第7話 さぐる人
「じゃあ、そろそろ卒アルタイムといきますか」
ビールを一缶飲み干したところで秋本さんがぽんと膝を叩いた。誓子は渋々腰を上げ、アルバムを取り出しながら口をとがらせて言う。
「創くんがあんまり見たい見たいって言うから仕方なく持ってきたんだからね」
「いやーお手数をおかけしました。その分、じっくり拝見させていただきます」
秋本さんは色あせたアルバムの前でわざとらしく手を合わせてみせた後、ふと誓子に尋ねた。
「卒アル、なんでそんなところにしまってたの?」
「え、なんでって?」
「今、テレビ台と壁との隙間から出してたじゃん。実家から持ってきて、わざわざそんなとこにしまってたの?」
「なんとなくしまってただけだよ。そんなにしょっちゅう見るものでもないなと思って」
ふーん、と相槌を打つ秋本さんの声色にどことなく探るような気配を感じる。誓子は「ビールもう一本持ってくるね」とさりげなくその場を離れた。
アルバムは先ほど潰した箱の隣に位置するテレビ台と壁との隙間に隠していた。実家から手元に戻ってきたのはいいものの、なるべく目につかないところにしまいこんでおきたかった。キッチンの冷蔵庫を開け、冷気と青白い光にあたりながら誓子は小さくため息をつく。
秋本さんに卒アルを見たいとせがまれてから、誓子は真っ先にあの段ボール箱の中を探した。上京するとき、散々迷った挙句に持っていくことにして最後の最後に箱の奥底に押し込んだ記憶があったので、そこに入っているという確信があった。
一人で一通り中身を見分したとき、あるはずの実物がなかった。今まで一度も取り出さなくともどこかで安心していたのにその不在が心もとなく、なんだか居てもたってもいられなくなり、先日実家まで取りに帰った。秋本さんへはすべて省略しているが、そういう経緯だった。
実家の自室で、衣装ケースの底に埋もれた高校の卒業アルバムはカバーの中央にガムテープが一巻きされて中身を出せなくなっていた。
まっすぐ几帳面に一巻きされたガムテープ。縁にはほこりがつき、色あせて脆くなったそれは少し力を込めると簡単に破けてしまった。その脆さがかえって何かを封じ込めているお札のようで不気味だった。無責任な懐かしさからふいに見てしまわないように過去の自分から念を押されているような気持ちが起こったが、誓子はそれを振り切りカバーを捨てて中身のみを持ち帰ってきた。
誓子が二本目の缶ビールを片手に部屋に戻ると、秋本さんはあぐらをかいて背を丸め、遠慮なくページをめくって楽しそうにしている。早速その中に誓子の姿を見つけたようで、目を輝かせながら振り向いた。誓子に掲げて見せたのは三年C組の個人写真のページだった。
「真面目そうなせいちゃん発見」
「あか抜けないでしょ」
「そんなことないよ。今のかわいさの原石だよこれは」
恥ずかしげもなく真剣な顔つきで言う秋本さんに誓子ははにかむ。
「せいちゃんの部活、なかなか濃そうなメンツだね」
部活動紹介のページで秋本さんはひときわ楽しそうに声を上げた。切れ長の瞳が三日月のようにやわらかくしなる。
「でしょ。私、手芸部だったんだけど、部員が少なすぎて美術部と一緒に撮ったの。この子は今でも仲いいんだよ」
誓子がそう言いながら一番仲のよかった友達を指すと、秋本さんは、あ、かわいい、と口走りかけ慌てて唇を結んだ。唇を真一文字に結んだまま恐る恐る誓子の顔をのぞき込む、いたずらがばれたときの子どものような愚直さが愛おしく、誓子は笑って彼の頬をつつく。
「いいよ、全然気にしないから」
「ごめんー。せいちゃんが一番かわいいー」
言いながら彼は誓子の肩に手を回す。髪からは誓子が使っているシャンプーの、よく乾いたTシャツからは柔軟剤の匂いが立ちのぼり、ほんのり顔を赤らめながらほろ酔いの様子であった。
さらさらした部屋着と、そこから伸びるさっぱりと乾いた皮膚をなんとなくくっつけあう。秋本さんが無造作にページをめくるたびに胸が攣るような不思議な緊張が走る。ページを行き来しつつ、秋本さんはふと閃いたように誓子の顔をのぞき込んだ。
「そうだ。ねえ、せいちゃん、この中の誰かから告白されたことあるでしょ」
「ないない。そんなイベント一回もなかったよ」
「ほんとに? 好きな人もいなかった?」
「好きな人くらいはいたけど、もう顔も名前も忘れちゃったよ。それに創くんが初めて付き合った人なんだから、尚更何も覚えてないよ」
言いながら誓子は、そういうことか、と秋本さんが卒アルをせがんだ真の目的を理解する。
彼は潔癖な人である。彼の中で整合性が取れないものに対して看過することができない、精神的な潔癖さが彼にはある。付き合いたてのころ、誓子が過去の恋愛話をはぐらかしたことをまだ根にもっているのだろう。
正しさと潔癖さでできている彼の論理は、ひとたび構築されるとそれを容易に崩すことは許さない頑固さがある。聡明と潔癖さは、合理的な冷酷さと紙一重だと誓子は思っていた。そしてそれらを裏打ちしているのは、挫折を知らない彼の高潔なプライドである。
誓子は目の端で見知った虚像をとらえた。曠野に吹く風。今まで全身に心地よく行き渡っていた酔いが突然頭脳に集中し、目がくらんだようになる。次いで胃がぎゅうっと収縮し、喉のあたりが酸っぱくなるのを感じて、誓子は努めて平静を装いながら一度席を立ち、トイレに行くと言って部屋を出た。
戻ってから秋本さんが見せてくれた中高一貫校の卒アルは分厚く、誓子のそれよりも明らかに装丁にお金がかかっていた。
ページをめくってもめくっても男、男、男。写真越しに彼らの汗の匂いが伝わってきそうなほど、凝縮された六年間の記録がそこにあった。
「男の子たちばっかりだねえ」
「男子校だったからね。むさ苦しいでしょ」
「そんなことないよ、なんか新鮮……あっ、創くん金髪だ!」
「ああ、体育祭のときにクラスみんなで染めたんだ。負けたら先輩に坊主にされるって伝統があって……」
次のページをめくるとその通り彼は坊主になっていた。
「どっちも似合ってるね。創くん、頭の形きれいだもんね」
誓子はきれいな丸型の彼の後頭部を撫でてみる。
「そうかな、せいちゃんのほうがきれいだよ」
「私、後頭部が絶壁なんだよ」
秋本さんの手を導いて誓子がほら、と自身の後頭部に手を当てると、え、うそ、うわほんとだ、と彼は面白がって誓子の頭をするすると撫でる。その手つきが次第に髪に絡みつくようになり、髪から背中へと下りて絡み合うように抱き合った。
唇を重ねながら、指を絡めながらクッションの上に押し倒される直前に、誓子は二つのアルバムをそっと閉じ、テーブルの下へ、自分のアルバムのほうが下になるように重ねて下ろす。明らかに不自然な一連のその動きを、秋本さんが凝視しているのが気配でわかった。
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