立場
増田朋美
立場
今日は殊の外寒く、電車を駅のホームで待つにはちょっと気が引けるなと思われる日であった。そういう日に、来客は来ないと思われるが、こういうときに限って、テレビの画面は賑やかになるものである。蘭が、天気予報を見ようと思って、テレビを付けたところ、天気予報をやる前にニュース番組をやっていた。
「えー、臨時ニュースを申し上げます。昨日、正午ごろ、静岡県富士市の雁金公園にて、女性の死体が見つかりました。警察の調べによりますと、死因は、後頭部を鈍器のようなもので殴られた事による脳挫傷で、所持していた手帳から、身元は、富士市に在住の、増村信子さん、35歳と判明いたしました。警察は、凶器が見つかっていないことから、殺人事件と見て、捜査を開始しました。以上、臨時ニュースでした。」
それと同時に、画面は切り替わって、天気予報の画面になった。自分には何も関係ないと思われた事件だったけど、これが意外にもそうとも言えない、事件になるのである。
蘭が天気予報を見終わって、それでは、午後の下絵作りに取り掛かるか、なんて考えていたその時に。
「おーい、蘭!ちょっとお願いなんだけどなあ。」
と、インターフォンも押さずに華岡がやってきた。何だと思った蘭は、玄関先へ行ってみると、華岡は、なんの断りもなしに上がってきた。
「お前が、車椅子で歩けないから、俺が先に上がったぞ。蘭、お前の客に、佐藤美栄子という客がいるな。すぐに彼女を出してくれ。ちょっと聞きたいことがある。」
「はあ、何を言うんだよ。佐藤美栄子さんという客は確かに、僕のところに、着てくれている客だけどさ。まるで、彼女を僕が匿っているような、言い方じゃないか。」
蘭は、驚いて、そう言うと、
「ああ、すまんすまん。もうすぐ、容疑者を逮捕できると思って、つい、興奮してしまった。本当は、彼女の自宅に、行くべきなんだろうが、その前に御前に、聞いておきたいことがあってな。」
華岡は申し訳無さそうに言った。
「なんだよ、聞きたいことって。調べるなら、彼女の家に直接行けばいいじゃないか。それで、話をすればいいだろう?」
蘭がそうきくと、
「そうだっけね。だけど、あの家は、ガードと言うか、親の保護が固くて、彼女にまつわる情報が聞き取れないんだ。彼女の両親が、彼女を守ろうと言う姿勢が、強固だからさ。彼女は絶対にやっていないって、お母さんが、俺たちを家の中へ入らせてくれなくてね。なんでも、彼女のお母さん、警察に対して、不信感を持っているみたいだった。」
と、華岡は苦労話を始めた。
「はあ。つまり、お前が聞き込みに佐藤美栄子の家に行っても、彼女の親御さんが許してくれないと。」
蘭はその話を要約すると、
「さすが蘭!修士号まで持っているだけあるな。頭いい。そういうことなんだよ!頼む蘭。困っている俺の代わりに、彼女のことについて教えてくれ。頼むよ!」
と、華岡は言った。
「もうしょうがないなあ。彼女はたしかに、僕のところに来てくれていた。ひどいリストカットの跡を消してくれと言って、腕に、観音様を入れたいと言ったので、僕はそのとおりにした。観音様を入れれば、彼女の信仰の対象が、腕にいつまでもいてくれるからいいんだって。手彫りだと、機械彫りみたいにすぐできるわけじゃないと言ったけど、それでもいいと言うから、僕は、そのとおりにした。これでいいかな?」
「そうか、やっぱり彼女は、そういう信仰心があったのか?」
蘭がそう言うと、華岡はそう聞いた。
「信仰心と言うか、まあ、確かに信心深い子だとは思ったよ。なんでも、写経会にも参加したことがあるそうだ。写経は、ゆったりして、心が落ち着くと言うからね。それは、僕もやったことがあるので知っている。」
蘭がそう言うと、華岡は、
「もうちょっとその当たり詳しく話してくれ。彼女は、なんで、そういう信仰を持つようになったのだろう?」
と聞いた。
「そんな事知らないよ。なにか、きっかけになることがあったんじゃないの?リストカットやっていたから、誰かに守ってほしいという気持ちはあったと思うし。それをただ、観音様や、仏様がしてくれると思っただけだと思うよ。」
蘭は、言われたとおりにそう答えた。
「そうかあ。お前も、彫り師として、いろんな人を相手にしてきたと思うけど、なんか訳があって、それを聞き出したりすることはできないものかあ。あーあ、あの、きついお母さんと話をするのも、ちょっと嫌だしな。彼女に話がしたいと言ったら、娘が警察のお世話になるようなことはしてませんと、怒鳴られて追い出されてしまった。塩をまかれるところだったぜ!」
