通り雨

五十嵐 響

umbrella

残業をしている由里に携帯が光る。

ため息をつきながら送り主の確認をする。

【今日、20時駅前】

大学時代から友人の拓哉から用件のみの無骨な連絡だった。

由里は再度ため息をつき「了解」と返信をした。

「渡辺さん。今日も残業ですか。」

不意に話しかけられて由里は喫驚きっきょうした。

「中村くんか、びっくりした。」

同じ部署の後輩の中村だった。

「驚かせてすみません。帰らないんですか。もう19時ですよ。」

「もう少ししたら帰るよ。」

「そうなんですね。今夜飲みに連れてってくださいよ。渡辺さんとだけ全然飲みに行けてないですから。」

「あーごめん。今日は先約があるの。また今度ね。」

「そうやって毎回断られるんですよ。また深田さんですか。」

「あーうん。」

「お二人って仲がいいですよね。付き合ってるんですか?」

「付き合ってないよ。」

「付き合ってると思ってました。けどそうですね、今日深田さんが受付の女の子に食事に誘われて約束してましたから。」

中村は考えるように首を傾げながら手を止めることのない由里に話し続けていた。

「今までどの社員の女の子に食事に誘われても断ってた深田さんですよ。好みだったんですかね。」

社員の情報をたくさん知っているようで口を止めない。

由里はそんな中村に飽き飽きしてきた。

「由里」

遠くから由里を呼ぶ声が聞こえた。

「噂をすれば深田さんじゃないですか。」

中村が嬉しそうに振り返る。

「中村。お前いらないこと話す暇あるなら帰れ。」

深田はうっとおしそうに中村を見た。

「由里、それ終わるか。」

「もう終わるよ。駅前集合じゃなかったっけ。」

「電気ついてたし、中村のうるさい声が聞こえたから迎えにきたんだよ。」

中村は目を輝かして深田を見ながら言った。

「深田さん。渡辺さんとの飲みに連れてってくださいよ。」

「嫌だ。」

あっさりと深田は中村を切り捨てた。

「お待たせ。」

ちょうど由里の帰り支度も終わった。

「じゃあね。中村くん。お疲れ様。」

「お疲れ。」

由里と拓哉は二人でオフィスを出て行った。

「あれで付き合ってないのはおかしいだろ。」

中村は二人に聞こえないように呟いた。


居酒屋についた拓哉はいつもは飲まない焼酎を飲んだ。

珍しい光景に由里は目を見張った。

「どうしたの。珍しいね。」

「由里。何か言わないといけないことあるんじゃないか。」

少しの沈黙があった。

「ないよ。」

「結婚。」

「なんで知ってるの。」

由里は顔を上げた。

「取引先の人だったんだな。」

「うん。」

拓哉はずっと下を向いていて由里から表情を見ることはできなかった。

「好きなのか。その人。」

由里はすぐに答えることができなかった。

「好きだよ。」

「即答できないのに結婚するのかよ。」

「うん。」

「誰でも良かったのかよ。」

「そんなことない。ちゃんと考えた。」

「そうか。」

「拓哉こそ早く結婚しなよ。」

「俺はまだいい。」

「そう。」

ぎこちない空気が二人を包んだ。

しばらく無言のまま飲み進めていると拓哉が顔を上げた。

「これから結婚する人を夜遅くまで連れまわせないから今日はお開きにしよう。」

「大丈夫だよ。」

「いいや。帰ろう。」

店を出て駅までも無言だった。

「じゃあ。」

由里が立ち去ろうとしたとき拓哉に抱きしめられた。

「どうしたの。」

ただ無言で抱きしめてくる拓哉に由里は動揺が隠せなかった。

そっと由里も拓哉の背中に手を回すと拓哉がゆっくり離れた。

「ごめん。」

「大丈夫。」

「じゃあ。」

拓哉はその場に由里を残して去った。

去っていく拓哉の背中を見つめながら由里は自分が泣いていることに気がついた。

涙を拭うと由里も帰路へついた。


それから結婚式まで拓哉と由里は飲みにいくことも顔を合わせても挨拶程度しか話をしなくなった。

「深田さんと何かあったんですか。」

業務中なのにも関わらず中村が話かけてきた。

「何もないよ。」

「そうなんですか。じゃあ渡辺さんの結婚式に深田さんも呼んでるんですか。」

「呼んでるよ。まだ出欠席の連絡来てないけどね。」

「やっぱ喧嘩してるんじゃないですか。」

「してないって。本当に何もないのよ。」

中村は仲直りのアドバイスなどを一方的に話しかけ満足したのか業務に帰っていった。

その日も由里は残業をしていた。

「疲れた。帰りたい。」

由里がため息交じりに呟いた。

休憩室にある自動販売機にコーヒーを買いに行くと拓哉がいた。

「お疲れ様。」

「お疲れ。今日も残業?」

「期限までに出してくれる人が少なくて。」

「それは大変だ。」

「拓哉も残業?」

「俺はさっき外回りから帰って来て今から報告書まとめるの。」

「そっちの方が大変じゃん。」

「お互い様だろ。」

拓哉と笑いながらする久しぶりの会話に由里は心が軽くなった。

「そういえば結婚式だけど、出席で。」

「あ、ありがとう。」

「またちゃんと出席の返事出すから。」

「了解。わざわざありがとう。じゃあ仕事に戻るわ。」

「おう。」

廊下を歩いてると後ろから聞き慣れた小さい声が聞こえた。

「好きだったよ。」


結婚式には最適の晴れた日だった。

拓哉は大学時代の友人たちと話していた。

「由里ちゃんと結婚するの拓哉くんだと思ってた。」

「それ、俺も思ってた。同じ会社だろ。なのに違う人と結婚してびっくりだよ。」

友人たちに適当に笑って話を流していた。

「新郎新婦の入場です。」

アナウンスとともにスポットライトを浴びた由里が登場した。

拓哉の目にはこの世で1番綺麗に写っていた。

ふと由里と目があった。

由里が何かを言っている。

「私も好きだったよ。」

声には出していないが拓哉にはわかった。

拓哉の頬に涙が伝った。

時を巻き戻すことができたなら。

拓哉は思った。

今は彼女の幸せを願おう。

由里の目からも涙がこぼれていた。

「バイバイ。」

由里は見えないように拓哉に手を振った。


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通り雨 五十嵐 響 @maashii55

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