第1話 神秘に魅せられた少年

 この大陸で、魔法使いは嫌われている。

 いや、憎まれていると言っても過言ではない。

 人類が歴史を積み重ねつづけて幾星霜。その間に、魔法使いは大罪を犯しすぎたのだ。

「──と、このように三十年前の『人魔大戦』は我々人類が邪悪の使徒である魔族をみごとに返り討ちにし、勝利をおさめた。……気高く崇高な武力によってな」

 現在は現代史の授業中。教室の一番前に立つ講師がつらつらと説明をしながら、年季の入った黒板に文字を書いていく。


 退屈な授業に辟易して、俺は誰にも聞かれないように小さくため息をこぼした。

 紅葉の月らしい雲一つない秋空が窓の外に広がっている。

 既に知っている内容をせまっくるしい教室で聞くくらいなら、この秋空を飛び回るほうがよっぽど有意義なんじゃないかと思う。

「──ウェント・オールビィ。私の授業はそんなにつまらないかね」

 よそ見をしているところを目ざとく見つけられてしまった。教室中の視線が俺に向く。


「いえ、エスクルゴ先生。空の青さが魅力的すぎただけです。先生の授業はとても……教科書通りで安心するというか……昼食後の午後聞くと、眠りやすくなって大変よろしいかと」

「……チッ。なら、教科書を閉じて私の質問に答えろ。先の人魔大戦で、我が国の英雄アルマート・スペルビアがもたらした三つの功績は?」

 やばい、皮肉が思ったよりも深く刺さってしまったみたいだ。

 クスクスと、静かだけど確かに聞こえる笑い声が周囲から漏れる。

 答えなかったら放課後に補修地獄が待っているんだろうな……。


「一つ。英雄である彼の名前を知らしめたことで、周辺諸国との外交がやりやすくなった。二つ。魔族に支配されていた大陸北部を解放し、人族の領土拡大につながった。三つ。アルマートの考案した兵士育成計画によって我が国は近隣諸国随一の兵力を保有することになった」

「……フン、さすが、勉強だけはしているようだな」

 エスクルゴ先生がつまらなそうに鼻を鳴らす。きちんと答えたのになんで不満そうにされなきゃいけないのか。

 なんか少しだけ、反抗心が芽生えちゃうぞ。


「──しかし、エスクルゴ先生。先の人魔大戦を詳説するのであれば、先生は一つ大事なことを言い忘れていますよ」

「もういい、座れ。オールビィ」

 俺が口を開くと、先生は不快感をあらわにする。

 だが、そんな顔をした先生に命令されても、俺は口を閉じないし座らない。


「三十年前の人魔大戦での勝利には、数多くの魔法使いが貢献しています。隣国の魔法大国エクシプノスの大魔導士達はもちろん、我が国でも当時の筆頭宮廷魔法使いのアローサルなどが、大きな戦果をあげています。例えば『ヴィエオ砦攻防戦』ですね。あれは魔法使いがいなければ、いくら英雄アルマートでも勝利を収めるのは不可能だったと本人が自伝で語っています。彼らの功績を無視して歴史を語るのはいかがなものかと──」

「ウェント・オールビィ!!」

 エスクルゴ先生が教本を教卓にたたきつけ、俺の言葉を無理矢理遮った。


「それ以上、魔法使いなどという危険因子共を称賛するのであれば、今日この日にでも、お前を、この学舎から追放する。私の授業中によそ見をするだけでは飽き足らず、よりにもよって魔法使いの功績、だと? 奴らが人類史で積み上げた大罪の数々を前にすれば、たった一つの戦争で上げた栄誉など塵と同じだ! ……わかったのならば座りたまえ」