華岡は、嫌そうに言った。
「そんなにきついのか。そもそも、お前が調べている事件というのは。」
「決まってるじゃないか!最近ニュースで話題になっている、あの雁金公園で、女性が殺害された事件。あの事件の被害者増村信子の手帳から、佐藤美栄子という名前が出たので、彼女に話を伺いたいと思ってるわけ!手帳に描いてある、予定によると、事件があった日の一日前、増村信子が佐藤美栄子に会うという予定が書かれていたんだ。」
それを聞いて蘭は、
「でも、美栄子さんが、そんな事するだろうか?」
と思わずいってしまった。
「佐藤美栄子さんは、親思いで真面目な女性だよ。確かに、働くということはできないかもしれないが、でも、殺人を起こすということをしそうには見えなかったよ。彼女の事をちゃんと調べたのか?お母さんと一緒に、精神科に言って、ちゃんと治療を受けているんだよ。」
「ウン。そうなんだよ。だからこそ、彼女が黒ではないかと、思うんじゃないか。」
華岡は当然の様に言った。
「確かに、そうなのかもしれないけどさ、彼女をそういうところに行っているからといって、犯人にしてしまうのは、どうかと思う。それに、佐藤美栄子さんが、増村信子さんという女性にあっていたということは、裏はとれているのかな?」
蘭がそう言うと、華岡は、
「ああ、それはまだ不明だ。」
とぽつんと言った。
「どこか喫茶店とか、そういう場所であっていないか、富士市内のカフェを当たってみたがそういう情報はどこにもない。」
「それじゃあだめだよ華岡。もうちょっと、ちゃんと捜査をしなくちゃ。それに、富士市内のカフェじゃないかもしれないでしょ。いくらふたりとも富士市に住んていたからって、どこかのカフェに行っていたと決めつけるのはおかしいよ。」
蘭は、急いで言った。
「まあ、人があう場所といえば、カフェとかかなと思って、、、。」
華岡は、頭をかじった。
「もう、他にも色々あるじゃないの。カフェだけではなく、公共の建物の、飲食スペースとか、増村とかいう人の自宅へ行ったとか、コミュニティーセンターで話をしたとか、そういうふうに考えないと。だから富士の警察は甘いなとか言われるんでしょうが。」
蘭は、華岡に呆れた顔をしていった。
「すまんすまん。もう一度、どこかで、彼女たち、つまり増村信子と、佐藤美栄子が話していたかどうか、もう一度、防犯カメラの映像を見てみるよ。」
華岡は、申し訳無さそうに言った。それと同時に、華岡のスマートフォンがなった。
「はいはいもしもし。ああ、ついに出たか!なになに、佐藤美栄子と、増村信子が、アピタに入っていったのを目撃されているのね。二人は、どこに行った?え?アピタの中にある、金券ショップ?ああ、わかったよ。わかったから。」
と、華岡は電話アプリを切った。
「つまり、佐藤美栄子さんと、増村信子さんが、アピタの金券ショップで、目撃されたのか。金券ショップというと、商品券やクオカードなどを、現金にしてくれるところだよな。」
「そうだねえ。」
蘭に言われて、華岡はそういった。
「しかし、なんで二人は、金券ショップに行ったのだろう?急にお金が必要になったのだろうか?」
「お金をどちらかがせびったのかもしれないよ。」
蘭は華岡に言った。
「でも、店員の話によれば、二人はとても楽しそうで、彼女たちは、片方が片方を責めているとか、そういう感じではなさそうだったということだ。お金をせびったような感じではなかったようだが、、、?」
華岡はまた、面食らう。
「そうかも知れないけど、人は見かけだけではわからない。裏では、恐ろしいことを考えているかもしれない。それは、どんなやつでも同じだ。僕達、刺青師がするのは、それを、やめさせることもするんだよ。自殺したいとか、自分の体を傷つけたいとかね。大体、お客さんたちは、自分の周りで起きたトラブルを、自分のちからで対処できないほど、感性のいい人が、多いからね。」
蘭は、華岡に教えるように言った。普通の一般家庭で育った人間が、刑事になっても、こういう捜査しかできないと思った。特に、華岡の家庭は、平凡すぎるくらい平凡な家だったから、刑事ではなく別の仕事に着いたほうが、いいのではないかと蘭も思ったことがある。
