第14話 わたしが牛乳に負けるはずがない!
「ただいま」
悠が自宅である光宗家に戻れた頃には既に時計の針が二十時を回っていた。
部活動に参加していない悠がこの時間まで帰宅しないのは、やや不自然ではあるもののそれを咎める者は特にいない。
家主である
行動に一貫性があるようでない。
突拍子の無い動きを取ることも多々あり、ふらふらと外に出て、一ヶ月帰らないと思ったら、いつ外に出るのかも予測出来ないほどに部屋に籠ったりするのだ。
しかし、もう一人の同居人である
二階の彼女の部屋から、外に明かりが漏れていることに気付いたのだ。
「
玄関のたたきに並ぶ三足の靴。
それぞれが個性を表現していた。
一応、揃えてはあるものの、やや乱雑な置き方をされたローファーで悠はアスカらしいと気付いた。
下手に指摘すれば、『一応、揃ってるだろ? 文句あるの?』と嚙みついてくるところまで予想出来るのだ。
焦げ茶というより、濃い赤色に近い情熱的な色合いをしたローファーは女性が履くにしては少々、大きめの部類に入る物だった。
アスカはまだ、中学生で十四歳になったばかりだが、モデルになれるくらいに背が高いからというのも理由の一つである。
だが、実はそれだけではなかった。
こののローファー、重い金属の板が仕込まれているのだ。
アスカは満面の笑みで『その方が修行になるし、蹴りやすいんだよっ』と語っていたのは先日のことだった。
もう一足のローファーはやや端の方で控えめではあるが、きれいに揃えて置かれている。
アスカの同級生でショートボブの栗色の髪にちょっと垂れた目と小柄な体格のせいか、小動物を思わせる可愛いらしいという表現がぴったりくる少女だ。
ローファーにもその一端が現れており、リボンのような飾りがあしらわれ、自分の魅力を引き立てようとしているのが、良く分かるチョイスをしているようだった。
ローファー二足に挟まれ、両手に花という状態になっている大きな革靴の持ち主は
やはり、アスカの同級生であり、アスカを最初に見つけて保護した人物でもあった。
悠だけではなく、義妹のアスカも色々とある人間なのだ。
「おかえり、お兄ちゃん」
「ただいま」
悠はこっそりと自室に戻ろうとして、冷蔵庫から牛乳を取ろうとしているアスカにばったり、出くわした。
テーブルの上にはマグカップが三つとココアの容器がある。
(どうやら、ココアを用意するようだ。珍しいこともあるもんだ)
普段、全くといっていいほどに家事をしない義妹がおもてなしの用意をしていることに明日の天気が心配になってくると微かな不安を感じていた悠だが、態度には一切、表さない。
「夕食は大丈夫だ。問題ない」
「分かった」
制服を一目、見ただけで気付くだろうに何も言わない義妹なりの気遣いと優しさを感じていたので、無粋なツッコミを避けたのだ。
アスカの髪は黄金を散りばめた金糸を思わせる見事なブロンドである。
外に出る時はまとめ、アップにされているが、今はそれを解いて下ろしていた。
だから、完全に見えている。
彼女の耳は人のそれとは明らかに違った。
やや耳介が張り出し、先端が尖った形状をしているのだ。
そもそもが容姿からして、日本人離れしていた。
アメジストのような薄紫色の瞳と太陽の光を思わせる黄金の髪色はどちらも日本人には生まれにくい色合いである。
鼻筋の通った彫りが深く、美しい顔立ちもどちらかと言えば、欧米の人種という印象が強い。
悠も日本人にしては彫りが深く、端正な顔立ちと言われていたが、彼の中で義妹と比べることは月と
「今日は疲れたから、シャワーを浴びて、寝るよ」
「ふぅ~ん。無理しないでとっとと休めば、いいよ。朝食はわたしにまかせ……おぅふ……こ、こぼれるぅ!?」
会話のキャッチボールを続けながら、マグカップに牛乳を入れるのが余程、難解なのだろうか。
集中しているアスカは眉間に皺を寄せ、難しい顔をしていた。
「寝れば、大丈夫だと思う。アスカこそ、気を付けなよ」
「も、問題ない。わたしが牛乳に負けるはずがない!」
そして、アスカなりに義兄へと精一杯、気を遣った結果、当然のように牛乳をこぼすこととなる。
かなり派手にやらかしたようでアスカの目は死んだ魚の目になっていた。
(後片付けをちゃんとしないと後が臭いんだよなぁ。
悠はアスカの手先の器用さについて、逡巡していた。
尋常ではなく、不器用というほどにアスカは手先で細かい作業を行うことを苦手にしている。
運動神経こそ、抜群に優れているのに手先で何かをするのが苦手らしい。
朝食を任せろと言おうとした結果、招かれた事態が牛乳を床に盛大にぶちまけたのである。
(あの子は目玉焼きもまともに作れないからなぁ)
ゆで卵だろうが目玉焼きだろうが、何でも炭素化合物に変える特技を持つのがアスカという少女である。
どんな物でも二千年前の遺跡から、発見された古代人の食べ物に変える技術は一種の神業だ。
「おやすみ、アスカ」
「あ、あぁ。おやすみ。お兄ちゃん」
こぼしたのだから、もう手を止めればいいのに溢れているその上にまだ、注ぎ続けようとマグカップと睨めっこをしているアスカをいつも通りだと微笑ましく思いながらも、今日の悠にはかまっている余裕がなかった。
(どうにも抜けない奇妙な疲れと絶え間なく襲ってくる軽い頭痛は何だろう?)
軽くシャワーを浴びた悠だったが、それだけでもきつかったのだろう。
既に体力が限界になっていた悠はベッドに入った途端、スイッチが切れたように眠りについた。
彼の意識はまるで全ての回路が遮断されたかのようだった。
不思議な感覚を覚えながら、悠は深い闇の海へと沈んでいくのだった。
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