「しかし、優秀な魔法使いが人類をより良い方へ導いた例は有史以来いくつも──」

「座れと言っているんだッッ!」

 抵抗むなしく、エスクルゴ先生の怒声が教室中に響いた。これ以上口ごたえしたら本当に退学させられるかもな……。

 やむなく、憂鬱なため息をなんとかのみこんで席に座ると、再び嘲笑が教室の至るところで上がった。


「相変わらず、魔法使いが善良な存在だと思い込んでいるのかよ」

「いくら自分が魔法使いを目指しているって言ってもな……」

「自分の地位を上げるために必死なんだろ」

「それにしたって、魔法使いをほめちぎるなんて頭がおかしいよな、やっぱ」

「今更だろ。騎士の名門オールビィ家の長男なのに、全部放り出して外道に落ちた変人だしな」

「さっき外を見ていたのだって、何かおかしな理由があるに違いないよ」


 ……我ながら、言われたい放題の嫌われっぷりだ。魔法使いを目指し始めてからは常に周囲はこんな感じなので、今さら怒る気にはなれないけど。


 ──この大陸で、魔法使いは嫌われている。憎まれていると言っても過言ではない。

 大陸の東に位置するこのアンドレイア王国で過ごす人々は、百年前に『イデア・ワンスアナダイム』が召喚した巨大な悪魔に今もなお怯えている。

 大陸中央に位置するオルコス共和国では、『ビート・ザクロッカ』が生み出した巨大な未踏迷宮から迷宮生物が出てこないように、多くの冒険者が命を懸けて戦っている。

 北のイリニ帝国は、北方大陸を支配する『ジャスターム・ニット』と今日も睨みあっている。

 この大陸に住むすべての人類は、五百年前に『グラーティア・デーバイディ』が生み出した魔物のせいで領土を満足に広げることもできない。

 それが、この世界の現状だ。魔法を神聖視するエクシプノス国などの例外はあるけれど、過去の魔法使いが残した爪痕に、多くの人々が今も苦しんでいる。


 かつては、俺も魔法使いを毛嫌いしていた。不気味で危険な奴らだと思っていた。

 けれど、師匠と出会い、俺の中にあった世界は大きく変わったのだ。

 あの日。剣士になることを疑っていなかった六歳の秋の日。

 俺は、魔法の──神秘の美しさに魅せられてしまったから。


 八年前。当時六歳だった俺は妹の猛反対を振り切って、地元であるプルトスの南方に広がる『セルビトロスの森』に冒険に出た。

 この『セルビトロスの森』は大型の魔獣が跋扈する危険な森で、間違っても六歳の子供が足を踏み入れていい場所じゃない。

 ……あの頃は幼かった。今思い出しても顔が熱くなる。


 最初は順調だった。森は広いといってもそこまで深く入り込まなかったし、森と街の境界線に設置された結界石のおかげで魔獣に出くわすことも無かった。

 異変が起きたのは、森に入って一時間ほど経ったころ。

「なんだ、大型どころか小型の魔獣すら居ないじゃんか……つまんねぇ」

 俺は切り株に腰かけて、汗をぬぐいながらそう愚痴をこぼしていた。

 なぜ魔獣が居ないのか。その理由すら深くは考えずに。


「ァ────!」

 ふと、頭上から音が聞こえた。火花が散るような音と、甲高い悲鳴。

「ん?」

 不審に思って見上げてみたけど、そこには深緑に色づいた木の葉が揺れるばかりで、他には何も無かった。

「……気のせい、か?」