「まあね、裏も捜査して、えぐり出すのは、ちょっと癖のある人でないと、難しいかもしれないけど、がんばって、真相をちゃんと掴むんだぞ。」
「はい、わかりました!俺、がんばります!」
華岡は、そう言った。そして、椅子から立ち上がり、そろそろお暇するよと言って、蘭の家を出ていった。全く、華岡は、のんびり育ちすぎて、鈍くなっているんじゃないか、と蘭は思った。
それから、また数日後のことであった。蘭が、また、天気予報を見ようと思ってテレビを付けたら、テレビはちょうど天気予報を放送していた。のであるが、ピピピと音がなって、
「静岡県富士市の雁金公園にて起きた殺人事件の容疑者逮捕」
と、いうテロップが出た。蘭は、テレビというものは、なんでこう簡単に報道してしまうのだろうかと思いながら天気予報を見ていたのだが、いきなりスマートフォンが音を立ててなったため、びっくりしてしまう。
「蘭!すぐ来てくれ!彼女が、彫り師の先生となら話してもいいって言うから!」
電話の主は華岡だった。
「はいはい、わかったよ。お前のことだから、早く被疑者を落としたくても、落とせないので苛立っているんだろ?」
と、蘭は呆れていった。華岡が、すぐに迎えをよこすからというので、蘭は、わかったと言って、出かける支度を始めた。数分後に、銀色の覆面パトカーが来て、蘭の家の前で止まった。蘭は、警官に手伝ってもらいながら、パトカーに乗って、富士警察署に向かった。
蘭が到着すると、華岡が待っていた。やはり逮捕したのは、佐藤美栄子であると言う。華岡に連れられて、蘭は取調室へ言った。そこにいるのは確かに、蘭のお客さんの一人である、佐藤美栄子さんであったが、蘭の知っている彼女とは、雰囲気が違うような気がする。
「佐藤美栄子さん、言われたとおり、協力してくれるということだ。もう一度、あの事件の事を話してくれ。事件の起きた日、増村信子さんに、何をされたんだ?」
華岡がそう言うと、
「はい、増村信子さんに、あって話をしたいと言われて、増村さんに指示された駐車場で待ち合わせました。」
と、佐藤美栄子さんは言った。
「うん、それはわかっている。それで、増村と一緒に、アピタへ行ったよな?」
佐藤美栄子さんは、華岡に言われて、はいと小さくいった。
「それで、あなたが、金券ショップで目撃されているのですが、なぜ、あなたは、金券ショップに行ったんですか?」
と、蘭は、彼女に聞くと、
「増村信子さんが、厄払いをしてくれると言ったので、それで、お願いしました。そのときに、祈祷料として、1000円必要だったので、私、その時お金を持っていなかったものですから、クオカードを買い取って頂いて、1000円をつくって、彼女に渡しました。」
と、佐藤美栄子さんは答えた。
「佐藤さんは、お寺の写経会にも参加されていたじゃないですか。そのほうが、よほど、由緒ある行事だと思うんですけど、それよりももっとすごいものだったんですか?」
蘭が言うと、
「最近、強引な勧誘をする、宗教団体がいるって、聞いたけど、それに引っかかったのかな?」
と、華岡は聞いた。すると、佐藤さんは、小さい声ではいと言った。
「ああ、やっぱりそれだったんだね。それで、強引に勧誘されて、祈祷をさせられてたんだ。もしかしたら、増村さんの自宅に車で行って、それで、祈祷をされたの?僕が彫った観音様では、効果がないとか、そんな事を言われて。」
蘭はできるだけ優しく彼女に言った。
「ええ。そうなんですよ。なんでも、この世の中は、観音様では意味がないと。それよりも、日蓮さんのほうが、もっと強力だから、そっちへ回すようにって。そんなことありませんよね。あたしは、観音様はずっといてくれると思っていたのに。そんな事言われてしまって、本当に怖かったですよ。」
佐藤美栄子さんは、そういった。
「それで、祈祷が終了後、布施かなんかとか言われて、お金をせびられたから、増村信子を、雁金公園に車で走らせて、そこで殺害したというわけか?」
と、華岡がその続きを話すと、佐藤美栄子さんは、ちょっと間を開けてはいと言った。
「よしわかった。じゃあ、それで裏を取ってみる。本当にお前が、雁金公園にいたかどうか。」
華岡は、取調室にいた部下の刑事に伝言した。
「本当にそうだったんでしょうか?雁金公園に誰もいなかったんですか?」
