08.お祭りに向けて

「こうかな?」

「ジェフ、こっちよ!」


 翌日。花桟橋祭りに参加すると決めたとはいえ、いきなり飛び込むわけにはいきません。というのも、花桟橋祭りに参加するには、あらかじめ申し込まなくてはいけませんし、


「んん……ダンスって、思ったより難しいね」


 仕事の休憩時間。マリーにあわせて踊ろうとするものの、うまくステップを踏めず、ジェフが難しい顔をします。

彼は少し、ダンスが苦手だったのです。


 一方、毎年花桟橋祭りを見ていたマリーは、ダンスが得意でした。といっても、海から見ていたために見よう見まねのダンス。おまけにまだ人間の身体を動かすことに完全に慣れていないために、時折ふらふらしてしまいますが。それでも月色の髪が揺れる様子は、ジェフの目にはとても可愛らしく、そしてとても上手なダンスに見えました。


「マリーはダンスが上手なんだね! 僕も頑張らなくちゃ」

「いつも一人で踊ってたの」


 ほめられて、マリーは小首を傾げ微笑みます。決して広くはないキッチンですが、それでも二人はゆっくり、ステップと呼吸を合わせて進みました。


 二人が花桟橋祭りで踊るのは、明日です。

 人間の姿になって、これで四日目。もしもこうなったら、が次々に叶ってしまい、ついに明日、ジェフと花桟橋祭りに参加できることになりました。お店を手伝いながら休憩時間にダンスの練習をしていると、日中はあっという間にすぎてしまいました。


 夜になればマリーは借りた部屋で眠るのですが、今日はどうにも眠れません。ふかふかのベッドから起き上がれば、窓の外を見つめます。眼下に広がるのは、どこまでも続く海と空です。これまでに人々が海を見たのなら、海にも大きな白い満月が、つまり自分マリームーンがいたのかもしれませんが、今夜の月は一つだけ。空で優しい光を放っています。


「たくさんの夢が叶って、嬉しいの」


 マリーは月に話しかけます。


「お月様、もし、あの魔法使いのおじいさんとおばあさんもあなたを見ているのなら、本当にありがとうって私が言ってたって、伝えて。クラゲの私だったけど、好きな男の子と花桟橋祭りに出るんだって」


 胸元のターコイズのペンダントを指で撫でます。


「でも」


 と、言葉が口をついて、マリーはその後言おうとしたことを飲み込んでしまいます。


 でもこれでいいのかしら、なんて。

 マリーが思い出しているのは、昨日の約束です。


 秋にまた会うことなんてできないのに。それに、沢山の嘘を吐いて、ジェフを騙したままです。

 だからこそ、こんなに幸せでいいのか、怖いのです。こんなに幸せになってはいけないのではないか、と思ってしまうのです。


 波の音は子守歌のように聞こえますが、やはりマリーは眠る気になれません。不安と、明日への緊張感でどうにかなってしまいそうです。嬉しいはずなのに、悲しい。


 そう、ぼんやりと海を眺めつつ、ふと近くの浜辺に視線が向きました。すっかり夜中。コラリリタウンの中心部はまだ人々で賑わっているかもしれませんが、海辺はもうしんと静まりかえって、歩く人の姿もありません。そのはずなのに。


「あれは、ジェフかしら」


 浜辺に見覚えのある人影を見つけ、マリーは外へと駆け出しました。

 花の香りと潮騒に満ちた浜辺。いたのはやはりジェフでした。月明かりに輝く海を見て、何か探しているようです。


「あっ、マリー」


 マリーが砂糖でできたような砂浜を歩いていくと、ジェフが気付いて振り向きます。


「ジェフ、どうしたの、こんな夜中に。明日も早いのに」

「前に、君に似ている友達がいるって言ったよね。大きなクラゲのマリームーン……その子をちょっと探しててね」


 ジェフは少し不安そうな顔をして、再び海を見つめます。


「お客さんにも聞いたんだけど、ここ数日、見てないんだって。だから気になってね」


 そう海を眺めるジェフの姿は、月の光に影となって、マリーはなんだかもやもやしてしまいます。ふわふわで、けれども確かに膨らんでいるそれは、内側からマリーを押しつけ苦しめるのです。


 ここで自分がそのマリームーンだと言ったのなら、どうなるのか。以前も告白しようか悩んだことですが、やはりマリーは言葉を呑み込んでしまいました。何故なら嘘をたくさん吐いてしまったし、変なところも見せてしまったし、自分が自分であると、知られたくなかったのです。