 首を傾げながら、視線を下に戻し、これからどうしようかと考え始めたその時。

 バキ、バキバキ、バサバサバサバサ──! と大きな音が響いた。

「なんだぁ!?」

 流石に気のせいだと思うことも出来ず、俺は思わず立ち上がった。すると、俺のすぐ近く。不思議と樹が一本も生えていない空白地帯に、ソレは落ちてきた。

 ふわり、と風が頬を撫でた。恐らくソレから発せられたやわらかい風が、上空から墜落したその小さな体を一つの衝撃も無く落ち葉の上に着地させたのだ。

「鳥……? 魔獣、か……?」

 俺は子供用の木剣を握りしめながら、おそるおそる不時着現場に近付いた。

 そこにいたのは、予想通り、一羽の鳥だった。


 ……みたことのない、が頭につくけど。

 大きさはハトぐらいだった。丸い頭と、尖ったくちばし。かぎづめの生えた、細い足。

 特徴的だったのは、その色だった。全身が緑がかった白色で、羽先は子供ながら目をみはった翡翠色。陽光を反射して、きらきらと淡い輝きを放っていた。

「……きれい」

 思わず口からこぼれていた。今すぐに触れたくて、けれど自分なんかが触れてもいいのかと恐れてしまう程に──その鳥は美しかった。


「グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──!」

「ひっ!?」

 正体不明の生物に見惚れる俺の背後で、獣の咆哮が響き渡った。

 突然。そう、あまりに突然の闖入者だった。

 俺の背後。森の奥へと続く大樹のトンネルが伸びる先。そこから巨大な生き物がにじり寄ってきていた。


 全身を赤黒い硬質な毛におおわれた四足の怪物。筋肉で膨れ上がった巨体。一歩進むたびに地響きがおきたかと錯覚する極太の脚。

 丸い顔には低い鼻と大きな口。獲物を見据えるその双眸は──マナを纏った琥珀色。

 その場にへたり込んだ俺は、震える声で、その化け物の正体を口にした。


「ら、『稲妻羆ライトニングベア』──!? な、なんでこんな浅い所に!?」

『セルビトロスの森』に生息する魔獣の中で最も危険度の高い動物。それが『稲妻羆ライトニングベア』だ。

 大ぐらいで雑食。木の実も虫も魚も鳥も蛇も同族も人間も──全てを食らう魔獣。

 驚異的なのはその強靭な胃袋だけではなく、奴の使う魔法だ。


稲妻羆ライトニングベア』は名前の通りその口から稲妻を放つ。獲物を素早くかつ確実に仕留めるための力。

『森で雷鳴を聞いたら、まず稲妻羆ライトニングベアの存在を疑え』。そんな言葉が残っているほど。

 だが、本来ならあり得ないはずだった。『稲妻羆ライトニングベア』は賢く、それ故に自分達を狩れる人間を脅威だと認めている。よっぽどの理由が無い限り、人里の近くには降りてこない。


「他に魔獣が居なかったのは、コイツが近くに居たから……!?」

 遅まきに真実に辿り着いても、もう遅かった。小さな俺の体は、すでに大熊に捉えられていた。

「グゥルルルル……」

 稲妻羆ライトニングベアの巨大な口腔に稲妻が走る。

「あっ……ああ……」

 俺は情けない悲鳴を上げながら、涙で顔面をぐしゃぐしゃにしながら、少しずつ後ずさった。顔を背けたかったのに、出来なかったのを覚えている。ただ、それでも木剣を掲げられたのは、幼いながらに勇敢だったんじゃないかと思う。


