いに距離を取っていた頃に何をしていたか。家の状況はどうか。試験の順位。家族の様子。街の中の美味しい店。──そして、将来の話。
「そういえば噂で聞いたんだけど、ウェント。あなた『アンドレトゥス高等学校』を目指してるの?」
イーラがその話題を口にしたのは、ちょうど進路の話をしていた時だ。
王立アンドレトゥス高等学校。アンドレイア王国で最も古い歴史を持ち、数々の偉人を輩出しているこの国最高峰の学校機関だ。
いやまあ、アンドレトゥス高等学校の情報は置いておいて。
「……教師にしかそのことを言ってないんですけど。なんでそんな噂が立ってるんですか」
「みんな知ってるわよ。魔法使いが名門を破壊するつもりだって言われてるわ」
担任教師の情報漏洩を罰する法律はないものだろうか。
俺は痛む頭をおさえて、先ほどの質問に答える。
「……まあ、そうだよ。アンドレトゥスを受ける」
「どうして? 魔法使いだったら、エクシプノスの学校に入ればいいじゃない」
「……それが一番いい選択なんだろうけど……まあ、親に対する贖罪みたいなもんだよ」
「ああ……」
イーラが、何かに思い当たったかのように目を見開く。
「長男の俺が魔法使いなんかになったから、オールビィ家の評判はガタ落ちだ。王都インゲニウムでは今もオールビィ家の権威を弱めようとする動きがあるらしい」
全部父と母の会話を盗み聞きしたことで得た情報だ。
「だったら、この国最高峰の高等学校に入って、オールビィの血が堕ちてないことを証明しようと思ってな。そうすれば、肩身も多少は広くなるだろ」
「なるほどね……あなた、昔からそういう体裁とか気にしてたわよね。見栄っ張りというか、意固地というか」
隣でシルフィがうんうんと頷く。心外だ……。
「──でも、学科はどうするつもり? まさか、アンドレトゥス高等学校の戦士科にでも入るの? こっそり魔法の練習をするつもり?」
「…………アンドレトゥスには、この国唯一の魔法科があるんだよ、これも他の名門校じゃなくてアンドレトゥスを受ける理由の一つだな」
「……それ、本当なの?」
イーラがぱちくりと紅い瞳を瞬かせる。魔法使いじゃないと知らない情報だろうな。
「なんで、よりにもよって王国で一番知名度が高いアンドレトゥスに……?」
「そりゃ知名度が高いからだろ。政府も介入しやすいし、国民は危険な魔法使いを学校の優秀な職員が見張っていてくれるって安心できるからな」
「……管理を、簡潔に行うためってこと?」
「そう、その通り」
イーラの聡明な頭脳が出した答えに、俺は指を鳴らす。
「歴史を──特に戦争史を見れば、魔法使いの役割が重要なことは明らかだ。だから国は、高等学校で三年間かけて、忠誠心を持った魔法使いを育てるんだよ」
「……魔法使いのこととはいえ、家畜みたいな扱いね」
「偉い人達は、まさに魔法使いを戦争のための道具だと考えていると思うぞ」
さすがに、人権をほとんど無視したような扱いがまかり通っていることは、イーラにとって不愉快なことらしい。
若干険しくなった表情で、俺の目を見てくる。
「そんな環境で、あなたは大丈夫なの? 今より苦しくなるかもしれないし……無理やり牙を抜かれるかもしれない」
「織り込み済みだよ。それでも、俺はアンドレトゥスに行く」
「…………ま、あなたの進路に私が口出しするのは道理じゃないわね」
俺の決意の固さを感じたのか、イーラは説得するそぶりもなく首を左右に振った。
「まあ、私としては知り合いが一人でも居てくれたほうが気楽だからいいけど」
「やっぱり、イーラもアンドレトゥス志望か」
「当然でしょ。目指すのはトップ──『十傑』、その第一席よ」
『十傑』。その学年の武科──戦士科と魔法科の中で最優秀成績者十名の呼称。
ちらり、とシルフィが俺を見る。それを無視して、俺は表情を悟られないように、口に手をやった。
「──大きく出たな」
「当然。……私にだって、ラエティティア侯爵家の長女として、背負ってるものがあるのよ」
イーラが少し複雑そうに顔をゆがめ、まるでそれを悟られないように、すぐに表情を不適な笑顔にかえる。
……はてさて、将来的に同じ椅子を争うライバルとなる彼女は、今はどれほどの実力を持っているのだろうか。
彼女の勝気な笑みを見て、ふとそんなことを思った。
「……イーラ、模擬戦しないか?」
「急にどうしたのよ?」
「いや、今のお前がどんぐらい強くなったのか気になってな。そんな大口を叩くぐらいなら、この目で見ておきたいと思って」
「……へえ、ウェントが剣で私に勝てたことってあったっけ? そんな余裕たっぷりな態度をとれる立場じゃないでしょ?」
「おいおい、今の俺の『武器』を忘れたのか?」
ボッ、と俺の指先に魔法の炎が点火される。
「俺は魔法使いだ。当然、魔法で戦う」
「──なるほどね。いいわ。待ったなし、再戦なしの一回の真剣勝負でやりましょう」
俺の炎を見たイーラが、そう言って好戦的な笑みを浮かべた。
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