 何と言ったらいいのかわからず、マリーはジェフと並んで海を眺めていました。ターコイズのペンダントが、静かに月明かりを返します。


「……ねえマリー、僕、ちょっと思ったんだけど、マリーって」


 やがて、ジェフがマリーを見て、けれども言葉を詰まらせて、


「いや、ううん、マリーって、本当にダンスが上手だよね」


 海から浜辺へ、ジェフの視線が向けられます。先にあるのは巨大な桟橋。花桟橋祭りの舞台です。真夜中、人影は見えませんが、街灯だけが優しい光を灯しています。


「僕、明日ちゃんとできるかな……ちょっと緊張しちゃうな」

「私も……緊張しちゃうわ」


 考えてみれば、大勢の前で踊るのです。じわりと緊張が濃く滲んできます。

 いまは無人の桟橋。明日にはまた多くの人が集まり、絆を結ぶ舞台となるのです。


「そうだ、ジェフ!」


 そこでマリーは名案を思いつき、手を叩いて目を輝かせました。


「リハーサルよ! リハーサル、しない?」


 いま、桟橋には誰の姿もありません。一回でも試しに踊ってみたのなら、緊張は薄れるのではないでしょうか。


 リハーサル、というものは、マリーにとって覚えたての言葉でした。お店に泊まっているのは、観光客だけではありません。芸人達も泊まっていて、彼らが「リハーサル」するのをマリーは見ていたのです。


 ジェフは一瞬驚いたような顔をしましたが、改めて桟橋を見つめます。


「ちょっとくらいなら、いいかもね!」


 二人はまるでピクニックに出かけるかのように、ガーデン・ピアへ向かいました。


 ガーデン・ピアに、やはり人の姿はありませんでした。昨日見たときとは違って、桟橋は大きく思えます。先にある植物園までの距離も、思ったよりもあるように見えました。


 「立ち入り禁止」を示すロープを二人はそっと乗り越えて、ダンスを始める位置につきました。手を取り合えば、本番ではないものの、マリーはきゅっと緊張してしまって、顔をこわばらせます。見れば、ジェフも神妙な顔をしていて、


「ジェフったら、変な顔!」


 思わず笑ってしまえば、ジェフも小さく吹き出して。


「マリーだって、すごく緊張してる顔だよ! これ、本番じゃないんだから!」


 足をそろえて、一歩、踏み出します。まるで雲を踏もうとするかのような優しいステップで、くるりと回る様も、風に吹かれた花弁のようです。


 それでも二人は進んでいきます。息を合わせて、見つめ合えばもう周りが見えないほどに微笑んで。


 海の音しか聞こえない中、桟橋を飾る色とりどりの花はまるで観客のよう。拍手の代わりに、風が吹けば花弁をマリーとジェフに送ります。その花弁と香りを纏うように、二人はまた、踊り、進んでいきます。月が優しく二人を照らし、星々は深夜のダンスにきらきらと囁きあいます。そして海も祝福するかのようにきらめいて、静かな白波のレースで闇を華やかにさせました。


 桟橋の街灯の優しい光は、夢の中で見る光のようで、優しく舞台に光を灯していました。まさにマリーは夢見心地でジェフと見つめあいます。


 ゴールはまだまだ先。けれども、ずっと、このままでいられたら。

 瞬きをすれば、溜息が漏れてしまいます。またくるりと回れば、マリーの月色の髪が花のように広がりました。


 二人が言葉を交わさないのは、踊るのに必死になっているからではありませんでした。その必要がなかったのです。


 ただ見つめあって、この夢の中にいるような甘い感覚に浸って。

 それに「このままがいい」なんて言ったのなら、あの綿菓子のように溶けてしまいそうな気がして。


 ところが。


「あっ」


 ステップを踏んだマリーの片足が、きゅっと鳴いて滑りました。とたんにマリーの身体は傾き、一緒に踊っていたジェフも傾きます。


「危ない!」


 倒れる瞬間、とっさにジェフがマリーを抱きしめました。


 どたんっ、という音が、深夜の舞台に響き渡りました。後に聞こえるのは、波の音だけ。


「ああ、ごめんなさい……ジェフ!」


 痺れたような感覚がありましたが、マリーが身体を起こします。そこで彼女は気付きました。倒れる瞬間、ジェフが自分の下敷きになってくれたことに。すぐに手をついて身体を起こし、思わず口元を押さえてジェフを見つめます。


「大丈夫……マリーこそ、怪我は?」


 幸い、ジェフは大きな怪我をしていませんでした。マリーと同じく身体を起こせば、ひどく心配そうな顔をしている彼女を見て笑い出します。


「大丈夫だって!」

「ごめんなさい、私、転んだだけじゃなくて、ジェフを下敷きに……」

「いいんだよ、ほら、なんともないし。立てる?」


 ジェフは立ち上がれば、軽く服を払ってマリーへ手を差し伸べました。座り込んだままだったマリーは、申し訳なさに表情を歪めていましたが、そろそろとジェフの手を取れば、その温かさと優しさに微笑みます。


 しかし。


「あっ、いたっ……」


 ジェフの手を借りて立ち上がろうとしたところ、滑らせてしまった足に、びりっと痛みが走りました。何かと思って軽く動かせばまた痛みが走って、マリーは眉を寄せます。どうも足首が痛むようで、歩いただけでもびりびりと痛みます。


 マリーは足首を痛めてしまったのです。

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