04.ジェフの提案

 太陽はゆっくり沈んで、やがて夜が空の端から滲んできます。白い星々が、白い月に連れられ、夜空を進み始めます。


 行き場のないマリーは、浜辺にいました。浜辺の岩に座り込んで、子守歌を奏でる海を眺めていました。


 振り返ればコラリリタウン。暖かな明かりに照らされて、建物の淡い珊瑚色はより可愛らしく、そして美しくなります。花を模した街灯にも明かりが灯り、よりおとぎの世界の街となります。


 けれどもそこに、マリーの居場所はありません。

 深く溜息を吐いて、海を眺めます。海風はまるで慰めるかのように頬を撫でていきますが、心のもやもやは晴れないまま。今日の失態を何度も思い返してしまいます。ジェフとお祭りを楽しむせっかくのチャンスを手に入れたのに、自分があまりにも無知だったこと、彼に迷惑をかけてしまったこと。願わないほうがよかったのかもしれない、なんて思うほどです。


 そもそも自分はクラゲ。少しでもいいからジェフの近くに行きたいと思うなんて、恋をするなんて、その時点で間違っていたのです。


 胸元にあるターコイズのペンダントに触れます。このペンダントをくれた魔法使いの老夫婦は、確か海に飛び込めば元に戻れると言っていました。マリーは夢から覚めたかのようにすっと立ち上がります。

 そして砂浜に一歩踏み出した時です。


「あれ? 君はマリー? どうしたの、こんなところで」


 よく聞き慣れた声がして振り向けば、そこにはなんとジェフがいました。驚いたマリーは口をぱくぱくとさせてしまいます。


「ええと……海を、見てたの。綺麗だから」


 ジェフはまるで自分がほめられたかのように微笑みます。


「この街の海が気に入ってもらえて嬉しいよ! そういえばマリームーンを……大きなクラゲを見なかった?」


 その問いにマリーが頭を横に振れば、ジェフは少し寂しそうな顔をしました。


「そう……丸一日姿を現さないなんて珍しいけど、お祭りの時期だからかな、花桟橋祭りでも見てたのかな」


 どうやらジェフは、マリームーンを探しに来たようです。けれどもマリーは未だに正体を明かしませんでした。「マリー」はちょっとおかしな子です。その「マリー」とマリームーンが同じだと知られてしまったら。


 思わず溜息を吐いてしまいます。人間の姿になれたところまでは素敵な夢だったのに、現実とはうまくいかないものです。いまだって、ジェフと楽しくおしゃべりができたら素敵だったのに、そんな気分にはなれないし、変なことを口走ってしまうかもしれません。


「どうかしたの、マリー」


 と、マリーの異変にジェフが気付いてしまいます。とっさにマリーは笑顔で「何でもないわ」と返しますが、そこでジェフは思い出してしまったようです。


「そういえば、お財布見つかった?」


 マリーは何も答えられませんでした。最初からないものなんて、見つかりません。

 黙っていてもどうしようもなく、だからといって何か答えようにもわからず。


 果てにマリーは、いま考えていることを言うことにしました。


「お財布、ないから、帰ろうと思うの」


 ここに居場所は、ありませんでしたから。

 とたんに胸がきゅっと締め付けられたかのようになって、涙がこぼれてしまいます。

 だって、ジェフともっとお話したかったのに。

 本当は花桟橋祭りに参加できたら、なんて考えていたのに。


 唇を噛みしめて、マリーは声を上げませんでした。海を見たままで、泣いていることに気付かれたくありませんでした。

 涙に気付いたのか、気付いていないのか、ジェフは。


「家に帰るってこと?」


 マリーは頷きます。もう仕方がないのです。人間の世界で必要なものはお金。お金がなければ、今日の寝る場所はおろか、食べるものだってないのです。


「お祭りだから、せっかく来たけどね」


 悲しみを悟られないように、マリーは笑みを浮かべます。涙が真珠のようにこぼれてきらめきましたが、ジェフに見えてしまったでしょうか。コラリリタウンは夜でも美しく、むしろ寂しさを覚えるほどに明るいのですから。


 ジェフは何も言いませんでした。街の喧噪が遠い中、マリーの横顔を見つめます。潮騒に遊ばれるように、月色の髪が揺れているのを眺めます。


「お財布落としちゃったってことは、いま、お金全部ないってことだよね」


 そこでふと、彼は思いつきました。


「お金ないけど、帰れるの?」

「あっ、ええと」


 マリーは答えられません。自分で「帰る」とは言ったけれども、人間はどうやって帰るのでしょうか。歩いて帰る? そういえば列車、なんてものがあるんでしたっけ。馬車なんてものもありましたっけ。


「ねえマリー……もしよかったら、なんだけど」


 優しい波が寄せる海辺で、ジェフは少し恥ずかしそうに小首を傾げました。


「もし困ってたら……うちの手伝いをしない? うちの店、いま人手が足りなくて。それでも、もし手伝ってくれるのなら、うちは宿屋もやってるから一部屋貸すし、働いてもらうんだからお金も出すし」


 そうしたら、とよそに視線を投げていた彼は、ぱっと笑みを咲かせるのでした。


「マリーは家に帰るためのお金が手にはいるし、まだお祭りを楽しめるでしょ? お祭りはまだ始まったばかりだし、せっかくこの街に来たのに」

「……い、いいの……?」


 それは願ってもいないことで、あまりのことにマリーはきょとんとしてしまいます。


 ジェフがいてもいいと言ってくれるのなら。そして彼を手伝えるのなら。

 自分はお祭りを楽しみ、ジェフとお喋りがしたいために、この地上に立ったのですから。


 ざぶん、と、波がまるで背を押すかのように音を立てました。マリーが振り返った勢いに、胸元のターコイズが月の光を受けて輝きます。


 不安は沢山ありました。自分はやはり、クラゲなのですから。

 しかしジェフが目を細めて笑えば、マリーの中の不安はすっかり消えてしまったのです。

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