第3話 父と子


「──ウェント! なにぼーっとしてるの! 来るわよ!」

「ッ!」

 シルフィの声で、俺は現在に意識を戻す。とっさに地面を踏みしめ、落ち葉の中に体を投げ出した。

 瞬間、先ほど俺がいた場所を駆け抜ける稲妻。

 間一髪で即死の攻撃をよけられたことに息を吐くと、シルフィがベチベチと右手をたたいてくる。

「なぁにをぽけっとしてんのよ! 今のアンタでも稲妻羆ライトニングベア相手に油断してたら駄目じゃない!」

「いや、悪い悪い。今日はどうにも昔のことが頭に浮かんじゃうんだよ。多分紅葉の月だからだな」

「家に帰ってからにしなさーーーーいっ!」

 シルフィの怒声が森に響き渡る。


 場所は『セルビトロスの森』の東の奥地。結界の効力が及ばないここは、強力な魔獣が多く生息している。ここにたどり着くまでにもすでに何度か交戦した。

 俺がいま対峙しているのは、そんな多くの魔獣が跳梁跋扈するこの森の、絶対的な強者。

「──さて、そろそろ本気でやりますか」

 目の前の稲妻羆ライトニングベアを見据え、俺は手の平に拳をぶつけた。

「グォアアアアアアアアアアアア!!」

 稲妻羆ライトニングベアが、侵入者である俺に向かって威嚇の咆哮。かつてはその叫びに怯えていただけの俺だが、今は戦うことができる。

 俺の顔の横に浮かび上がってきたシルフィが、焦れた様子で話しかけたくる。


「今日はアイツが獲物なんでしょ? ほら、さっさと終わらせるわよ。私の力を使いなさい」

「……いや、今日は別に試したい方法があるんだ」

稲妻羆ライトニングベア相手にそんな悠長なこと言ってられるの?」

「やれるさ。見ていてくれ」

「……わかった」

 俺の言葉を信じてくれたのか、シルフィが右手の紋章に引っ込む。これで失敗したら何を言われるやら……いや、その前に死んでるか。

「グゥルルルルルルルルルルル……」

 何もしない俺に警戒しながら、稲妻羆ライトニングベアがゆっくりと横に移動する。その口腔内には、稲妻の輝き。


 稲妻羆ライトニングベアの強力無比な雷の魔法は、反面、連射性能に欠ける。

 一度撃ったら、平均で三十秒ほどの間隔が必要になる。通常であれば、一度目の雷撃をやり過ごし、二発目の準備をしている間に攻勢に出るというのが一般的だ。

「……さて、そろそろマナが高まってきたかな?」

 だが、俺はあえて待つ。

 アローサル師匠との出会いを──彼が見せた高等技術を思い出したから。

 大熊の魔法の充填が、いよいよ完了する。そして──

「グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──!」

 稲妻羆ライトニングベアの巨大な口から、絶死の光線が放たれた。

「『光の防御壁ルークス』!」

 防御魔法を短縮展開。見えない光の壁に稲妻が轟音とともに激突する。