 後ずさった先で、手のひらに柔らかい感触があった。

「あ、さっきの……」

「うきゅぅ……」

 横目で見ると、稲妻羆ライトニングベアの登場ですっかり忘れていた鳥が、先ほどと変わらず地面に寝そべっていた。

 あんまり鳥っぽくない鳴き声を上げるその翡翠鳥を見て──

「っ!!」

 俺は、その子を抱きしめ、庇うように稲妻羆ライトニングベアに背を向けた。


 どうしてその行動をとっさに取ったのかはわからない。身代わりにすればよかっただろうに。置いて逃げればよかっただろうに。

 俺は、その美しい鳥を手放すことは絶対にしなかった。

 ……ただ、それでも結末は決まっている。俺は熊の魔法に貫かれ、食われる。逃れることのできない死は、もうすぐそこまで迫ってきて──。


 ──突如、旋風が森を駆けた。


「グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「う、うわぁああああああああああ!?」

 背後の稲妻羆ライトニングベアが吠え、次いでシンバルを叩き鳴らした様な雷鳴が鳴り響く。死の瞬間を予感して俺はぎゅっと目を閉じた。

 ……だが、俺の体にはいつまでも稲妻が走ることはなく、さらに言えば、稲妻羆ライトニングベアが離れていく気配すら感じた。


「な、なにが……?」

 疑問に思い、おそるおそる振り向いた俺は──そこで、激闘を見た。

 稲妻羆ライトニングベアが新たに見ていたのは一人の老人だった。色あせた藍色の三角帽をかぶり、同色の暑そうなローブをなびかせていた。

 驚いたのは、その老人が地面でも木の枝でもなく、空間の上に立っていることだった。

「う、うそ……」

 虚空の上に立つ。そんなことができる人種は、この世で一つしか居ない。

「まさか、魔法使い……?」

 俺があんぐりと口を開けていると、その老人と目が合っった。


 するとその謎の老人は、まるでそこに見えない床があるかのように、空中を優雅に歩き、俺の元に近寄ってきた。

「怖がらせてしまって悪かったのぅ、小僧。アレはワシが取り逃がした獲物でな……ちいっと隠れといてくれんか」

 そう言うと、老人は俺の返事を待たずに、右手の杖を横に振った。すると、キィン、と耳を貫く高温が響いた。

「え、え!? ……いだっ!」

 慌てて動こうとすると、額に衝撃が走る。


「……?」

 恐る恐る腕を伸ばすと、目の前に見えない硬い壁が張られていることが分かった。

「これでひとまずは安心じゃろう。そこで見ておくがよい」

 満足そうにうなずく老人の背後に巨大な影。

「う、うしろうしろうしろーーーー!?」

「グゥオオオオオオオオオオオオッッッ!!」

 俺の悲鳴をかき消し、稲妻羆ライトニングベアから暴力的なまでの稲妻が放たれた。

回避不能の必殺技。その雷光は老人の細い体をズタズタに──

 ──引き裂くことはなかった。


「ふぉっふぉっふぉ……ヌルいのう、大食い」

 老人は余裕そうに笑みを浮かべ、杖で熊の攻撃を防いでいたのだ。

 夢を見ているのかと思った。

 稲妻を吐き出す熊も、それを悠々と受け止める魔法使いも、六歳の俺の常識を吹っ飛ばす現実離れした存在だったから。

「すごい……」

 思わず見入る俺の口から、小さな称賛が漏れる。

 それが聞こえたのかは分からないが、老人が振り返り、見た目の年齢に似合わない得意げな笑顔を浮かべる。


「小僧。目に焼き付けろ……これが──魔法というものじゃ」

 彼の言葉と同時に、羆の稲妻に異変が起きた。老人が杖を上に動かすと上に、下に動かすと下に動き出したのだ。

 それはまるで、稲妻が杖に導かれるかのように。

「グ、ガ……!?」

 目の前の異常事態に、さすがの稲妻羆ライトニングベアも困惑の様子を隠せないでいた。

「──ハァッ!」

 そして、魔法使いは杖を勢いよく振り上げた。跳ね上げられたかのように稲妻が天に上り、そこで蛇みたいに身を翻す。

 その稲妻は、もはや稲妻羆ライトニングベアのものではなく、老魔法使いの力になっていた。


 ──それが、相手のマナに干渉して魔法支配権を奪い取る、『魔力妨害マナジャミング』という高等技術であることは後から知った。


