旬を味わう和風ポトフ

山いい奈

1話 持ち込まれた新玉ねぎ

「へい茉莉奈まりなちゃん! 俺のために新玉ねぎ料理を作ってくれないかい?」


 そんな軽薄なせりふとともに、茉莉奈が母と切り盛りする「小料理屋 はなむら」に入って来たのは、ご常連の青年寺島てらしまさんだった。


 寺島さんは胸元に新玉ねぎのかごを抱えていた。農家の長男坊寺島さんが丹精たんせい込めて育てた新玉ねぎだ。


 寺島農園は寺島さんのご祖父が始めた農園だ。新玉ねぎの他にも季節に合わせた野菜を育て、各所におろしている。


 寺島さんは口調こそ軽いが、仕事には真摯しんしで、毎日汗水流して野菜の世話をしている。ご祖父は隠居いんきょされたが、まだまだ働き盛りのお父上と農園に出ていた。


 桜のつぼみふくらんできた今は、確かに新玉ねぎの最盛期だった。この時季にしか出回らない新玉ねぎは春のごちそうだ。


 玉ねぎそのものは年中食べられるが、例えば真夏に店頭に並ぶのは、春に収穫した新玉ねぎを1ヶ月ほど乾燥させて、保存性を上げたものだ。


 それはそれでとても美味しいものだが、新玉ねぎにはいつもの玉ねぎでは味わえない甘みと瑞々みずみずしさがある。


 この「小料理屋 はなむら」でも、毎年心待ちにしている春の味覚のひとつだった。


 23時の閉店時間まであと1時間と少し。まだ店内にはちらほらとお客さまがおられるが、お料理の注文は落ち着いていて、あと数分でお料理オーダーストップの22時になる。


 この時間に寺島さんが来られるということは。


「いらっしゃい寺島さん。明日はお休みですか」


 茉莉奈は冷静に出迎える。他のお客さまなら笑顔のひとつも浮かべるところだが、寺島さんにこう軽い調子で来られると、ついしらけてしまうのだ。


 だからと言って茉莉奈は寺島さんに悪印象を持っているわけでは無い。他のご常連と同じ様に親しみを感じていた。歳が近いこともあって、他のご常連よりも距離は近いかも知れない。


「うん。もう休みが待ち通したかったぜ。うちでれた新玉ねぎ、早く持って来たくてさぁ」


 寺島さんは新玉ねぎのかごをカウンタの上の台にどさっと置くと、空いているカウンタ席に掛けた。


 農業に休みは無い。だが人間は休み無しというわけにはいかないと、寺島農園では週に1日、お父上と交代で休みをもうけている。休みの穴を埋めているのは農業ヘルパーさんだ。


 「小料理屋 はなむら」で扱う野菜は、馴染みの八百屋さんから仕入れている。この時季には新玉ねぎも含まれていた。だがそれは寺島農園のものとは限らない。


 八百屋さんは市場で野菜を仕入れているので、その日の状態や価格によって産地は色々なのだ。


 だから寺島さんは新ものが盛りを迎えると、こうして持って来てくれる。寺島さんにとって寺島農園で育んだ野菜は自慢で、それを行きつけの小料理屋の女将である母と、茉莉奈に味わって欲しいのだ。


 最初のうちは野菜を頂戴ちょうだいし、お礼におしながきにあるお料理を1品2品ごちそうしていたのだが、太く青く育った小松菜を持って来てくれたとある年の秋、茉莉奈がふと思い付いた様に言ったのだ。


「寺島さん、よろしければ持って来てくださった小松菜で、何かお作りしましょうか?」


 その提案を寺島さんは大いに喜んでくれた。


 その時茉莉奈が作ったのが、小松菜と厚揚げと卵の炒め物だった。


 まだ時間も早く、お客さまも多くて、そう凝ったものを作る余裕は無かった。それでも茉莉奈の作った炒め物を寺島さんは「旨い! 旨い!」と食べてくれたのだ。


 それから寺島さんが持って来てくれた野菜で、茉莉奈が何かを作るのが恒例になった。遅い時間だとお客さまも落ち着き、少しは手間を掛けられる余裕ができると言うと、オーダーストップ手前に来られる様になった。