 防御魔法でしのいでいる間、俺は自身のマナを媒介にし、稲妻羆ライトニングベアのマナに同調。大熊の魔法に接続する。

 ──『魔力妨害マナジャミング』。

 相手のマナに干渉して魔法支配権を奪い取る高等技術。

「──くぅ、すげえマナだな!」

 稲妻羆ライトニングベアの魔法に介入した瞬間、脳を刺激する大量のマナに目が眩むが、ここで気絶したら何もかも終わりだ。

 俺は歯を食いしばって意識を保ち、魔法の操作権を奪い取る。

「うおおおおおおおおおおおおお!」

 右手を振り上げ、それに従うように稲妻が空へと跳ね上がった。

「グゥオオオオオオオオオオオ!?」

 自分の魔法が『奪われた』ことに気付いた稲妻羆ライトニングベアが、俺に背を向け一目散に逃げだす。

 ──だが、もう遅い。


「お前の魔法……そっくりそのまま、返してやるよ!」

 今度は右腕を勢いよく振り下ろし、稲妻を──本来そうあるように──落雷に変えて稲妻羆ライトニングベアに向かって撃ちはなった。

 稲光が空気をかき鳴らす轟音。次いで大地を抉り抜く音。そして最後に羆の断末魔の声。

 稲妻羆ライトニングベアは自身の魔法に焼かれ、絶命した。


「ふぅ……やれる気がしたけど本当にうまくいくとはな」

 稲妻羆ライトニングベアの死骸を見下ろし、俺は安堵のため息をついた。

 魔獣の使う魔法は強力だが、簡潔な方程式の物が多い。そう聞くと『魔力妨害マナジャミング』は簡単に出来そうだが、それでも膨大なマナを制御する技量が必要になるのだ。

 八年前から研鑽を積んできた、今の俺だからこそ成功させることができた。

 それをほめてくれる人はもういないけど──それでも、挑戦し勝利できたことは誇りに思っても良いだろう。

 師匠がかつて見せた戦い方をなぞった俺は、右手を掲げてシルフィに「終わったぞ」と声をかけた。

「──まったく、あんたって本当に無茶無謀が好きよね」

 右手から出てくるなりそんな失礼なことを言ってくるシルフィ。

「無謀ではなかったぞ。勝算もあった」

「ちなみに何割?」

「…………四割」

「半分以下の確率で命を懸けるんじゃなーーーーーい!!!!」

 耳元で叫ばれ、キーンと鼓膜が刺激される。


「まったく、まったく! アタシが認めたアンタに、そう簡単に死んでもらっちゃ困るんだけど!?」

「悪かったよ。それでも、いつか挑戦したいと思ってたし、今日は上手くいく気がしたんだよ」

「どうせ、またなんとなくって言うんでしょ」

「そうですね」

「……」

 はぁああああ、と超特大のため息をついて、シルフィが頭の上に乗る。

「アンタの目標を達成するために、危険が伴うことは重々承知しているけど、そろそろ危なっかしい戦い方はやめてほしいわね。……ていうか、アタシの力をもっと使えばいいじゃない。もうだいぶ制御できるんだし」

