第4話 イーラ・ラエティティア

「にーいーさーまー! 起きてください、朝ですよー!」

 磔にされた罪人かってぐらいに全ての人間が俺に対する悪感情を抱いているこのオールビィ家の中で、一人だけ例外がいる。

 ゆさりゆさりとベッドをゆすられ、乱暴に意識を覚醒にもっていく起こし方にももう慣れた。

「うーんむにゃむにゃ……もう食べられないよ……」

「寝ぼけたふりはやめてください! もう起きているのはわかってるんですから! ほら、シルフィちゃんも、起きてください!」

「ふぁーい……朝から元気ね、アメラは」

「妹が元気いっぱいで、お兄ちゃんはうれしいよ……」

「はいはい二人とも、無駄話はしない! 太陽はとっくに上っていますよ!」

 俺とシルフィがあくび交じりに体を起こすと、目の前の少女──アメラ・オールビィがぱんぱんと手を叩く。


 母親譲りの蒼銀髪と、瑠璃色の瞳。我ながら全然似ていないと思うが、血のつながった実の妹だ。

 歳は俺の一個下で、同じ中等教育学校に通う二年生。成績はかなり優秀で、たまに学年で一番をとることもある。

 性格は父親譲りで几帳面の真面目っ子。適当な俺をよく幼いころから注意している、しっかり者だ。

「……おはよう、アメラ」

「はい、おはようございます、兄様」

 アメラが、朝日を受けて喜ぶ花々の様にぱっと笑顔を咲かせた。


 魔法使いとなった俺を使用人を含めた誰もが疎むこの家で、どういうわけかアメラだけは昔と変わらないまま俺になついてくれている。

 そんなアメラには、普段は俺以外に姿形も声も知らせないシルフィも気を許し、姿を見せるようになっている。

「起こしてくれてありがとう。でも別に毎朝律儀に起こさなくてもいいんだぞ?」

「私が起こさなかったら、兄様は昼まで寝てしまうでしょう? そんな不摂生は許しませんよ」

「手厳しい……」

「それより兄様、昨日はいつの間に帰ってきたのですか? せっかく料理人の方々が夕飯を用意してくれていたのに、それも食べないで……」

「用意させた、の間違いだろ?」

「……兄様」

 アメラが悲しそうに顔を伏せる。少し罪悪感を抱きつつも、俺は言葉を止めない。


「アメラ。お前が今も俺を慕ってくれているのは嬉しいけど、それでもそれを他の人間に真似させようとはするな。そんなことを続けていたら、今度はお前が──」

「兄様は、兄様です。騎士を目指そうと、魔法使いを目指そうと、兄様の強さと優しさが損なわれることはありません。みんな、それに気づいていないだけなのです」

 アメラは少し子供っぽく、ふるふると首を振る。

「……俺は、そんなに立派な人間じゃないよ」

「昨夜、父様と会ったからそんなことを言うのですか?」

「っ……」

 アメラの言葉に、俺は思わず息をのんだ。

「──知っていたのか」

「父様が話していましたから。久しぶりに息子の顔を見たって」

「……どんな表情だった?」

「それは……」

 アメラが口をつぐむ。まあ当然、良いものではなかっただろう。話していたことも、本当はもっと罵詈雑言まみれだったに違いない。


「それでも、父様は兄様を気にかけていると思いますよ? 父様だけでなく、母様だって……」

「……まあ、家を追い出されていないのはありがたく思っているよ」

 魔法使いを出した騎士侯爵家など、汚名を頭からかぶるどころか汚名で満たされた浴槽に浸かるようなものだ。だというのに、この家は避けながらも俺の存在を受け入れてくれている。

「……ま、昨日のことはもう気にしてないから安心しろよ」

「兄様がそう言うのなら……」

「それよりも、朝の鍛錬は大丈夫か? 遅刻すると父さんにどやされるぞ」

「──もうっ、兄様は私のことじゃなくて兄様のことを心配してください!」

 ぷくっと頬を膨らませて、アメラがそのまま部屋の外に向かう。

 扉の前で不意に立ち止まり、もう一度こちらに視線を向けた。

「もうすぐ高等学校の入学試験もあるんですから……兄様なら大丈夫だとは思いますが」

「はいはい、わかってるよ」

「はい、は一回ですよ!」

 そんなお決まりのセリフを言って、アメラはぱたぱたと廊下をかけていった。


「嵐のような奴だな」

「むぐむぐ……ほうねー」

「っておい、妙に静かだと思ったら何食べてやがる!」

 おかしな受け答えをするシルフィを見ると、恐らくアメラが持ってきてくれた朝食を頬張っているところだった。風のマナ(アネモス)を操り、自分とそう大きさの変わらないソーセージをガジガジかじっている。

