第105話 かぞくだもん

 萌夏が泣くのを俺はただじっと眺めていた。

 何と声を掛ければいいのか、わからなかった。

 瑠汰も同様で、不安そうな顔で俺と萌夏の方を交互に見る。


 少し落ち着いて。

 萌夏は口を開いた。


「……やっぱりうそじゃん」

「ごめん」

「全然鋭登、悪くなかったじゃん……」

「いやそれは……」

「奈菜がそんな事言ったなんて、私、わたし……しらなかったもん」


 俺に非がなかったわけではない。

 そもそもあんなひどい振り方をしなければ、彼女の発言を誘発することもなかった。

 その後も、もっと上手いやり方があっただろう。


 俯いたままの萌夏は、そのまま言った。


「ごめんね、ごめんね……」

「いや、よせよ」

「無理だもん! そんな……鋭登が酷い事言われたって知らないのに私、酷いこといっぱいしちゃったじゃん!」

「お前は悪くない」

「そんなわけないでしょ!? 私、みんなと一緒になって鋭登のこと責めた! 鋭登の本当の気持ち、知ろうともしなかった!」

「だから、それは俺が嘘ついてたから仕方ないんだよ。萌夏のせいじゃない」

「高校に入ってからもいっぱい馬鹿にした。陰キャとかぼっちとか、家でも嫌味ばっかり言って……」

「……事実だからそれも別にいいだろ」

「今思えば、鋭登があの日以降友達と縁切って急に人付き合いをやめたのはそういう理由があったんだね。傷つく、よね……」


 俺の声なんてまるで聞こえていない様子の萌夏。

 彼女はパッと顔を上げた。

 その表情を見て、俺は息をのむ。


 真っ赤に泣き腫らした目元に、びちゃびちゃの頬。

 こんな泣き顔、いつぶりに見ただろうか。

 物凄く心が痛くなる。


 だけど、俺が招いたことだ。

 俺は萌夏のお兄ちゃんだ。

 頼りなくて劣っていて、最低最悪な男だが、それでもこいつのたった一人の兄貴だ。

 ちゃんとフォローしなければならない。


「俺が嘘をついてたから萌夏は知る由なんてなかったんだ。自分を責めることはないんだよ」

「仕方ないで済むなら警察はいらないじゃん……! 私、一人ぼっちだった鋭登をもっと傷つけちゃってたんでしょ?」

「萌夏ちゃん」

「……瑠汰?」


 話に割って入ったのは瑠汰だった。

 彼女は心配そうな顔で萌夏を見つめる。


「傷つけてただけじゃないだろ? ただ馬鹿にしてたわけじゃなかったじゃん」

「……やめてよ」

「萌夏ちゃんがどれだけ鋭登の事考えてたか、アタシは知ってるんだからな」

「……ぅぅ」


 再び泣き始める萌夏。

 袖で涙を拭いながら俯いてしまった萌夏に変わり、瑠汰が俺を向いた。


「初めてアタシが鋭登の家に行った時の事、覚えてるか?」

「あぁ……」


 萌夏と俺との関係の口封じを行った日だ。

 あの日は萌夏が瑠汰に壁ドンしたんだっけか。

 それ以降随分距離が縮まったように思える。


「あの日、君がトイレに出ているときに萌夏ちゃんはアタシに言ったんだよ。『鋭登は友達とか少なくて寂しいと思うから、一緒に居てあげて。好きなんでしょ?』って」

「え……」


 俺はゆっくり萌夏を見る。

 彼女は変わらず泣くだけだが、今の話を否定もしなかった。


「アタシ、びっくりしたんだ。てっきり君の事を馬鹿にしてただけだと思ってたから。だからアタシ、『萌夏ちゃんももっと優しくしてあげれば?』って言ったんだけど」

「うん」

「そしたら萌夏ちゃん、悲しそうな顔で『私はあいつに避けられてるから』って」

「……」


 そんな会話をしていたなんて、全く知らなかった。

 と、瑠汰は俺に笑いかける。


「アタシが萌夏ちゃんのこと好きになったのはそういうとこ。実はすごく優しいんだなっていうのがわかったからさ。ギャップ萌えって奴? 萌夏だけに」

「……」


 最後のボケは放っておくとして。

 壁ドンが原因で仲が良くなったわけじゃなかったのか。

 というか。


「萌夏、俺の事心配してくれてたのか」

「……かぞくだもん」

「……うん」


 言われて、ふっと涙が滲んできた。

 抑えようと思ってももう遅い。

 ずっと嫌味ばかり言っていると思っていた妹の本心に、辛くなった。

 こいつは、なんだかんだでずっと俺の事を気にかけてくれていたのだ。

 拒絶していたのは俺の方だった。


 事実を知って、涙が止めどなく溢れていく。


「萌夏、ごめん。俺、お前の事避けてたわけじゃないんだ……。ただあの話を隠したかったのと、お前と比べられるのが怖くなってただけで……」

「……うん」

「ずっと大好きだよ。ごめん」

「……遅いよ、もう」

「ごめん」


 俺はただ謝ることしかできなかった。

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