「──お前さんの魔法、使わせてもらうぞ」

 老人が指揮棒のように杖を下に振るい──耳をつんざく轟音とともに、落雷が熊の巨体を貫いた。

「グ……ォ……」

 自身の稲妻を浴びた熊は、微かなうめき声をあげ、そのまま地面に倒れ伏せた。

「…………」

 一連の攻防を眺めていた俺は、何も言えずただその場に佇む老人の背中を眺めることしかできなかった。

「ッゲホ、ゴホ! ──さて」


 割と重大そうな咳をしてから振り返った老魔法使いの表情は、大仕事を終えたとばかりに満足げなものだった。

 老人の杖が振るわれ、先程と同じ高音。俺を囲っていた光の壁が消える気配がした。

「お前さん、名前は何という? 身なりからしてプルトスに住む貴族の子じゃな。ラエティティアか、アイトリアーか、ポイニークーンか?」

「……ウェント・オールビィ……です……」

「オールビィ……おお、あの騎士侯爵家の! ならばさぞかしワシの姿は不気味に映ったじゃろうな」

「……」

 からからと笑う老人に内心を見透かされ、俺は何も言い返せなかった。


 魔法使いは、恐ろしい生き物だと教わってきた。人体実験を繰り返し、大災害を巻き起こし、人々を不幸にする生き物なのだと、父に何度も言われてきた。

 事実、老人と羆の戦いは現実離れしたものだったし、壮絶な戦いの興奮が収まった状態では、むしろその得体の知れなさが幼い俺を恐怖心で満たしていた。

「この警戒されっぷりだと、英才教育はうまくいっているみたいじゃな……まあ、そこはどうでもいいわい。それよりも……」

 一瞬皮肉るようにゆがめられた相貌をぱっと戻し、老人が両拳で俺の頭を挟んだ。


「貴族のお前さんが、なんでこんな危険な森に一人でいるんじゃぁああああ!」

「いたたああああああああああああああああああああああ!?」

 グリグリグリグリ──と万力のような力で俺の両側頭部が圧迫された。

「パパとママに教わらなかったのか!? この『セルビトロスの森』の危うさを! 子供どころか大人でも一人で入るのは無謀と言われているんじゃぞ!?」

 それまでの超常的な雰囲気が完全に消え去った憤怒の表情で、老人が俺の顔を凝視した。

 今日出会ったばかりの赤の他人による、本気の怒り。当惑と恐慌と羞恥に苛まれ、俺の目尻に涙が浮かぶ。


「ご、ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 俺が小さくかすれた声で答えると、老人は大きくため息をついて俺の頭から手をはなした。

「まったく、どの時代にも大馬鹿者はいるもんじゃのう……それで、なんでこの森に入ったのじゃ?」

「その……幼馴染にけんかで負けて、お前が弱いのは訓練ばかりで実践経験がないからだって……いうから……じゃあ、ここで魔獣を倒して強くなろうって……」

 脳裏に、明るい黄金の髪と炎のように紅い瞳が思い浮かんだ。


「それで暴走した結果、か……青いのう」

 ぽふ、と頭に老人の乾いた手のひらがのせられた。ぶっきらぼうに、けれど優しくなでられる。

「強くなることを急いてはいかん。その幼馴染に今は負け続けていても、十年、二十年諦めずに邁進すれば……きっと超えられる」

「うん……ごめんなさい」

 俺がもう一度謝ると、老人はぱっと手をあげ、「説教はこれで終わりじゃ」と言って倒れた稲妻羆ライトニングベアのもとに向かった。

 老人が杖を振るうと、小さな竜巻が発生して、巨大な熊の体を浮かび上がらせる。


「ワシもお前さんに謝らなければいけないことがある」

「──?」

「この稲妻羆ライトニングベアは、ワシが三日前に取り逃がした個体でのう。探しておったのじゃ。こやつはその間ずっと身を隠し、今日、この森に入ってきた弱くてマナが豊富な獲物に目をつけてしまったわけじゃ」

「……それが、おれ……?」

「そうじゃな」

 老人が肯定し、俺は下唇を噛んだ。

 自分の弱さはもう痛いほどよくわかっていたが、それでも改めて言葉にされると悔しかったから。


「お前さんの行動は愚かじゃったが……それでもお前さんがこの稲妻羆ライトニングベアに襲われかけたのは、ワシが自分の獲物を取り逃がしたことが原因じゃ。……すまんかったのう」