「──それは、ダメだ。シルフィの力に頼り切っていたら、いつまでも俺は自分を認められないままだからな」

「はいはい……ほんと、呆れるぐらいに追い込むんだから、自分のこと」

「お前が認めてくれたから、俺は自分の可能性を信じられるんだよ」

「──う、うるさいっ、ばかウェント! いきなりそんな恥ずかしいこと言うんじゃないわよ……」

 小声でぶつくさ言う頭の上に乗っているシルフィの表情は見えないが。

 たぶん、顔を赤らめて頬を膨れさせているんだろうな……と微笑ましくなった。


「すっかり遅くなっちゃったわね」

「食いながら喋るな……」

 肩に乗っかって栗を頬張りながら、シルフィがもごもごと言ってくるので注意する。いやほんと、服に食ベカスがこぼれるから嫌なんだよ……。

 すっかり夜の帳が落ち、街頭が街中を照らす夕食時。一狩り終えてシルフィご所望の栗と柿を献上した俺は、自宅に向かって歩いている途中だ。

「ねーままー、今日の夕飯はなぁに?」

「今日はミィちゃんの好きなハンバーグよ」

「やったー! はやくかえろ! はやくー!」

「こらこら、急ぐと転んじゃうぞ」

 仲良く手をつなぎながら談笑する三人家族が、すれ違う時に穏やかな会話を残していく。


「……うらやましい?」

「…………まあ、少しは」

「……さびしんぼであまえんぼなウェントくんと、アタシが手をつないであげまちょうか~?」

「誰が歩く警報装置みたいなやつと。人形相手のほうがまだマシだよ」

 ビッ、と抗議声明とばかりに髪の一房が引っ張られる。

 シルフィのからかいは置いておいて、家族団欒の様子がまぶしく映ったのは確かだった。

「──魔法使いに鉄槌を! 『セルビトロスの森』に聖浄の炎を!」

「「「「「──魔法使いに鉄槌を! 『セルビトロスの森』に聖浄の炎を!」」」」」

「──げぇ」

 そんな憧憬を黒く塗りつぶしたのは、ヒステリックに叫ぶ男の声と、それに追随する群衆の合唱だった。


「……まーたやってるよ」

「毎日毎日飽きないわね」

 俺が呆れ顔を浮かべると、シルフィも似たような表情をする。

 広場を占領して大演説を行っているのは、反魔法・反魔法使いを掲げる組織の者達だ。名前は忘れた。

 魔法使いを絶対悪とし、根絶のために日夜活動しているらしい。

 老若男女様々な人種で構成され、『魔物』に家族を殺された人や、『白痴の悪魔』から逃れてきた東部出身の難民などが多いそうだ。

 今この街で集会を開いているのは、恐らくなんの力も持っていない木っ端構成員だろうが、その幹部ともなると魔法使いを処分する精鋭が揃っているとの噂。


「今日は定例集会の日だったのね。路地に行きましょう」

「いや、もう遅い。見つかった」

 シルフィが提案するのと同じタイミングで、構成員の一人と目が合ってしまった。

「おい、みんな! 魔法使いのウェント・オールビィがいるぞ!」

「悪の魔法使いの手先だ! みな、石を拾え!」

「お前なんか、この街から出ていけ!!」

 発見報告から迅速に行動を移す反魔法主義者たち。罵声とともに次々に大量の石が投げられる。


「シルフィ、頼む」

「はいはい」

 ため息交じりの俺の声にシルフィが答え、無造作に指を振った。

 同時に吹きすさぶ、横薙ぎの風。シルフィのふるった力は飛来する石の散弾を粉々に打ち砕き、その先にいる投石者たちに向かう。

「うわあ!?」

「くそ!」

 石を砕いた後は威力が弱められていて、シルフィの風は彼ら彼女らを押し倒す程度で収まった。派手にしりもちをついた集会者達が、憎悪のこもった視線を寄越してくる。

「──外道め、覚えていろ!」

 木箱に乗って音頭を取っていたもの──恐らくリーダー格──が、三流の悪役みたいな捨て台詞を吐いて走り去っていった。


 それに追随して、ほかの構成員たちも街の夜闇に消えていく。

 ひと悶着が終了し、俺はもう一度ため息をついた。

「ありがとう、シルフィ」

稲妻羆ライトニングベアじゃなくてあんな無力な奴らにアタシの権能をふるいたくないんだけど?」

「いつもすまないと思っている」

「それきくの百回目ぐらいなんだけど」

「失礼な。五百は超えてるぞ」

「威張ってんじゃないわよ!?」

 互いに緊張感のない声で談笑。週に一度は遭遇するイベントなので、俺もシルフィもとうの昔に慣れ切ってしまった。


 魔法使いである俺は、二年ぐらい前から反魔法信者たちにマークされている。なので顔を合わせるたびにああいったちょっかいをかけられるのだ。

 今回のようにこちらが反撃することもしばしばあった。それでも懲りずに活動をやめない意志の硬さには、少しだけ尊敬の念を覚える。

「冗談はこれぐらいにしておいて、さっさと帰ろう」