 ちなみにこの朝食は俺用で、シルフィは自分用の物は既に食べ終わっていたらしい。

「それは愛しの妹が持ってきてくれた大事な朝食なんだぞ!」

妹偏愛者シスコン、きもーい」

「……」

 俺は無言で創のマナ(カルディア)を操作して、シルフィが今まさに口に運ぼうとしているデザート用のリンゴを見据える。

 マナを充填、発射。同時にシルフィが櫛形のリンゴにかぶりついた。

「っ!?」

 シルフィの表情が歪む。馬鹿め、油断しているからだ。


「──~~~~~~~っっっ!! かっらぁ~~~~~~~~!!??」

「ははは! ざまあないなあ、精霊女王サマよぉ!」

「こんのばかウェント! 信じられない! リンゴを激辛物体に変えるなんて!」

「うるせえ、食い物の恨みを思い知れ、あほシルフィ!」

「言ったわね!」

「何度だって言ってやるよ!」

 それからしばらく、俺とシルフィはぎゃんぎゃんと言い争いを続けた。

 使用人たちからは「またウェント様が一人で騒いでるよ」と思われているんだろうな……。


 朝の運動、もとい口喧嘩を終えた俺達は、再び『セルビトロスの森』に入った。

 なにせ今日は休日。退屈な学校が無く、一日を自由に過ごせる貴重な日だ。

 姿を眩ませて空を駆け、俺は危険指定を受けている森の一画に着地した。

「昨日の今日で街中を歩く元気はないからなぁ……」

 ひとりごちて周囲を見渡す。近くに魔獣の気配はない。

「今日は少し静かだな」

「……たぶん原因はあっちのほうにあると思うわよ」

「それって──」

 どういうことだ? と問おうとした俺の耳に、爆音が響いた。

 視線を向けると、シルフィが今まさに指さした方角で煙が上がっている。


「何だあれ? 火薬蜘蛛ボムスパイダーの群れでも出たのか?」

「人間よ。一人でこの森に入っているみたいね。かなりの実力者だわ」

 俺よりも数段索敵能力の高いシルフィの言葉に、俺は思わず「まじか」とこぼした。

「珍しいな、ここに入る命知らずなんて」

「毎日鏡で拝んでるでしょ」

「やかましい」

 シルフィと軽口を叩きあいながら、俺は爆発の起きた方向に向かう。

「助けるの?」

「万が一この森で死者が出たら、また悪い魔法使いのせいにされるかもしれないからな」

「……そういうことにしとくわね」

「なんだよ」

「なんでも」

 あの爆発以降、戦闘音が聞こえないのが嫌な予感を掻き立てるが、それでも間に合ってくれと心の中で願いながら、俺は事件の現場に急いだ。


 ──結果から言うと。

 俺が予想していた最悪な事態は起きておらず。

 爆発後の中心、黒く焦げた魔獣の死骸に囲まれて、五体満足の一人の少女がたたずんでいた。

 質のいい戦士用の特別衣装で身を包む、襟足の紅い金髪をサイドテールにしている少女だ。右手には細い魔剣を携え、戦闘後の影響か少し荒い息を吐いている。

「──げ」

 なんだか見覚えのある後ろ姿に俺は表情を引きつらせ、彼女から目をそらした。

「──げって何? 幼馴染に対して言っていいことなの?」

 逃げようとしたが時すでに遅し。少女がこちらを振り向き、苛ついた表情を向ける。剣を鞘に納め、左手で髪を流した。

 体を射る、紅玉色の視線。

「なんでこんな場所にいるんだよ──イーラ」

 俺が呆れ眼で問うと、少女は「ふん」、と鼻を鳴らす。

「あなたには関係ないでしょ、弱虫ウェント」

 まともに話すのは二年ぶり。

 誰あろうかつて俺がこの『セルビトロスの森』に入った原因。

 名門ラエティティア侯爵家の第一令嬢にして新進気鋭の戦士。

 俺の昔なじみであるイーラ・ラエティティアは、険しい表情で俺を睨んだ。

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