 そう言って老人は帽子を外して頭を下げた。自分より圧倒的に強くて立派な人間に謝られ、俺はどうしたらいいかわからずに固まった。

 老魔法使いはそんな俺の内心も見透かしたのか、苦笑を浮かべて今度は俺の体を指さした。

「それで……お前さんが大事に抱えているソレは、なんじゃ?」

「……え、あっ!」

 言われて、俺は自分の腕の中にいる存在を思い出し、ばっ、と目を向けた。

 その不思議な鳥は穏やかな寝息をたてて気持ちよさそうに眠っていた。

「呑気な奴だな……」

 ふてぶてしいその態度に俺が思わず顔をほころばせていると、老人が歩み寄ってくる。


「ふーむ……見たことのない生き物じゃの……見た目は美しいが……内包するマナの量と純度がケタ外れ……高位の魔獣か……?」

「あ、あの……?」

 腕の中の鳥を興味深そうにのぞき込みぶつぶつ独り言をいう老人には、得も言われぬ迫力があった。

「小僧、この鳥はお前のペットか?」

「う、ううん、さっき見つけたばっかりで……この子は、上から落ちてきたんだ」

「なるほど、ワシの結界にあてられたのかのう……小僧、この子を引き取ってもいいか?」

「えっ?」

 老人の予想外の提案に、俺は目を見張った。


「ケガの治療も必要だが……この鳥が魔獣であるという懸念も捨てられん。お前さんよりワシが預かっていたほうが安全じゃ」

「じ、実験とかするの……?」

 俺の言葉に老人が目を瞬かせ、そして笑った。

「はっはっは! そういえばお主は魔法嫌いのオールビィ家の子じゃったな! ……安心せい。大事に扱うと約束する」

「……わかった」

 魔法使いは悪い存在だと聞かされていたけど、目の前の老人からはそんな雰囲気を微塵も感じなくて、俺は素直に腕の中の不思議生物を老人に譲った。

「──さて、ウェントよ。お前さんはここいらでこの森を出たほうがいいじゃろう。稲妻羆ライトニングベアを恐れていた魔獣が戻ってくるからの」

「あっ……」

 エメラルドの鳥を受け取った老人がそう言ったとき、俺の中に漠然とした不安が生まれた。

 今ここで別れたら、不思議な鳥とこの魔法使いにもう二度と会えない気がした。道が決定的に分かたれてしまうと感じた。

「森の出口までは見送ってやるから、安心せい。ほれ、さっさと行くぞ」

 そして何より。

 ──今までの自分が知らない、全く新しい世界の扉を開けてみたくなった。

「──しい」

「うん?」

「もう少し、もう少しだけでいいから……魔法について、教えてほしい……!」

 果たしてその言葉は正解だったのか、間違いだったのか。

 老人は出会った中でも一番の驚愕をその顔に浮かべ、まじまじと俺の顔を覗き込んできた。

「小僧、自分が何を言っているのかわかっているのか?」

「うん」

「魔法じゃぞ? 怖くて危ない魔法なんじゃぞ?」

「知ってる。でも、たぶんきっと、そのイメージが間違ってるんだと思う」

「……ワシが断ると言ったら?」

「また明日、この森に入る」

「命知らずか!?」

 あきれ顔で、老人が天を仰いだ。盛大にため息をつき、難しい表情で悩みに悩む。

「……まったく、これだから子供は苦手なんじゃ……」

 乱暴に頭を掻き、老人が俺を見据えた。

「よかろう。お前さんが気のすむまで付き合ってやろう」

「……! ありがとう!」

「まあ、お前さんみたいな子供が魔法に興味を持ってくれるのはうれしいからのう……それじゃあ、行くとするか」

 そう言ってスタスタと歩き始める老人に、俺は慌ててついていった。

「行くって、どこに?」

「ワシの住み家じゃ。魔法のこともそうじゃが、まずはこの子を治療しなければいけないからのう」

「魔法使いの……家……!」

 俺が瞳を輝かせると、老人がやれやれと首を振り──何かを思い出したように立ち止まり、振り返った。

「……と、思ったよりも長い付き合いになりそうじゃから、名乗っておくとしようかのう。……ワシはアローサル。アローサル・アルゲントゥムじゃ。……先の人魔大戦では、それなりに活躍したんじゃぞ?」

 八年前の夏の日。深い森の昼下がり。

 きらめく木漏れ日の中で、老魔法使い──アローサルは、誇らしげにそう名乗った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る