「そうね。人も集まってきたし」

 シルフィに言われて周囲を見渡すと、なるほどたしかに、構成員ではなさそうな住人が広場に集まっていた。

 みな遠巻きに俺達を──シルフィは彼らの目には映らないようにしているが──眺め、目が合うと表情を陰らせ顔を背ける。

 だがそこに「よってたかっていじめられてかわいそう」みたいな同情の視線はなく、あるのは恐怖や敵愾心、気色悪さだ。


 彼らの心情を想像するならこんな感じだろうか。

「また魔法使いが騒ぎを起こしてるよ」

「いい加減このプルトスから出て行ってくれないかしら」

「オールビィ家の放蕩息子が……」

「親御さんも浮かばれないよな」

「さっきの得体のしれない力も、気味が悪いわ」

 情熱に大きな差があれど、大衆の感情は反魔法組織の人々と変わらない。


 魔法使いは恐ろしく、悍ましい。

 街のすべてが。いや──国の全てがそんな負の感情に支配されているのだから。

 民衆の中には、先ほどすれ違った三人の家族がいた。おそらく、さっきまで俺が魔法使いだと知らなかったのだろう。

 父親も、母親も、無邪気に笑っていた女の子でさえも、他の人々と同じような顔で、俺を見ていた。

「……」

 諦観のようなものを感じながら、俺は広場を後にした。逃げたといってもいい。

 彼ら彼女らと向き合う気概なんて、この八年でとうに失せてしまったのだから。


 アンドレイア王国東部にある大都市プルトス。貴族が住む西区画に俺の家はある。

 四百年前の王国建立時から代々軍に貢献し、今は東部の守護を任されているオールビィ騎士侯爵家の家だ。

 プルトスの政治中枢は『三巨頭』と呼ばれる三つの名家が主に担っているが、軍事に関することはオールビィ家が任されている。

 そんな超一流貴族の家系の長男に生まれながら、魔法使いなどという超異端人種に堕ちたのが、この俺なのだ。

 戦車が三台は通れる巨大な門の横にある人間用の扉をあけ、前庭に足を踏み入れる。

 月の光に照らされるコスモスを揺らし、世界で一番居心地の悪い実家の屋敷へと足を進める。

「ただいまー……っと」

 漆が塗られた頑丈な扉を静かに開け、出迎える者のいない玄関口に入った。

「泥棒みたい」

「うっせ」

 シルフィが余計なことを言うが、強くは否定できない。コソ泥ってこんな感じなんだろうなって自分で思うもん。


「誰もいないうちに、早く部屋に引きこもらないとな……って、まじか……」

「あーあ、今日は厄日ね」

 そんなコソ泥ウェント君は、あわれにも家主に見つかってしまいました。

 玄関口の中央にある大階段。そこをゆっくりと降りてくる偉丈夫が一人。

 俺と同じ蒼黒色の髪と、これまた同じ翡翠の瞳。

 だれあろう俺の実の父親──フォーメズ・オールビィ騎士侯爵と鉢合わせてしまった。

 仕事が忙しい父と──フォーメズと、自室に引きこもるか『セルビトロスの森』に引きこもっている俺が顔を合わせることはほとんどない。前回顔を見たのは何か月前か思い出せないぐらいに。


 唐突で予想外な出来事に固まる俺とは反対に、フォーメズは歩みを止めず階段を降りきった。

 俺を一瞥すると、何も言わずに一階の奥にある応接室に向かう。

 憎悪も憤怒もとおりこした、街中で浴びたどの視線よりも強く冷たい、失望の瞳。

 ただそれだけを残して、フォーメズは静かに応接室の中に入っていった。扉を閉める音が、むなしくエントランスホールに響く。

 こうして、親子の数か月ぶりの再会は、あっけなく終わった。

 知らぬ間に浮かんでいた額の汗をぬぐい、俺も階段に向かって歩き出す。


「……ウェント、大丈夫?」

「……こればっかりは、慣れないな」

 心がざわめくのを感じながら、小さく答える。

 父に愛されていた記憶があるから。あの冷めた瞳から、今でも避け続けているから。

 それでも、俺は俺を被害者だとは思わない。

 家族の愛情も、使用人たちの敬愛も、将来も、栄光も、安泰も。

 それらすべてを捨てたのは俺自身だから。

 むしろ、裏切られたこの家のすべての者が、俺という大罪人の被害者なのだから。

 生活感のない自室に入り、そのまま俺はベッドに体を投げ出した。

「今日は……疲れたな」

「こんな日は、お酒でも飲むに限るわよ」

「未成年だっつーの」

「じゃあ……全部忘れて、早く寝なさいな」

 シルフィが、優しく頬を撫でた。この偉大な精霊女王サマは、本当に、たまに優しいから憎たらしい。

「ああ……おやすみ、シルフィ」

「おやすみ、ウェント」

 横で寝そべるシルフィの慈しみにあふれる表情を眺めながら……俺は、次第に夢の中に旅立っていった。

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