第91話 瓦解
幸せな時間はいつまでも続かない。
きっといつか瓦解する。
この世界はそういう辻褄合わせの元に成り立っている。
そんな事は分かっているのに。
まさかこんなに早く面倒ごとが起こるとは、思ってもみなかった。
◇
「ただいまぁ」
玄関のドアを開け、腑抜けた声が緩い表情筋から放たれる。
しかし返ってくるのは静寂のみ。
玄関に萌夏の靴は見つけたが、返事はない。
まぁあいつの事だから無視してもおかしくないか。
それにしても、俺はどうやってここまで帰ってきたんだっけか。
観覧車での出来事以降の記憶があいまいだ。
二人で一緒に遊園地を出て電車に乗ったのは覚えている。
そこから彼女の家まで送って、俺は一人で帰ってきた。
詳細は覚えているはずなのに、頭がイマイチ追いつかない。
まるで頭が回らないまま、暗い廊下を歩く。
自室の扉を開けると、先客がいた。
「何してるんだ、お前」
「……あぁ、帰ってたの」
「……」
バッグをベッドの上に放り、俺は壁に寄りかかる我が妹を見る。
カーテンも明けずに真っ暗な部屋の中、彼女はただ座っていた。
「お前の部屋は隣だぞ」
「知ってる」
「じゃあなんで?」
「……」
萌夏は俺の顔を見ない。
体育座りで俯いたままだ。
「どうかしたのか?」
なんとなく隣に座って、そう声をかけてみる。
と、彼女は力なく呟いた。
「今日ね、夢乃に会ってきた」
「……え?」
「そしてついでに、健ちゃんにも会った」
「……」
健ちゃんこと佐々木健吾は夢乃の兄である。
要するに、俺達の幼馴染だ。
「なんで?」
瑠汰とのデートの余韻でのぼせていた頭が、急激に冷めていくのが分かった。
自分でも驚くほどに冷たい声が出る。
そんな声に、萌夏はビクッと体を震わせた。
彼女は俺の問いには答えず、ぶっきらぼうに聞いてくる。
「あんた、今日はデートだったんでしょ?」
「あ、まぁ」
「楽しかった?」
「そりゃ楽しかったけど……」
「なにそれ。全然楽しそうに聞こえないんだけど」
今はそんな事どうでもいいだろ。
妹のこんな姿を見て、そして幼馴染に会ってきたというよくわからない話をされて。
もはや俺の意識はそっちに集中している。
「どうしたんだよ」
「あはは。ごめんね? デートの帰りにこんな雰囲気にさせちゃって」
「いや、何かあったんだろ?」
「色々と。そして聞きたいことも」
「……」
初めて顔を上げた萌夏は変な顔をしていた。
泣いているわけでも、落ち込んでいるわけでもなく。
逆に怒ってもいない。
ただひたすらに、困惑したような顔をしていた。
彼女はため息を吐く。
「悪いんだけど、ちょっと話いい?」
「長い話か?」
「長いし重い話」
「……嫌だな」
ボソッと呟くが、妹は目つきを変えない。
睨みつけてくるわけでもないのが逆に恐怖だ。
萌夏は立ち上がって部屋の電気をつける。
このまま互いの顔が見えない状態で話をするのかと思っていたから、突然の行動に拍子抜けだ。
と、彼女は窓の方を見て言う。
「帰ってきたね」
「え?」
「お母さん帰ってきたよ。話はご飯の後ね」
「お、おう」
「それじゃ」
結局何を話すこともなく部屋を出て行く萌夏。
すぐに玄関が開き、母親が帰ってきた。
俺は呆然とベッドの上に放ったバッグを見る。
先程までの瑠汰とのデートが、急に遠いもののように感じられた。
話ってなんだろう。
聞きたい事ってなんだろう。
長くて重い話って、なんだろう。
思い出すのは部屋の隅で蹲っていた萌夏。
俺が帰ってくるまで待っていたのだろうが、いつからここにいたのだろうか。
全てがわからない。
だがしかし、あいつに聞かれて困るような地雷は一つしかない。
「自分の価値、か」
それこそさっき観覧車で話した瑠汰の言葉を思い出す。
もしアレを知られたのだとしたら、かなり面倒だ。
もしかすると、俺と萌夏の関係が壊れてしまうかもしれない。
しかし、それもこれも全て俺が招いたこと。
俺が隠すと決めた事だ。
仮にバレていたとしても、どうにか誤魔化してやろう。
◇
【あとがき】
こんばんは、瓜嶋です。
本作で恐らく一番シリアスなお話を読んでいただき、ありがとうございます。
とうとうここまでやってきました。
ずっと萌夏と鋭登の関係について言及しなかった事で、モヤモヤされていた方がいるかもしれません。
明日からは意図的に引っ張っていたモノを解いていきます。
というわけでかなり遡りますが、以前から投稿を渋っていた1章末『第53話』を明日の正午に公開致します。
この話で鋭登と萌夏について、かなり見え方が変わってしまうかもしれませんが、是非よろしくお願いします。
勿論夜も更新する予定なので、明日は2話投稿です。
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