 その日の朝に収穫される新鮮な野菜の訪れは、母も茉莉奈も楽しみのひとつになっていた。




 かごの中にはまるっとえた新玉ねぎがごろごろと7個も入っていた。茉莉奈はそれをひとつ持ち上げて眺める。淡い茶色の皮に包まれ、白い可食部がほんのりと透けている。


 ほんの少し親指の腹を押し当ててやると、柔らかながらも弾力のあるそれは茉莉奈の指を押し戻した。


「美味しそうですねぇ」


 茉莉奈が言うと、寺島さんは「だろ!?」と嬉しそうに破顔した。


「ではこれで何か作らせていただきますね。いつもの様に作成料をいただきますよ」


「持ち込み料だって払うつってんのに」


「残りはいただけるんですから、そういうわけにはいきません」


 茉莉奈は澄ました顔で言うと、まずは新玉ねぎをいくつか洗う。薄い皮を丁寧ていねいき、半分に切って、手早くまずは半玉分で一品。


「はい、まずはおなじみ新玉ねぎポン酢です。お飲み物はどうされますか?」


「生ビール!」


 寺島さんはそれ一択と言う様に声を上げる。


「はい。お待ちくださいね」


「茉莉奈、私が入れるわ。もう料理はオーダーストップしたわよ」


 茉莉奈に言ったのは母だ。ふとカウンタ内の小さな置き時計を見ると、22時をほんの少し回っていた。寺島さんと話をしているうちに、母がラストオーダーを取ってくれ、追加注文は無かった様だ。


「ありがとう」


 寺島さんは生ビールを待たずに、新玉ねぎポン酢にはしを伸ばした。大きな口に運び、じっくりと噛んで「旨い! さすがうちの新玉!」と叫ぶ様に言った。茉莉奈はつい口元を綻ばす。


 スライスした新玉ねぎに、削り節とポン酢を掛けただけのものだ。シンプルでどこにでもある料理だが、新玉ねぎの生の美味しさを堪能するのに、最も良いとも言える調理法だと茉莉奈は思っていた。


 削り節の旨味とポン酢の爽やかな酸味が合わさり、新玉ねぎの甘さを引き上げる。さっぱりといただけて、口に清涼感が広がる一品だ。


 母が「はーい、お待ちどう」と寺島さんに生ビールをお持ちした。


「ありがとうございます」


 輝く表情で受け取った寺島さんはぐいっと口を付けて、ごくっごくっごくっと豪快に喉を鳴らした。


「ぷはぁー! たまんないな!」


 満足そうに盛大に息を吐いた。


 さて、次の料理だ。手元に残った半玉は、ツナとさっと炒めた。フライパンにごま油を引き、太めに切った新玉ねぎをさっと炒め、まぐろのツナフレークを加える。味付けはみりんと日本酒と香り付けに醤油、仕上げに塩昆布と削り節を入れた。


 生が美味しい新玉ねぎなので、あまりしんなりしない様に心掛けた。


「はい、お待ちどうさまです」


 ふわりと湯気が上がるそれを、寺島さんの前に置く。


「お、ツナと炒めたのか。これあれだろ、無限なんとかってやつだろ」


 寺島さんが嬉しそうに目を丸くした。


「そうですね。無限新玉ねぎと言ったところでしょうか」


「旨そうだ」


 すっかりと新玉ねぎポン酢を食べ終えていた寺島さんは、待ってましたと無限新玉ねぎに箸を付ける。少ししんなりとした新玉ねぎにツナや削り節、塩昆布をバランス良く挟んで。


「うっま! 新玉あっま!」


 確かに新玉ねぎは生食に向いている。それで充分に旨味が味わえる。だが火を通すとさらなる甘さが引き出されるのだ。それは乾燥させて出荷されたいつもの玉ねぎを優に超えて来る。


 それにオイルツナがまとい、削り節と塩昆布を使っているのだから、口の中で旨味の塊がぶわっと広がる。しゃきしゃき感を損なわない様にしているので、じっくりと爽やかさも味わえる。


「うちでもお袋がたまに作ってくれるけど、やっぱり茉莉奈ちゃんのが旨いな。さっすがぁ」


 心底感心した様に言ってくださるので、茉莉奈は「ふふ」と目を細めた。


「お褒めいただいても、新玉ねぎ料理しか出ませんよ」


「充分充分。そのために来てるんだからさ」


 寺島さんは言って、屈託くったくの無い笑みを浮かべた。

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