第6話 すこやかな人
長いこと放置していた段ボール箱の中身をようやくすべて出し、箱を潰して玄関に運び出したところで誓子は、ふう、と息をついた。部屋に戻るとぽっかりと空いたフローリングを縁どるようにほこりが積もっていたので掃除機をかけ、やっと綺麗になったところでその場に座り込んで今度は大きなため息をついた。
「この段ボール、他のとまとめてしばっていい?」
部屋の扉の向こうにある廊下から秋本さんの声が聞こえ、「うん、ありがとう」と誓子は扉に向かって声をかける。すりガラスの向こうで彼の長身のシルエットがてきぱきと動くのが見える。
レースカーテンを突き抜けるような強烈な日差しに、室内に舞うほこりが反射してきらきらしている。ほこりっぽい室内の匂いに気づいて一旦エアコンを切り、バルコニーに続く窓を開けると心地よい冷気がみるみる逃げてゆき、入れ替わりに真昼の灼熱がむんと部屋に入り込んできた。
近くの小学校から清涼飲料水のように爽やかな音たちが聞こえる。プール遊びをする子どもたちの声、元気のいい水しぶきの音、音階練習をするブラスバンドの音。冷房でごまかされていた汗が一気に噴出し、たちまち汗をかき始めた額をぬぐう。それらの音が一斉にやんであたりが一瞬静かになったとき、蝉のけたたましく鳴き声が空いっぱいに広がった。
「こっちはだいたい終わったよ。明日可燃ごみの日って言ってたから、他のごみもまとめちゃったけどいいよね」
あっちー、と額の汗をぬぐいながら秋本さんが部屋に戻ってきた。
「えっ、ありがとう、そこまでしてくれたの。大きいゴミ袋の場所わかった?」
もっちろん、と秋本さんはピースサインを作って得意げな顔をする。
上京とともにこの部屋に引越してきてから、空かずの段ボール箱が一つだけ残っていた。
日用品や季節の洋服はまとめて一つの箱に入れておいて、箱に「すぐ使う」と書いておくといい、という母のアドバイスに従い、引越してから「すぐ使う」の箱から中身を出していき、引越し直後は順調に片付けが進んでいたものの、最初の勢いが衰えると意欲もすっかり失せてしまう。結果、もはや何が入っているのかも思い出せない最後の一箱だけがいつまでも残り、一か月、三か月と時間が経つにつれて箱そのものが風景として部屋に馴染んだ。
二時間ほど前、誓子の部屋に泊まりに来た秋本さんと冷たいお茶を飲みつつ、はぎれの布をかぶせたその箱を顎でしゃくりながら、このところはあの箱をもっぱら荷物置き場として使っていると誓子が何気なく話したとき、彼は困ったような笑顔を浮かべて「一緒に片付けてあげようか」と言い、それからすぐに本当に一緒に片付けることになった。最初はこの一箱だけを片付けるつもりがいつの間にか部屋中の大掃除になり、それがようやくひと段落したところだった。
「よし、シャワー浴びてお疲れ会しよっか。創くん先に入ってきていいよ」
彼がシャワーを浴びている間に誓子は廊下の細いキッチンに立ち、冷蔵庫で冷やしてある作り置きのおかずを小皿に盛りつける。茹でたささみ肉と瓶詰めの
ローテーブルに料理を並べ、ぷしゅっと愉快な音をさせてよく冷えた缶にそのまま口をつけると、喉ごしと炭酸が体の上から下へ駆け巡ってゆく。胃のありどこを知るうまい水、という川柳があるように、夏の日のビールはまさしく喉を流れる一直線の道筋を知ることができた。
レースカーテン越しに見える途方もないほどの青空には入道雲が立体的にもくもくしている。二人掛けのソファに肩を並べて裸足を投げ出し、しばし入道雲を眺めてぼんやりした。絵に描いたような夏の情景だった。
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