第96話 自作自演の冤罪

 違和感が全くなかったわけではない。

 私にとって、本来三咲鋭登という人間は優しくて頼りがいもある存在だった。

 間違っても何の理由もなしに他人を傷つけるような人間ではなかった。


 だけど、私は深く考えなかった。

 本人がきっぱりと自身の最低な行動を暴露していたこともあるが、何より考えるのが怖かったからだ。


 あの日、私は鋭登に初めて拒絶され、以降無意識に怖がっていたのだ。

 詮索してこれ以上嫌われたくない。

 何に怒っているかわからないから、変に関わるのが怖い。

 そういった思いから、私はあいつを避けていた。


 そのままいつしか、例の話題を出す事はなくなった。



 ◇



「ねぇ。三年前の話、聞きたいんだけど」


 夕食後、私は鋭登の部屋で彼に問う。

 目の前に座る兄は私から目を逸らしながら呟いた。


「別に話すような事はねえよ」

「奈菜と会った」

「ッ!」


 名前を出すと、露骨に顔を顰める鋭登。

 不自然感満載だ。


「三年前、あんたは言ったよね。タイプじゃなかったから振ったって。それでさらにしつこく話しかけてくるから強い言葉で黙らせたって」

「よく覚えてるな」

「忘れるわけないでしょ」

「……」


 黙りこくる兄に、私はため息を吐いて足を崩す。

 珍しく互いに床に座っているため、足の血が止まっていた。

 カーペット一つない不親切なフロアのせいでお尻も痛いし、最悪だ。


「で、急になんだよ。また俺の事をクズだ何だと罵りに来たのか? まぁ事実だけどな。あ、あんなことあったのに呑気にデートなんてしてて死ねって思ってるか? 確かにそうかもしれないな。ははは」


 聞いてもないのにぺらぺらと自虐をする兄。

 私はそんな彼を無言で見つめ続ける。


 じっと黙って口を開かない私に、とうとう兄も喋りをやめる。


「本当は何があったの?」

「……はぁ?」

「嘘なんでしょ? あんたが言ったっていう酷い言葉は全部」

「そんなわけないだろ」


 兄は否定した。


「今でも奈菜には申し訳なかったと思ってるよ。ほら、あの時は調子に乗ってたからさ」

「瑠汰と付き合ってたから?」

「お、ご名答……ってふざけてるような話でもないな。ごめん」

「……」


 やはりあの事件の当時、鋭登は瑠汰と付き合っていたらしい。


「じゃああんたが奈菜に酷い事言ったのは本当なの?」

「当たり前だろ。そんな嘘をつく理由がない」

「それは確かに」


 わざわざ自分から嫌われ者を買う理由が分からない。

 自分で罪をでっち上げ、冤罪を被せるなんて奇行にもほどがある。


 しかし鋭登の表情にはまだ若干の余裕がある。

 気に入らない。

 まるで私がこいつの手のひらで踊らされているかのようだ。


 もし自分から罪を被っているとして、その理由はなんだ。

 自暴自棄になったから……というのが一番考えやすいし、直後から続く鋭登の卑屈さの説明にもなる。

 だがしかし、なぜ自暴自棄になったのかわからない。

 卑屈になるのは、心が折れた証拠。

 その根源はなんだろう。


「奈菜は自分が悪いだけで、あんたは悪くないって言ってたけど」

「……それは俺がキツい事言ったせいでそう思い込んでるだけじゃないか? 今思えば俺がサイテーだっただけだし、奈菜は……悪くない」

「ふぅん」


 何が本当なのか全くわからない。

 兄の顔を見るが、やはりまだ表情が強張っていない。リラックスしている。

 おかしな話だ。

 自分の過去の失態を嘆いている男の顔には見えない。

 そして、全く私の顔を見てくれない。


「ねぇ鋭登。あんたが三年前に私に言ったこと、覚えてる?」

「……あぁ。本当に悪かった」

「別に謝ってもらいたいわけじゃない。あんたがあそこまで言ったのは十七年間であの日の一度だけだし、何かあったんでしょ」

「……」

「その何かが引っ掛かってるんだけど」

「……」


 最後の問いだった。

 これで答えるならそれでいいし、答えないなら引き下がる。

 私は鋭登の性格を利用した。


「ただ単に勝手に好きになられて迷惑だったところに、お前が文句言ってきてイラっとしてただけだ。俺が、悪い。本当に悪かった……ごめん」

「……あっそ」


 鋭登は優しい。

 私があんな聞き方をしたら耐えかねて真実を打ち明けるはずだ。

 だが逆に、それでも言わないとなると本当に深刻な問題があるのだろう。


 そう思って最後の質問をしたのだが。


 鋭登は後者を選んだ。

 もう私に追及する術はない。


「夜遅くごめん」

「いや、俺こそ面倒ごと起こしてて悪かった。ロクに地元にも帰れないのは辛いよな」

「……それはあんたは関係ない」

「え?」

「なんでもない。おやすみ」

「あ、あぁ。おやすみ……」


 逃げるように部屋を出て、自室に籠る。

 ベッドに寝転がって、夏用の掛布団に頭から包まった。

 全身の震えが治まらない。


 あいつにとって私はなんなんだろう。

 そんなに心を許せない人間なのだろうか。


 そんなことを考えて苦笑した。


 仮にあいつがもし奈菜を本当に傷つけていなかったとして。

 他の連中と同じく鋭登を軽蔑し、さらに現在も事あるごとに嫌味ばかり言っているのだとしたら。

 私は生きる価値もないゴミだ。


「もうわかんないや」


 その日は全く眠れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る