02.少女になる魔法

 花桟橋祭りは数日続きますが、夜になれば街は静かになります。夜も更けて夜明け前が一番静かな時間です。まるで小川のせせらぎを思わせるほどに穏やかな海の中、マリームーンは漂っていました。


 空にあった月は朝の気配を感じたのか、もういません。しかし海を見れば、白い満月、マリームーンが一体。夜明け前から魚を取りに行くという船が近くを通り過ぎ、漁師達がマリームーンに手を振ります。マリームーンもふわふわと触手を揺らしましたが、船が去ってしまえばマリームーンはまた孤独。


 ゆらゆらと揺れている内に、マリームーンは踊り始めます。

 しかし一人で踊ったところで、寂しさは少ししか和らがないのです。それでもマリームーンは踊ります、彼女は踊ることが好きでしたから。


「あら、とてもかわいらしいお嬢さんが踊っているわよ」


 そこで声がします。


「おや、本当だ。おお素敵なダンスだねぇ」

「あなたとても上手ね、うっとりしちゃうわ」

「まるで白いドレスを着ているみたいだねぇ」


 近くの石造りの桟橋で、欄干に頬杖をついてこちらを見下ろす二つの人影がありました。


 花桟橋祭りでリズミカルなダンスを見せてくれた、あの老夫婦でした。

 これが「ダンス」だと気付いてくれた人間は、マリームーンにとってはじめてでした。それだけではなくほめられて、嬉しくなります。


(おばあさんとおじいさん、私が踊っているって、わかってくれるのね)


「ええ、とっても素敵よ、お嬢さん」

「ああ可愛らしいダンスだよ」


(昼間に見た二人のダンスもとても素敵だったわ)


「あらあら、花桟橋祭りでのダンス、見てくれたのね」

「おやちょっと恥ずかしい。いやあ久しぶりに、おばあさんとはしゃいでしまってね」


(私もあんな風に、誰かと楽しく踊れたらいいのに)


 と、そこでマリームーンははっとして、思わず白波に押されてしまいました。


(あら? おばあさん、おじいさん、私の思うことがわかるのかしら?)


「わかるわよ、クラゲのお嬢さん」

「ああ、わしらには、わかるぞ」


 マリームーンはさらに驚いて、波に流されかけてしまいました。そんなことができる人、いままで見たことも聞いたこともありません。しかし確かに、この老夫婦はマリームーンの心を読み、いま、お喋りをしたのです!


「クラゲのお嬢さん。私達はね、旅の魔法使いなの」


 おばあさんがそう言って指をくるくる回せば、次の瞬間、おばあさんは魔法使いの帽子にローブを羽織った「魔法使い」の姿になっていました。


「魔法使いであっても、この歳になっても、世界には見るところが多くてなぁ。それで、この街までやってきたんだ」


 同じく、おじいさんもいつの間にか魔法使いの姿になっていました。


「ばあさんや、素敵なダンスを見せてもらったんだ。何かお礼をしようじゃないか」

「そうねぇ。この子は地上に憧れているようだし、誰かに恋をしているみたいよ」


 思わずマリームーンは、ジェフの顔を思い浮かべてしまいました。きっと、二人にも見えたに違いありません。するとおばあさんはふふふと笑って、


「それではクラゲのお嬢さん、マリームーン。一つ魔法をプレゼントしましょう。これは、素敵なダンスを見せてくれたお礼よ」


 おばあさんはローブの袖口から、小さな石を一つ取り出しました。まるで卵のようなその石は、昼間の海の水色のようなターコイズ。ターコイズがおばあさんの手を離れると、あたかも海鳥のようにマリームーンの頭上で光り輝き、くるくる円を描き始めます。


 マリームーンの身体も光を帯び始めました。ゼリーのように透き通った身体は不意に浮かび上がり始め、海の上まで浮かびました。ターコイズの光がマリームーンを染め上げ、包んでいきます。


 海の向こうでは、太陽が昇り始めていました。地平線から新しい光が漏れ始めています。そしてその眩しい光の中、宙に浮いていたマリームーンはそっと桟橋に降り立ちました。


 朝日の中、桟橋に立っていたのはクラゲではありませんでした。一人の少女が、白いドレスの裾を海風にはためかせながら立っていました。


 海の色の美しい瞳を持つ、十代半ばほどの女の子でした。ふわふわとした長い髪は銀色で、月の色を思わせます。彼女はぱちりと瞬きをすれば、自分の手を見て、身体を見て、足を見て、さらに目を丸くします。


「私……これは、私なの?」


 彼女、マリームーンの胸元には、あのターコイズがペンダントとなって輝いていました。


「その魔法の効果は、今日も含めて五日で切れてしまうから気をつけてねぇ」

「その前に戻りたくなったら、海に飛び込むんだよ」


 魔法使いの老夫婦は、孫娘を見るかのような眼差しをマリームーンに向けていました。


「それじゃあ、お祭りと地上を楽しんでいらっしゃい」

「はい! ありがとうございます!」


 潮騒が耳に心地よい夜明けの光の中、マリームーンはにっこりと微笑みました。

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