蘭がもう一回聞くと、彼女は小さい声ではいと答えた。その日は、蘭も、自宅へ返された。でも蘭は、どうしても、彼女が、本当に、その女性を殺害できるかどうか、疑問に思った。確かに、強引に勧誘させられて、断れるほど佐藤美栄子さんは強くない。それで、彼女が、増村信子を殺害できるだろうか?蘭は、彼女ではなく、別の人物が関わったのではないかと、疑いを持った。
その翌日。蘭が、下絵を描いていると、またスマートフォンがなった。
「おい蘭。お前の言うとおりだったぞ。増村信子が死亡した日、雁金公園に女性二人がいたという目撃証言は何もなかった。それでは、増村信子は、別の場所で殺害されて、雁金公園に運ばれたということになるな。」
と、華岡は言っている。
「そうか。では、佐藤美栄子さんは、帰れるのだろうか?」
蘭が聞くと、
「ウン、アピタに言ったのは、裏がとれたが、彼女が増村信子と一緒に、雁金公園に行ったというのは、証拠が無いと言うことになったからな。」
と、華岡は、残念そうに言った。
「でも、真犯人は他にいると思うんだ。あれは明らかに、鈍器で頭を強打されていて、自殺という事は、考えづらいよ。」
「まあ、そうだが、そのへんは、お前がなんとかするべきだろ。真実は一つしか無いって、言っていたのは、華岡でしょ。」
蘭は、すぐに華岡に言った。
「はい、すまんすまん。なんとかしてみるよ。俺たちの仕事はこれからだと言うことだからな。」
「そう気を落とすなよ。被疑者を落とせなかったからって、いちいち気を落としていたら、世の中やっていけないよ。それに、勧誘された、佐藤美栄子さんだって、いずれは自分のちからで乗り越えなければならないんだし。彼女が、意思を持って忘れようという気持ちになってもらうのを待つしか、僕達はできないでしょ。もちろん、それを忘れる道具を彫って上げることは、できるけどね。」
蘭は、華岡を励ますように言った。こうなると、どっちが警察という立場なのかわからなくなってしまいそうだ。
「蘭、そうすると、俺たちは、どうしたらいいんだ。彼女を、証拠無しで勾留してしまったことを、謝ればいいのかな?」
華岡は、刑事らしくない疑問を蘭に言った。
「まあ確かに、1000円無駄にしたのかもしれないけど、それだって、必要な事かもしれないじゃないか。そういうのを乗り切るのは、やっぱり忘れるしかないんだ。それができるようになるやつと、できないやつもいて、時には人手を借りなきゃ忘れられない事もあるだろうけど、そういうふうに、誰のせいでも無いのに、お金を取られたということは、あるからね。まあこういう事もあったよ、位に思っておくことにしておくようにと、彼女には言ってやって。」
全く、華岡もおかしなところにこだわるものだ。そういう事を考えて、よく警視まで昇格したなと蘭は思った。そういうことにこだわるのなら、刑事よりも、他の仕事のほうが向いていると思うのだが。
「そうか。わかったよ。じゃあ、俺、そういうことにしておきます。蘭、ありがとうな。」
華岡は、そう言って電話を切った。
蘭は、彼女に、そう伝えてくれるといいなと思いながら、自分もスマートフォンを置いた。
それから、数日後の事であった。もう春が近いのか、梅の花が咲き始めていた。蘭は、いつもと変わらず、仕事をしていた。さて、お昼にするかと食堂へ戻ってテレビを付けると、テレビは、先日の雁金公園で女性が殺害されたニュースを相変わらずやっている。ほんと、それしか報道することは無いのかと思われるくらい、しつこくやっていた。すると、佐藤真理子という女性が逮捕されたと、アナウンサーが報じていた。ということは、佐藤美栄子さんのお母さんだろう。蘭はもしかしたら、美栄子さんと真理子さんの二人がやったのではないかと想像した。まあそれも、そのうち取り調べで明らかになると思うが、佐藤真理子さんという人は、こういう事もあったんだと思えなかった人ではないかと思った。それは母親という立場からかもしれないし、個人的に、そうできなかったからなのかもしれないが、感じることが度を越して、こういう事件を引き起こしてしまったんだな、と、報道を見ながらそう思った。そして、彼女たちが、したことは、法律で裁かれることになると思うけど、なんだかそういう事が、これ以上しつこく報道されないように願った。そう思いながら、蘭はテレビのスイッチを押した。
立場 増田朋美 @masubuchi4996
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